私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝、午前中は曇りと予報されていたが、なぜかしら朝の8時過ぎに雨が降りだして、
9時過ぎに小雨となったりした。
こうした時、私はぼんやりとネットの記事を読んだりしていると、
たまたま《ヨット、別荘、クルーズ旅行……「リタイア後の夢」の値段》と題されて、
副題として《仕事漬けの生活から解放されたら一度は自分の船や別荘を持ちたい――。
そんな男の夢は一体どのくらいのお金で買えるのか。》
と明記され、ビジネス総合誌として名高い『PRESIDENT』から配信された記事であったので、
つたない年金生活の私は、こっそりと読んだりした。
http://president.jp/articles/-/9656
☆【PRESIDENT online】<==《ヨット、別荘、クルーズ旅行……「リタイア後の夢」の値段》☆
私は年金生活をしているが、この『PRESIDENT』誌は、
特集が魅せられた時で年に4回ぐらい購読している雑誌であるが、
今回のジャーナリストの伊藤 博之さんが寄稿された記事を読み終わった後、
降参致します、我が家はないないづくし、と苦笑したりした。
私は『ヨット』に関しては興味がないので、論外となっている。
第一私は、泳ぎにしても、平泳ぎは200メートルが限界である上、海洋の知識もないので、
国内旅行で遊覧船、フェリー船に乗船すれば、この船から海上の景観を観られれば充分である。
『豪華客船で繰り出す世界一周クルーズ』に関しては、
私たち夫婦が参加した場合は、旅費とその地の間接費を配慮すれば、5000万円前後要すると、
もとより老後の生活予備資金が無くなるので、対象外である。
『中高年のアルピニストの夢・・海外の登山ツアー』に関しても、
私は現役サラリーマン時代の緊張感も無くなり、体力の衰えた今は、
いくら頑張っても高尾山のハイキングぐらいであり、無念ながら山は眺めるものである、
と思っている昨今である。
『夫婦で温泉巡りなどを楽しむ・・キャンピングカー』も、
私は定年後に感覚が衰えたので、自動車の免許証も更新を止めた身であるので、対象外である。
たとえ自動車の免許証を維持しても、キャンピングカーのベットで寝るよりも、
観光ホテルに宿泊して、部屋の布団かベットで寝る方が快適であるので、論外となっている。
『リゾートマンションや別荘』に関しては、興味があった。
私は若き40代の頃は、退職後に八ヶ岳、蓼科の分譲別荘地に永住することを夢をみたりしていた。
周囲の景観の四季折々の情景を眺めて、家内と共に生活することを考えたりした。
私は50代の頃に家内に言ったりしたが、反対をされた。
60代の心身元気な時はたとえ良くても、70代以降の身体が衰えた時、どうするのかが主旨であった。
そして日常の買物、そして本屋、近くの病院の利便性も失くして、
あなたの定年後の生活は満足できるの、と言われたりして、あえなく夢は挫折した。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、
コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とかこの当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
こうした中で1998〈平成10〉年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は中小業のサラリーマンの身として、年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
程ほどの年収、退職金であり、金融資産は程ほどとなり、
何かと半生史は自慢史が多い中、つたない私はもとより対象外となっている。
定年後の年金生活は、せめて日常の買物ぐらいは私がしなければと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
国内旅行に関して、私たち夫婦は家内の母を伴い、
温泉のある格安の観光ホテルに滞在して4泊5日前後の旅行を幾たびしたり、
私たち夫婦の時は観光ホテル、リゾートホテルに滞在して、周辺を散策したりしてきた。
そして高額の宿泊施設には無念ながら余裕がないので、
今までの旅で一番経費が要したのは、小笠原諸島の『父島』に訪ねた時であった。
この時は2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のホテル滞在9泊となったが、
総経費はふたりで80万円ぐらいだった、と記憶している。。
私たち夫婦の年金生活の資金基本は、お互いの厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新たな年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としているが、
今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
このような年金生活をしていると、今回の記事は、私たち夫婦にとっては、
ないないづくしかしら、と私は苦笑したのであった。
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今朝、午前中は曇りと予報されていたが、なぜかしら朝の8時過ぎに雨が降りだして、
9時過ぎに小雨となったりした。
こうした時、私はぼんやりとネットの記事を読んだりしていると、
たまたま《ヨット、別荘、クルーズ旅行……「リタイア後の夢」の値段》と題されて、
副題として《仕事漬けの生活から解放されたら一度は自分の船や別荘を持ちたい――。
そんな男の夢は一体どのくらいのお金で買えるのか。》
と明記され、ビジネス総合誌として名高い『PRESIDENT』から配信された記事であったので、
つたない年金生活の私は、こっそりと読んだりした。
http://president.jp/articles/-/9656
☆【PRESIDENT online】<==《ヨット、別荘、クルーズ旅行……「リタイア後の夢」の値段》☆
私は年金生活をしているが、この『PRESIDENT』誌は、
特集が魅せられた時で年に4回ぐらい購読している雑誌であるが、
今回のジャーナリストの伊藤 博之さんが寄稿された記事を読み終わった後、
降参致します、我が家はないないづくし、と苦笑したりした。
私は『ヨット』に関しては興味がないので、論外となっている。
第一私は、泳ぎにしても、平泳ぎは200メートルが限界である上、海洋の知識もないので、
国内旅行で遊覧船、フェリー船に乗船すれば、この船から海上の景観を観られれば充分である。
『豪華客船で繰り出す世界一周クルーズ』に関しては、
私たち夫婦が参加した場合は、旅費とその地の間接費を配慮すれば、5000万円前後要すると、
もとより老後の生活予備資金が無くなるので、対象外である。
『中高年のアルピニストの夢・・海外の登山ツアー』に関しても、
私は現役サラリーマン時代の緊張感も無くなり、体力の衰えた今は、
いくら頑張っても高尾山のハイキングぐらいであり、無念ながら山は眺めるものである、
と思っている昨今である。
『夫婦で温泉巡りなどを楽しむ・・キャンピングカー』も、
私は定年後に感覚が衰えたので、自動車の免許証も更新を止めた身であるので、対象外である。
たとえ自動車の免許証を維持しても、キャンピングカーのベットで寝るよりも、
観光ホテルに宿泊して、部屋の布団かベットで寝る方が快適であるので、論外となっている。
『リゾートマンションや別荘』に関しては、興味があった。
私は若き40代の頃は、退職後に八ヶ岳、蓼科の分譲別荘地に永住することを夢をみたりしていた。
周囲の景観の四季折々の情景を眺めて、家内と共に生活することを考えたりした。
私は50代の頃に家内に言ったりしたが、反対をされた。
60代の心身元気な時はたとえ良くても、70代以降の身体が衰えた時、どうするのかが主旨であった。
そして日常の買物、そして本屋、近くの病院の利便性も失くして、
あなたの定年後の生活は満足できるの、と言われたりして、あえなく夢は挫折した。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、
コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とかこの当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
こうした中で1998〈平成10〉年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
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半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は中小業のサラリーマンの身として、年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
程ほどの年収、退職金であり、金融資産は程ほどとなり、
何かと半生史は自慢史が多い中、つたない私はもとより対象外となっている。
定年後の年金生活は、せめて日常の買物ぐらいは私がしなければと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
国内旅行に関して、私たち夫婦は家内の母を伴い、
温泉のある格安の観光ホテルに滞在して4泊5日前後の旅行を幾たびしたり、
私たち夫婦の時は観光ホテル、リゾートホテルに滞在して、周辺を散策したりしてきた。
そして高額の宿泊施設には無念ながら余裕がないので、
今までの旅で一番経費が要したのは、小笠原諸島の『父島』に訪ねた時であった。
この時は2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のホテル滞在9泊となったが、
総経費はふたりで80万円ぐらいだった、と記憶している。。
私たち夫婦の年金生活の資金基本は、お互いの厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新たな年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としているが、
今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
このような年金生活をしていると、今回の記事は、私たち夫婦にとっては、
ないないづくしかしら、と私は苦笑したのであった。
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初めまし~て・・。
>リタイア後にクルーズ旅行も、面白そうでした。
>しかし、消費税が上がるのは決まっているし物価は上がるのに、年金は下がるのですから自重もしなくてはなりません。
>少し頑張ってみるのも必要てせはあります・・・。
貴兄が今回の投稿文を読ませて頂き、
>二人部屋は、バルコニー付の最高ランクで一人400万円ほど。
こうした世界一周のクリーズとしては、格安と感じますが、
仮に試算すれば、夫婦800万円(直接経費)、そしてオプションと諸雑費で少なくとも400万円、
総計1200万円(苦笑)
私たち夫婦は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む、
わずか百坪の敷地に雑木の多い樹木の中、築後35年の古ぼけた家に住んでいます。
そして老後の資金を取り崩してまで、リフォームをするか思案している処です。
私たち夫婦の共通趣味の国ひとつとして国内旅行でして、
日本の各地の四季折々の風土、文化などを学んだりしていますので、
とても異国までの資金、そして歴史・文化を学ぶ余裕がありません。
ここ数年も私たち夫婦は、観光ホテル、リゾートホテルに滞在して、周辺を散策し、
その地から多々教示されています。
たとえば石垣島の格安なリゾートホテルに9泊10日ばかり滞在して、
島内、周辺の島々を周遊して、旅路を愉しんでいる次第です。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。
しかし、消費税が上がるのは決まっているし物価は上がるのに、年金は下がるのですから自重もしなくてはなりません。
少し頑張ってみるのも必要てせはあります・・・。
ふーむ。