夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外の調布市の片隅みの地域は、錦繍の情景が続き、私は微笑みながら・・。

2012-12-04 18:09:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夜から雨が降りだし、今朝は雨脚で目覚め、本降りとなっていた。

地元の天気情報に寄れば、朝の6時は8度、昼下りは13度前後、夜の6時は9度前後、
雨のち曇り、昼過ぎから晴れ間と報じていた。
私は雨が降りしきる小庭を眺めたりし、昨日より確かに暖かいが雨じゃねぇ、と苦笑したりした。
その後、9時過ぎに雨は止んだが、どんよりとした曇り空が続き、
空が明るくなり青空を少し増してきたのは昼過ぎであった。

私は午後の2時過ぎに、雨上がりの清々しい情景を甘受しょうと自宅を出て、付近を散策した。

私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域は、
平年の11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯の落葉樹の葉は朱色、紅色、黄色などに染め錦繍(きんしゅう)の情景となり、
やがて数多くの葉が舞い散る中で、公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せてくれる。
そして周囲に公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色い絨毯を重なるようになるのが、
12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。

しかしながら今年は、秋に平年より暖かった為か、
ここ数日でも朱色、紅色、黄色のなど彩(いろど)りが一部では見られる。

歩きだして、自宅の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向って歩きだした・・。
まもなく桜並木のような下を歩いたりした。
              
この後、この武蔵野地帯に古来からある欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、イヌシデなどの落葉樹が
植えられている小公園に入った。
この小公園の落葉樹の四季折々の情景に魅せられて、
特に定年退職後の2004〈平成16〉年の秋以降、こよなく愛してきた公園のひとつであった。
                     
こうした私の真情は幼年期に農家の児として育てられ、
欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、エンジュ、イヌシデなど生家の雑木林にあったり、
垣根代わりに植えられた樹木であったので、何かしらやすらぎを感じるのである。
             
          
             
こうした情景を長らく見惚(みと)れたりした。
                      
このような小路も好きであり、遠い昔の幼年期に歩いた村道を思い重ねたりした。

そして帰路に向かい、桜並木のような下を歩いていると、彼方の前方に小学生の数多くの学童が見えた。
                    
川沿いにある小学校の下校時に、たまたま出会った。

このような時の少し前の時刻になると、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。

まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いてきた。

こうした情景は愛らしいが、残念ながら昨今は個人情報はもとより、学童たちの治安保護もあり、
私は見知らぬ人に対しては、安易にカメラを向けることが出来なくなっているのが、
ここ10数年となっている。

やがて私は自宅の近くになると、
                    
欅(ケヤキ)は落葉し、公孫樹(イチョウ)のあまたの葉は黄色に彩(いろど)れ、
私は立ち止まり、しばらく眺めたりした後、自宅に向った。

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ブログの投稿文に写真を添付して、早や一カ月を迎え、私は微苦笑を重ねて・・。

2012-12-03 17:11:11 | 定年後の思い
私は東京の調布市に住む年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
民間会社の中小業の会社に35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
まもなく本屋の書物からブログの世界を知った後、パソコンの故障、国内旅行で出かけた以外は、
自宅から日々投稿文を重ねて、丸8年を迎えようとしている。

こうして中で、諸兄諸姉の皆様の多くの投稿文を読ませて頂くと、
ここ5年ぐらい殆どの方が心ある写真を添付し、
いつまでも文章だけでは時流に残されてしまう私なりに憂慮してきた。
特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし『文化の日』の翌日の4日に於いて、昼下がりのひととき、私は遅ればせながら写真添付に挑戦した。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、教えを乞(こ)う人もいなく、
やむなく加入している【gooブログ】の使い方の中に於いて、《画像入りの記事を投稿する》の解説を読んだりした・・。

そして《【画像ファイル】
  ・goo ブログ標準 ※画像の比率を保持したまま、320×240に収まるサイズに自動的に縮小されます
  ・オリジナルサイズ ※縦サイズもしくは横サイズが1920pxを超えるまでは、縮小されずにアップロードされます》
と明記されていたが、どのような意味合いも解らず、何とか一枚の写真を添付する投稿文ができた・・。

その後は、失敗も繰り返したりしながら、《オリジナルサイズ》で表示したが、
確かに鮮明であるが、プログ上に表示すると、読んで下さる方には画面一杯に表示してしまうので、
ご迷惑限りない、と大いに反省をしたりした。

そして《goo ブログ標準》の《320×240に収まるサイズに自動的に縮小》を活用し、
ブログ上の表示の時は、《大きな樹》のマークをクリックして、程ほどの大きさで表示させたりした。

その後は横並びに2葉の写真を掲載することも学び、
愚図で何かとノミコミの遅い私でも、何とか出来たんだ、と安堵を重ねて微笑んだりしたのは、
15日からであった・・。


この後、駅前の本屋に行った時、平素の私は小説、随筆などの単行本、新書本、文庫本の文藝コーナー、
或いは雑誌コーナーに寄って魅せられた本を買い求めたりしているが、
たまたまコンピュータ・コーナーに行き、ひとつの本の背文字を見て、
手にとってパラパラと内容を見たりして、驚いてしまった・・。
                  
この本の中で、特に写真の専用の【Picasa(ピカサ)】を少し見て、
遅ればせながら学ぼうと買い求めたりした。
そして【ピカサ】をさらさらと読んだ限りであるが、どうして海のように広く、奥深いの・・、
と溜息〈ためいき〉を幾たび重ねたりした・・。


私は愛用しているデジタルカメラは、2004〈平成16〉年の秋に定年退職する2か月前に、
我が家から最寄りの家電の量販店で買い求めた。

購入する数が月間は、会社の近くのカメラ売り場を見て、色々と思案させられた・・。
この当時の2004〈平成16〉年の初夏の頃は、
液晶画面を見て撮るコンパクト・カメラが流行していたが、
やはり私は一眼レフのようにファインダーを見て構図を決定するのに、こだわっていた。

ニコン、キャノンなどの一眼レフの1000万画素前後のカメラに魅了させられたが、
標準レンズの20~55mm、そして望遠ズームの55~200mmを付けたりすると、
確か80万円を超える金額であった。

私は若き1960〈昭和35〉年の春に、都心の私立の高校に入学して、
クラブとしては写真部に所属し、人を写すポートレートは照れ臭いので、
風景画に専念し、現像などを含めて、ニコン、キャノン、アサヒベンタックスなどのフィルム一眼レフのカメラから、
写しだされる奥行、深さも少しは学んだりした。

その後のサラリーマン時代の多忙の時代は、フィルムのコンバクト・カメラで、
ともすれば忘れるので、記憶のメモ代わりに撮ったりしてきた。

定年後は年金生活を予定していた私としては、一眼レフのカメラだと、
レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限がなくなるので、やむなく断念し、
この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定した。

結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。
そしてデジカメ本体にカメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、
確かこの当時30万円を超えた。

http://www.konicaminolta.jp/about/release/2004/0213_06_01.html
☆【コニカミノルタ】公式サイト<==《DIMAGE A2》☆

このデジカメはズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
通常、周遊観光に於いて、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフのレンズ交換を考慮すると、
確かに私のデジカメは構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思っている。

そして記憶媒体はCF(コンバクト・フラッシュ)は512MBを使用していたが
512MBの記憶媒体で500画素程度にすると、128枚前後撮れる。
800画素にすると、64枚前後となるので、フィルム時代からすれば隔世の感があった。
この後、1Gのコンバクト・フラッシュを2年後に買い求めると、
たった2年間で、5分の1程度の価格となったのに驚いたりした。

このデジカメの世界も画質は年々向上し、価格も下落する状況となっている。

こうした中で私は相変わらずコニカミノルタの『DIMAGE A2』を愛用し、
『高級な一眼レフに比べれば確かに劣るが、撮る思いは一流である』と旅行先の美景を撮り続けてきた・・。
しかし恥ずかしいことを告白すれば、安芸の宮島に訪れた時は夜景を撮るのに失敗した。

夕食後、遊覧船に乗り、海上から大鳥居、厳島神社がライトアップさせられた中、
風もない穏やかな海上で、遊覧船は大鳥居に近づき、そして大鳥居の中を遊覧船は通り抜けた・・。
前方に厳島神社が観え、後方には五重塔が聳(そび)えている。
幻のような景観であったが、確かに目の前の光景となっていた。
この情景が殆ど撮れていなく、その後の薄暗いシーン、花火も失敗作となったりした。

このデジカメの性能か私のつたない技量か解らないが、ここ半年ぐらい秘かにデジカメの最新を注視してきた。

このような心情を秘めていた私が、過ぎし日の19日に、
家内が家電の量販店で『電気毛布』を買い求めに行くので、
いつものように私は家内のボディ・ガード、荷物持ち、お供となり一緒に出かけた。
そして電気毛布を購入した後、デジカメの売り場も寄ろう、と私は家内を誘ったりした。

デジカメ売り場で、私がここ数か月思案していたデジカメを手に取っていたら、
家内が見ていて、
『貴方の持っているデジカメより、可愛らしいわ・・軽そうだし・・
その上・・お値段も廉(やす)いし・・』
とデジカメにまったく無知な家内でも、私に言った。

http://www.nikon-image.com/products/camera/compact/coolpix/performance/p510/
☆【ニコン】公式サイト<==《クールピクス P510》

『今の持っているデジカメより、遥かに画質も向上しているし・・価格も廉(やす)いよ』
と私は家内に言ったりした。

『欲しかったら・・お買い求めになれば・・』
と家内は微笑みながら私に言った。

結果として私は、売り場の精算場所で、この新しいデジカメ、そしてカメラケース、記憶媒体のSDHCの8GBを、
デジカメの世界の熾烈な競争の中で、私は4万円以下で、手にすることができた。
そして何よりも私が驚いたのは、この中の記憶媒体がたった1680円で、
私の定年後の丸8年過ぎた中で、世界市場の過激な実態を実感させられたのである。

こうして私は新しいデシカメを手にし、
思いがけない家内からのクリスマス・プレゼントかしら、と喜びながらも、
余りにも進んでいる機能をマニアル本を見ながら、デジカメを触ったりしてきている。


こうした中、私は投稿文に写真を添付を始めた4日以降、殆どの投稿文に添付してきている。
自宅から近い遊歩道、小公園、神社などを撮ったり、恥ずかしながら自宅の小庭まで掲載したりし、
散策をする時などにデシカメを持参する習慣となってしまい、当人の私でも変貌に微苦笑している。

本日も曇り空の中、最寄駅のひとつの京王線の『仙川』駅前の本屋に寄った後、
帰路、音楽専門学校の桐朋学園の前を通り過ぎようとしたら、晩秋の情景に魅せられて、
桐朋学園の園内を道路から2枚ばかり撮らせて頂いた。
               
この後、都立の神代高校の正門から観えた光景に、一枚撮らせて貰った。
                  
この後に自宅に向って歩いていると、欅(ケヤキ)に魅せられて、撮ったりした。
                  

このように買い改めたデジカメに慣れようと、外出の買物の時以外は、デジカメ持ち歩き、
撮ったりしているが、ボケた写真もあり、苦笑することが多いのである。

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『退職後、あなたの夫はどのタイプ?』と問われても、高齢者の私でも微苦笑させられ・・。

2012-12-02 12:32:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活をしている高齢者4年生の68歳の身であるが、
先ほど、脇机にある茶箱を整理したりした。
この茶箱は何かしら気になった新聞、雑誌などの記事を切り抜いたのを保管して、
ときおり不必要となった記事を破棄したりしている。

この中のひとつの記事《 退職後、あなたの夫はどのタイプ? 》を再読して、私は独り苦笑したりした。
この記事のサイケイリビング新聞社が発行される女性のための生活情報誌として名高い『リビング』であり、
6月23日発行日であった。

《・・ 今年は団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年。
 退職後の夫とはどんな時間を過ごし、新たな生活を築いていくのかは、
 その後のミセスのライフスタイルをも左右する問題といえます。
(略)
・・》
このように序文され、
《 夫も変わる! 妻も変わる? どうなる夫婦の第二章 》
と大きな活字で題され、代表的なタイプとして、5タイプが明示されている。

もとより女性の視点から見た退職後の夫のタイプを分析する記事のひとつである。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・
◎『いつも二人で系』
二人で出かける旅行の計画を積極的に立てるようになったり、
百貨店からスーパーには二人で出かけたがったり。
二人で外食することが増えた。コンサートや映画など、二人で出かける機会がぐっと増えたなども。
なかには妻が一人で出かけると機嫌が悪くなる人もあり。

◎『スマート系』
パソコンはもちろん、モバイル、タブレットなど、話題のIT機器に興味津々。
情報取集やデータの整理をし始めたら、何時間でもバソコンに向っていることも。
一度没頭すると時間を忘れがち。
また、新しいIT端末が発売されると聞くと、チェックせずにはいられません。

◎『カルスポ系』
積極的に新しいことを始めたり、学んだりしている。
例えば、平日にスポーツクラブに通ったり、ゴルフの打ちっぱなしに行ったり、
ウォーキングをするようになったり。
地域のサークルに参加するようになった人も。
なかには釣り好きが高じて、魚がさばけるようになった人もあり。

◎『どっぷりお任せ系』
食事の支度や衣類の管理など、身の回りのことはすべて妻にお任せ。
妻が外出しているときは、小腹がすいても自分で作って食べることはせず、我慢。
入浴前、下着の替えは妻が用意。
外出の際の洋服の選びも、妻が担当している。

◎『育む系』
孫のオムツを替えたり、背中に乗せて遊んだり。
また、犬を散歩に連れていくのが日課になった人や、
新たにペットを飼い始め、積極的に世話をしている人も。
ガーデニングや盆栽を楽しんでいる人も多く、特に食べる楽しみもある家庭菜園は妻にも好評。
・・》
このように5タイプを解説されているが、
それぞれのタイプの後に、《妻のつぶやき》が渾身一言で発露され、私は読みながら苦笑を重ねてた。

本来ならば転記したい誘惑もあるが、これ以上に転記すれば著作権上に問題があると思われ、
無念ながら省略する。

私は読み終わった後、この5タイプに残念ながら該当しない、と感じた・・。


私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、
コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とかこの当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。

音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。

1970、80年代は音楽業界は、それぞれのレコード会社は躍進したが、
90年代を迎えると、特に外資系は、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。

そして1998年に売上の主軸となるCDがピークとなり、この少し前の年から
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。

私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。

この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

私は定年退職の直前まで、失業保険の申請して、
勤める意志はなかったが、わずかばかりの額を甘受する予定であった。

しかし、私は長年に及び管理畑の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去し、退職直前は業務の引継ぎに加わり多忙となったりした。

そして、この数年前の頃は大企業もリストラ烈風で失業された人達も多く、
真に職さがしをしている人に失礼と思い、失業保険の申請書を破棄したのである。
           
私は中小業のサラリーマンの身として、年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
程ほどの年収、退職金であったので、金融資産は程ほどである。

私の現役時代の財産といえば、その時代と共に過ごした名曲の数多くが心に残り、
そして上司、同僚、後輩と共に音楽業界の空気を共にできたことである。


定年した後、年金生活を始めて、近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする。

或いは平日でも人の多い都心に買い物に行ったり、最寄の駅前などで、
経済が低迷する中、働いて下さる現役の諸兄諸姉の溌剌な姿を見たりする時は、
何かと短期で成果を問われる今日、大変な時代になっている、と深く感じたりしている。

ときおり私たち夫婦は、国内旅行に行く時、東京駅とか羽田空港の待合所で、
やはり現役の諸兄諸姉の多忙なしぐさ、緊張感を秘めた会話を聞いたりすると、
こうして私たちが、のんびりと旅行するのに申し訳ないと思ったりしている。


こうした根底には、もとより年金を含めた社会保障制度の医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取り、
明確には、現役世代がその時の高齢者を支えてくれている厳然とした事実からである。

せめて無力な私は、定年後からは散髪屋(理髪店)の行くのは、
何かと現役世代の多忙な方は、土、日曜日に利用されると思い、平日を活用してきている。
或いは大型連休は、現役世代の家族が最優先と思い、邪魔にならないように
行楽地などは避けて来たりしてきた。

そして病気にならないように、ひたすら散策したりしている。
このことは医療費をかさみ、やがては働いて下さる現役の諸兄諸姉に、ご負担となるからである。


年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
そして毎月、家計簿のような形の表を5表ばかり作成して、予算と実績を互いに確認し合って、
今月も赤字ねぇ、と私たち夫婦は苦笑している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。


日常は定年後から私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。


定年前の私は、現役のサラリーマン時代の時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官のような専業主婦であり、もとより日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。

そして家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行き、孤軍奮闘をしているのが定年後の状態でもある。

この間、私としては『おひとりさま』の生活となっているが、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別事前演習かしら、と思いながら私も手抜きの料理、掃除、洗濯などをし、
主婦って何かと大変なんだ、と改めて実感を深めて過ごしたりしている。


我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

このような年金生活を過ごしていて、小庭には朝、夕暮れ前に定期便のように小鳥が飛来するので、
家庭菜園も挑戦せずにいる。


そして私たち夫婦は恥ずかしながら携帯電話も使えず、ましてスマートフォンも遠い世界の出来事のように感じ、
せめて私はパソコンでインターネットの情報の過度に戸惑いながら、
社会の時流から取り残されていると実感を深めたりし、齢ばかり重ね年金生活の9年生となっている。

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11月の『錦繍月』に別れを告げ、12月の『師走』に高齢者の私でも、溌剌と迎えて・・。

2012-12-01 11:15:03 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝、朱紅色、紅色、黄色などに染められた錦繍(きんしゅう)に彩(いろど)った11月に別れを告げて、
今年も確かな秋が受容できました、と感謝しながらカレンダーを破いたりした。
そして、『師走(しわす)』の12月に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)いたのであるが、
月日の流れは余りにも早く過ぎ去った、というのが年金生活を過ごしている実感である。

今朝の6時半過ぎに、地元の天気情報を見たら、
朝の6時過ぎは6度、昼下がりの最高気温は12度前後、夜の6時は6度前後で、
雲のち晴れ、と予報されていて、平年並みの寒さかしら、微苦笑したりした。

12月は、古来より『師走』とか『年満月』と称されているが、
幼年期の頃に農家の児として育てられた田舎者の私は、
何かの本で中世の頃は、『為果(しは)月』とも命名されているのを学んだりしてきた。
たとえ身体は衰えてきたが、少なくとも気力と感性だけは12歳ぐらい若い、と私だけが思っているので、
今年最後の12月ぐらいは、何とか目標をたてて成果ある月に、しなければならない、
自身にすまない、と思ったりしているのである。


定年後の12月の毎年の私の習(なら)わしは、
年賀状を差し出す方の選定、文案の創作、投函することだし、
そして年末に向けて庭の手入れをした後は掃き清め、
或いは御節料理に準じたの材料を家内からの緊急要請で、私の買物に行く回数が増えるぐらいとなっている。

あとは独り住まいの家内の母に年末の28日にに来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月3日まで共に過ごすぐらいが、恒例となったりしている。

しかし、今年は16日の日曜日に、東京都の都知事選、そして衆議院選も急遽定義され、
私は有権者の責務として、清き一票を投票する。
しかしながら、私たち夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、特に冬の季節の旅に魅了され、
この12月16日過ぎに3泊4日で雪が舞い降り情景を観る小旅行を予約済みであったので、
やむなく生まれて初めて『期日前投票』で対処しょうと決意している。

振り返れば、今年は私が9月下旬に高齢者の4年生に進級して68歳になり、
家内も12月下旬に63歳となり、
名実共に年金受給の夫婦となり、ときおり2人で一人前と感じることもある。

このように本年の12月を過ごす予定であるが、
果たしてどのようになるか、と小庭にある朱紅色に染められたモミジを眺めたりし、
微苦笑したりしている。


私はこのようにパソコンに向って綴ったりしているが、この状景を恥ずかしながら公開すれば、
この民芸風の机、脇机、そして椅子は2001(平成13)年の秋、
定年退職時が2004(平成16)年の秋であったので、定年後の生活に備えてパソコンと共に一新し、
日々愛用してきている。

そして現在愛用しているパソコンは3代目で左側にあり、
遅ればせながら、基本ソフトの主流だった『ウィンドウズ・セブン』を搭載した新機種を買い改めたのが、
昨年の2011〈平成23〉年の6月であった。
そして情報量は限りなく増大する昨今に、やむなく外部ドライブ装置として、
ある専用メーカーのハードディスクの2TBを連結させて、現在に至っている。

そして右側にあるパソコンは、私はこれまで愛用してきた2代目の『XP』であり、
予備用として利用し、以前にパソコンが故障して、修理期間の2週間の期間中、
パソコンのない空白の『パソコン迷子』になった寂しい体験があったりしたので設置している。

そして左側の脇机の上にプリンターを置き、このような配置で私はパソコン関係を設置して、
ほぼ毎日ブログの投稿文を綴っている。
             
前方から陽射しを受けているので、このように暗い状況となった。

やむなく逆光に対処して、再度挑戦すれば、
             
哀れにも私のだらしがない机の下の棚、椅子の脚の磨き方の甘さが映ってしまい、
困るよなぁ、と苦笑したりしている。

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