夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人間は忘れる生き物であり、悲しみも時と共に風化していく、古来よりの銘言を思い深めて・・。

2020-02-09 14:45:34 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅み住む年金生活の75歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

こうした中、私が年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初から、
我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、 家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、我が家より歩いて、スーパー、専門店など歩いて行き、 買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

こうした根底のひとつには、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸15年を過ごしてきた。

そして私は寝たきりなどは、ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。


              

本日、我が家の買物を終えて帰宅した後、さて本日は・・と思いながら、
長年サラリーマン時代の通勤で活用した小田急線の『成城学園前』の周辺の街並みを歩き、
本屋、レコード店を寄ってみよう、と思いたち、駅までの25分ばかりを歩いたりした。

          

やがて駅ビル内にあるレコード店、そして本屋に寄ったが、浦島太郎のような真情となったりした・・。

私は東京オリンピックが開催された1964年の秋に大学を中退して、
映画の脚本家を目指して、養成所に入門した。

そして映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退して、
音楽業界のあるレコード会社に何とか中途入社して、35年近く勤めて、
定年退職を迎えて、多々の理由で年金生活を始めて、早や16年生となっている。

この間、多くの映画の脚本家のシナリオを読んだり、
やがて作家の作品を乱読してきたが、今や作家名とか作品名は殆ど忘れてしまった・・。

或いは35年近く勤めた業務上で、数多くのアーティストの作品を熱愛したりしてきたが、
定年後は月日と共に薄らいだりしてきた・・。

このような余りにも忘れてしまったことや、或いは知らない数多くの作家名、アーティスト名もあり、
戸惑いながらも映画、小説など中途半端ながら、
そして音楽業界はネットの影響で、販売店の縮小など寂しさと無力感が混とんとしながら、
とぼとぼと歩き、やがて見晴らしの良い処で、冬富士の雄姿を眺めたりした・・。

          

こうした時、今朝たまたまネットで見た古来よりの銘言が、思いだされれたりした・・。
人間は忘れる生き物であり、悲しみも時と共に風化していく
この後、心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

          

私は民間会社で奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、

そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。             

やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、 多々の理由で年金生活を始め、
そして62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。                                               

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、 恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、 私は震撼させられたりしてきた・・。

          

この間、血は水より濃い私の血縁である私の父親、祖父、次兄、母親、
そして親戚の叔父、叔母など数多くの葬儀に参列してきた。

このような体験をしてきた私は、人間は忘れる生き物であり、悲しみも時と共に風化していく
この銘言に思い深めたりした。


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