私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午前中のひととき、サラリーマンだった50代の時に人事異動で知り合った友人から、
以前、懇親会で逢った時、あなたが『風の盆』を絶賛していたので、
遅ればせながら、月初め、私たち夫婦も観に行ってきたよ、
と電話連絡があり、良かったでしょう、と私は応〈こた〉えたりした。
私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、家内から、
いつの日にか『越中七尾 おわら風の盆』を観に行きたいわ、と言われたりしていた。
結果として、2006〈平成18〉年の9月1日に、
ある旅行会社の1泊2日の周遊団体観光で、初めて『風の盆』を鑑賞し、
翌日は、周辺をめぐる小旅行をした。
私はB型の思いこみの激しいひとりで、この旅立つ前は、
私なりにその地の情景を勝手にイメージし、心に片隅に創り始めてしまう習性がある。
初秋の風が吹き、夜の7時過ぎになると、家並みに沿ってぼんぼりの淡い灯りの中、
胡弓と三味線の物悲しく哀愁帯びた音色が聴こえて来た。
涼しげな少し華やいだ浴衣の女人の30数名が音色に合わせ、
踊りながら近づいてきた。
女人達は編笠の間から少し顔を覗かし、
目元は見えないが、時折、うなじが見えて、
わずかに裾が乱れながら、私の前を通り過ぎていく・・。
私は妖艶な容姿にときめきを感じて・・
このようなこと思い託〈たく〉し、夢の世界のような夢幻のひとときを思い創りあげたりしていた。
『越中七尾 おわら風の盆』の現(うつつ)の世界は、
夕方、町並みを散策し、編笠を被った浴衣の女人、はっぴ姿の男性を見かけ、
夜の本祭りの期待を増していた。
私たち夫婦も観光客のひとりであるが、普段静寂な街に多くの観光客が押し寄せていた。
3日間の本祭りの間、25万人前後の方たちが訪〈おとず〉れる、と聞いたりしていた。
陽がくれると、ぼんぼりの淡い灯りが家並みに沿って帯状となり、幻想的な街並みの光景となり、
このような中で、胡弓と三味線、そして小太鼓の音色が聴こえ、祭りの始まりに相応しい状況となった。
まもなく小雨が降りだして、10数分後には止(や)んだりし、
街の中央の通りには、観客のサービスとして、男女一組の模範踊りが披露された。
この最中に、小雨が再び降りだして、観光客の私たちは、それぞれ軒下で雨宿りをしたりした。
この後も降ったりやんだりし、夜の村雨(むらさめ)となった。
街並みを練り歩く「町流し」もわずかとなり、常設の『おわら演舞場』で拝見した後、
家内と街の中を傘を差して、散策したりした。
帰路の時、ある街の1軒のお宅の広間で、長老数名の前で、男女三組が踊りを披露していた・・。
街の中で観た人達より、格調性があり、ほのかな哀歓が漂っていた。
私が夢みた夢幻の世界と現実の現(うつつ)の世界が重なり始めたが、
10分過ぎると終わりを告げて、私達はその場を離れ、雨上がりの清々しい中、集合場所に向かった。
そして真夜中の12時に集合となり、その後は宿泊先の金沢のホテルに着いたのが、
深夜の2時半前であった。
このような『風の盆』の旅路を、ささやかながら思い馳せたりした。
私は『おわら風の盆』に魅了されたひとつには、
少し華やいだ浴衣で編笠の間から、少し顔を覗〈のぞ〉かし、
時折うなじが見える容姿、しぐさに惹かれる・・。
目元が見えない表情に妖艶を感じ、編笠を女人に被らせ発想した人は、
美の世界を識ったお方と思っている。
もとより隠れた秘めたる美こそ、日本古来の美の伝統に相応しいと確信している。
昨今の若き女性の多くの人達は、肌などを露〈あら〉わにすれば妖艶、と勘違いする方もいるが、
こうした『おわら風の盆』の編笠に隠れた表情の美しさ、そしてしぐさを学んでほしい、
と余計な事を思ったりしている。
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午前中のひととき、サラリーマンだった50代の時に人事異動で知り合った友人から、
以前、懇親会で逢った時、あなたが『風の盆』を絶賛していたので、
遅ればせながら、月初め、私たち夫婦も観に行ってきたよ、
と電話連絡があり、良かったでしょう、と私は応〈こた〉えたりした。
私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、家内から、
いつの日にか『越中七尾 おわら風の盆』を観に行きたいわ、と言われたりしていた。
結果として、2006〈平成18〉年の9月1日に、
ある旅行会社の1泊2日の周遊団体観光で、初めて『風の盆』を鑑賞し、
翌日は、周辺をめぐる小旅行をした。
私はB型の思いこみの激しいひとりで、この旅立つ前は、
私なりにその地の情景を勝手にイメージし、心に片隅に創り始めてしまう習性がある。
初秋の風が吹き、夜の7時過ぎになると、家並みに沿ってぼんぼりの淡い灯りの中、
胡弓と三味線の物悲しく哀愁帯びた音色が聴こえて来た。
涼しげな少し華やいだ浴衣の女人の30数名が音色に合わせ、
踊りながら近づいてきた。
女人達は編笠の間から少し顔を覗かし、
目元は見えないが、時折、うなじが見えて、
わずかに裾が乱れながら、私の前を通り過ぎていく・・。
私は妖艶な容姿にときめきを感じて・・
このようなこと思い託〈たく〉し、夢の世界のような夢幻のひとときを思い創りあげたりしていた。
『越中七尾 おわら風の盆』の現(うつつ)の世界は、
夕方、町並みを散策し、編笠を被った浴衣の女人、はっぴ姿の男性を見かけ、
夜の本祭りの期待を増していた。
私たち夫婦も観光客のひとりであるが、普段静寂な街に多くの観光客が押し寄せていた。
3日間の本祭りの間、25万人前後の方たちが訪〈おとず〉れる、と聞いたりしていた。
陽がくれると、ぼんぼりの淡い灯りが家並みに沿って帯状となり、幻想的な街並みの光景となり、
このような中で、胡弓と三味線、そして小太鼓の音色が聴こえ、祭りの始まりに相応しい状況となった。
まもなく小雨が降りだして、10数分後には止(や)んだりし、
街の中央の通りには、観客のサービスとして、男女一組の模範踊りが披露された。
この最中に、小雨が再び降りだして、観光客の私たちは、それぞれ軒下で雨宿りをしたりした。
この後も降ったりやんだりし、夜の村雨(むらさめ)となった。
街並みを練り歩く「町流し」もわずかとなり、常設の『おわら演舞場』で拝見した後、
家内と街の中を傘を差して、散策したりした。
帰路の時、ある街の1軒のお宅の広間で、長老数名の前で、男女三組が踊りを披露していた・・。
街の中で観た人達より、格調性があり、ほのかな哀歓が漂っていた。
私が夢みた夢幻の世界と現実の現(うつつ)の世界が重なり始めたが、
10分過ぎると終わりを告げて、私達はその場を離れ、雨上がりの清々しい中、集合場所に向かった。
そして真夜中の12時に集合となり、その後は宿泊先の金沢のホテルに着いたのが、
深夜の2時半前であった。
このような『風の盆』の旅路を、ささやかながら思い馳せたりした。
私は『おわら風の盆』に魅了されたひとつには、
少し華やいだ浴衣で編笠の間から、少し顔を覗〈のぞ〉かし、
時折うなじが見える容姿、しぐさに惹かれる・・。
目元が見えない表情に妖艶を感じ、編笠を女人に被らせ発想した人は、
美の世界を識ったお方と思っている。
もとより隠れた秘めたる美こそ、日本古来の美の伝統に相応しいと確信している。
昨今の若き女性の多くの人達は、肌などを露〈あら〉わにすれば妖艶、と勘違いする方もいるが、
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