夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ある83歳の男性が、在宅で老衰死される3週間の状況、74歳の私は厳粛に学び、深く教示させられて・・。

2019-08-16 14:09:16 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見ている中、
『 実は日本人の死因第3位「老衰で死ぬ」とはどういうことか  』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな生活を過ごしている。


こうした中で、いつの日にかあの世に旅立つ時は、
心筋梗塞、がんなどは、何かと亡くなるまで激しい苦痛に遭遇すると学んできたので、
気弱な私は病院で入院する中で、安らかに老衰死で死去したいと漠然としながらも念願している。

こうした深情を秘めた私は、今回の『・・「老衰で死ぬ」とはどういうことか  ・・』を、
真摯に読んでしまった。

この記事は、『週刊現代』2019年8月3日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 現代ビジネス 】に8月14日に配信されていた。

そして記事は、日本に於いての老衰死の功罪も含めた実情が記載されている中で、
ある83歳の男性が、在宅で老衰死される3週間の状況が表示されていて、
この83歳の男性と御子息の長男の58歳の真情が克明に描かれて、
私は厳粛な思いで、深く教示させられたりした・・。

今回、この親子の状況の記事の部分を集約しながら、無断であるが転載させて頂く。

              

《・・実は日本人の死因第3位「老衰で死ぬ」とはどういうことか  (抜粋)

  
☆わずか3週間で逝った父

「父を老衰で亡くしてから、もう半年が経とうとしています。
83歳だった父は、重い病気を患ったこともなく、悪いところなんてどこにもなかった。

ところが亡くなる3週間前から、目に見えて体力が落ちていったんです。

私が異変に気付いたのは、今年1月のある日。
いつもと変わらない朝食での出来事が、きっかけでした。

それまで父は、決まって朝7時に朝ごはんを食べていた。
メニューは、いつも一汁三菜のシンプルな和食です。
 

でも、その日、急に父が『今日はご飯、食べたくないな』と言い出した。
父は健啖家で、食べることが大好きだったので、戸惑いました。

昼食の時間になっても、茶碗によそわれたご飯を一口、二口しか食べようとしない。
体調が悪いのかと尋ねても、しきりに首をひねるばかり。
自分でも何が起きたのかわからず、混乱している表情を浮かべていました」

 こう語るのは、東京都在住の小林慎太郎さん(58歳、仮名)。
実父である幸助さんを半年前、老衰で亡くしたばかりだ。

               

慎太郎さんが、実父の幸助さんと一緒に暮らし始めたのは4年前。
母の恵子さん(享年76歳)が乳がんで逝き、一人暮らしになってしまった父の身を案じた長男の慎太郎さんが
同居を持ちかけてのことだった。
 

「それから亡くなるまでの3週間は、あっという間に過ぎてしまった。
父は日に日に衰弱していき、枯れ木のように痩せていきました。
 

父が息を引き取った時、自宅で看取ってくれたかかりつけの先生は、
その死因を『老衰です』と診断しました。

老衰というと、ただただ穏やかに、本人も含めた誰もが納得する『いい死に方』だと思っていた。
ですが実際、当事者になると、必ずしもそうではないんだと実感したんです」

 いまや老衰は、国内の「三大死因」のひとつにも数えられるほど。

厚労省が今年6月に発表した2018年の人口動態統計では、
初めて脳血管疾患や肺炎を抜いて、1位のがん、2位の心疾患(心筋梗塞など)に次ぐ、死因3位にランクインした。

いま、日本では年間10万人以上が、老衰でこの世を去っている。
理想の亡くなり方を問われると、多くの人が「最期は、老衰で死にたい」と口を揃える。
だが、一度立ち止まって考えてみたい。

そもそも、老衰とは、一体なんだろうか。
そして、老衰で亡くなるまでに、どのような過程を辿るのか。
 

慎太郎さんが語るように、一般的に老衰は、加齢によって体が機能しなくなり、
ゆっくり死を迎えるというイメージがある。

その点で、心疾患などが突発的に起きたことで、24時間以内に死亡する突然死とは違う。
(略)

              

☆性格まで変わった

在宅で老衰死を迎える人は、一体どんな経過を辿るのだろうか。
はたしてそれは多くの人が、夢想するような「幸せな逝き方」なのだろうか。
 冒頭の幸助さんのエピソードに戻ろう。

慎太郎さんは、父が自宅で息を引き取るまでの3週間を、克明に振り返る。

「父が、ご飯を食べようとしなくなってからも、
しばらくは『お願いだからちゃんと食べてくれ』と、無理やり食事を摂らせていたんです。

父も明らかに気が進まないながらも『わかったよ』と、食卓に座ってくれた。
これまで通りの量、というわけにはいきませんでしたが、一日三食は欠かしませんでした。

それでも父は、日を追うごとに痩せ細っていきました。
165センチ、55キロだった体は、たった1週間で50キロ未満にまで、体重が落ち込んでしまった。

時間が。かかってでも、食事は口にしている。
嘔吐して戻したりすることも、一切ありませんでした。

それなのに、なんで体重が落ち続けるんだろうと。
父の様子を見ていると、カロリーを摂っても、栄養がちゃんと吸収されず、 スルスルと抜け落ちていくようでした」
 

              

実は、これはまさに老衰で、亡くなる高齢者に多くみられる典型的な現象。

年齢を重ねるにつれて、体内の細胞数は、みるみる減少していく。
それが原因で、栄養素を吸収する小腸の組織や筋肉が萎縮してしまうのだ。
小腸の内側はヒダ状になっており、食事を摂った際、 そこから効率的に、養分を運べる仕組みになっている。

だが、老衰の状態になると、ヒダが収縮してしまう。
せっかく摂った食事を体内に、上手く取り込むことができず、体重減少に歯止めがかからなくなる。

「その頃になると、父の動きは、目にみえてスローモーションになっていきました。
たとえば歯を磨くときも、コップを手にもったまま10分ほど、洗面台の前で立ち尽くしているんです。

どうしたのかと声をかけても、『おぉ・・・』と返答するだけ。

それまでは、うるさいほどお喋りな性格だったのに、会話のキャッチボールすらままならなくなる。
性格まで変わったように、大人しくなってしまいました。

孫たちと遊ぶ時間をなによりの楽しみにしていた父を見てきた私としては、寂しい限りでした。
父は、庭いじりも趣味で、毎日のように庭でガーデニングをしていました。

ですが、亡くなる2週間前からは、外に出る気力も感じられず、縁側に腰かけてボーッとしていた。
体に苦しみや痛みが出ている様子はありませんでしたが、
思い通りに体を動かせないことに、本人もどこか納得がいっていないようでした。

無理に食べさせていた食事も、亡くなる1週間前になると、ほとんど受けつけなくなった。
水も一日に300mlも飲めれば、まだいいほう。
本当に舐めるだけなんです。

布団に横になる時間も増えていった。
体の水分が抜けて、まるで木が枯れていくような印象を受けました」

細胞が老化すると「炎症性サイトカイン」と呼ばれる免疫物質が、体内で大量に発生する。
この物質が分泌されると、体内の臓器が炎症を起こし、一気に機能低下が起きてしまう。

幸助さんの動きが緩慢になったのも、これが原因だ。
たとえば筋肉が、サイトカインによって炎症を起こすと、運動機能が衰える。

その結果、肺を動かす筋肉も動かなくなってしまい、呼吸も浅くなっていく。
そうやって、少しずつ生命維持が難しくなってしまうのだ。

当然、最後の1週間を迎えるころには、慎太郎さんも父の先は長くないと感じ取っていた。 
普段の会話の中で、かねてから幸助さんは「絶対に病院で、薬漬けになって死にたくない」と語っていた。

そんな経緯もあって、慎太郎さんは万一のことがあっても、
父を病院に連れていかず、自宅で看取ることを決意した。
 

              

最後の3日間、衰弱していく幸助さんの傍にいながら、
慎太郎さんは、父の体調が急変したときに備え、緊急の連絡網などを整理した。

だが、それと同時に、この3週間の幸助さんの変調を、まだ受け入れられないでいた。
心の準備が、どうしても追いつかなかったのだ。

「それまでは、老衰には、ゆっくり時間をかけて死んでいくイメージがありました。
私自身も、素敵だな、そんな形で最期を迎えたいな、とすら願っていた。

でも、いざ父が衰弱していく現実に直面すると、
『あんなに元気だったのに、こんな急に体調が変わるのか』というのが率直な思いでした。
 

残りの2日、父は寝たきりの状態になり、目はずっと閉じたまま。
一切なにも口にしなくなり、ベッドに横たわったまま、死んでいきました。
 

死後、周囲からは『お父さんも、老衰で穏やかな最期を迎えられて、よかったね』
と気遣う声をかけてもらいました。

でも、私としては、どこか釈然としない気持ちでした。
どうしても、『どこも悪くなかったのに、なんでこんな急にいなくなったんだ』
というモヤモヤが消えませんでした」

              

☆本人は覚悟もできない

慎太郎さんが語るように、幸助さんは、老衰で亡くなる前は、
大病を患ったことすらなく、 健康そのものだった。

本人にしても80歳はおろか、90歳、100歳になっても、 自分が衰えていくとは、思っていなかったはずだ。
それにもかかわらず、ある日を境にして、たったの3週間で人生の幕が閉じられてしまった。

そう考えてみると、老衰死は、がんのように、亡くなるまで一定の時間がある病気より、
死への覚悟が持ちづらく、逆に急性心不全のように、死を意識する前にポックリ逝ってしまうわけでもない。(略)

これからも老衰死を望む人々は、後を絶たないだろう。
だが、それは必ずしも「天国への切符」ではないのだ。
 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                            

私は記事を読みながら、ある83歳の男性が、在宅で老衰死される3週間の状況が表示されていて、
この83歳の男性と御子息の長男の58歳の真情が克明に描かれて、
私は厳粛な思いで、深く教示させられたりした・・。

そして老衰で亡くなわれる御方は、このように過程を得て、この世を去るのか、
と深く教えられたりした・・。 

特に《・・無理に食べさせていた食事も、
亡くなる1週間前になると、ほとんど受けつけなくなった。

水も一日に300mlも飲めれば、まだいいほう。
本当に舐めるだけなんです。

布団に横になる時間も増えていった。
体の水分が抜けて、まるで木が枯れていくような印象を受けました」

細胞が老化すると「炎症性サイトカイン」と呼ばれる免疫物質が、体内で大量に発生する。
この物質が分泌されると、体内の臓器が炎症を起こし、一気に機能低下が起きてしまう。

幸助さんの動きが緩慢になったのも、これが原因だ。
たとえば筋肉が、サイトカインによって炎症を起こすと、運動機能が衰える。

その結果、肺を動かす筋肉も動かなくなってしまい、呼吸も浅くなっていく。
そうやって、少しずつ生命維持が難しくなってしまう
・・》

              


こうした死への旅路を私は初めて学び、そうでしたか・・改めて厳粛な思いを深く感じたりした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼロ金利政策の罪、大前研一さんの論説、何かと無知な私でも学び、やがて驚嘆させられて・・。

2019-08-15 14:42:53 | ささやかな古稀からの思い

過ぎし日の10日前の頃、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ていたら、
『 大前研一氏 「老後2000万円」問題を生んだゼロ金利政策の罪 』
と題された見出しを見たりした・・。


私は、敬愛している日本の経営コンサルタント、起業家の大前研一さんの書物より、
多々学んだりしてきた・・。

たとえぱ、日本の景気を上向かせるにはどうすればよいか?、難題に対して、
大前研一さんは『SAPIO』の2017年6月号に於いては、下記のように名言されている。

《・・景気はみんなの「フィーリング(感覚)」や「サイコロジー(心理)」で決まるからだ。
(略) 個人消費を拡大して日本の景気を上向かせるためには、 国民の不安を解消し、
フィーリングやサイコロジーを「お金を使おう」という方向に 動かすべきなのである。

ただし「労働力人口」、すなわち現役で働いている人たちのフィーリングや
サイコロジーを変えてみても、 あまり効果はないだろう。
現役世代は子育てや子供の教育にお金がかかるし、住宅ローンをはじめとする負債も抱えているからだ。

一方、教育費や住宅ローンなどから解放された「非労働力人口」で失業率にカウントされない高齢者たちは、
この国の個人金融資産の大半を保有している。

ということは、景気を良くするためには、失業者をこれ以上減らしたり、労働者の賃金を上げたりすることより、
高齢者のフィーリングやサイコロジーを変えることのほうが重要な要素となる。


ただし、高齢者は「貯蓄は美徳」という戦後日本の伝統的カルチャーが染み付いているし、
将来に対して漠たる不安を感じているため、貯め込んだお金を使おうとしない。

だから、彼らの「貯蓄は美徳」というカルチャーを 「人生は楽しんでナンボ」へと本質的に変革するとともに、
漠たる不安を解消する安心システムを作り、「元気なうちにお金を使って人生を楽しもう」という心理にして、
今は“死に金”になっている日本の個人金融資産1700兆円が マーケットに出てくるように仕向けなければならない。・・》

        

 

或いは大前研一さんの著作『低欲望社会』(小学館)で明記されている中、
《・・何度も指摘してきたように、それこそが政府が取り組むべき最優先課題であり、
そこにターゲットを絞った政策を打つこと、
すなわち「いざという時は、国が面倒を見るから、安心して人生をエンジョイしてください!」
という明確なメッセージを出すことが、真の景気刺激策になるのだ。・・》

私はこうした発想、実施こそが、高齢者を安堵させ、
やがて日本経済が復興して、 多くの人が享受できる、と思い深めたりしてきた。

このように経済にも無知な私は、何かと前研一さんの論説に信愛を重ねてきたが、
今回の《・・ゼロ金利政策の罪・・》も学ぼうと思い、記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2019年8月9日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】の2019年7月31日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・大前研一氏 「老後2000万円」問題を生んだゼロ金利政策の罪

「老後2000万円不足」の元凶は?(イラスト/井川泰年)

写真1枚

 「老後2000万円不足」問題が世間を騒がせているが、
なぜこのような大きな問題へと発展したのだろうか。

経営コンサルタントの大前研一氏が、この問題が生まれた背景とその本質について解説する

 * * *  

先の参議院議員選挙で争点の一つになった「老後資金2000万円不足問題」は、
その後も老後と年金に対する国民の不安・不満・不信を増幅する一方だ。

この問題をめぐる一連の議論で際立ったのは、麻生太郎財務相のトンチンカンぶりである。

当初は、夫65歳・妻60歳の無職世帯をモデルにすると
「毎月の赤字額が約5万円となり、その場合は20年で約1300万円、
30年で約2000万円の金融資産の取り崩しが必要になる」
と指摘した金融庁の報告書の中身をアピールしていたのに、それが批判を浴びると一転、
報告書の受け取りを拒否するという前代未聞の対応をして野党の格好の標的になった。

この不手際は、あわよくば衆参ダブル選挙に打って出ようと狙っていた安倍晋三首相が、
参院選のみの決断を余儀なくされる一因になったと思う。

その一方で、立憲民主党をはじめとする野党も、麻生財務相や自民党の稚拙な対応を批判したり、
安倍政権が強調している公的年金制度「100年安心」の揚げ足取りをしたりするだけで、
具体的な対案も示せないまま、議論は迷走し続けている。

だが、この問題は安倍政権の経済政策の本質的な問題点まで踏み込んで、批判しなければ意味がない。

                

そもそも金融庁の報告書は、俎上に載せるまでもない。
前述したように、夫65歳・妻60歳の無職世帯は30年で約2000万円の赤字になると試算したわけだが、
厚生労働省が公表した2017年簡易生命表によると、
95歳まで生存する人の割合は男性9.1%、女性25.5%だ。

また、件の報告書では60歳の人が95歳まで生存する割合は25.3%(2015年推計)となっている。
つまり、95歳まで生きる人は、全体の「4人に1人」に留まるのだ。

さらに、金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」(2018年)によれば、
世帯主が60歳代で2人以上の世帯(金融資産を保有していない世帯を含む)の金融商品保有額は平均1849万円だ。
ということは、半分くらいの世帯は2000万円前後の金融資産を持っていることになる。

これらを総合すれば、老後資金が不足する人は全体の8分の1程度、
すなわち12%ほどにすぎないと考えられる。

したがって、この12%ほどの人たちを安心させる方法を考えればよいだけのことであり、
国民全体に不安を広げるお粗末な対応をする前に、もっと賢明な解決策をいくらでも出せたはずだ。

「老後資金2000万円不足問題」の発端となった金融庁の報告書は、
国民の投資を奨励するために盛り込んだデータの部分だけがクローズアップされてしまったわけだが、
今の日本の本質的な問題は、そこではない。

               

たとえ2000万円の金融資産を持っていたとしても、
今のゼロ金利やマイナス金利では、投資で稼ぐことがほとんど不可能だということである。

もし今、金利が4%なら、金融資産2000万円で月5万円強、
同1000万円で月3万円弱の利息収入(20%の税引き後)を得ることができる。

1800兆円超の個人金融資産全体で考えれば、約58兆円である。
それだけの利息収入があれば、将来に対する国民の“漠たる不安”がなくなり、
消費が増大して景気も良くなるはずだ。

しかし政府は、いつ倒産してもおかしくない“ゾンビ企業”の延命を優先し、
金利で稼ぐ一般国民を捨てたのである。

要は、世界一の個人金融資産を持つ国民が、
アベノミクスと黒田日銀の異次元金融緩和という“世紀の愚策”によって、
老後の生活設計が成り立たない事態になっているのだ。

それこそが安倍政権の最大の問題であり、野党が追及すべきは年金不安や消費税増税ではなく、
アベクロ政策そのものなのである。

莫大な個人金融資産がある日本では、金利が高いほど景気は良くなるし、老後の計画も立てやすい。
この一点に政策論争を集中すべきなのだ。

にもかかわらず、野党は安倍政権と同じポピュリズム(大衆迎合)で安易な弱者救済策を競い合っている。
この「政治の劣化」には、愕然暗澹とするしかない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                              

記事を読み終わった後、何かと経済にも無知な私でも、やがて溜息を重ねたりして、
驚嘆させられたりした・・。

そして
国家の最高執行責任者の首相は、主要国の金融状況を配慮しながら、金利の決定権を有し、
銀行などの各金融機関、および国民まで推進して実行する影響は、国家の盛衰を左右し、
少なくとも経済の躍進と停滞、社会、そして文化まで波及するので、まぎれもなく重責である。

このようなことを思い浮かべて、私はネットで『GDPと1人当たりGNIのランキング・国別順位、2017年』などを見たりした。
https://memorva.jp/ranking/world/gdp_gni.php(詳細・・お時間のある御方は、お読み下さい)

概要の主要内容は下記の通りである。

☆-----------------------------------------------------------------------☆

GDP(Gross Domestic Product)は、国内総生産、
GNI(Gross National Income)は、国民総所得で、国の経済指標としてよく使われる。

GDPを公開している国連の機関はいくつかあるが、ここではよく見かけるIMF(国際通貨基金)のものを記す。
GNIについては、世界銀行の統計を記す。

 

名目GDP

2017年現在、GDP世界1位は、依然としてアメリカで、約19兆3900億ドル(約2132兆円)である。
日本円は 1$ = 110円 で換算した(以下同様)。

遠い昔、日本のGDPは世界2位だったが、2010年頃中国に抜かれた。

そして現在、中国のGDPは、日本の約2.5倍の約12兆ドル(約1321兆円)で、アメリカに迫る勢いである。
アメリカが、中国を脅威と感じるのも無理はない。 

日本のGDPは、約4兆8721億ドル(約535兆円)で世界3位。
4位のドイツや5位のイギリスとは差があり、あまり変動がないので現状抜かれることはないだろう。
ただ、人口が多いインドは6位まで伸びており、今後まだ伸びる可能性がある。


☆1人当たり名目GDP

GDPは、国全体で産み出された付加価値の総額なので、人口が多い国はより多く生産できる。
1人当たり名目GDPは、GDPを人口で割って1人当たりの生産性を表したもの。

IMFの2017年のデータによると、1人当たり名目GDP1位はルクセンブルクで105,803ドル(約1163万円)、
2位はスイスで80,591ドル(約886万円)。

日本は、23位の38,440ドル(約422万円)で、イギリスやフランスと同程度。
中国は、GDPでは世界2位だが、人口が日本の約11倍の約14億人いるので、1人当たりのGDPは低く、
72位で8,643ドル(約95万円)となる。

GDP世界1位のアメリカの人口は、約3億2218万人で日本の約2.5倍。
1人当たり名目GDPでは、7位で59,501ドル(約654万円)。

☆-----------------------------------------------------------------------☆

このように主要な項目を見たりして、日本が経済が躍進していれば、
たとえば社会保障費(年金、医療、介護など)の国負担分などの捻出に困窮せず済むのに、
どうして日本は低落して・・と無力な私は妄想を重ねたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死ぬ直前に人間が体験する「虫の知らせ」と「お迎え現象」の正体、恐れながら真摯に学び、やがて多々教示させられて・・。

2019-08-14 16:37:51 | ささやかな古稀からの思い

先程 、ときおり愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見ている中、
『 死ぬ直前に人間が体験する「虫の知らせ」と「お迎え現象」の正体 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな生活を過ごしている。

こうした中で、誰しも高齢者になれば、いつの日か自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
私も漠然としながらもある。

いつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。


そして、この間に家内からは 『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。

このような私は、自身の終末期を私は思いめぐらしてきたが、介護にしても死去にしても・・、
その時になってみなければ判らないなぁ・・と微苦笑をしたりしている。

このような深情を秘めた私は、《・・死ぬ直前に・・体験する「虫の知らせ」と「お迎え現象」の正体・・・》って、
どのようなことですか・・と真摯に思いながら、記事を精読してしまった。

この記事は、医療ジャーナリストの木原 洋美さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 現代ビジネス 】に2018年11月30日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・死ぬ直前に人間が体験する「虫の知らせ」と「お迎え現象」の正体
       ~ 人には死を予知する力がある  ~

              

☆亡くなる前、急に長男が帰ってきた

宮城県在住のIさん(83歳)は5年前、千葉県で暮す長男が、ひょっこり帰省した時のことが忘れられない。

長男は、かつて不良少年だったため、Iさんは顔を見れば、小言をいうのが癖になっていた。

一方長男も、既に結婚し、いい歳であったにもかかわらず、
母親であるIさんに対してだけは、つい反発してしまうところがあったので、
「久々の帰省」はいつも大喧嘩になり、「二度と敷居をまたがせない」、
「上等だ! こんな家もう絶対帰ってこないからな」となるのがオチだった。

「ちょっと時間が出来たからさ。お袋元気かなぁと思って」
照れくさそうに笑うと、出前の寿司をつまみ、母と同居している弟と酒を酌み交わし、
終始ご機嫌で過ごした。

翌朝は「やっぱりお袋の味噌汁は最高だよ」と、美味そうに朝食の味噌汁をおかわりし、
その後は半日、愛車にIさんを乗せて、紅葉ドライブを満喫。
「じゃあ元気で」と笑顔で別れを告げたのだった。

そして1ヶ月後、長男は心不全を起こして職場で倒れ、緊急搬送されたまま、帰らぬ人となった。
享年55歳だった。

「今思えば、息子は、お別れに来てくれたんじゃないかと。
虫の知らせだったんじゃないかと思うんです」

地元・楽天の優勝に、手を叩いて歓喜する長男の様子を思い出し、Iさんは涙をぬぐった。

photo by gettyimages

事故や病気で不慮の死を遂げた人が、
なぜか直前に、世話になった人たちの元を訪れたという話は多い。


一方で、逆パターンもよく聞く。

都内に本社を置く、美容系メーカーの会長職にあるTさん(76歳)は、
父親が亡くなった日のことを、鮮明に覚えている。

「僕は20歳でした。
当時は、大学の友達の家を泊まり歩く毎日だったのですが、
その日、急にたまには家に帰ってみるかと思ったんです。

妙な胸騒ぎがしまして、帰らないといけない気がしたんですね。
それで帰ってみると、家の前に救急車が泊まっていて、親父が搬送されるところでした。

突っ立っていると、玄関から兄が出てきて
『ちょうどいいところに帰って来た。俺は付き添って行くから、留守番を頼む』と。

結局、親父は脳溢血で、その夜死んでしまいましたが、僕は最後に顔を見ることができた。
幽霊とかは全く信じないけど、虫の知らせだけはあると思っています」


大抵の人は、「不思議な偶然」と思うだろう。
しかし筆者は、「人間には本来、自分や親しい人の死を予知する力が、備わっているのではないか」
と考えている。

いや人間に限らず、動物は本能的に、死を察知する能力があるのではないだろうか。

               

☆医師も認める「死を予知する力」

たとえばゾウは、死期が近づくと仲間のもとを離れ、「ゾウの墓場」で最期を迎えるという。

有名な医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに紹介され、
大変な話題になった「オスカー」という猫は、米国北東部のリハビリテーション介護施設で、患者の死期を感じとり、
50人以上の死に立ち会ったと言われている。

昔は、カラスが屋根に群がっている家では、もうすぐ人が亡くなるなんていう迷信もあった。

ゾウの墓場は都市伝説の類であり、猫やカラスは、人間には分からない死の臭いを優れた嗅覚で感じ取っているだけ、
という説もある。
それはそうかもしれない。

だが、筆者が以前取材した医師(僧侶から医師に転身した)は次のように語っていた。

「私が属していた宗派では、悟りを開いた僧侶は、自分の死期を察知できるようになると聞いたことがあります。
病気ではなく、事故などによる突然死であってもです」

この医師が出会った患者のなかには、自分が死にたいと思った時に、きっちり亡くなった人もいたという。

「その患者さんは、『誰にも看取られずに、独りぼっちで逝きたい』
と常々おっしゃっていました。

独自の哲学をお持ちだったのです。
それは看護体制が整っている病院ではなかなか難しいことですが、患者さんは面会の家族が帰って、
看護師と私が一瞬病室を空けた隙に、臨終されました。

死に顔は非常に安らかで、私には、患者さんがその瞬間を逃さずに亡くなったとしか思えませんでした」

photo by gettyimages

☆在宅介護の4割が「お迎えあり」

それにしてもなぜ、このような能力が備わる必要があったのだろう。
人間に限っていえば、「死への心構え」、「死に対する恐怖を和らげるため」というのがあるように思う。

たとえば医療や介護の現場では、「お迎え現象」がよく知られている。
お迎え現象とは、死の間際に亡くなった人々が枕元に立ち、あの世への道案内をしてくれるというもの。

2008年には、医師と社会学者らによる学術的な研究調査の論文が公表され、話題になった。
調査の中心人物は、宮城県で在宅ケアの医療法人「爽秋会」を主宰していた医師の岡部健氏(2012年にがんで死去)だ。

ある時、岡部氏は死期が近づくと、多くの患者が「お迎えが来た」と話すことに気がついた。

そして、そうした人々の多くが死の恐怖が和らぎ、穏やかに旅立っていることに注目し、
2007年、仲間の医師や母校の東北大学の社会学者らと一緒に、
これまで看取った700人近くの患者の遺族に「(亡くなった)患者が、
他人には見えない人の存在や風景について語ったり、感じていたりした様子はなかったか」を尋ねる、
アンケート調査を行ったのだ。

すると、366人の遺族から回答が寄せられ、
そのうちの42.3%が「亡くなる前に『お迎え現象』があった」と答えたという。

さらに、お迎え現象が起こるのは「自宅」が87.1%で圧倒的に多く、「病院は」わずか5.2%。
亡くなる数日前が一番多く43.9%で、ほとんどの人はお迎えが来てから1~2週間以内に旅立っていた。

興味深いのは患者の反応で、お迎えが来ても「怖い」と思った人は少なかったようで、
お迎え後の故人の様子を尋ねると、「普段どおりだった」、「落ち着いたようだった」、
「安心したようだった」などの肯定的な回答が45.8%。

「不安そうだった」、「悲しそうだった」などの否定的な回答36.8%を上回っていた。

また、お迎えに来た相手は、
「亡くなっている家族や友人」が52.9%と多く、飼っていたイヌやネコが現れるケースもあった。
そして、お迎えが来た人の約9割が、穏やかに旅立っていた。


               

☆「せん妄」と「お迎え」は違う

こうしたお迎え現象は、医学的には「せん妄」と診断され、
脳の機能低下が主な原因と考えられている。

しかしせん妄の特徴は、突然発症し、数時間から数週間にわたって継続し、
かつ症状が、時間とともに変化するというもの。

その症状も、突然暴れ出す、意味不明なことを口走る、妄想・幻覚・幻聴、攻撃的になるなどで、
お迎え現象とは、似て非なるもののような気がする。

実際に、介護現場で働き、せん妄の患者に寄り添うことが多い施設の職員は、
「せん妄の方は、恐怖におびえて苦痛を訴え、話す内容も混乱しています。
でも、お迎えが来たとおっしゃる患者さんは、意識ははっきりしておりストーリーもきちんとしています」と違いを語る。

症状がひどい場合は治療の対象にもなる「せん妄」も「お迎え現象」も、原因は明確にされていない。

岡部氏は「この現象を科学的に解明したり否定したりするのではなく、
安らかに旅立つ死へのプロセスと考え、まず実態を調べるべきだ」と主張していた。

お迎えと似た現象は、認知症の一種であるレビー小体型認知症でも見られる。
「小さな子どもが家のなかで遊んでいる」、「戦死した夫がやってきた」、
「知らない男性がたくさんいる」など、幻視がかなりはっきりと見えるらしい。

頭の後ろ側(後頭葉)の血流が悪くなることが原因と説明されているが、
患者本人にとっては「現実」そのもの。

それなのに、家族が気持ち悪がって否定することで、家族間の関係が悪くなるケースが多いといわれている。
まずは「本当に見えている」ことを理解し、否定せず、受け入れることが大切だ。

                

☆生涯が、走馬灯のようにかけめぐる

SF作家の故・星新一氏の傑作に『午後の恐竜』(新潮社)という作品がある。

「現代社会に突然出現した巨大な恐竜の群れ。
蜃気楼か? 集団幻覚か? それとも立体テレビの放映でも始まったのか?──」
というわけで世間は驚き、大騒ぎになるのだが、恐竜は蜃気楼でも幻覚でもなく、
「地球」が「死ぬ間際」に、走馬灯のようにかけめぐっていた「生涯」だった。

筆者の父親は、病気で亡くなる一ヶ月前、「幻聴」を走馬灯のように楽しんでいた。
父は、病気の影響で、耳がほとんど聞こえていなかったのだが。

「面白いんだ、この頃。
小さい頃から聞いてきた会話や音楽や、さまざまな音が、ずーっと蘇って聴こえてくる。
だからこうしてベッドに寝たきりでも、全然退屈しないんだ」と微笑んだ。

地球はどうか知らないが、人間には、死を穏やかに受け入れるための準備的な能力が備わっているのだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                            

私の生家は、仏教の曹洞宗であり、神棚もある日本に多い家庭で育ったが、
恥ずかしながら寺院、神社は、ときおり訪れた時は手を合わせる程度であり、
幾つになっても仏様、神様にも、詳しくわからないひとりとなっている。

このような拙(つたな)いは私は、今回の記事で多々教示されたりした。

そして何よりも教えられたのは、この寄稿文の筆者の医療ジャーナリストの木原 洋美さんの父親に対する思い、
《・・父親は、病気で亡くなる一ヶ月前、「幻聴」を走馬灯のように楽しんでいた。
父は、病気の影響で、耳がほとんど聞こえていなかったのだが。

「面白いんだ、この頃。
小さい頃から聞いてきた会話や音楽や、さまざまな音が、ずーっと蘇って聴こえてくる。
だからこうしてベッドに寝たきりでも、全然退屈しないんだ」と微笑んだ。

地球はどうか知らないが、人間には、死を穏やかに受け入れるための準備的な能力が備わっているのだろう。・・》

この一節が私は二度読み深めて・・そうですか・・と瞼(まぶた)が熱く感じながら、深く教示させられたりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『前立腺がん』急増、背景と死なない方法、こっそりと高齢者の私は学び、やがて多々教示させられて・・。

2019-08-13 15:29:07 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見ている中、
『 前立腺がん急増で間もなく「男のがん」トップに・・背景と死なない方法 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな生活を過ごしている。

こうした中で、ここ数か月熱い季節は、私は居間と台所に往還して、
冷えた麦茶、煎茶、アイスコーヒーを 良く飲んだりし、
ときおり恥ずかしながら、幾たびかトイレにオシッコに行ったりしている。

やはり齢を重ねれば、無念ながら老朽化するよねぇ・・と微苦笑したりしている。

しかしながら夜に寝て居る時は、現役サラリーマン時代だった時と違い、
悩みは激少している為か、 たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく朝まで熟睡している。

やがて朝の7時少し前の頃に、ぼんやりと目覚めて、 うつらうつらとまどろみながら、
ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃に起床したりしている。

こうした私は、今回の《・・『前立腺がん』急増・・背景と死なない方法・・》を学びたく、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、医療ライターの庄部 勇太さんが、
この病気の治療を専門にする東京慈恵会医科大学泌尿器科の頴川晋(えがわ・しん)教授にインタビューされ、
纏められた記事であり、公式サイトの【 現代ビジネス 】に2019年8月6日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

             

☆2020年には「男性のがん」トップに

前立腺がんと聞いて、どんなイメージをお持ちでしょうか。
胃がんや大腸がんなどに比べて、あまり知られていないかもしれませんが、
男性がかかるがん全体に占める割合は高く、多くの男性にとっては決して他人事ではありません。

しかも今、その前立腺がんが急増していると言えば驚かれるでしょうか。

その勢いはすさまじく、このままいけば、2020年以降には、男性がかかるがんのトップになると予想されています。
発見が遅れ、骨などに転移すると激烈な痛みを生じ、場合によっては死に至ることもありますが、
実はこの病気、2000円ほどの検査で、早期発見の端緒をつけられて、早く見つかればほぼ死なずに済むらしいのです。

前立腺がんは、どれほどの勢いで増えているのか。
そして、その背景には何があるのでしょう。
また、前立腺がんは具体的にどうすれば早く見つけられるのでしょうか。

この病気の治療を専門にする東京慈恵会医科大学泌尿器科の頴川晋(えがわ・しん)教授に聞きました
(以下、「」内は頴川教授の発言)。

                        

☆前立腺は命をつくるために不可欠な臓器

そもそも、男性特有の前立腺は、どんな機能を持つ臓器なのでしょうか。

前立腺は、尿がたまる膀胱の下にあり、尿道を取り囲むように位置する臓器です。
医療機関のサイトには、よく「栗の実くらい」、「15g」とその大きさと重さについて表現されていますが、
頴川教授によると、これらは20歳ほどの若い成人の場合を指すそう。

40歳以上のおよそ8割は、前立腺が大きくなる前立腺肥大症にかかると考えられているため、
加齢に伴って徐々に大きく、重くなるといいます。

前立腺の位置と構造を示すイラスト(頴川教授提供)

前立腺の機能について、頴川教授はこう話します。

「大きな特徴は、精液を構成する成分の3分の1を作っていることです。
前立腺の分泌物には、精液をドロッとした半固体の状態に保たせる働きがあるため、
精液が女性の膣の中に留まりやすくなります。
つまり、前立腺の機能によって、妊娠する可能性が高められているのです」

栗の実ほどの小さな臓器が、実は人間の命をつくるために大切な役割を果たしているわけですが、
この前立腺に起こるがんが今、増えているといいます。


             

☆2016年の罹患数は2位に

国立がん研究センターによると、前立腺がんの患者数は、
統計を取り始めた1975年から増え続けており、1990年ごろからは急増しています。

1980年に約4000人だった患者数は、1990年に約8000人に倍増。
そこからさらに増加のペースが上がり、2000年に約2万人に増え、
さらに2010年には、その3倍を超える約6万5000人にまで増えました。

この時点で、男性がかかるがんとしては、胃、肺、大腸に次いで4番目に多い状況でしたが、
以降も増え続け、2016年に施行されたがん登録推進法に基づいて厚生労働省が行った調査によれば、
同年における患者数は約9万人。

大腸がんと肺がんを抜いて、2番目に多いという結果が出ました。

なお、2016年における前立腺がんでの死亡数は1万1803人であり、
単純計算で患者の約8人に1人が亡くなっていることになります。

2020年以降には胃がんを抜き、男性がかかるがんのトップになると予想されています。

              

☆急増の3つの背景

なぜ、前立腺がんは、急増しているのでしょうか。

頴川教授は、
①高齢化、
②食事の欧米化、
③効果的な検査方法の普及・・・・の3点を理由に挙げます。

「他のがんと同じように、前立腺がんも、加齢に伴い発症リスクが上がる病気です。
特に50歳以降にかかりやすくなると考えられており、現在、患者の罹患平均年齢は72歳。
長生きする人が増えることで、患者が増えているのは間違いないでしょう。

その一方で、食事の欧米化の影響は厳密にはわかっていないのですが、
動物性タンパク質のとり方が変わったこと、
つまり、魚を食べる量が減り、赤身の肉を食べる量が増えたことが影響している可能性は
一定程度あると考えられています。

そして重要なのは、効果的な検査方法が普及して、見つかりやすくなったことです」

             


☆異常を見つけるための検査

頴川教授のいうその方法は、「PSA検査」と呼ばれるものです。

PSAとは、前立腺から分泌されるタンパク質の一種であり、
採血によって、この成分がどれくらい血液中に含まれているかを調べるのがPSA検査です。

がんなどによって、前立腺に異常が起こると、
PSAが血液中に放出されて濃度が上がるため、前立腺がんの疑いがあるかどうかを調べるのに有効だといいます。

PSA検査は、元は法医学の見地からレイプ事件の検査などに行われていましたが、
1986年に海外で臨床に応用され、後に日本にも導入されました。


頴川教授は、1992年に日本で初めて人間ドックのオプションにPSA検査を組み込んだ、
検査普及の一端を担った医師でもあるそうです。

PSA検査は現在、健康診断や人間ドックのオプションとして、
2000円ほど追加して払えば受けられます。

厳密に診断するためには、PSA検査の後に、MRIや前立腺の組織を調べる生検を行う必要がありますが、
前段階のスクリーニング方法(=PSA検査)が普及したことで、発見率が上がったというわけです。

確かに、PSA検査の導入・普及と患者数が急増した時期が、ともに1990年代ですから、一致しています。

              

☆転移前に発見できれば、完治する可能性大

検査の発展により、前立腺がんが見つけやすくなったとのことですが、
そもそも、前立腺がんを予防する方法はないのでしょうか。

胃がんについては、発症の主因となるピロリ菌への感染の有無を調べ、
感染していれば、除菌することで「ほぼ防げる」と取材する消化器内科医は口を揃えますが、
前立腺がんはどうなのでしょう。

「今までに予防医学を目的に、様々な大規模研究が行われてきましたが、
有効な方法はまだ見つかっていません。

そもそも、胃がんを除く多くのがんと同じように原因が解明されていないので、
防ぐ方法もわからないのです。
多くの病気と同じように、前立腺がんも早期発見が、最も重要です」

頴川教授によれば、前立腺がんは、進行すると骨に転移しやすく、
骨への転移後は、激烈な痛みが出やすい怖い病気ですが、転移する前に見つけることは難しくないといいます。

「私が若手の医師だった30年ほど前は、前立腺がんを患う患者さんのおよそ4割に転移が見られましたが、
検査方法の普及などによって現在、東京慈恵会医科大学附属病院でいえば、その割合は5~6%にまで減りました。

前立腺がんは、胃がんや大腸がんと同じように早期発見が行いやすく、
また、早く見つかれば、治せる可能性の非常に高いがんなのです」

治療方法は、手術や放射線療法、がん細胞の増殖を防ぐために
男性ホルモンの分泌を減らすホルモン療法が挙げられます。

これらの治療を行うことで、尿漏れや勃起不全(ED)、血尿、直腸障害などの副作用が起こる可能性はありますが、
少なくとも早期発見・早期治療によって死の危険性は減らせるわけです。

また、前立腺がんは10年以上かけて、ゆっくりと進行していく特徴があるため、
仮に見つかったとしても、がんの状態や症状の有無、患者の年齢や本人の希望によって
治療を行わず様子を見るケースもあるといいます。

             

☆「55歳を超えたらPSA検査を」

PSA検査によって、病気の疑いがあるかどうかを調べられるといいますが、
検査を受けたほうがいい目安となる症状はあるのでしょうか。

結論からいえば、他のがんと同じように、初期には症状が出ないことが多いため、
無症状の段階から、検査を受けた方がいいそうです。

病気が進行して、がんが大きくなると、前立腺の中を通っている尿道が圧迫されるため、
尿が出づらくなったり、残尿が増えることで頻尿になったりすることがある他、
がんが、膀胱に浸潤すると血尿が起こることもあるといいます。

尿道に近い場所に、がんができれば、初期であってもこれらの症状が起こり得るそうですが、
前立腺がんの7割は、尿道から離れた場所に起こると考えられているため、
多くの場合、進行しないと症状は出ないそうです。

「前立腺がんは、50歳ごろから、かかりやすくなりますが、
55歳以上でも、治療によって完治する可能性が高いため、
55歳を超えたらPSA検査を受けることを勧めます。

それ以降も年に1度のペースで検査を受けた方が良いでしょう」

「男性がこれから最もかかるがん」とだけ聞けば、怖い印象を抱きやすいですが、
「55歳を超えたらPSA検査」を胸に留めておけば、あまり死の危険を心配しすぎることはないのかもしれません。
PSA検査で早期発見の可能性が高まるとすれば、わずか2000円の費用は安いものだとは思いませんか。・・》

 注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

恥ずかしながら『前立腺がん』についても無知であり、記事を読み終わった後、
遅ればせながら多々教示させられたりした。

そして気弱な私は《・・「男のがん」トップになる・・
・・発見が遅れ、骨などに転移すると激烈な痛みを生じ、場合によっては死に至る・・》
と知り、動顛させられたりした・・。

しかしながら、《・・PSA検査で早期発見の可能性が高まり、
PSA検査は現在、健康診断や人間ドックのオプションとして、 2000円ほど追加して払えば受けられます・・》
と学び、早期発見が肝要だ・・と私は今後の健康診断の時に、追加検査としてPSA検査を実施することを決意したりした。

そして《・・他のがんと同じように、前立腺がんも、加齢に伴い発症リスクが上がる病気です。・・》
と教示させられ、やはりねぇ・・と微苦笑したりしている。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも歩けるための健足術、足が元気なら健康で長生き、高齢者の私は初めて学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2019-08-12 13:58:17 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】を見ている中、
『 まず靴底の減りチェック 足が元気なら健康で長生き
              いつまでも歩けるための健足術(1) 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年近く過ごしてきた。

そして私は9月下旬の誕生日を迎えると、後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となる。

こうした中、何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

そして私は殆ど毎日、自宅の3キロ範囲にある小公園、遊歩道を歩いたりしている。

こうしたささやかなことを実施している私は、今回の《・・足が元気なら健康で長生き ・・》と知り、
何かと単細胞の私は、朗報かしらと思いながら、記事を精読してしまった。

              

この記事の原文は、『日経ヘルス』の編集部の赤根千鶴子さんが、
足専門の総合病院「下北沢病院」の久道勝也・理事長に取材されて纏(まと)められた記事で、『日経ヘルス』6月号に掲載され、
関連の公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】に5月20日に配信され、無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

《・・まず靴底の減りチェック 足が元気なら健康で長生き   いつまでも歩けるための健足術(1)

歩行能力は、人が元気に生きる上で、重要なファクターであり、足は繊細で我慢強い・・・。
そんな自分の足を健康に保つための「健足術」の連載1回目は、足の役割や重要性について説明する。

最近、いつ自分の「足」を見ただろうか。
常に目にする手とは異なり、おざなりにしがちな「足」。

しかし、ちょっとした靴ずれでも歩くたびに痛み、「足」の重要性に気づかされた経験もあるはずだ。

下北沢病院は、そんな「足」を専門的に治療する数少ない医療機関だ。
日本では一般に、巻き爪や水虫は皮膚科、外反母趾なら整形外科、下肢静脈瘤は血管外科・・・など、
足の病気を各科でまたがって診ている。

だから、自分で症状から判断し、受診する診療科を決めている現状がある。
しかし、同院では総合的に「足」を診るのが特徴で、これは米国流だ。

「米国には、足病医(そくびょうい、ポダイアトリスト[※])という、足を専門に診る医師がいます。
眼科は目という臓器を専門的に診るが、それと同様、足を一つの臓器ととらえて診るというわけです」
と同院理事長の久道勝也さんは話す。

[※]米国には「足病学(ポダイアトリー)」という、“足”に特化した学問があり、
約1万5000人の足病医(ポダイアトリスト)が足に関する診療に従事している。


久道さんは10数年前、米国に留学していた際、ある老年内科の医師に助手としてついた。
すると、その医師は、必ずといっていいほど、外来を受診した高齢患者さんの診察を足病医に依頼したという。

そこで、足病医は、患者さんの「足」に傷がないか、変形はないか、爪の状態はどうかとチェックし、
さらに「歩行」動作に問題がないか調べた。

「そのとき、確かに『足』と『歩行』の状態は、
人が元気に生きるうえで、非常に重要なファクターだと気づきました。

人間は老いて、いろんなことが少しずつできなくなる。
医師の目から見ると、多くの人は、「人生の最後の3つの階段」を下りていくことになります。

まず、骨折などをきっかけに、歩けなくなる。
すると自分でトイレに行くことが難しくなり、排せつに他人の力を借りる必要が出てくる。
その次に自分で食べることができなくなり、死を迎えます」と久道さん。

              


■靴底のチェックも、歩く姿勢がわかる

まず、できなくなるのが「歩行」ということになる。
「だから、歩行=歩く機能を維持できれば、
この階段を下り始めるのを遅らせることができるはずです」(久道さん)。

では、それを維持するには、どうすればよいのか。

久道さんは、「意外に思われるかもしれませんが、毎日歩き続けることが一番の対策なのです。
歩行機能を維持するためには、歩行し続けること。
使わなければ、機能は退化します。

だから、1日一定の時間をウオーキングに費やしてほしい。
歩数にこだわることはありません。
快適に痛みなく歩き続けられるなら、どんどん歩きましょう。

逆に痛みがでたら無理をせず、休みを入れてください」と説明する。

 

ただ、自分の歩く姿勢が悪くないかは、「靴底チェック」で確認しておこう。

(イラスト:内山弘隆)

自分が普段よく履いている靴の底を見てみよう。
かかと部分の外側が左右均等にバランスよく削れていれば問題はない。

「この場合、体重移動がうまくできている。
しかし、靴底の減り方が左右で著しく違ったり、つま先だけ、かかと全体、
あるいは内側が減っていたりするのは、歩き方が悪い証拠です」(久道さん)。

              

■常に酷使されている我慢強い「足」に気づこう

そして、この「歩行」の基盤となるのが「足」だ。
実は、足は日々、最も酷使されている部位だ。

26個の小さな骨からなり、3つのアーチを形作ることで、
狭い面積で50~60kgもの体重を支えている。
しかも、1日に6000歩を歩くとしたら、6000回も地面にたたき付けられている。

(イラスト:内山弘隆)


「だから、足裏の角層は、他の部位に比べて厚く、刺激に強くなっている。
しかし、それがゆえに、少しの痛みだと、あまり重要視せず、放置する人が多いのです」
と久道さんは語る。

ただ、「足にも、体のほかの部位と同様、いわば“耐用年数”がある。
われわれ下北沢病院の医師たちは、それを50年と考えています。

姿勢を保ち、体を動かす筋肉は、50歳を境目に下り坂に入る。
老年医学の統計によると、50歳から70歳までの20年間で筋力が15%、
筋量が10%減少するとされています。

筋量だけでなく、皮膚や血管も、50年ぐらいを境に、加齢によるさまざまな病的変化が出てきます。
だから、足の耐用年数も本来は50年ではと。
その先も足をしっかりと機能させるためには、それなりのメンテナンスを加えていく必要があるのです」(久道さん)。

足にトラブルがあると、それをカバーしようとして歩き方が悪くなる。
歩き方が悪くなると、ひざや腰が痛くなり、姿勢のバランスも崩れ、ほぼ全身にトラブルが広がってしまう。

だから、足のトラブルをいち早く見つけてケアするということは、
体のほかの部位や臓器の健康も守ることにつながる。(略)

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                            

私は記事を読みながら、多々教示されたりした。

たとえば《・・「人生の最後の3つの階段」・・まず、骨折などをきっかけに、歩けなくなる。
すると自分でトイレに行くことが難しくなり、排せつに他人の力を借りる必要が出てくる。
その次に自分で食べることができなくなり、死を迎えます・・》

或いは《・・足にも・・“耐用年数”がある・・それを50年・・
姿勢を保ち、体を動かす筋肉は、50歳を境目に下り坂に入る。・・
50歳から70歳までの20年間で筋力が15%、 筋量が10%減少するとされています。

筋量だけでなく、皮膚や血管も、50年ぐらいを境に、加齢によるさまざまな病的変化が出てきます。
その先も足をしっかりと機能させるためには、それなりのメンテナンスを加えていく必要・・》、

そして《・・毎日歩き続けることが一番の対策なのです。
歩行機能を維持するためには、歩行し続けること。
使わなければ、機能は退化します。・・》

こうしたことを私は学び、体力の衰えた私でも、明日も熱中症にならない程度に、
30分ばかり歩こう・・思い深めたりした。

尚、今回の『靴底チェック』に関して、私は偏平足で正常から逸脱していると思っていた私は、
結果的には、意外にも『正しい減り方』であり、微笑んだりしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スマホ認知症」の恐怖と解消法、時代遅れの私でも学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-08-11 14:40:14 | ささやかな古稀からの思い

先程、新潮社の公式サイトのひとつの【 ディリー新潮 】を見ていたら、
『 働き盛り世代を襲う「スマホ認知症」の恐怖 』
と題された見出し記事を見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、 
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、我が家はインターネットに関して、
固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、 私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、 ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

このような時代遅れの私でも、《・・「スマホ認知症」の恐怖・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。 

この記事は、『週刊新潮』の2019年8月8日号 に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 ディリー新潮 】に8月10日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・働き盛り世代を襲う「スマホ認知症」の恐怖

              

☆ジワリと増え続ける「スマホ認知症」の恐怖(1/2)

猫も杓子もスマホを持つ時代、ジワリと増え続ける病があるという。
「もの忘れが酷くなった」、「寝不足で疲れがとれない」・・・。

そんなあなたの脳は、「スマホ認知症」に冒されているかもしれない。
“魔法の小箱”が招く恐怖に、はたして現代人が立ち向かう術はあるのか。

 ***

梅雨が明け真っ青な空に白い雲が湧き立てば、
いよいよ夏本番だと晴々しい気持ちになるところ。

けれど街を見渡せば、多くの人がスマートフォンを手に俯(うつむ)いて、
空を楽しむ余裕など持ち合わせてはいない。

すでに危険な「歩きスマホ」が社会問題となって久しいが、
2010年からスマートフォンの普及率は、急激に増加している。

総務省によると、携帯利用者の20代から30代の実に9割がスマホを保有。
アナログ世代の中高年でも、その数は60代で7割、70代で4割なのだ。

ちょっとした調べものから子供とのコミュニケーションまで、
すべてをこなしてくれるスマホは、生活に欠かせない。

だが便利な一方、過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し。
ジワリと増え続ける「現代病」が、臨床の現場で問題となっているという。

「この5年くらいで、スマホが原因で、脳の不調を訴える患者が増えました」
と話すのは、『「朝ドラ」を観なくなった人は、なぜ認知症になりやすいのか?』(幻冬舎、近日刊)の著者で、
おくむらメモリークリニック院長を務める脳神経外科医の奥村歩(おくむら・あゆみ)氏だ。

「私は岐阜で『もの忘れ外来』を開設していますが、
全国から大勢の方が訪れて、これまで10万人を超える患者さんが来院し、
現在でも1日100名以上の相談に応じています。

大半はお年寄りですが、ここ5年くらいで働き盛りの若い世代が
目立って多くなってきたのです。

共通するのは、スマホやパソコン、タブレット端末などIT機器のヘビーユーザー。
スマホを肌身離さず持ち歩き、食事中だろうとベッドの中だろうと、
絶えず情報をチェックしている人が、目立ちますね」

              

彼らが口々に訴える症状は、サラリーマンなら致命的なミスが多いそうだ。

「取引先の名前を失念したり、大事な会議があることをすっかり忘れてしまったというケースや、
用があってコンビニへ向かったのに、何を買いに来たかを忘れてしまう。

たまにあるくらいなら笑って済ませても、
頻繁に起これば、自分の頭の中が心配になってくるのも無理はありません」(同)

脳の処理能力が落ちるこうした状態を「脳過労」と呼ぶが、
特にスマホなどのIT機器に頼りすぎて、脳機能が低下した状態を、
奥村氏は「スマホ認知症」と名付けた上でこうも言う。

「予めお断りしておくと、本来の『認知症』とはアルツハイマー病のように脳の機能が元に戻らない、
不可逆的な状態を指しますが、
『スマホ認知症』は、まだ認知障害を起こしているレベル。

正式な病名ではありませんが、あえて『認知症』と呼ぶのは、
その方が多くの人に警鐘を鳴らすことができると思ったからです」

              

☆スマホを使うほど学力低下・・7万人調査

海外でもIT依存は問題になっており、
『デジタル・デメンティア(デジタル認知症:デジタル認知障害)』などと呼ばれていると、奥村氏は続ける。

「IT先進国の韓国でも、バランス脳センターのビョン・ギウォン医師が
“デジタル機器に頼りすぎた若者には、脳損傷者や精神疾患患者と同じような
認知能力の低下がみられる”と報告していますし、

ドイツのマンフレッド・シュピッツァー医師は、
大人だけでなく、子供の脳にも悪影響をもたらすと指摘。

警戒する動きは、世界的に広がっています」

実際、日本医師会と日本小児科医会が
2017年2月に発表したポスターには、こんなフレーズが書かれて話題となった。

〈スマホを使うほど、学力が下がります〉

これを裏付けるデータが、文科省による「全国学力・学習状況調査」である。
小学校6年生の場合、携帯電話やスマホの使用時間が1日30分未満の生徒は
国語の試験結果が74点なのに対し、4時間以上だと62点と低い。

同じ条件で算数なら79点と66点となった。
中学3年生でも、国語で82点に対し73点、数学は72点と55点だったのだ。

東北大学の川島隆太教授と仙台市教育委員会が、
7万人規模で行った追跡調査は、もっと深刻な結果を示した。

たくさんの種類のアプリをいじっていた生徒ほど、
数学・国語・理科・社会の平均点が低くなったという。

例えば、「2時間以上勉強していて、3つ以上のアプリを使う子」は、
「ほぼ勉強しないで、スマホを使わない子」よりも、平均点が低くなってしまったのである。

川島教授が解説するには、「調査で明らかになってきたのは、スマホを使い続けると成績は下がり、
使っていないと若干上がっていく。

途中で使いだせば、良かった成績が下がりだすということです。
スマホを長時間使う子供たちは、脳の発達に悪影響が生じていることが想定できると思います」

              

☆脳が「ゴミ屋敷」になる

大人から子供に至るまで、静かに人々を蝕むスマホの害悪はなぜ起こるのか。

そのメカニズムを改めて奥村氏に訊くと、
「人間は受け取る情報を、脳の中にある前頭前野という部分で処理しています。
スマホに依存した生活を送ると、インプットされる情報が多すぎて、
脳が疲労してしまい、処理能力が大幅に低下し、もの忘れやケアレスミスを起こすのです」

脳を「図書館」に例えると分かりやすいという。

「本来、図書館は新しい本が入ってきても、
毎日ジャンルごとに、分類してストックしています。

ところが、どうでもいいようなつまらない本や雑誌が大量に入ってきてしまうと作業が追い付かず、
あっという間にゴミ屋敷のようになってしまう。

ちゃんと決まった書架に保管されていれば、本を必要な時にスッと取り出せるのに、
散らかっていたら見つけるのに、時間がかかります。

それと同じで、スマホから過剰な情報を頭に入れ続けると、
脳に記憶したはずの情報が、“行方不明”になりやすく、なかなか思い出すことができなくなるのです」(同)

脳の情報処理には、幾つかの段階があって、
ヒトがボーッとする際に活性化する「デフォルトモード・ネットワーク」という回路が、
情報を整理する役割を担う。

つまり、何もしない無為な時間を脳に与えておかないと、回路が正常に働きにくくなってしまうというわけだ。

さらに、脳の前頭前野は、感情をコントロールする機能も持つ。
そこが疲労すれば、理性的な判断に影響を及ぼす、と奥村氏は指摘する。

「近ごろイライラしたり怒りっぽくなった、
と思う方はスマホ認知症が、かなり進行している可能性があります。

そうなるとうつ病を発症するリスクが増大し、
最終的にはアルツハイマー型認知症に至る場合もあります。

一般的に30代から50代の方なら、今すぐ発症はしませんが、
脳の老化や疲労が進んだ状態を放置し続けていれば、
高齢になって、本物の認知症を発症するリスクが高まるのです」

患者は何らかの睡眠トラブルを抱えているそうだ。

「なかなか寝つくことができなかったり、
眠りが浅く、夜中に目が醒めてしまうなどの不眠症状を皆さん訴える。
これはスマホ特有の『光の問題』が関係しています。

IT機器の画面から放たれる光には、ブルーライトという波長の短い光が多く含まれ、
就寝時にこれを浴びれば、メラトニンと呼ばれる睡眠ホルモンの分泌量が落ちるのです。

脳は寝ている間に、疲労物質を代謝したり傷ついた細胞を修復しますから、
睡眠が不足すれば、情報処理能力は低下する。
スマホを使うことで、悪循環の連鎖が断ち切れなくなるのです」(同)

とはいえ、スマホなくしては、もはや仕事にならない。
SNSで家族や友人たちに連絡をとれなくなるのは困るだろう。
何かよい付き合い方はないものか。

               

☆ジワリと増え続ける「スマホ認知症」の恐怖

おくむらメモリークリニック院長の奥村歩(おくむら・あゆみ)氏は、
IT機器に頼りすぎて脳機能が低下した状態を「スマホ認知症」と名付け、警鐘を鳴らす。

その原因は主に“情報過多”で脳が疲れることにある。正しいスマホとの付き合い方とは。


 ***

「スマホに囚われた気持ちを一旦断ち切り、リフレッシュさせることが大切です」
とは、東京脳神経センターの脳神経外科医・天野惠市氏だ。

「対策の鍵となるのは、『芸術、スポーツ、大自然』の三つです。
『芸術』とは作品を鑑賞したり、自分で絵を描いたり楽器を演奏したり、カラオケで歌うだけでもいい。

『スポーツ』だってゴルフや野球など、何でもいい。
少し速く歩くことも有効です。

1キロを10分程度、規則正しくリズミカルに歩くと、
“幸福ホルモン”といわれるセロトニンが分泌されやすくなり、
気持ちがハッピーになって頭がスッキリします。

最後の『大自然』では、鳥の鳴き声や風の音に耳を澄ませ、
空を眺めるだけで、頭の中はすっからかんになる。
これらを行っている間に、脳内では溜った情報が仕分けられて不必要なゴミが一掃されるのです」

                

夏休みに旅行を計画する方も多いだろうが、
思い切ってスマホを“断食”する「デジタルデトックス」を試してみてはどうだろう。 

 
全国に宿泊施設を展開する星野リゾートの高価格帯ブランド「星のや」では、
5年前から「脱デジタル滞在」プランを始めている。

 
広報担当者が言うには、
「チェックインの際、スマホやPCなどすべてのデジタル機器をお預かりする代わりに、
各地の自然や文化を体験するアクティビティをご用意しております」

 
宿泊客の感想はこうだ。

「普段スマホを見ながら食事をするので、翌日には食べたものを忘れていた。
今回は食べることに集中したので、食材の味や香りまで記憶に残って感動したという声や、

宿を出てスマホでSNSを見たら、重要でない連絡ばかり。
その処理に忙殺されていた自分に気づいたという方もいました」(同)

 
ちなみにお値段は最も安い沖縄・竹富島のプランでも、3万5千円(食事代・スパ利用料金込み)で、
別途宿泊料が2~3名収容の1室あたり1泊7万~8万円かかる。

スマホの最新機種が買える金額だけに二の足を踏んでしまうが、リーズナブルなツアーもある。

 主催する日本デジタルデトックス協会のリコネクター・森下彰大氏によれば、
「お値段は1泊2日で8千円くらいで、長野や岐阜でキャンプをしながら、たき火をしてご飯を作ります。

五感をフルに使って楽しみながら、大自然の中でボーッとする時間を提供していますが、
もちろん始める前にスマホや時計、全てのデジタル機器をお預かりします。
カメラは『写ルンです』ならオッケーですよ」

 
インスタ映えのご時世だけに、すぐさまSNSに投稿したいという衝動に駆られる参加者も少なくない。

「私も最初はそうでしたが、1泊したらスマホがない方がスッキリすると、
電源をオフにしたまま帰られる方もいた。

DVDが観たいと駄々をこねるお子さんが、帰りの車の中でテレビをつけたら、
“眩しいから消して”と言ったので驚いた、というご両親もいました」(同)

 
この夏は、「スマホを捨てよ、旅へ出よう」を実践すれば、
忘れかけていた何かを取り戻せるかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               

記事を読み終わった後、スマホも使えない私でも、
私は自宅で据え置き型のパソコンを利用しているが、平素は4時間前後パソコンを活用している。

近現代史とか世代格差、団塊世代のことなどを書物で読んだりしている中、パソコンで調べたり、
或いはブログを殆ど毎日投稿したり、私が魅了された御方の投稿文を読ませて頂いている。

こうしたことに4時間ぐらい熱中していると、脳神経外科医の奥村歩(おくむら・あゆみ)さんが指摘された、
《・・脳の処理能力が落ちるこうした状態を「脳過労」・・》を感じる時がある。
 
こうした時は、小庭の樹木を眺めたり、或いは自宅の周辺を散策している。

そして私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつで、
年に数回ぐらい、6泊7日前後で観光ホテルに滞在して、周辺を遊学した旅路を重ねてきたりした。

こうした時は、もとよりスマホは無く、パソコンもなく、語り合ったりして周辺を歩いたりして、
年金生活14年半が早や過ぎている。

こうしたことを思い馳せると、《・・スマホ、パソコンなどを“断食”する「デジタルデトックス」・・》、
たまには必要だよねぇ・・と微苦笑を重ねたりしている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコン、スマホ画面をずっと見る人の目がヤバい 、高齢者の私は学び、やがて微笑み返しして・・。

2019-08-10 18:23:34 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式ネットの【プレジデント・オンライン】を見ている中で、
『 PC、スマホ画面をずっと見る人の目がヤバい 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
無念ながらスマホは使えないが、せめてパソコンだけは、毎日数時間は見ているので、
《・・PC、スマホ画面・・ずっと見る人の目がヤバい ・・》って、やはり気になり、
記事を精読してしまった。

この記事は、井上眼科病院長の井上賢治さんにインタビューされた記事で、
『プレジデント』に2019年7月19日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式ネットの【プレジデント・オンライン】に8月4日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

Q.目の乾き、水で洗うべきか?

そのドライアイ、原因は何か?

「目が乾くときには、水で目を洗っていいでしょうか?」、

「洗眼剤を使うとすっきりするので、日に何度も使うのですが、大丈夫でしょうか?」。

これらはちょっと難しい問題です。

              

花粉やホコリなどによるアレルギーがあって、洗い流すために使うのはよいと思います。

しかし、目を洗うと、涙も一緒に洗い流してしまうことになります。
涙の中には、感染を予防する成分なども入っているので、
涙をあまり洗い流すのは、よくないといわれています。

また、洗眼剤も、目薬同様、防腐剤が入っているものは、
アレルギーを引き起こすことがあるので、できれば避けたほうがよいでしょう。

市販の目薬を1日に、何10回も使うのも同様です。
せっかくの涙を洗い流してしまうことになり、目の乾きを促進してしまう可能性もあります。

涙には、目の表面の角膜を保護する役割もあるので、角膜に傷がつきやすくなる可能性もあります。

「目を洗うのはダメ」、「目薬をさすのはダメ」とはいいませんが、
適当な回数にとどめて、洗い流しすぎたり、目薬や洗眼剤を使いすぎたりしないようにしましょう。

              

一方で、ドライアイを訴える患者さんは増えています。
主な原因は、まばたきの減少や乾燥です。

パソコンやスマホの画面を集中して見ていると、まばたきが減ってしまいます。
まばたきは、涙の分泌を促すので、まばたきをしないと涙が減り、
目の表面が乾燥しやすくなります。

また、オフィスでは1年中エアコンが効いていて、室内が乾燥していて目も乾きやすくなっています。
こうした状況が重なって、ドライアイの人が増えていると考えられます。

涙には、目の乾燥を防ぐだけでなく、細菌やウイルスを殺菌したり、
目の表面の角膜に栄養を補給したりする役割もあります。

このため、涙が少なくなりドライアイになると、
目の表面に傷がつきやすくなり、目が
①疲れやすくなる、
②痛くなる、
③かゆくなる、
④ごろごろする、
⑤目やにが出る、
⑥ものがかすんで見える、
⑦充血する、などのさまざまな症状が出ます。

ドライアイを予防するためには、まずは部屋が乾燥しすぎないよう加湿し、
できるだけまばたきをするようにします。

パソコンの作業やスマホを見るときは、時間を決めて、時々画面を見るのをやめて休憩します。
こうした対策は、ドライアイになったときに症状を緩和するのにも役立ちます。

              

☆目薬の使いすぎなどが原因となることも

ただ、一言にドライアイといっても、涙が足りなくて起こるものと、
涙が乾きやすくなって起こるものがあります。

前者は、涙の分泌が減少して目の表面の水分が不足して起こり、
後者は、目を乾燥から守る脂の分泌が減るなどし、
涙が角膜の表面にしっかりのらずすぐに乾いてしまって起こります。

ほかにもコンタクトレンズの使用、ビタミンAの不足、
目薬の使いすぎなどが原因となることもあります。
治療法は異なるので、気になる人はまず眼科で検査を受けて適切な治療を受けてください。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

             

私は過ぎし年の3年半前に白内障の手術を左眼、そして右眼の受けて、
それまで酷い近眼の0.03であったが、手術後まもなく0.8前後の視力となったりした。

そして私は
高校生よりメガネを愛用してきたが、メガネが55年ぶりに不要となり、
何かと酷い近眼で劣等感を感じてきた私は、人生観さえ変わったりした。


この白内障の手術を受けてきた眼科専門医院は、この前後を含めて、 少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、 顔なじみとなり、
私は少し遠慮しながらも談笑したりしている。

昨年は3回ばかり訪れて、眼科の多彩な検診を受けた後、
ドライアイ気味の私は、 いつものように眼を保護し、乾燥を防ぐヒアレインと名付けられた『点眼液』を頂き、
殆ど一日に3回ぐらい両眼に点眼している。

http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=9721 ☆ 
くすりのしおり 公式サイト・・私が点眼しているヒアレイン『点眼液』 ☆

過ぎし白内障の手術を受けて2週間後の当時、眼科医院の中で、
若き30代の女性スタッフより、ヒアレイン『点眼液』の注(さ)し方を教えて下さった。

『点眼液は、たくさん付けても・・眼から外に出てしまいますので、
たった1滴が最適で、まばたきしなくて、静かに目をつぶって、
1分ぐらいじっとしておくのが良いですよ・・』、
と私は学び、これ以来忠実に守って、今日に至っている。

そして白内障の手術を受けてきた眼科専門医院より指定されたヒアレイン『点眼液』を
信愛して3年半は過ぎている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争を知らない74歳の私でも、国民のひとりの責務として、哀悼を重ねて・・。

2019-08-09 11:11:29 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし8月6日の朝、洗面した後、玄関の軒に下り立ち、
襟を正して黙祷したのは朝の6時半過ぎであった・・。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬に、今住んでいる近くで農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に敗戦となった。

そして敗戦時は、私は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
8月6日のこの日の午前8時15分に、 対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされたことは学んできた。

このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。

そして沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、そして9日の『長崎被爆』、
この後の15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして52
年は過ぎている・・。

こうした根底には、かの大戦で、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも、深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
少なくともこうした日は、哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

            

やがて私は、いつものように我が家の平素の買い物で、スーパーに行った帰路、                 
ぼんやりと『日本の夏・八月は 六と九で十五だ』だ、
と思い馳せるように、心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

          

私が『日本の夏・八月は 六と九で十五だ』、と知ったのは、 恥ずかしながら12年前であった。

私の父は私が小学2年の三学期に、肝臓を悪化されて亡くなり、
母は私が53歳の時に、婦人系の癌で死去した。

家内の父は、私が民間会社のサラリーマンの定年退職の2004年〈平成16年〉の秋の直前に、
腎臓を悪化されて亡くなり、私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

そして家内の母は、我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県のある市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、独り住まいの生活をされて、まもなく15年となる。
そして特に家内の母が独り住まいの生活をされた当初の頃からも、
私たち夫婦は家内の母を誘い、この後、5年く゜らい幾たびか温泉滞在旅行などの旅を重ねたりしていた。

          

こうした中で、『生きているうちに・・一度は長崎の『原爆資料館』を観てみたいわ・・』、
と家内に要望されたので、 私たち夫婦と家内の母と3人で、
過ぎし2008年(平成18年)2月中旬の時に長崎を訪れた。

家内の母の根底には、戦時中の時は、新潟の高田町(現在・上越市)で青春期の女学校の時代、
多くの同級生と共に、学徒動員により軍事工場で労働にした身である。

この当時の日本は、敗戦にたどる時期、殆どの国民は幾たびか空襲の中、悲惨で過酷な時期であった。

こうした家内の母の体験もあったので、特に独り住まいとなった頃から、慰霊の心情を深めてきた。
そして私たち夫婦は、家内の母と共に沖縄の『ひめゆりの塔』や『平和記念館』など、
その後は鹿児島の『知覧 特攻平和会館』などの旅を重ねてきた。

          

そして長崎を訪れている間、私は家内たちとは別行動で、独りで長崎の各所を拝観したりした。

こうした中で、私は何かしら後ろめたいような心情で、長崎の『原爆資料館』に初めて訪れた。
そして、改めて過酷な実態を知り、その当時のことはもとより、
被爆された後からも、心身ともに苦痛な日々を過ごされている人たちを思い浮かべたりすると、
私は『原爆資料館』を辞する時、涙があふれた・・。

私は旅立つ前に、永井 隆(ながい・たかし)氏の略歴を学んだりしていたので、
未知の長崎医学大学の前を歩いたりし、 初めて訪れる『長崎市 永井隆記念館』を探し求めながら、
氏の人生の歩みに圧倒される思いを馳せたりし、2月にしては暖かい陽射しの中を独り歩いたりした。

               

やがて『永井 隆記念館』で拝見した後、館内の売店で買い求めた本が、
永井 隆・著作の『長崎の鐘』(1946年)、そして『この子を残して』(1948年)で、
私は旅先のホテルで、遅ればせなから初めて読んだりした・・。

この本の中に栞(しおり)があり、
《 日本の夏・八月は   六と九で十五だ  忘れない広島・長崎・終戦の貴重な体験  ながいまこと 》
と明記されていた。

ながいまこと氏は、永井 隆氏の御子息であり、
長崎市立の『永井隆記念館』の館長をされている永井誠一氏である。

私は氏の《 日本の夏・八月は 六と九で十五だ 》のフレーズは、
確かな日本の夏の命言、と深く教示され、今でもこの栞(しおり)を大切にしている。

           

こうした中で私は年金生活をしている中、たとえば読書に関しては、
この8月の時節になると、原民喜・著作の『夏の花』(1947年)、阿川弘之・著作の『春の城』(1953年)、
竹西寛子・著作の『管絃祭』(1963年)、井伏鱒二 ・著作の『黒い雨』(1966年)、
福永武彦・著作の『死の島』(1966年)などを再読してきたので、この作品を思い馳せたりしている・・。

そして永井 隆・著作の『長崎の鐘』を再読し、『長崎』に思いを馳せたり、
6月23日の『沖縄慰霊の日』を始めとする『沖縄』の関係する本と、
8月15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』に関連する昭和近代史に関しては、
数多く乱読しているが、今回は省略する。

このような私の深情から、永井隆氏の御子息の永井誠一氏の至言、
《 日本の夏・八月は  六と九で十五だ  忘れない広島・長崎・終戦の貴重な体験  ながいまこと 》
確かにそうですよねぇ、と私は深く思い重ねながら、早や12年が過ぎている。

           


こうした中で、今年の8月7日の朝、NHK総合ニュース番組の『おはよう日本』を、
いつものようにぼんやりと視聴している中、何かしら『けさのクローズアップ』に於いて、
ひとつの映画作品が紹介された。

 https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0807.html
☆NHK総合ニュース番組の『おはよう日本』:
                    8月7日:『けさのクローズアップ』・・"あの日"を再現 映画『ひろしま』☆

私は若き青年時代、映画青年の真似事をして数多くの作品を鑑賞し、
もとより戦争関係の作品も鑑賞してきたが、この作品は未知であったが、
確か過ぎし9年前頃、ブログ上で偶然に広島市ご出身の御方とコメント上で心の交流をし始め、
まもなくこの御方の姉上様とも、偶然にコメント上で心の交流をした。

そして御姉妹、ときおりコメント上で心の交流をしている中、
数年前、この妹さんより、今回の映画『ひろしま』を紹介して下さったりした。

私は映画作品に少し知識があると思っていた私は、
肝要な『ひろしま』について余りにも無知だったことを知り、
遅ればせながら、この作品を鑑賞し、感動を超越して、深く感銘させられた。

このようなことを、夏の光が燦燦と照らす小庭を眺めながら、
ぼんやりと思い馳せたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏バテ対策10か条・・・効果的な予防のコツと解消法、こっそりと高齢者の男性の私でも、多々教示され・・。

2019-08-08 16:54:28 | ささやかな古稀からの思い

先程ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
『 夏バテ対策10か条・・・効果的な予防のコツと解消法 
と題された見出しを見た。 

私は東京の調布市に住む年金生活の身であるが、
9月下旬の誕生日を迎えると、後期高齢者入門の75歳となる。

こうしたここ一週間の猛暑に戸惑いながら過ごしているが、
午前中に家内から依頼された我が家の買い物、
この後、自宅の周辺3キロ以内にある遊歩道、公園を殆ど毎日散策している。

やがて帰宅後、エアコンの冷気の中、昼食を食べた後、眠くなり、
まもなく寝室で約1時間ぐらい昼寝をしてしまう習慣となってしまった。

こうした猛暑の時節に、殆ど毎日に於いて昼寝をしてしまうことは、初めてのことであり、
やはり齢のためか夏バテかしら、と独り微苦笑をしたりしている。

こした心情を秘めた私は、今回の《・・夏バテ対策10か条・・・効果的な予防のコツと解消法・・》を学びたく、
記事を精読してしまった。

この記事は、医師で女性の健康ガイドをされている山田 恵子さんの寄稿文であり、
【All About(オールアバウト)】に2019年8月8日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

 
《・・夏バテ対策10か条・・・効果的な予防のコツと解消法
  
                   

☆夏バテとは・・・だるさ・疲れ・食欲不振などの夏の不調

照りつける太陽と厳しい暑さ。
だるい、食欲がないといった夏バテ症状には、注意が必要です。

夏バテは、高温多湿な日本の夏に、身体がなんとか対応しようとしてしきれなかった結果、
「だるくて疲れやすく、食欲がない」といった症状が起こる、いわば夏の身体の不調の総称です。


つまり極論を言ってしまえば、「夏のカラダの不調は、全部夏バテ」
といっているようなものなのです。

7月に入ると「そろそろ夏バテ対策を始めたほうがいいかも・・」
と思っている方も多いかもしれませんが、
意外と多くの人が、間違っている重要な事実があります。

それは、「現代の夏バテは、昔の夏バテとは少し違う」ということです。


この点を正しく認識しておかないと、
「夏バテだと思って食べずにいたら、夏太りしてしまった」、
「夏バテではないはずなのに、カラダがだるい」ということになりかねません。

以下では夏バテの原因を解説し、正しい10の対策法・解消法をご紹介します。

              

☆夏バテの原因・・・食欲不振、睡眠不足など様々

「夏のカラダの不調が夏バテ」ですから、当然夏バテの原因は一つではありません。

従来の夏バテの原因は、暑さからくる食欲の低下や食事の偏り、
大量の発汗、睡眠不足といったものです。

暑いからといって、冷たいものをたくさん飲んでしまうと、
胃液が薄まり、消化機能が低下して、食欲が落ちるといった悪循環も指摘されています。


☆現代の夏バテと昔の夏バテの違い・・・エアコンの影響も大

ところが最近の夏バテの原因は、
昔ながらの「暑さによる食欲低下」といったものだけではないのです。


むしろ、今の夏バテに大きく寄与していると考えられるのが「エアコン」。
つまり、エアコンの効いた室内と熱い外との温度差に身体がうまく対処できず、
カラダが混乱して自律神経失調状態になること。

これが現在の夏バテ対策を一番難しくしていると考えられます。


それでは以下で、具体的な夏バテ対策法をご紹介しましょう。

              

☆効果的な夏バテ対策法10か条で、上手に予防・解消を!

1. エアコンの設定温度をうまく調節する エアコンのきいた室内と蒸し暑い外を往復すると、
  身体はその変化についていけません。

  5度以上の温度差に対しては、身体の温度調節機構はうまく働かないと覚えておきましょう。
  エアコンの設定温度は省エネの面からも、28度ほどがオススメです。


2. こまめに上着を脱ぎ着して調整する といっても、公共機関のエアコンはどうしようもないし、
  オフィスの冷房も、なかなか自分ひとりでは変えられない・・・というのも事実。
  さっと羽織れる上着を一枚持って、こまめに脱ぎ着しましょう。


3. エアコンよりも、除湿機能や扇風機を活用する
  湿度が低いと涼しく感じるので「エアコン(冷房)より除湿」を心がけましょう。
  さらに風があると体表から熱が奪われて涼しくなるので、扇風機を併用するのもオススメです。

  エアコンの向きは、直接体を冷やさないように、風向きは天井に向けるのがポイント。
  直接冷たい風が体にあたるようにすると、体の表面の熱が奪われつづけることになってしまうので、
  体が疲れてしまいます。

  同様に扇風機も首を振るようにしましょう。

              

4. 就寝中、ずっと夜間のエアコンをかけておくのが嫌な人は、タイマー設定
  昔は冷えるのが嫌とのことで就寝時エアコンを切る人も多かったですが、
  最近の夏の暑さは、エアコンなしでは場合によっては危険。

  寝ているときにずっとエアコンがかかっているのが嫌な人は、
  タイマー設定を上手に利用して、睡眠の質を下げないようにしましょう。


5.夏の快眠のためには、頭を冷やす 全身を冷やさなくても、頭が冷えると、それだけで涼しく感じます。
  冷えるタイプの枕を使ったり、裏ワザとしては、
  風邪用の頭を冷やすシートを使うと、かなり涼しく感じることができるようです。

  敷ぶとんの上に、竹シーツや寝ござを敷くと、
  身体と布団の間に隙間ができて、体感温度が下がり、涼しく感じます。
              

6. 暑くても冷たい飲み物のがぶ飲みはNG
  暑いと、食欲が低下しがち。
  でも、冷たい飲み物を取りすぎると、胃液が薄まり、消化機能の低下を招いてしまいます。


  オススメは、ぬるめのミントティー。
  ミントには食欲増進や、胃や腸の消化、働きを高める作用などの効果があるといわれていますし、
  爽快感もあります。

              

7. 少量でも良質のたんぱく質、ビタミン、ミネラルを摂る
  夏バテ防止に効果的な食事の摂り方は、
  たんぱく質、ビタミン、ミネラルをバランスよく摂るようにすることです。

  たとえ少量でも、質の良いものを食べることが重要。
  ビタミンの中でも特に重要なのは、
  糖質の代謝を助けるビタミンBなのでこれを積極的に摂りましょう。

  豚肉や精製していない穀類、豆類などに多く含まれます。


8. 刺激の強い食べ物を味方にする
  胃腸を刺激すると、食欲が増進します。
  胃液の分泌を促す食べ物には、辛いものや香辛料、香味野菜などがあります。

  辛いものは、発汗による夏ばて防止効果も期待できます。
  スパイスいっぱいのカレーは、実は薬膳料理という話も。
  ただし食べすぎは、胃腸を痛めるのでほどほどに。

  レモン・お酢などの酸味も食欲増進、疲労回復効果があります。


9. 夏太りに注意する
  最近は、夏ヤセよりも夏太りする人が増えているとか。
  これは、エアコンの効いた部屋にいるにも拘わらず、昔の夏バテのイメージを引きずって、
  暑さで体力を落とさないようにと、つい食べ過ぎてしまっていることも原因のようです。

  また、夏の食事は冷たいものが多いですが、
  実は冷えたものは、油分も甘味も感じにくいので、注意が必要です。


  「暑いから身体が持たないし、いっぱい食べなきゃ」というのは、過去の話かもしれません。

              

10. 運動や半身浴で上手に汗をかいて体温調整を

  汗をかくのは、カラダの温度調節のためにも、とても重要。
  しかも、血流も良くなる、老廃物も出てゆくという効果もあります。

  暑いからといって身体を動かさないと、うまく汗をかくことができなくなります。
  涼しい夕方などにちょっと歩いてみるなど、適度な運動をしましょう。


  半身浴などで、ゆっくりぬるめのお風呂につかるのもよいでしょう。
  好みのアロマオイルをたらしたりすれば、リラックス効果も高まります。

  お風呂後のストレッチも血流促進効果と筋肉をほぐす効果があるのでオススメです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                              

今回の医師で女性の健康ガイドをされている山田 恵子さんの
《・・夏バテ対策10か条・・・効果的な予防のコツと解消法・・》を読みながら、
高齢者74歳の男性でも、多々教示されたりした。

少し知恵が付いた私は、何とか初秋のさわやかな風が吹く時節まで、
少し疲れていても迎えられるよなぁ・・と微笑んだりしている。

尚、昨今、何より困惑したニュースは、高齢者の御方で自宅にエアコンがあっても、
稼働せずに、熱中症で亡くなわれた御方が10数名いました、
と一昨日のニュースで知った時、動顛させられたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シニア世代の心身溌溂を目的した『ゴキブリ体操、ゴリラ体操』、こっそりと私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2019-08-07 15:51:57 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWポストセブン を見ていたら、
『 中高年向けの筋力づくり、ゴキブリ体操やゴリラ体操のやり方 』
と題された見出を見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年近く過ごしてきた。

そして私は9月下旬の誕生日を迎えると、後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となる。

こうした中、何かと単細胞の私は、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしているので、
今回の《・・中高年向けの筋力づくり、ゴキブリ体操やゴリラ体操のやり方・・》って、
どのようなことなの・・と思いながら記事を精読してしまった・・。

           

この記事の原文は、『女性セブン』の2019年8月15日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWポストセブン に8月6日に配信され、
この中の代表的な『ゴキブリ体操』、『ゴリラ体操』の部分を無断であるが転載させて頂く。

《・・中高年向けの筋力づくり、ゴキブリ体操やゴリラ体操のやり方

世の中が便利になって、どんどん“動かなくてもよい”生活になりつつあるが、
一方で“動かないこと”による健康への悪影響も注目され始めている。

それは筋力が落ちるだけでなく、ホルモン分泌や免疫力にもかかわり、
内臓の病気のリスクも増大するというのだ。

特に体力が衰え始めた中年や高齢者には、“動かないこと”によるリスクは深刻。
でもいきなり本格的なトレーニングに挑むのも難しい。

そんな中高年に向け、家の中でも気軽に体を動かし、
しかも効率よく筋力アップを図れる体操を考案した、南越谷健身会クリニック院長の周東寛さんに聞いた。

           

 「人間は動物、活発に動いてこそ、健康な体を維持できる」
と言う周東さん。

年を重ねると、自然に筋力は衰え、動くのが億劫になる。
そして高齢者には、動かなくてもすむように、つい周囲の人が手を貸してしまう。
実は、これでは健康維持とは逆行してしまうのだという。

「健康を維持する要は、ホルモンです。
簡単に言えば、ホルモンが減ってくると体の機能が低下し、さまざまな不調が表れます。
女性ホルモンが激減して起こる更年期障害が、わかりやすい例でしょう」

ベースになるのは筋肉、骨、脂肪から分泌されるホルモン。
筋肉から分泌されるマイオカインは、がん細胞抑制の働きも報告されているほか、免疫力を上げ、
“若返りホルモン”とも呼ばれている。

また骨から分泌されるオステオカルシンは、骨密度を上げ、全身の代謝をアップ。
脂肪細胞、特に褐色脂肪細胞から生まれるアディポネクチンは、
脂肪を燃焼させる“やせホルモン”の異名も。

「筋肉を鍛え、骨を刺激し、健康的な褐色脂肪細胞を増やすことで、
増えるこれらのホルモンを“基礎ホルモン”と呼んでいます。

これらが増えると、内臓の動きを活発にする甲状腺ホルモン、骨を丈夫にし、
認知症予防改善にも有効といわれる成長ホルモン、糖尿病を予防改善するインスリンホルモン、
免疫力・体力を上げる副腎ホルモンなどが増え、結果、生き生きと健康な体になります。

逆に動かずにいることで、すべての内臓は弱っていき、がんをはじめ病気のリスクが高くなるのです」

            

またもう1つ重要なのが自律神経のバランスだ。

「筋肉を動かして活動することで、交感神経が優位になり、
体を休めてリラックスすることで、副交感神経が優位になります。
このバランスがメリハリよく作用することで、体がきちんと機能して体調が安定するのです。

運動しないでいると、交感神経が充分に働かないため、
スムーズに副交感神経に切り替わることもできず、不眠に陥りやすくなります」

動かずにじっとしていることが、体にこれほど悪影響があるとは驚きだ。
これは高齢者も例外ではないという。

「しかし筋肉は、何歳からでも鍛えられるのです。
じっとしているリスクを念頭に、まずは動きましょう」

            

◆中高年はゆっくり小刻みに動くのがポイント

筋肉を鍛えるには、スクワットのように多少負荷をかけて、筋肉を使うトレーニング、
ゆっくり伸縮させるストレッチ、ウオーキングのような有酸素運動を組み合わせて行うのが効果的。

しかし、そもそも運動不足の中年や体力に自信のない高齢者にとっては、
“筋肉を鍛える”というだけでもハードルが高い。

そんな中高年のために周東さんが提案する体操は、日常生活の中で気軽に始められるのが特徴だ。
数ある中から6つの体操を後で紹介するが、
たとえば目覚めた時に、布団に寝た状態のままで始められるものもある。

「中高年の健康維持のための筋トレは、ゆっくりと、小さく動かすことがポイントです。
張り切って力任せに大きく動かすと、筋を傷めることもあるので注意。

それより一つひとつの動きを丁寧に、動かす筋肉を意識しながら行う方が効果的。
起床時や就寝前、朝昼晩の食事の前に3分くらいずつ。
効率よい代謝のためにも、体操をする前に水を飲むとよいでしょう。
毎日、短時間でも継続することが大切です」

            

代表的な『ゴキブリ体操』は、ひっくり返ったゴキブリのように
仰向けに寝たまま手足をバタバタさせるユニークな運動だが、
この手足を小刻みに震わせる動きは、末端から血行を促して自律神経を整えるという。

実際にやってみると、滞ったものが流れるような実感があり気持ちがいい。
この心地よさを感じることが大切だという。
高齢者などは起床時に限らず、いつでもこまめに手足を震わせるのがおすすめだ。

「高齢で、今から筋肉を鍛えても・・・と、あきらめている人も少なくありません。
でも、高齢者こそ、体を動かして筋肉を鍛え、体が変わることを実感してほしい。

生きている限り。健康であり続けることが大事なのです。
朝さわやかに目覚め、体調がよいと気持ちも充実します。
そんな一日一日を積み重ねていくことが、何よりの健康長寿の秘訣です」

そこで、クリニックを訪れる中高年の患者の状態やアドバイスした内容を基に、
周東さんが開発したオリジナル筋力作り体操を紹介しよう。

2~3種類を選んで計3分間ほど、起床時、就寝前、朝昼晩の食事前などに行うほか、
動きを覚えたら思いついた時に気軽に行ってみよう。

             

◆『ゴキブリ体操』

手足の血行を促進、腰椎を矯正して腰痛の予防にも。
寝起きに行えば自律神経が整ってすっきり起床でき、就寝前ならよい睡眠が。
この運動で腹筋や腸腰筋、大腰筋、骨盤内腔にある筋肉が鍛えられると
腹腔を覆うコルセットのような状態になり、体全体の脂肪代謝を促進する効果も。

【1】仰向けの状態でひざを立て、両腕を伸ばしたまま、頭上へ上げたり、下ろしたりを繰り返す。

【2】両手、両足をまっすぐ垂直に伸ばす。

【3】ひっくり返って足をバタつかせるゴキブリをイメージしながら両手、両足を動かす。
   初めはゆっくり、だんだん速く。頭を軽く持ち上げるとより効果的。

             

体全体の脂肪代謝を促進するゴキブリ体操

 

              

◆『ゴリラ体操』

中腰の姿勢で、ひざを曲げ伸ばししたり、ウエストをねじったりする。
腹筋を中心に、足腰の筋肉、関節を一度に効率よく鍛えられる。
ゴリラになったつもりで動いて。

【1】足を肩幅に広げ、へそ下をのぞくように腹に力を入れて前屈みに。
   ひざを軽く曲げ伸ばししたり、ウエストから左右に体をねじったりする。

【2】前かがみのゴリラスタイルのまま、両手をブラブラさせながら歩いてもOK。               

 

足腰の筋肉を鍛えられるゴリラ体操          

 イラスト/やまなかゆうこ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                              

私は記事を読み終わった後、南越谷健身会クリニック院長の周東寛さんに導かれて、
中高年向けの筋力づくりの大切さ、そしてゴキブリ体操やゴリラ体操などを、
具体的に多々教示されたりした。

この後、何かと不器用な私でも、 イラストで『やまなかゆうこ』さんが描いて下さった状態を、
こっそりと真似て、ゴキブリ体操を始めたりした・・。

そして数分過ぎると、不器用な私でも、何とかできて、
もしかすると長生きできるかしら、と単細胞の私は微笑んだりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「年金だけで生きていく」ための心得、「5つの視点」、遅ればせながら年金生活15年生の私は学び、多々教示させられ・・。

2019-08-06 16:52:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【東洋経済オンライン】を見たりしている中で、
『 月12万円の「年金だけで生きていく」ための心得
        ~ 無理なく支出を減らすための「5つの視点」 ~ 』、
と題された見出し記事を見たりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年生となっている。

こうした中、我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ14年半ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、原則として月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している理由は、
40数年前、私たち夫婦が婚約する前、
お互いに隠し立ては・・やめましょうねぇ、 と私は妻となる人から言われたりしてきた。

そして私たち夫婦は、結婚以来、毎月家計簿を原則として翌月の初めにしているが、
もとより生活費をお互いに確認した上で、私、家内が趣味に使える費用を捻出する為に、
毎月確認し、家計簿の月次決算をしている。

このような私たち夫婦であるが、今回《・・「年金だけで生きていく」ための心得・・》を学びたく、
記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、消費経済ジャーナリストの松崎 のり子さんの寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に2019年8月6日に配信され、記事の主要部を転載させて頂く。

 
 
                 

《・・月12万円の「年金だけで生きていく」ための心得

(略)2019年の年金額モデルは、世帯で受け取れる金額が約22万円(夫の厚生年金含む)。
ここから税金・社会保険料などを差し引くと、手取り額は2020万円を切る。

世の中には、筆者のような節約好きではない方が大半で、
現在の生活費と比較すれば、「それは無理だ」と思うだろう。


とはいえ、誰でもいつかは、年金暮らしに入る。
その時に備えて、今から何をすればいいか、支出を少しでも減らす手助けになる考え方についてお伝えしたい。


■老後の支出は今より下がる


公的年金だけで暮らせるかの大前提として、
現役時代の支出と年金暮らしの支出は、イコールの額ではない。

子どもにかかる出費は、教育費を含め不要になるし、
会社勤めを辞めれば、飲みに行く回数も減るし、ビジネススーツや靴の購入もいらなくなるだろう。

総務省の家計調査のデータ(2018年)で比較すると、
50代の勤労世帯の月額支出は、平均35万円ほどかかっているが、
無職の高齢者夫婦は65~69歳で約26万円、70~74歳で約25万円。
75歳以上は約22万円と下がっていく。

自然と小さくなっていくことは、間違いない。

 
しかし、細かく見ていくと、食費は案外減らない。
年代によっては、交際費や教養娯楽費は、現役時代より増えているほどだ。
油断すると、赤字は膨らんでしまう。

しかし、「節約」を意識すればするほど、情けない気分になり、続かない人は多い。
使いたいお金を我慢するのは、逆効果だ。

                  

そうではなく、無理なく支出を減らすために、
次の5つを減らすことを意識してみてはいかがだろう。

1.弱点を減らす

2.ルーチンを減らす
 
3.「もったいない買い」を減らす 

4.モノを減らす 

5.自己負担を減らす

このような《・・無理なく支出を減らすための「5つの視点」・・》を学び、
何かと気弱な私は、恐れ入りました・・と意思の強い消費経済ジャーナリストの松崎 のり子さんに敬服させられた。
(詳細・・https://toyokeizai.net/articles/-/295257・・)

                 

そして私が、今回、何よりも学んだことは、
《・・われわれが将来受け取る年金は、決して十分ではないが、
それでも死ぬまで受け取れるありがたいお金だ。
その中で暮らすには、お金を払う優先順位をつけなくてはいけない。

しかし、現実は「つい習慣で、なんとなく」、「断れなくて」、
「今買うとオトクだから」などの優先順位が高くないもののせいで、目減りしていく。

 
それで「お金が足りない」と嘆いているとしたら、実にもったいない。
“お金がない”が口癖の人にないのは、使っているという意識なのだ。

使わなくてよかったお金をそぎ落とした時、本当に年金だけで足りないのかが、きっと見えてくる。・・》

こうした確固たる意志を学び、確かにそうですよねぇ・・、と私は同意させられた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧耐震マンション、建て替え不可の不安すぎる将来、高齢者の私は動顛しながら学び、やがて溜息を重ねて・・。

2019-08-05 16:41:08 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL】を見たりした中、
『 建て替えは不可・・・旧耐震マンションの不安すぎる将来 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年となっている。

こうした中、この地域に長らく住んできたので、
それぞれの過ごしてきた出来事の数多くの思いもあり、 愛惜も加味され、
私たち夫婦は安楽な地かしら、と思ったりしている。

しかしながら、私たち夫婦のどちらかが、足腰が悪くなった時は、
断腸の思いで、段差が多い自宅を売却して、駅前に近い2LDKぐらいのマンションを買い求めて、
付近にあるスーパー、病院を活用しょうかしら、と思案する時もある。

         

こうした深情を秘めた私は、漠然としながらもマンションなどの買い求めることも、
思案してきたので、今回の《・・建て替えは不可・・旧耐震マンションの不安すぎる将来・・》、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事は、伊藤洋次さんが取材された纏(まと)められた記事であり、
【 日刊ゲンダイDIGITAL】に2019年7月11日に配信され、 無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・建て替えは不可・・・旧耐震マンションの不安すぎる将来      
  

        


1981年6月以前に建築確認の申請がされた旧耐震マンションに、
分譲時の購入者が、半数近く暮らしているという。

建物同様、住民の多くが高齢化し、さまざまな問題が生じている。

問題は、建物の老朽化と地震リスクだけではない。

修繕積立金の不足で、行うべき補修工事がされていないことも。

不動産コンサルタントで、さくら事務所会長の長嶋修氏によると、

「毎月の修繕積立金は、専有面積1平方メートル当たり200円程度が適切です。
しかし、分譲時にランニングコストを少なく見せるために、低く設定されているケースがあります。

その結果、1回目の大規模修繕の費用は賄えても、
2回目、3回目に必要額が積み立てられていないことがあるのです。

2回目は、築30年ごろに行われます。

              

必要額が蓄えられていない場合、区分所有者が新たに数10~100万円単位の金額を拠出するか、
管理組合でローンを組むことになり、ローンで賄う場合、その後の修繕積立金が一気に上がります」

とのこと。

2回目以降の大規模修繕を行っていないマンションが、全体の3分の1程度あるという。
さらに、管理組合の高齢化で、運営が立ちいかなくなるケースが増えている。


「高齢住民が亡くなることで、空き室の増加が進み、どんどん管理組合の担い手がいなくなります。
相続した所有者と連絡が取れないことが頻繁に起こると、
管理費や修繕積立金の滞納が生じ、管理に影響してくるのです」

 
所有者が居住しなくなることで、管理がおろそかになると、
最終的に廃虚化につながっていく。
建て替えの局面が訪れた場合、通常、建て替えはほぼ不可能だという。


「こうしたマンションには、お金がプールされていないので、新たにお金を出さなければなりません。
場所によっては、容積率の緩和などの特例でタワーにすることで、前よりも戸数を増やせるので、
地権者の住戸の余りを販売することで、建て替え費用が賄えられますが、おおむね、都心に限られます」

              

今、都市部を中心にマンション価格が高騰している。

しかし、築古マンションであれば、平均的なサラリーマン世帯でも射程圏内に収まるため、
外観は古くても、部屋をきれいにリノベーションした住戸を検討する若い世帯も少なくない。

 
しかし、現状の不動産市場では、仮に同じエリア、同じ築年数、同じ間取りであれば、
ほとんど同じ価格で取引されており、管理状態が価格に反映されることは、ほとんどないという。

よく調べずに、管理のずさんなマンションを買ってしまうケースも少なくない。

 
旧耐震マンションを購入する際は、マンションの総会や管理組合の議事録などを確認したり、
十分な注意が必要だと長嶋氏は話す。・・・》

 
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                            

私は記事を読みながら、多々教示されたりした。
たとえば《・・1981年6月以前に建築確認の申請がされた旧耐震マンション・・》、
1981年は昭和56年であり、38年前と思い浮かべたりした・・。

ここ数週間、私はネットで大手不動産の公式サイトに於いて、検討したりしている。
駅より10分以内で、スーパーと病院があるマンション・・。

新築マンションは高価であったので、中古マンションと設定し、
入居後、いつの年にか売却することも配慮した。

こうした中で、少し格安な中古マンションが表示されたりした。
この後、筑後の年数を見ると、1970年と表示された所もあったりした。

私は1970年の当時は、何とか大手の民間会社に中途入社できた時で、
この当時に販売されたマンションか、と微苦笑されたりした。

更に1965年と筑後の年数が表示されたマンションを見ると、
驚くほど格安となっている。

今回の記事を読み、こうした難題の実態が秘められていた、と私は学んだりした。

そして購入する場合は《・・旧耐震マンションを購入する際は、
マンションの総会や管理組合の議事録などを確認したり、 十分な注意が必要・・》と学び、
こうした手続きは私はためらうので、やむなく旧耐震マンションは対象外にしょう、
と思い深めたりした。

もとより旧耐震マンションでも、やはり数千万円する高価な資産であり、
危惧されるものに、小心者の高齢者の私は避けようと思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の食ブーム30年史 なぜ女性好みの食は大流行してきたのか?、 こっそりと男性の私でも学び、愛惜に重ね・・。

2019-08-04 13:57:59 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【 現代ビジネス  】を見ている中で、
『 なぜ女性好みの食は大流行してきたのか? 日本の食ブーム30年史 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。


そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、 定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。

             

私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年(昭和45年)4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。

そして私の妹ふたりは、1947年(昭和22年)1月、1948年(昭和23年)10月の生まれであり、
家内は1949年(昭和24年)12月の生まれであり、兄ふたり妹ふたりの間でサンドイッチのように育成させてきたので、
何かと幼年期から今日まで、団塊世代の情況は、 理解しやすいひとりとなっている。

こうした深情を秘めている私は、今回の《・・日本の食ブーム30年史・・》の中で、
《・・なぜ女性好みの食は 大流行してきたのか? ・・》何かと好奇心ばかり強い私は、
高齢者の男性の私でも、過ぎし平成の時代の歳月を愛惜を重ねるような思いで、精読してしまった・・。

この記事は、作家で女性の生き方などをテーマに執筆されている生活史研究家の阿古 真理(あこ・まり)さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 現代ビジネス  】に2019年8月3日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・なぜ女性好みの食は大流行してきたのか? 日本の食ブーム30年史

              
             

☆女性好みの食が流行する理由

平成の30年間、食の分野で流行したものは、本当にたくさんある。

最近だけでも、タピオカミルクティー、チョコミント、かき氷、パクチー、スパイスカレー、海南チキンライス、
高級食パン、コッペパン、フルーツサンド、熟成肉、富士宮焼きそば、ハイボールなどいくつも思い浮かぶ。


「食のブーム」とは無縁?フライパンを熱いうちに洗わないフランス人


古めのものでは、ティラミス、マカロン、カヌレ、ベルギーワッフル、もつ鍋、
ホルモン焼き、讃岐うどんなどがあり、挙げればキリがない。

 
目立つのは、女性が中心になっている流行だ。
なぜ、女性好みの食が流行しやすいのだろうか。

 
考えられる原因の一つは、食の流行化現象自体が、女性誌主導で始まったことだ。 

〔PHOTO〕iStock

 
ファッションフード、あります。』(畑中三応子、紀伊国屋書店)によれば、
食のファッション化、つまり流行化現象が始まったのは、
1970年に『anan』が創刊されたことがきっかけだ。

 
加速させたのが、1988年に創刊された『Hanako』だ。
どちらも版元は、マガジンハウス。
同社が流行化を促進したと言えるのかもしれない。

しかしもちろん、マガジンハウスだけが、流行を作るわけではない。
それは二つの時代背景を掘り下げると分かる。

              
   
☆昭和の流行はどんなものか

1970年は、外食元年と言われた年である。

この年、世界の食が集合した大阪万国博覧会が開かれ、
ファストフードやファミリーレストランのチェーン店が次々とオープンし始めた。


1970年には、ケンタッキー・フライド・チキン、すかいらーく、フォルクスが、
1971年には、マクドナルド、ロイヤルホスト、ミスタードーナツが1号店を開いている。

雑誌は、『anan』に続いて、1971年には『non・no』(集英社)が創刊されている。
 
両誌は、旅特集が多かったこともあり、萩・津和野、飛騨高山、金沢などの歴史ある町に、
雑誌を片手に若い女性たちが大勢訪れ、彼女たちはアンノン族と言われた。

これらの雑誌が流行らせた食べ物は、チーズケーキ、サラダ、オムレツなどだろうか。
 
しかし、昭和の流行は、今のように爆発的ではなかった。
若い女性たちが好きな「おしゃれ」な食べ物も、
男性やほかの年代の女性たちまで「あれ、流行ったよね」と言うほど、
広がったわけではなかったからである。

 
昭和の終わりに発売された『Hanako』も、
雑誌片手に町を歩く若い女性たちが、Hanako族と言われる社会現象を起こした雑誌である。

ティラミスを皮切りにいくつもの目新しいスイーツが流行した。
同誌は、くり返しアジア飯の特集を組み、
1980年代半ばから始まっていたタイ料理やインド料理などの流行が加速した。


1990年代後半になると、カフェ特集をくり返し組み、
2000年前後に爆発するカフェブームを先導している。

〔PHOTO〕iStock


☆自由な時間を持つ女性の増加

昭和の流行より、これら平成の流行を覚えている人のほうがおそらく多いが、
それは時代が新しいからだけではなく、
その流行が若い女性にとどまらない影響力を持っていたからである。

 
二つの時代の大きな違いは、女性のライフスタイルである。
1970年代は、女性の大学進学率が2割を超え、
青春を謳歌できる期間が長くなった結果、食の流行が生まれた。

 
しかし、昭和は20代のうちに結婚し、子供を産むことが当たり前とされていた時代で、
結婚すれば、大っぴらに流行を追いかけることは難しかった。

 
平成は、男女雇用機会均等法とその後に起こった不況を受け、働く女性が増えた時代である。

昭和にも働く女性はたくさんいたが、
平成には、結婚しても退職しない女性や、結婚しないで仕事を続ける女性の割合が増えていく。

家計の担い手である彼女たちは、自由に使えるお金を持っていたので、
自分の欲望に、より忠実になれたのである。

 
つまり、女性主導の流行は、自由な時間を持つ女性が増えたことで起こり、
自分の財布を持つ女性の層が厚くなったことで広がった。


1990年代には、「自分へのご褒美」という言葉も流行る。
それは仕事の疲れを、一日の終わりに好きなスイーツや酒、おいしい食事を摂ることで癒そう、
と考える女性たちの行動を表す言葉である。

〔PHOTO〕iStock


☆デパ地下ブームがもたらしたもの

平成の流行は、社会現象となったものも多く、
若い女性の流行に、他の世代の女性や男性も加わることが多かった。

女性たちの流行が周囲にも広がったのは、社会の情報化が進んだためである。

 
1990年代には『dancyu』(プレジデント社)を筆頭とする、
グルメ情報誌やタウン情報誌が、次々と創刊された。

2000年代になるとインターネットが普及し、ブログなど個人の発信力も高まった。


2010年代になると、雑誌の求心力が低下する一方で、スマートフォンが普及し、
SNSの種類も増えて、情報交換が活発になった。
飲食店で「インスタ映え」する料理を、撮影してから食べる人がいる光景は、すっかり日常になっている。

 
食の流行化現象における女性パワーがよく見えるのが、デパ地下ブームだ。
2000年に渋谷の東急東横店が、地下の食品売り場をリニューアルしたことに、メディアが一斉に注目し、
流行が爆発したが、デパ地下人気自体は1990年代から始まっていた。

 
スイーツブームの影響で、デパ地下で売られるスイーツが人気となったほか、
ロック・フィールドが売り出した神戸コロッケ、RF1の色とりどりのサラダが1990年代に流行した。

百貨店側も、平成不況で、洋服が売れにくくなり、
食品売り場を充実させることで、客を呼び込もうとしていた。
大阪の阪神百貨店は、1990年代後半に売り場のテコ入れを図っている。

 ブームが大きくなったのは、日常的にデパ地下を利用する女性が、
増えていたからではないかと考えられる。

 
この頃、フルタイムで働く共働き女性たちは、
仕事が終わってからでは、地元のスーパーの閉店時間に間に合わない、
とデパ地下で夕食用の食材を調達するようになっていたのである。

 
その人たちが、総菜を買うこともあっただろうし、ほかの食べものに注目することもあっただろう。
折よく、デパ地下には、魅力的な商品がいくつも登場していた。
「自分へのご褒美」とスイーツに手を伸ばすこともあっただろう。


自分で稼ぐ彼女たちには、少しだけ贅沢を楽しむ余裕があった。
そういう女性たちが行く下地があったからこそ、
メディアが、デパ地下ブームを報道すると、大きな流行になったのである。

              


☆食のファッション化、食卓の変化

平成の食トレンドで代表的なものを考えてみると、
女性主導のものは目新しく、男性主導のものはリバイバルが目立つ。

ティラミスやタピオカミルクティーは、今まで食べたことがない味、食感に特徴がある。

 
対して、ご当地グルメやナポリタンは、昭和の時代にも親しまれていた。
もちろん、女性の中にも昔ながらの味が好きな人もいるだろうし、
男性にも目新しい味に目がない人もいるだろう。

 
しかし、女性が目新しいものを好む傾向は、昭和の時代にも表れていた。
それは家庭料理の分野である。

 
昭和の時代、家庭の食卓には、目新しい料理がどんどんのぼるようになっていた。

ナポリタンも、ハンバーグ、オムライス、コロッケ、ギョウザ、春巻き、麻婆豆腐などの定番料理も、
昭和半ばまで、庶民の日常食ではなかった。

 
それらの料理が家庭で食べられるようになったのはもちろん、
食材が豊富になり、台所が近代化されたなど、環境が整備されたからだ。

 
しかし、それだけでなく、テレビの料理番組や主婦雑誌などから情報を得た主婦たちが、
目新しい料理を、次々と試したことが大きかった。

 
昭和半ばに主婦になった女性たちの大半は、
農山村から都会に出て来た人や、戦中戦後の食糧難の都会で育った人たちで、
子供の頃から洋食を食べ慣れていた人は、ほとんどいない。

 
主婦たちが、テレビや雑誌で紹介される目新しい料理を次々と取り入れたからこそ、
ナポリタンは、平成時代に懐かしがられる料理になったのである。

 
つまり、女性たちが新しさを恐れず挑戦してきた結果が、
食のファッション化であり、食卓の変化である。

 
もちろん、食が洋風化したことを憂える声はある。
総務省の家計調査によると、コメなど、味噌、醤油、サトイモなど和食の定番食材の消費金額は
どんどん低下している。

味噌汁を毎日食べないどころか、コメのご飯を毎日食べない人もいる。

 
和の食材に対する依存率が下がったのは、食が多様化した結果である。

しかしそもそも高度成長期には、不足気味だったたんぱく質や脂質を摂ることが奨励されていた。
それらの栄養源が豊富に含まれている料理は当時、洋食や中華だった。

 
従来の和食には、肉類があまり使われていない。
そして、油脂を使う料理も限られていた。
バランスのよい食生活をするために、食の多様化は推進されたのである。

              

☆流行は性別を問わない時代へ

もしかすると、女性主導の流行が多かったのは、
女性たちにとって、食を選ぶことができること自体が、新鮮だったからかもしれない。

 
戦前の女性は、家父長制のもとにおり、献立を決めるにも家長の顔色をうかがう傾向が強かった。

 
戦後になって日本国憲法のもと、夫婦は対等な人間同士になる。
主婦たちは、台所の主人として、献立を考える自由を得た。

だから経済的なゆとりができると、新しい料理を次々と食卓に載せるようになったのである。

 

〔PHOTO〕iStock

平成に食の流行化現象が激しくなったのは、
働く女性が増えて、外食や中食を自分で選べるようになったからである。

自分にご褒美を与えることができる喜びもあったはずだ。
その分だけ、流行が大きくなったのではないか。

 
よく見ると、共働きが定着し、子育て期でも働く女性が増えた2000年以降の流行には、
働く女性主導とは限らないものが目立ち始めている。
讃岐うどんやスパイスカレー、パクチーやハイボールは、男女ともに好む。

 
もしかすると、働く女性が珍しくなくなった今、
流行は、性別に関係なくなる時代が始まりつつあるのかもしれない。・・・》  

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

記事を読み終わった後、過ぎ切った平成時代、そして私たち夫婦が結婚した昭和時代の後期に、
思いを馳せて、そうだったよねぇ・・と心の中で呟いたりした。

私たちは1976年(昭和51年)3月下旬に結婚して、
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、情報畑でシステム改定をしていたので多忙期であり、
短めな新婚旅行から帰宅し、千葉県の市川市の片隅にある国府台で、
2DKの賃貸マンションで新たな人生をスタートした。

私はサラリーマンの身であったが、もとより生計の責務で孤軍奮闘し、
家内は専業主婦で、私に従順な新妻であった。

その後、子供が出来て狭い賃貸マンションの一室で這(は)うことを想像したり、
或いはいつまでも家賃を支払い続けることを配慮して、新居の件で色々と思案したりした。

やがて結果として、私の生家の近くに空き地があったので、この地に一戸建てとした。

そして家内は中学生の頃から茶事を習い、その後の私たちの新婚生活の合間でも、
先生の元に週一度通って修業していたので、私としては住宅関係で多大な借り入れ金をするので、
ついでにと若さ勢いで、母屋の部屋は一室増やして、茶室とした。

こうした結果、作庭の経費もなくなり、やむなく私の月給分ぐらいで雑木を中核とした。
しかしながら私は孤軍奮戦しても、家計は赤字が多く、私は困苦したりした。
やがて突然に、家内はデパートの和服売り場で契約社員として働き、 我が家は共稼ぎで何とか安泰し、
3年後に家内は専業主婦に復帰して、今日に至っている。

            

この間、私は和洋菓子は無知な方であったが、家内は女性の身であったので、
私なりに和洋菓子を給与を頂くたびに買い求めて、帰宅することが多かったりした。

そして都心に買い物に私たちが行った時、ときおりレストランなどで、
家内は知っていたおしゃれな料理を共に頂いたりしてきた。

或いは国内旅行が共通の趣味のひとつだったので、
幾たびも旅路を重ねてきたが、こうした時に旅先の食事処で、名産と称された料理を頂いたり、
ときには和菓子店で抹茶を頂きながら、その地の和菓子を賞味したりしてきた。

このようなことを少し思い重ねて、愛惜が増して、良き時代を過ごせた、と思い深めたりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“脳の健康”を保つ食生活4つのポイント、そして3つの生活習慣、改めて高齢者の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2019-08-03 15:03:38 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWポストセブン 】を見ている中、
『 “脳の健康”を保つ食生活4つのポイントと3つの生活習慣 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな過ごしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活15年過ごしている。

今回の《・・“脳の健康”を保つ食生活4つのポイントと3つの生活習慣・・》の見出しを見て、
やはり気になるので、真摯に学びたく、記事を読んだりした・・。

そして今回の記事は、私が敬愛している医師で作家の鎌田 實(かまた・みのる)さんの寄稿文であり、
私は年金生活の中で、長寿の秘訣として、過ぎし年に鎌田 實さんより、
《・・減塩、野菜はたっぷり、運動したうえで、おいしいものを食べる・・》学んだりして、
日々の生活信条としてきた。

              

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2019年8月2日号に掲載された記事のひとつで、
超高齢化社会を迎える今、認知・判断能力が低下するリスクが高まる高齢者は、 どんな備えをするべきか、
鎌田 實・医師が、 脳の健康を保つ食生活4つのポイントと、3つの生活習慣を紹介する内容で、

関連の公式サイトの【 NEWポストセブン 】に7月28日に配信され、記事の殆どを転載させて頂く。


《・・“脳の健康”を保つ食生活4つのポイントと3つの生活習慣  

(略)「老後2000万円」報告書の問題は、(略)
あらためて報告書を読んでみると、確かに大事なことが書かれていた。

なかでもぼくがいちばん気になったのは、認知症の人の資産についての記述だ。
認知症は年々増加し、2025年には700万人前後になると推計されている。

その認知症の人が保有する金融資産は、2030年には200兆円を超えるとか。
これは、個人の金融資産の1割に当たる額である。

そもそも65歳以上の高齢者の保有資産は、個人の金融資産の7割近くを占めている。
報告書では、これらのデータを使いながら、認知症だけでなく、
認知・判断能力が低下しつつある高齢者の資産をどう管理していくか、重要な課題の一つだとしている。

              

WHOは、つい最近、認知症予防ガイドラインを発表した。
そこで強く推奨されているのは、運動習慣、禁煙、血圧のコントロール、糖尿病の治療だ。

運動習慣を身につけながら、野菜をたっぷり食べ、
血圧と血糖値を上げないようにすることが大切ということだ。
あまり目新しさはないかもしれないが、内容は王道である。

医学誌「ランセット」に発表された、世界の複数の研究を解析した報告書もある。
高血圧、肥満、高齢期の難聴、喫煙、うつ病、社会的な孤立、糖尿病など、
いくつかの要因を取り除いていくと、認知症の発症を35%抑制できるという。

特に、高齢期に入ったら、たばこを止めること、うつ病にならないこと、運動すること、
社会的な交流を増やすこと、糖尿病を治療することが大事だとしている。

WHOのガイドラインは、栄養バランスのよい健康的な食事も推奨している。

ぼくは脳の健康を保つ食の「脳活」として、次の4つのポイントを挙げたい。

【1】一日350グラム以上の野菜を食べる

【2】油は、オメガ3脂肪酸を  青背魚やクルミ、エゴマ油などに含まれている。

【3】コエンザイムQ10  イワシやサバ、ブロッコリー、ホウレン草に多く含まれている抗酸化物質。
   脂溶性なので脳に到達しやすい。

【4】ビタミンE  コエンザイムQ10の働きを増強する。
   カボチャやアボカド、大根の葉、ウナギ、ハマチなどに多く含まれている。


ただし、WHOのガイドラインでは、
サプリメント(ビタミンB、ビタミンE、多価不飽和脂肪酸、マルチサプリメント)は、
認知症の予防の観点から推奨されないと明言している。・・・》

あくまでも食事からバランスよく摂ることが前提のようだ。

              

ついでに、「脳活」として3つの生活習慣もおすすめしたい。

A:朝の日光浴  
    朝、太陽に当たることで分泌されたセロトニンは、夕方、睡眠を誘発するメラトニンの材料に変化する。
    よい睡眠は、海馬から大脳皮質へ記憶を固着させる。

B:しっかりと口腔ケア
    歯周病菌は、慢性炎症を起こし、動脈硬化や認知症をひき起こすといわれている。
    いつまでも自分の口から食べられるように、口の中をきれいにすると同時に、
    カラオケをしたり、おしゃべりをしたりして、口を動かすことが大事。

    口腔フレイルを予防することで、認知症予防につながる。

C:運動プラス計算
    ウォーキングをしながら、足し算や引き算をする。
    同時に二つのことをするコグニサイズは、認知症予防にいいといわれている。
    認知症予備軍といわれる軽度認知障害(MCI)が、コグニサイズによって、40%改善したというデータもある。

認知症になっても、幸せに生きることはできる。
だが、認知症にならないように、備えておくことは大切である。

認知症に備える生き方やマネープランには、人生100年時代を生き抜くコツが詰まっているのだから。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                            

私は記事を読みながら、私が敬愛している医師で作家の鎌田 實(かまた・みのる)さんより、
改めて
多々教示されたりした。

特に《・・認知症予防ガイドライン・・ そこで強く推奨されているのは、
運動習慣、禁煙、血圧のコントロール、糖尿病の治療だ。

運動習慣を身につけながら、野菜をたっぷり食べ、 血圧と血糖値を上げないようにすることが大切ということだ。
あまり目新しさはないかもしれないが、内容は王道である。・》

このように改めて教示され、確かにそうですよねぇ・・と思い重ねた。

しかしながら私は今年の新年まで、長年タバコを愛煙してきたひとりであった。

過ぎし年の私は、大学一年生の時、ワンダーフォーゲル部に所属して、
夏の2週間の合宿の時、 中日(なかび)の休息日に、先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、
まもなく真似事をして以来、 タバコを愛煙してきた・・。

              

この後、タバコを56年以上及び日常の友としてきたが、 
今年の新年そうそう、夜に左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車にすがり、循環器専門の大きなは病院に搬送された。

そして病院に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、 早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

この間、担当医師より、タバコをやめるように進言されて、
とおり禁煙しょうと思ってきた私は、何かと意志が弱い私は放棄してきたが、
いまやめなければ・・いつやめられるのよ、と自身を叱咤激励して、
タバコに別れをつげて、今日に至っている。

このように、認知症予防ガイドラインの禁煙を思い馳せて、微苦笑したりしている。

そして、何かと小心者の私は、認知症だけは勘弁して欲しいょ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者に死をもたらす「熱中症」の甚大リスク、 74歳の私は改めて真摯に学び、多々教示されて・・。

2019-08-02 15:58:31 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【東洋経済オンライン】を見たりしている中で、
『 高齢者に死をもたらす「熱中症」の甚大リスク 』、
と題された見出し記事を見たりした。

私の住む地域に於いては、気象庁より7月29日に梅雨開けが宣言されて、
何かと熱さに苦手な私は、 いよいよ熱い夏の日々が続くのかょ、微苦笑をしたりした・・。

そして私は夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

                 

こうした時、ときおり  ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・
 
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、
歩く時もある。

 このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、 私にとっては心身のビタミン剤だ、と思いを深める時もある。

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

             

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして
脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた

そして私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
32度前後を超えた熱い時の場合は、やむなく利便性の良い路線バスに乗り、
バスの車内の冷気に甘えて、帰宅することもある。

もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車で搬送されて、
気が付いたら病院のベットの上だったことは、 私も困苦するし、
世の中の多く御方にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。

              

こうした中で、猛暑が続く中は、私は自宅の近くを15分前後を歩くことが多くなっている。
そして帰宅後は、熱い季節の習性として、洗面所で水で顔を洗った後は、
エアコンの冷気に身も心もゆだねて、過ごすことが多くなっている。

 このような猛暑に対して熱中症の対策をしている私は、
今回の《・・高齢者に死をもたらす「熱中症」の甚大リスク・・》改めて真摯に学びたく、 記事を精読してしまった。

この記事は、医療ジャーナリストの梶 葉子さんの寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に2018年7月4日に配信され、
少し古い昨年の記事であるが、もとより「熱中症」も時空を超えた難題であるので、
私を含めた高齢者の御方と共有致したく、あえて転載をさせて頂く。

《・・高齢者に死をもたらす「熱中症」の甚大リスク

熱中症が起こりやすい季節が到来した。
昨日は、熱中症の疑いで76歳男性が亡くなったことが明らかになった。

国を挙げての啓発活動が功を奏し、熱中症による重症化率・死亡率は減少傾向だという。
だが、その中で高齢者の死亡率・死亡者数だけは、飛び抜けて高い。

そこから見えてくるのは、超高齢社会、老々介護、孤立、貧困など、今の日本社会の現実そのものだ。

            

☆高齢者の死亡者数は、若年~壮年者の数倍

熱中症に詳しい帝京大学附属病院高度救命救急センター長の三宅康史教授による調査では、
2012年以降、各年6~9月の熱中症の死亡者数は、70歳未満に限ってみれば50人前後だ。
ところが70歳以上の人では、一気に300人以上に跳ね上がる。

日本はすでに超高齢社会。高齢化率は30%に迫り、
2025年までには「団塊の世代」が全員後期高齢者になり、
百寿者は2017年の段階で6万8000人近くに上る。

その中で、心身が弱り、持病を抱え、在宅で闘病したり、介護を受けて生活する高齢者が急増している。

これが熱中症による高齢者の死亡数が際立つ要因の一つだと、三宅教授は考えている。
「基本的に高齢者の熱中症と、スポーツや屋外の肉体労働などでかかる若年~壮年の熱中症とは、
分けて考える必要があります。

若い人たちの場合、特に最近はみんな気を付けて、水分や休憩を取るし、
もともと体力もあるので、軽症で済む場合が多い。

しかし、高齢者の熱中症は、異なります。
暑さで食欲が落ちて、脱水気味になった上に、糖尿などの持病が悪化していたり、
普段から低栄養だったり、虚弱(フレイル)になっているなど、
熱中症以外のさまざまな要素が重なって、複合的に起きることが多い。

そのため、重症化しやすく、回復も遅いのです」(三宅教授、以下同)

            

☆高齢者の場合、家での日常生活の中にこそ、熱中症のリスクがある。

年をとって体力・気力が弱れば、毎年やっていたことも、だんだんとできなくなってくる。
いつも元気な祖父母や両親も、後期高齢者になり、
さらに80歳を過ぎてくれば、子どもや孫には見せないところで、衰えてきているかもしれない。

例えば、夏布団と冬布団の入れ替えができず、
冬の羽毛布団をそのまま使っていたり、衣替えまで手が回らず、
ヒートテックの下着や厚手のシャツを着ていたりする。

気温の差を感じにくくなって、コタツがついていたり、
エアコンのスイッチが、冷房に切り替わっていなかったりする。
中には、部屋にエアコンがなかったり、あっても電気代を心配して使わないこともある。

            

☆糖尿病、高血圧の高齢者は注意

さらに「老々介護」では、介護者も高齢で認知症があるなど判断力や認知機能が衰え、
季節に応じた適切な生活を送ることが難しくなってくる。

炎天下に買い物に行って倒れたり、足が弱って近くのスーパーにも頻繁には行けなくなったりして、
食材やペットボトルなどを十分に補充できないこともある。

そういった状態で真夏日や熱帯夜が続くと、慢性的な食欲不振や睡眠不足から少しずつ体調を崩し、
熱中症になっていく。

高齢者は、日常的に多くの薬剤を服用している場合も多く、そこにもリスクが潜む。

「たとえば、糖尿病がある方は、多尿になるので水分が失われて、脱水になりやすい。
末梢神経の感覚が鈍くなるため、暑さを感じにくく、
上着の脱ぎ着など、適切な温度管理が難しい場合もあります。

また、高血圧で服用する降圧薬は、心機能を下げて血圧を下げるため、
血液の循環が低下し、体内の熱を体表に運びにくくする危険性があるし、
利尿薬は当然、排尿を促すので、脱水気味になります。

いつも服用している薬剤であっても、熱中症の季節にはリスクになることもあると心得て、
十分に注意をすることが必要です」

三宅教授によると、独居や高齢者のみの世帯で、
家族とも疎遠で、隣近所とも付き合いがないなど孤立している場合、
発見が遅れて重症化しやすいという。

特に「老々介護」では、介護者が先に倒れてしまうと、
被介護者も救われず、同時に複数の死者が出てしまうこともある。

この2、3年、猛暑の中、閉め切った室内で、
老夫婦や高齢の親子・きょうだいが亡くなって発見されたというニュースを目にすることも、
まれではなくなっている。

世の中に、これだけ熱中症の啓発が溢れていても、十分に届かない人や、届いても自分たちだけでは
対処が難しい人も少なくないのだ。

            

☆週に2回は親に電話して確認を

昔は、冬期に高齢者が亡くなると
「残念ながら冬を越せなかったねぇ。今年は特に寒かったから・・・」
という会話が交わされたものである。

だが、昨今は「夏を越せなかったねぇ・・猛暑だったから・・」
に変わりつつある。

「熱中症の季節には、家族や周囲の人が、いつも以上に気に掛けることが大切です。
電話をする回数を増やす、頻繁に様子を見に行く、ちょっと声を掛ける。

そういったことで、具合が悪そうなのがわかって早めに対処すれば、重症化せずに済みます。

今後ますます在宅が推進され、家で過ごす高齢者が増えることで、リスクは一層高まります。
行政も含めて、高齢者の熱中症対策は喫緊の課題ですね」

対策は身近なところから。とりあえず夏の間は、週に1度の親への電話を2回以上にするとしよう。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

            

記事を読み終わった後、特に《・・今後ますます在宅が推進され、家で過ごす高齢者が増えることで、
リスクは一層高まります。・・》の具体例を多々教示されたりした。

私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

ここ7年は、家内の母は介護・要の身となって、 長女の家内と次女の家内の妹は、
逐次連絡しあって交互に、 家内の母宅に殆ど宿泊して、
家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内が我が家にいる時は、
夕食前のひととき、家内の母に安否の電話連絡をしている。

そして家内の母に対して、私たち夫婦が驚いたりしたことのひとつとして、
特に熱い季節には、水分を制限して、トイレに通うことに敬遠する為か、
エアコンの温度設定が30度前後としていることであった。

こうした状況を知った家内は、母に対して、服用している薬を配慮した上で、
「熱中症」は天敵ょ、水分補給を十二分にして、少なくとも27度にして、秋のお彼岸まで
乗り切ってよねぇ、と言ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする