夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「血栓」をつくらないために、食べたい4大食品、78歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2023-02-12 15:10:10 | 喜寿の頃からの思い
先程、ヤフージャパンから配信された記事を見ている中、
 『 「血栓」を溶かし、つくらないために食べたい4大食品【血栓をつくらない!】
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私は恥ずかしながら糖尿病の予備軍であり、
過ぎし年に、心臓の痛みで救急車で病院に搬送されたこともあり、
何かと「血栓」には注視している。

今回、《・・「血栓」を溶かし、つくらないために食べたい4大食品・・》、
真摯に学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、【サライ.jp】に掲載された記事で、2月12日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。




《・・ 脳梗塞、心筋梗塞、肺塞栓など、突然症状が起き、
短時間のうちに亡くなってしまう“突然死”。

糖尿病治療の名医であり、生活習慣病の予防にも詳しい医学博士・板倉弘重先生によると、
その要因のひとつとなるのが、血管にできるかたまり“血栓”だといいます。

ですが、その血栓は、外から見ただけではわからず、
自覚症状もありません。

だからこそ、血栓を予防することや、
できても溶かして、流すことがとても重要になります。



 そこで今回は、板倉先生監修の『血栓をつくらない!』(宝島社)から、
血栓をつくらない&できた血栓を溶かすために、
積極的に食べたい4大食品をご紹介します。 監修/板倉弘重


【納豆】ナットウキナーゼが血栓だけを溶かす!


◆1日1パックの納豆で突然死リスクを減らす

 国立がん研究センターなどが実施している「JPHC研究」で、
発酵性大豆食品の摂取が多い人は、
循環器疾患の死亡リスクが低いという研究結果が発表されました。

大豆の発酵食品とは、味噌や納豆。

 この 「JPHC研究」研究では、
1日に発酵性大豆食品を50g(納豆1パック程度)食べている人は、
ほとんど食べない人に比べて、
循環器疾患の死亡リスクが10%低いそうです。 

納豆のネバネバには、
ナットウキナーゼというたんぱく質分解酵素が含まれています。

このナットウキナーゼが、血栓のおもな成分であるフィブリンを分解したり、
血液をサラサラにしてくれる効果があるのです。 

血栓ができやすいのは夜、寝ている間なので、
夕食に納豆を1パック食べるのがおすすめです。

 納豆は、食物繊維やたんぱく質、カルシウムなど栄養面でも
優れた食品ですから、ぜひ日々の食習慣に取り入れましょう。 



◆血栓に効く! 納豆の食べ方 
・食べるなら夜が効果的 
・タレは混ぜたあとにかける 
・1日1パック(50g)を目安に食べよう 
・加熱はしないほうが血栓には効く


◆納豆と一緒に食べたい食材 

◎納豆+大葉 

納豆にはビタミンKが含まれ、大葉にはビタミンC・E、β-カロテンが豊富。
組み合わせることで、ビタミンバランスがよくなります。
また、大葉のポリフェノールの抗酸化作用で、血管を若々しく保ちます。

◎納豆+酢 

どちらも血栓対策におすすめの食品。
酢と一緒に摂ることで、納豆に含まれる鉄分の吸収率がアップ。
高血圧や高血糖、高コレステロールなど血栓の原因となる生活習慣病の予防になります。


◎納豆+キムチ

 発酵食品同士の組み合わせで、
キムチに含まれる乳酸菌と納豆菌がいい相乗効果をもたらし、
腸内環境を整えてくれます。

キムチに含まれる唐辛子には、血行を促すカプサイシンも含まれています。



【玉ねぎ】血液をサラサラにして血栓予防

◆血管をダメージから守り血液の流れをよくする 玉ねぎには、
細胞を傷つける活性酸素から血管を守るケルセチンが含まれています。

ケルセチンは、ポリフェノールの一種で、
身の黄色い色素部分や皮に豊富にあります。

血管拡張の働きをする一酸化窒素を邪魔する活性酸素をとらえてくれ、
血管のダメージを抑えてくれます。

また、血栓を溶かしてくれる作用をもつ硫化アリル、
その一種で血管の壁を柔軟に保つ働きのあるアリシンなど、血栓予防、
できた血栓を溶かす、動脈効果予防など、血管にさまざまな
いい影響をもたらしてくれる血液サラサラ&血管強化食材の代表です。

 栄養を効率よく摂取するなら、
1日50g(1/4個)を目安に、生で食べるのがおすすめ。

水にさらすとケルセチンが溶けてしまいます。
生で食べる際には極力水にさらさず、
加熱する場合はスープごといただくようにしましょう。

皮はお茶にすることで、ケルセチンを効率よく摂取できます。

ねぎの食べ方 
・水には極力さらさない 
・みじん切りがベスト
 ・加熱する際は油で炒める 
・1日50g(1/4個)食べよう



赤玉ねぎ

◆納豆と一緒に食べたい食材アリシンを含む野菜 

アリシンは、ねぎ類に含まれるにおいと辛味成分ですから、
玉ねぎだけではなく、長ねぎやにんにくなどにも含まれています。 

赤玉ねぎ 
玉ねぎにふくまれるアリシンやケルセチンに加え、
赤紫色の色素アントシアニンの抗酸化力でダブルの効果が期待できます。


◆クエン酸は、フルーツからも補える 

酢には、クエン酸も含まれています。
クエン酸は、お掃除でもカルキや水アカを落としてくれますが、
体内では血管内に溜まった余分なカルシウムを溶かしてくれる効果が。

クエン酸は、レモンやライムなど柑橘系にも多いので、
お酢と合わせて日々の食事にぜひ取り入れましょう。




【フィッシュオイル】
血栓・動脈硬化を予防するDHA・EPAが豊富!

◆血管年齢を下げる毎日食べたい青魚 

さばやさんま、あじなど青魚に含まれる多価不飽和脂肪酸のEPA(エイコサペンタエン酸)、
DHA(ドコサヘキサエン酸)は、血流をよくし、
血管の健康維持に欠かせない脂質です。

EPA(エイコサペンタエン酸)は、
血液の粘度を下げて血栓をできにくくし、
動脈硬化を予防してくれる働きがあり、
足の血栓症予防の薬として認可されています。

そして、このEPAの働きを高めるのがDHA(ドコサヘキサエン酸)で、
中性脂肪を減らす働きや脳を活発する効果もあります。

 EPAやDHAは、熱に弱い油なので、
生のまま食べるのが一番効率のよい摂取法です。

加熱する際は、油が下に落ちてしまう魚焼きグリルより、
小麦粉などをまぶしてフライパンで焼くほうが油を逃さずに調理できます。

また、魚の缶詰やしらすも、手軽にEPAやDHAが摂取できます。

EPAやDHAが含まれているサプリメントもありますので、
魚が苦手な人は活用するのも手です。



 ◆血栓に効く! 魚の油のとり方
 ・朝に食べるのがおすすめ! 
・油を逃さない調理を 
・1日1g(刺身5切れ程度)
 ・缶詰も賢く利用しよう

魚を毎日食べるコツ

◆魚を毎日食べるコツ 魚は、
「下ごしらえや調理が面倒」とおっくうになりがちですが、
手軽に摂取する方法もたくさん。
代表的なのは缶詰。

また、しらすはイワシなどの稚魚で、DHA・EPAを含んでいますので、
料理に混ぜたりかけたりしてプラスしましょう。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、糖尿病治療の名医、生活習慣病の予防にも精通されている板倉弘重さんの監修で
《・・「血栓」を溶かし、つくらないために食べたい4大食品・・》を学び、
78歳の私は遅ればせながら学び、多々教示させられながら、
微笑んでしまった。

私は既に納豆、青魚の代わりにサバの味噌煮の缶詰、
玉ネギなど愛食しているので、
そうですよねぇ・・と微笑み返しをしてしまった。

しかしながら、苦手なキムチは敬遠しているので、
代わりに何か・・と思案したりしている。



いずれにしても、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸18年を過ごしてきた。

そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


こうした中で、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
ときおり物忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。

このような私でも、あと1年半少しで・・80歳の誕生日を迎える時に、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願している。
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月刊総合誌の『文藝春秋』を愛読して、早や53年かしら、微笑み・・。

2023-02-11 13:46:57 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身で、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、昨日の朝は、今年初めて雪が舞っていたが、
午前中のひととき、買物をした帰路、
コンビニに寄り、10日発売の月刊総合誌の『文藝春秋』を買い求めて、
帰宅した。

この後、ブログの投稿文を書き上げて、送信した後、
庭先に初雪の舞い降り情景も良いが、
やはり『文藝春秋』を読みたくて、寝室のベットの布団にもぐりながら、読み始めた・・。




私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』を購読を始めたのは、
確か1970年《昭和45年》の4月号からであった。

これ以前、東京オリンピックが開催された1964年《昭和39年》、

私は映画の脚本家になりたくて、大学2年で中退し、
アルバイトをしながら養成所に入り、映画青年の真似事をした後、
契約社員をしながら文学青年の真似事をしたりしたが、

あえなく敗退した・・。

この後、やむなくサラリーマンに転身するため、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、
困苦することも多かったが、卒業したりした。

そして1970年《昭和45年》の春の少し前に、
この当時としては大手の音響・映像のメーカーに、
何とか中途入社ができる内定を知ったりした・・。

この当時の私は、映画・文学の世界は少し判っていたが、
漠然としながらも一般社会の常識のことなどが、欠落していた点も判り、
遅ればせながら社会人として恥ずかしく感じ、これ以来、私は購読している。


                                                                

月刊総合誌の『文藝春秋』は、もとより文化をはじめ、社会、経済、政治、外交、軍事の難題、
或いはスポーツ、芸能まで、それぞれの専門分野で活躍されている

御方の多彩な寄稿文などが掲載されている。

そして私は、社会人として多々教示されながら、
大人の知的デパートだよなぁ・・と思いながら、

購読して早や53年となっている。



現役サラリーマン生活をしている間は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の各氏の
小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年《平成16年》の秋に35年近く勤務し定年退職した後、

多々の理由で年金生活を始めた。

こうした中で、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野眞一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

こうした中で、雑誌の月刊総合誌としては、『文藝春秋』は53年購読し、
毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。

そして月刊総合雑誌の『中央公論』、『新潮45』《4年前の頃、廃刊》は、
特集に魅せられた時は、購読したりしている。




余談であるが、私は定年後の年金生活18年は過ぎている中で、

何かと読書は好きであるが、
小説を読むことは激減して、随筆、ノンフェクション、近現代史を読むことが圧倒的に多い、
と微苦笑したりしているのが、実情となっている。
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都心の郊外でも、今年初めての雪が舞い降り、78歳の私は・・。

2023-02-10 11:51:38 | 喜寿の頃からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む、78歳の年金生活の身で、
5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や73年となっている。

今朝、ぼんやりとテレビで気象情報を視聴していると、
今日2月10日(金曜日)は、関東甲信の広い範囲で朝から雪が降っていて、

内陸部を中心にすでに積もり始めています。

東京都心など広い範囲で積雪のおそれがあり、山沿いでは大雪となる見込みです。 
特に夕方の帰宅時間帯は交通機関への影響などに注意してください。 

このように報じられていた。

そして都心の積雪は、5センチと予測されいるので、
我が家も、おまけで7センチぐらいかしら、と私は思ったりした・・。

やがて私は、窓辺より庭に降る雪を見て、過ぎし年を思い馳せたりした・・。

         

私は今の住んでいる近くに生家があり、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けて、
遥か70年前の頃は、この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。

私は地元の小学校に入学したのは1951年(昭和26年)の春であり、
初めての冬を迎えた時、こうした中で雪が降り、登校した・・。

私はゴムの長靴の中に、母か父の妹が未婚だった頃の叔母の助けを借りながら、
藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
ゴム長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。


小学校は、木造の二階建てであり、

教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があったりした。

この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、

薪(まき)が燃やされていた。

私たちクラスの学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。

そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、

番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。


                              

この後、1955年(昭和30年)の頃から、

都会などに住んでいた御方たちが周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)の3月であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に急激に大きく変貌した。

やがて1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に1回程度、15センチぐらいが降ったりしたが、

この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
             
           


こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると幾たびか北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。



                          
私たち夫婦の冬の旅路は、独自の周遊プランを旅行代理店に依頼したり、
或いは通販のクラブツーリズムの滞在型プランを利用して、
観光ホテル、リゾートホテル、旅館などに滞在して、周辺を歩き回ったりしてきた。


そして私たち夫婦は雪舞い降る山里の路、街の中を歩くことは30年を体験してきた。

          
過ぎし15年ぐらいは、こうした時に愛用してきた軽登山靴はマイナス15度ぐらいの耐久のマインドルの靴で、
家内はマイナス30度に耐えられるアクの軽登山靴として、
お互いに滑り止めとして簡素なゴム製の金属製スバイク付いた品を装填している。


そして私は肌着の上に冬のスポーツ・シャツ、

ジャケット風の襟(えり)のあるフリース、そして防寒コートを着れば、
マフラーはフリースの襟が首回りまであるので不要となっている。

そして帽子は、私は山岳用を愛用し、家内のはロシア婦人がかぶる様な形のを気にいっている。
このような容姿で私たち夫婦は、厳冬の中の雑木林の道、山里、そして街中を歩き廻ったりしてきた。



こうした中で、その地のお住まいの人たちと立ち話をしたりして、

その地の風土、文化を学びながら、
雪舞い降る時、そして雪晴れの時などの冬麗の圧倒的な情景に感動させられたりしてきた。




しかし時には風が烈風になると、1メートル先も視界が閉ざされた過酷な世界になるが、
わずかながら体験をしてきたが、お住まいの御方は日常生活の除雪などの重労働などを思い重ねると、
あくまで遊学の旅人の身勝手な思いでもある。

私たち夫婦の冬の旅路は、私のサイトのカテゴリー『旅』で、
つたない投稿文で記載してきたが、今回は省略する。


          

このような思いをぼんやりと思い馳せたりしたが、

やがて家内は、家内の母の長き介護で、疲れ果てて、
寒い地域の旅路より、暖かい沖縄地方の旅路を選定したりしてきた・・。

この後、家内は大病に遭遇して、体調は万全ではなく、
私たち夫婦は、雪が舞い降る旅路は、
2015年2月中旬の冬の紋別~サロマ湖~網走の遊学記』、
7泊8日が最後となっている。








そして私は、ときおり雪舞降る情景・・夢を見る時もある。
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40年ぶりに都立『砧公園』を訪ねて、微笑みを重ねて・・。

2023-02-09 15:08:16 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


今朝、ぼんやりと起床した後、洗面所で顔を洗ったりした後、
キッチンに行き、煎茶を淹れて、
お寿司屋さんより頂いた大きめの湯飲み茶わんで一杯飲んだりして、
正気になり微苦笑したりした。

まもなく、大きめの湯飲み茶わんをお盆に入れ、
居間にあるビデオ・ケースの上に置く。

こうした中、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。


そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。




こうした根底の真情には、何かと気弱な癖に、
ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。

この後、本日も元気よく、楽しく過ごそう・・、
と体力の衰えた私は、自身を鼓舞したりしている。



やがて午前中のひととき、本日の散策コースは、
確か40年ぶりに都立『砧公園』を訪ねてみよう、と思ったりした。

私は1964年の東京オリンピックが開催された当時は、
映画の脚本家になりたくて大学を中退して、
養成所に通ったり、成城学園の近くにある東宝撮影所に盛んに出入りしていた。

この周辺に『砧公園』があり、年に数回ぐらいは、
散策コースとして活用していたが、やがて映画青年も敗退して、
東宝撮影所、そして『砧公園』も遠のいてしまった。

この後は、家内と一度だけ『砧公園』に行ったりした。




本日、我が家の最寄り駅のひとつの『成城学園』まで路線バスで行き、
そして『砧公園』まで路線バスを利用した。

やがて下車した後、浦島太郎のように砧公園の園内の変貌に、
驚いたりした・・。

砧公園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 
☆ 都立『砧公園』ホームページ ☆

広々とした芝生の中で、ゆったり樹木が配置されていた・・。










二月の平日の午前中のひととき、散策する御方、ジョキングされている御方、
わずかに見かけたりした・・。

もとより休日になれば、子供を引率している家族には、
のんびりと過ごせる最適な所だ、と私は微笑んだりした。

この後、『世田谷美術館』が見えたりして、
『 それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱 』が展示されていた。

このような分野には、無念ながら素養もないが、
文化と教養も大切ょ・・と天上の神々から叱咤激励され、
やがて鑑賞したりした。


それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM 

このような世界を一時間ばかり鑑賞して、
私は未知の世界だったが、脳裏に少しばかり刺激を受けたりした・・。


このように本日の午前中は、予期もしない園内の情景、
そして美術館での鑑賞体験・・、

少なくとも認知症の防止としたら最適だよなぁ、と微笑んだりしている。
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ときには私の死後の世界は、里辺の草花の中で・・と思い馳せ・・。

2023-02-08 14:26:00 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、いつものように午前中のひととき、
自宅の周辺を散策している中、ベンチに腰掛けて、
冬晴れのまばゆい陽射しの空を見上げたりしていた・・。


やがて漠然としながらも、幼年期のある日、危篤の状況なったことが、
脳裏から舞い降りてきた・・。




私は今住んでいる近くに生家があり、1944年 (昭和19年) の秋に、
農家の児として生を受けた。

この当時の生家の地域に於いては、田畑、竹林、雑木林が圧倒的に多く、
緑豊かな町村であり、生家は祖父と父が中心となって、
程々に広い田畑を小作人だった人たちの手を借りて、耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊となったが、
この当時は戦時中で、食糧、医療条件が乏しく、やむなく病死することもあったが、
跡継ぎの候補は、兄ふたりのいずれかとなって、万全と思え、
このような中で、祖父と父は三番目の児として女の子を期待していた思いがあった。

やがて、私の下に1947年 (昭和22年) の1月に2歳下の妹が生まれ、
祖父と父は、女の子を待ち焦がれたように溺愛したりした。

このような状況を見て、私は幼児なりに疎外されたように感じ、
いじけた可愛げのない児となったり、無口のひとりとなったりした。


このような状況下で、私は3歳過ぎた時、
風邪をこじらせて肺炎となり、町の内科の医師に来て貰い、
診察を受けたした・・。

父と母は、幼児を放置していたかのような状態に、医師から叱咤を受けたりした。

しかしながら、あの頃は敗戦後のまもない時であり、
あの当時の私の地域の農家は、
富山の薬の販売員が、担当地域のそれぞれの家を2ヶ月に1度ぐらいで巡回し、
家庭置き薬として常備薬を配布していた時代であった。

そして家族の誰かが風邪などの場合は、この常備薬の風邪薬を飲んでいたし、
腹痛、歯の痛みなどは、この常備薬に対応した薬を飲んで、治したりしていた。

まして、あの当時は専門の小児科などは私の住む地域にはなく、
1955年 (昭和30年)の頃から、住宅街に変貌して、
初めて小児科の病院が開業された時代であった。




私は医師から診察を受けたが、
熱が高く、ときおり呼吸が困難となり、やがて危篤の状態となった・・。
そして、医師から父と祖父に、
手遅れで治療のしょうもないので、残念ながら、まもなく・・
と宣言された。

この後、やむなく祖父は、親戚のひとりに、
3番めXXX(私の名前)が危篤状態であるが、無念ながら助からない、
と意味合いの言葉を親戚、隣人、知人に伝達するように依頼をしたりした。

私は次第に青ざめ心臓が止まったかのような状況が30分ぐらい続き、
死の淵をさまよう表情に苦悶し、
まもやく祖父と父は断念して、ガーゼを水に浸したのを私の唇につけたりした・・。

私の住む地域では、古くから医師などにより死の宣告をされると、
家族はもとより兄弟姉妹などをはじめとした近親者が、
ガーゼなどで水に浸し、亡くなった人の唇につけてあげる習慣があり、
長老の言葉に寄れば、『末期の水』と称していた。

そして、母、叔母に続いて、長兄、次兄は、ガーゼを私の唇につけたのである。
この後は、『死に水』と称された、おのおの茶碗に少し水を入れ、
各自が飲んだりした。


このような状況の時、医師が、祖父と父、そして母に向かい、
『残念ながら・・まもなく亡くなると思われますが・・
この注射を最期の手段で・・試みて診(み)ます・・』
と言いながら、強心剤の注射をした。

そして、30分過ぎた頃、私は赤味を取り戻した身体になり、蘇生した・・。


こうしたことは、父は私が小学2年、まもなく祖父も亡くなった後、
まもなく父の妹のひとりの叔母から、私は教えて頂いたことである。

その後、長兄とか次兄に、
私が二十歳になるまで数回、
『XXXの・・死に水・・俺は飲まされた・・』
と苦笑しながら、私に言ったりした。

或いは叔母のひとりが何かの会合の時、
『XXXは・・一度死んだ身なので・・長生きするわょ』
と私に励ましの言葉のような意味合いで、言われたこともあったりした。



私の父は肝臓を悪化して42歳で亡くなったので、
私は中学生の頃から、父の死の42歳を乗り越える責任がある、と漠然と思ったりした。

やがて私が42歳になった時は、せめて60歳のサラリーマン定年退職までは、
生きる責務を強く感じてきた。

そして、定年退職の5年前の55歳の頃は、リストラで遠い勤務先に勤め始めた時、
定年後10年間だけは、何とか五体満足に生かして貰らえれば、
あとの70歳以降は余生と思ってきたりした。

私は、


こうした時、私がいつの日にか、この世と別れを告げた後、
暖かな陽差しを受けたクヌギ、コナラ、白梅などの冬木立の中、
地表は水仙、福寿草、たんぽぽがひっそりと咲き、
このような状況で私は迎えられれば、私にとっては天国だ、
と夢想したりしている。
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年金生活の我が家、『市・都民税』の税額試算を始めて、微苦笑して・・。

2023-02-07 15:58:13 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や19年目となっている。


こうした中で、世の中は所得税の申告期限は3月15日まで、
と報じられているが、
我が家は、昨年より申告の対象外となっている・・。



こうした根底には、
【申告する必要がない人】
   ①公的年金等の収入が400万円以下
     (すべてが源泉徴収[税金を引かれる]の対象となるもの)

   ②公的年金等以外の収入による所得の合計が20万円以下

こうした条件に我が家は該当しているので、
『市・都民税』の申告を私の住む調布市の市民税課に、
3月15日まで申告する義務となっている。



昨年は初めて【申告する必要がない人】に我が家は該当し、
私の勘違いで、確か昨年の4月に、市民税課より、
『市・都民税』の税額の算出は出来ませんですので、
以前にされていました『所得税の申告』に準じた所定の書類を送付して下さい、
と勧告されたりした。

こうした恥ずかしいことを私はしてきたので、
本日、『市・都民税』の税額試算を始めたりした・・。



そして市の広報誌に掲載されている住民税額のシミュレーションシステムを知り、
初めて私はパソコンに向かって、始めたりした・・。

そして前提条件として、

1.令和5年度分と令和4年度分の税額試算を行うことができます。

2.試算した税額は確定額ではありませんので、あくまでも参考としてご利用ください。

3.当システムは、純損失、雑損失の繰越控除、外国税額控除、特定支出控除、
 専従者控除及び青色申告特別控除には対応していません。

4.複数回、退職金を受け取ったことがある方は、税額が異なる場合があります。

5.試算のために入力されたデータは保存されません。

このように記載された条件に基づいて、入力した・・。

やがて『税額試算結果』に於いて、市民税、都民税が明示された。



このように税額試算は、終わったが、
『令和5年度 市民税・都民税申告書』 (令和4年中の収入・控除)、
の指定書類に転記して、添付書類と共に郵送すれば、
市民としての責務が果たせる。

年に1度であるが、午後のひととき、不慣れな書類に戸惑い、
微苦笑したりしている・・。
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40数年ぶりに、京王『百草園』を訪ねて、独り微苦笑を重ねて・・。

2023-02-06 15:53:08 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。






昨日の朝、目覚めた時は、自宅の周辺のコース、
或いは市内にある都立の『神代植物公園』のコースも良いが、
たまには変わったコースも認知症の予防には大切・・、
と学んできたので、思案したりした。

やがて京王沿線にある『百草園』を思い浮かべたりした・・。

確か私の生家の近くに我が家を新築したのは、
1978年(昭和53年)の春であり、
家内は周辺には未知の世界であったので、私たち夫婦は散策したりした。

こうした中で、確か秋の時節、落ち葉焚きを『百草園』で、
実施されていると知り、私たち夫婦は尋ねたりした。

この数年後、家内は中学生から習っている茶事の先生に引率されて、
 『百草園』で茶事をするの・・、
と私は家内から教えられたりした・・。

このようなささやかな思い出もあるので、
40数年ぶりに、京王『百草園』を訪ねてみよう、
決意したりした・・。


やがて9時過ぎ、私は家を出て、やがて京王線の『百草園』駅に、
降り立った。

そしてコースもすっかり忘れてしまい、
駅構内にある『百草園』のパンフレットを頼りに、
歩き出した・・。

交通のご案内・ウォーキングマップ|京王百草園 (keio-mogusaen.jp) 



まもなく『砂土地蔵尊』にめぐり逢い、
私の住む地域にはなかったので、一期一会かしら、と思いで撮ったりした。

やがて急坂を登るように歩いたりして、
このような道が10分続くの・・と思っていたら、
変わった看板表示を見て、微苦笑してしまった・・。



やがて正門より、入園して、こよなく文化を大切にする私は、
周辺を遊学した・・。









私は近寄っていくと、『よもぎ茶』の試飲を頂いたりした。


そして家内の土産として、『よもぎ茶』を買い求めたりした。

この後、周辺を遊学した・・。

 








やがて小高い道を登りきると、都心の郊外の一面が見えたりした。




やがて下り道を歩きながら、この時節の花を見ながら、
微笑んだりして、やがて帰路をめざしたりした・・。





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孤立死を避ける為、1人でも安心して暮らせる「見守りサービス」5つ、78歳の私は学び・・。

2023-02-05 15:33:13 | 喜寿の頃からの思い
先程、愛読している【日刊ゲンダイDIGITAL 】を見ている中、
『 孤立死を避ける準備は必要・・・
1人でも安心して暮らせる「見守りサービス」5つ 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、
残された方は、『おひとりさま』の生活が余儀なくされるので、
私たち夫婦は、残された方を心配して、
ときおり身の周りのこと、生活費などを含めて、
困苦しないように話し合ったりしている。




が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく臓器の膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月中旬、2泊3日で家内は検査入院した後、
5月中旬、摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の死を想定したりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりしてきた。



こうした中のひとつで、『おひとりさま』になってしまった時、
私が安心して暮らせる「見守りサービス」ことも、思案したりしている。

このような深情のある私は《・・「見守りサービス」5つ・・》、
真摯に学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、日刊ゲンダイDIGITAL の『ライフ』に於いて、
2022年2月5日号に配信され、


《・・ 南海、オリックス、ダイエーで活躍した門田博光さん(享年74)の死去に接し二度驚いたのは、
兵庫県内の自宅で亡くなっているところを身内ではなく、
病院からの連絡を受けた警察官に発見されたこと。

1人暮らしは、いざとなった時の緊急対応が、不十分なのがネック。
他の人たちは、どんな方法を取り入れているのか。



街中でバッタリ倒れるのは、まだマシ。

誰かが「119番」通報してくれるだろう。
一方、自宅にいる場合は、少々厄介なことになる。

65歳以上の1人暮らしの人で、

自宅で急性死や事故で亡くなった人の数は、
東京23区だけでも3936人(2019年)。

「後は野となれ山となれ」という人もいるだろうが、
1人暮らしならある程度の準備は必要。
発見がもう少し早ければ、助かった命もあったはずだ。

「あいさつや声かけ、日頃の近所付き合いを通して、

見守り活動を行っています」

こう話すのは、石川啄木が青春期を過ごした岩手県盛岡市の社会福祉協議会の担当者。

同市には1人暮らしのお年寄りを地域で見守る「シルバーメイト」というサポート制度がある。

「夜、家に明かりがついていなかったら、

『おばあちゃん、どうしているんだろう?』
とメイトさん(見守りボランティア)に気にかけてもらう。

市内32カ所にある地区福祉推進会が窓口になり、
昨年3月末時点で対象のシルバー785人に対し、
1050人ものメイトさんにご協力いただいております」
(盛岡市社会福祉協議会の担当者)

地域のみんなで、お年寄りを見守ろうという取り組みだ。

こうした見守りサービスには、大きく5つのタイプがある。


まずは盛岡市のシルバーメイトを代表とする「訪問型」、
宅配業者や新聞配達などと提携した「宅配型」、
異常を察知した場合に家族に通知する「電話・メール型」、
行動を遠隔地から把握する「センサー・カメラ型」、
そして高齢者自らも行動する「自発型」だ。



■朝に「黄色いハンカチ」を掲げる

自発型で有名なのは、福井県若狭町で行われている「黄色いハンカチ運動」だ。

朝、家の玄関先に黄色のハンカチを掲げ、
それを夕方に片づけることで、安否が周囲に伝わるという寸法。

12年前にはじまり、当時、大いに話題になったものだ。

「持田地区の老人クラブのメンバーを中心とした『見回り隊』が、

高齢独居者宅を回り、ハンカチの状態を見て、
安否確認するというシステムでした。

今でもハンカチ運動は続いていますが、
数年前に代表者が亡くなってしまい、
見回り隊は、民生委員にお願いしております」(若狭町社会福祉協議会)

ここにも高齢化や過疎化の波は、ひたひたと押し寄せているようだ。


団地でも、このハンカチと似たような事例があるが、
東京や神奈川、大阪のような近所付き合いの希薄な都会では、
成立しづらい。 

そこで活用を考えたいのが、民間企業が行っている見守りサービス。

独居高齢者の増加を背景に大手が続々と参入しており、
離れて暮らす家族が申し込むケースもある。
そのいくつかを紹介してみよう。



■郵便局員さんが訪問して茶飲み話

①「郵便局のみまもりサービス」(月額2500円)

郵便局社員が月に1回、自宅を訪問して30分ほど話し相手になる。


その際、「最近、よく眠れていますか?」、
「不審な業者からの電話や訪問がありましたか?」などの質問をしつつ、
認知症などの健康状態もチェック。

その様子を離れて暮らす家族などに報告してくれる。
緊急性には乏しいが、
「悩みの相談など話し相手になってくれて楽しい」(利用者)と好評だ。



②「東京ガス もしものたより」(月額990円)

自宅で頻繁に開け閉めするドアにセンサーを設置。


24時間開閉がないと、まず東京ガスから電話が行き、
応答がない場合は、家族などにメールでお知らせが届く仕組み。
料金も手ごろで安否確認の入門編としては便利だ。


③「東北電力 よりそう見守りでんきゅう」(月額638円)

電球の点灯、消灯の情報を離れた家族が、

スマートフォンで確認できるシステム。

点灯時刻の履歴を見ることもでき、異常時には通知をしてくれる機能もある。

「リビングや玄関、トイレなどにSIM内蔵のLED電球を取り付けます。

例えば、お風呂に電球を付けた場合、
点灯しっぱなしなら危険だというふうにご活用できると思います」(東北電力・お客さまセンター)

現在、よりそう見守りでんきゅうのサービスは、NTTリゾナントが担当。

仲のいい友人同士で電球を付け合うのもいい。



④「ソフトバンク・ワイモバイルのみまもりサービス」(月額528円) 

一定時間スマホの利用がなかった場合(時間は各自で設定)、

まずは自動で本人に電話。

電話に出ないと、見守る側にメールやアプリ通知がくるという仕組みとなる。


⑤「UR 見守りサービス」(月額990円)

UR賃貸に住む人が利用でき、室内に設置したセンサーが行動を確認する。

午前4時から11時までの7時間のうち、6・5時間動きがないと本人に電話。
出ないと、緊急連絡先(3人まで登録可)に電話連絡がくる。

⑥「毎日、電話する」(無料)

最後は最もおすすめな方法。

気の置けない友人らと毎日、連絡を取り合うのが最大の安否確認になる。
かけ放題プランなら、電話代のコストもかさまず、
何より楽しい会話で孤立することがない。



前出の盛岡市社会福祉協議会の担当者が最後にこう結ぶ。
「昔のように近所付き合いが盛んなら、

黙っていても周辺の住民たちが、1人暮らしの人を気遣ってくれます。

多く作り過ぎたカレーや煮物など、よく近所の人に配っていたものですよね」・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



亡くなっていつの日にか発見される孤立死は、
当人はもとより、親族、御近所の御方に御迷惑をお掛けすることであり、

今回、《・・1人でも安心して暮らせる「見守りサービス」5つ・
・》、
私は多々教示させられた・・。

私は住んでいる調布市でも、「見守りサービス」を学んできたし、
或いはヤクルトを毎朝配達する制度を安否確認に活用して、
思案したりしている。

いずれにしても、心身元気な状態で、
自身が最適だなぁ・・決定すれば良い、と真摯に思い馳せたりしている。



尚、家内は手術後、5月を迎えれば丸4年なるが、
幸運にも、現時点は転移が見られず、体調は万全でないが過ごしている。
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『立春』を迎え、78歳のつたない私でも、冬麗の美を友として・・。

2023-02-04 14:22:44 | 喜寿の頃からの思い
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、『立春』と明記され、
都心の郊外に住む年金生活の78歳の身であるが、私は微苦笑したりした・・。

もとより『立春』は冬と春の分かれる節目の日である『節分』の翌日で、
「寒さがあけて、春に入る日」いわば春の初日と称されている。




過ぎし1月6日に『小寒』は古来より、寒さの始まりの『寒の入り』と伝えられ、
この頃から寒さは厳しくなり、その後の1月20日には『大寒』を迎えて、
一年で最も寒い時期と伝えられている。

そして『小寒』から『大寒』までの15日間、
その後の『大寒』から2月4日の『立春(りっしゅん)』までの15日間の合計30日間を『寒の内』と
古人から長らく伝えられてきている。

『寒の内』と称せられる『小寒』、『大寒』そして『立春』までの時節は、
旧暦であるので、今の暦(こよみ)に於いては2月中旬頃から始まると思われるが、
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域でも、寒い時節となる。



      
こうした中で、南の風に運ばれて3月中旬のような暖かい日もあれば、
平年より寒い日もあり、この時節は三寒四温の時節、
と遥か千年前の頃から多くの人々から名言されている・・。

やがて女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は日本水仙、福寿草、椿(ツバキ)、或いは白梅に励まされながら、
冬麗の美を心の友と私は思いながら、年金生活の冬の季節を18年ばかり過ごしたりしてきた。

       

私は年金生活を始めた当初より、自主的に平素の買物専任者を宣言し、買物メール老ボーイの身であり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったりしてきた・・。

或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
歩くことが何よりの健康の源(みなもと)と思い、
殆ど利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

この後、帰宅した後も自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。



               

私は民間会社で35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めたので、年金生活は丸18年が過ぎ19年生の身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みで、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。
   
そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や73年となっている。
私の住む地域は、年末年始を通して、ここ10日は殆ど冬晴れが多い中、
今年は朝方に屋根が霜(しも)を見たり、小庭の黒土に霜柱も見ることなく過ごしてきた。


       

私は自宅の近くに流れる野川の両岸にある遊歩道、小公園、
そして歩いて45分ばかりの都立・神代植物園などを、その日の心情に応じて、歩き廻ったりしている。

昨今は冬のスポーツシャツにカーディガンに準じたフリースで、歩くことが多く、
北風が吹いた時だけは、更に防寒着のフィールド・ジャケットを着たりしてきた。

       
          
自宅の近くに流れる野川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。

       
          
そして遊歩道に隣接したマンションの数10棟の広い庭が、小公園として解放されている中を
歩いたりした。

       

私はこうした情景が好きで、毎週ように歩いて、季節のうつろいを享受している。


或いは帯状に小公園となり700メートル前後あり、
この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、
と定年退職後から深め過ごしてきた・・。

       

ときには公園を訪ねたりすると落葉樹の冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。

そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
          
私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、しばらく見つめたりすることが多い・・。


そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。


このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。
          
そして数年に一回ぐらい小雪が舞い降る時もあるが、5センチ前後である。
     
私の小学生の頃までは、毎年少なくとも3回ぐらい30センチ前後の雪が降ったりしてきたので、
何かしら愛惜感が増したりしているので、国内旅行は何かと東北地方、北海道に家内ほ誘い、
遊学することが多かったりした・・。。

やがて家内は、冬の時節は暖かい沖縄本島などの旅路を要望して、
積雪ある旅路がお別れとしている。

しかし旅行は、非日常であり、女の子が全国的に祝賀される3月3日の『桃の節句』まで、
何かと天上の気候の神々のきまぐれな采配に寄る三寒四温する中、
私は冬麗の美を心の友として歩いたりしている。

やがて2月下旬になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら10数輪ばかり咲き、
その後は澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)となる中で、
小庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らむ。



そして3月を迎えれば、予告もなく南の風が吹き、、
私は三寒四温の時節は、女の子が全国的に祝賀される『桃の節句』で終わりにしてょ、
と毎年心の中で願ったりしてきた。

その後、南の風が吹くたびに暖かさを増して、主庭の水仙、白梅は満開となり、やがて紅梅に咲き、
我が家の小庭は遅ればせながら水仙、白梅、紅梅が彩(いろど)られてるのが、毎年の習わしとなってきた。

                                                  

このように思い馳せたりして、冬晴れの陽射しの中で、ぼんやりと佇(たたず)んだりし、
果たして、この先の天上の気候の神々の采配は、どのようになるの、と私は青空を見上げたりしている。

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長い間、少子化対策を軽視してきた政治のツケが、高齢者に回ってくる、私は学び、やがて解決案・・。

2023-02-03 13:59:22 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 マネーポストWEB】を見ている中で、
『 岸田政権「異次元の少子化対策」で、
      高齢者に押し付けられる政治の失敗のツケ 』、
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住んでいる年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や19年目となっている。




恥ずかしながら私は、政治に関しても専門知識もなく、
国内外に山積している難題を学びながら、無力の私は憂いている。

たまたま今回《・・少子化対策を軽視してきた政治のツケが・・
高齢者に回ってくる・・》と感じられて、
私は記事を読んでしまった・・。

この記事は、『週刊ポスト』に2月10・17日に掲載された記事で、
関連の【 マネーポストWEB】に於いて、2月2日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。



《・・「未来への投資」と謳う「異次元の少子化対策」を掲げ、
岸田文雄・首相は“異次元の増税”に手をかけようとしている。

現在、国の少子化関連予算は、年約6兆1000億円。
倍増させるというなら、新たに6兆円ものカネが必要になる。

その財源として浮上しているのが、消費税増税と「子育て連帯基金」だ。

「子育て連帯基金」とは、年金、医療保険、介護保険という
「高齢3経費」の財源(保険料)の一部を使って、
児童手当の基金をつくる構想だ。

高齢者への老後の給付を減らして、
児童手当として配ろうというわかりやすい政策である。

そして消費税率が引き上げられれば、
最も生活が苦しくなるのは、年金生活者に他ならない。



☆高齢者にツケを回す

少子化対策の受益者は子育て世代、負担者は高齢者になるが、
高齢者世帯の家計には、そんな余裕はないのが現実だ。

年金支給額は、今年4月から1・9%引き上げられ、
夫が厚生年金、妻は国民年金の夫婦2人の年金モデル世帯では、
月額約4200円増えることになっている
(夫婦とも68歳以上の世帯)。

額面は増えるように見えるが、年金の増額幅が、
物価上昇より低く抑えられるため、実際の生活は苦しくなる。

保険料負担も増える。
75歳以上が加入する医療保険(後期高齢者医療制度)は、
昨年10月から年金など一定の収入がある人(対象者は約370万人)が、
病院や薬局で支払う窓口負担は、1割から2割へと2倍に引き上げられたばかりだが、
来年からは、さらに保険料の上限が現在の66万円から80万円へと段階的に引き上げられる。

この保険料値上げは、政府が今年4月のこども家庭庁発足に合わせた 
 目玉政策に打ち出した「出産育児一時金」の約10万円引き上げの財源にあてるためだ。

年金制度の仕組みは、若い世代が保険料を負担し、
高齢者が年金を受給する「世代間の仕送りの仕組み」とされてきたが、
現役世代の負担を減らすために、支給額がどんどん実質減額されている。

そのうえ、医療保険制度では、なしくずしに高齢世代の負担を増やし、
資金を子育て費用に回している。

そのうえ、前述の「子育て連帯基金」で高齢者の財源を、
さらに奪おうとしている。



経済ジャーナリストの荻原博子氏が語る。
「子育て連帯基金構想を見ても、
政府が高齢者のための財源を、少子化に回そうと考えているのは明らかです。

政府は『子ども支援』と言えば、
高齢者だってかわいい孫の姿を思い起こし、
『孫のためなら、負担は仕方ないな』と思うと考えているはずです。果たしてそうでしょうか。

この間、高齢者の年金は目減りし、社会保障費の負担は増える一方です。
年金が目減りする中で、少しでも収入を得るために
働く高齢者が増えており、生活に不安を募らせている。

とても『孫のためなら』と思えるような精神的な余裕はなくなっています。
そこに追い打ちをかけるように子育て支援を名目に増税までされるというのは、
もう恐怖心しか感じないでしょう」




日本の政治は、若者が選挙に行かないから、
若い世代向けの政策は「票にならない」と軽視され、
人口が多く、投票率も高い高齢世代向けの政策は、
「票になる」から力を入れるといわれた。それは事実だろう。

しかし、「選挙に勝てさえすればいい」と政治家が長い間、
少子化対策を軽視してきた結果、ついに少子化に歯止めがきかなくなった。

そうした政治の失敗を、岸田政権は、
今度は高齢者にツケ回ししようとしているのだ。

「安心して子どもを産み、育てられる社会を創る。
全ての世代、国民皆にかかわる、この課題に、
共に取り組んでいこうではありませんか」

岸田首相は、施政方針演説でそう語ったが、
安心して産み育てられる日本社会を壊した責任には、
ひとことも触れず、国民に謝罪もせず、自らの責任回避のために、
世代間対立を煽る政策にひた走っているのは首相自身ではないか。

少子化対策の責任を負わされ、
“恐怖の子育て増税”で負担を強いられようとしている高齢者は
もっと怒っていいのではないか。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、《・・長い間、少子化対策を軽視してきた政治のツケが・・
 高齢者に回ってくる・・》主旨の記事を読みながら、
無力な私は憂いを重ねたりした・・。

もとより難題を指摘するのは、園児でもできるが・・と私は困苦したりしたが、
具体的に解決できる策はないかしら、と少しボケた私でも、思案したりした・・。

やがて昨今学んできた『令和の埋蔵金30兆円』を思い馳せたりした・・。

【検証・令和の埋蔵金30兆円】財源となりうる「国債整理基金」の存在、小泉政権も活用した|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

岸田首相は、総力を挙げて、この財源を活用して、
国内の山積する難題に投じれば、
岸田首相は、日本の近代史に吉田首相の以上の偉業になるだろう、
と私は夢想したりしている。
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これって冬季うつ?  防ぐ方法は「日光浴・食事・遊び」、覇気のない私は学び、微苦笑して・・。

2023-02-02 15:53:20 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【NIKKEI  STYLE】を見ていたら、
『 これって冬季うつ?  防ぐ方法は「日光浴・食事・遊び」』、
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住む年金生活の満78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


私は、ここ数週間、覇気のない生活を過ごしているので、
何かと鈍感な私でも、うつ・・のようになるのかしら、
と少しばかり戸惑っている。

このような心情のある私は、今回の《・・これって冬季うつ? ・・》、
誘惑されるように記事を読んでしまった。

この記事は、ライターの大谷 新さんの寄稿文で、
NIKKEI プラス1』の2023年1月14日に掲載され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。



《・・寒い季節になると何事もおっくうになり、やる気がしない――。
多くの人は、こうした傾向があるものだが、
仕事や生活にまで影響が及ぶ場合は、要注意。

もしかしたら「冬季うつ」かもしれない。
これは単なる「気分」ではなく、
治療が必要なれっきとした「心身の不調」だ。

近年、季節の変化に起因する「季節性感情障害」の一種と
見なされるようになった冬季うつ。

一般的には、秋から冬にかけて症状が現れ、
春になって暖かくなると回復するというサイクルを毎年繰り返す。

では通常のうつ病とは、何が違うのか。
人形町メンタルクリニック(東京・中央)の勝久寿院長によると、
 「自然な季節変化のみに影響されていることが、最大のポイント。
年末年始の多忙さなどに伴う心理的ストレスによるうつ症状は
冬季うつではない」。




主な原因は、日照量不足による、
精神を安定させる脳内神経伝達物質セロトニンの分泌量の低下と、
体内時計の乱れだと考えられている。

症状の出方も、冬季うつは独特だ。
まず気分の落ち込みより、意欲の低下が目立つ。

食欲は、むしろ亢進(こうしん)し、
パンや麺類など炭水化物を無性に欲するようになる。

また、うつ病では、不眠が見られるが、
冬季うつでは、むしろ過眠傾向となり、
夜間十分に寝ていても、日中に眠気を催してしまう。


冬季うつには、幸い自分でできる対策や予防があり、
軽度であれば、回復が期待できる。

勝院長が勧めるのは「朝の散歩」だ。
日光を浴びることで、セロトニンの合成が促進される。
歩行など運動をすることで、体内時計の正常化も期待できる。

「セロトニンの合成には、目から光を取り込む必要がある。
散歩中は、できるだけ下を向かずに、顔を上げておくことが大切。
30~60分程度のウオーキングを日々の習慣にすれば効果が見込める」(勝院長)

一部の心療内科・精神科などでは、
特殊なライトを使用して、
太陽光に近い光を目から取り込ませる高照度光療法という選択肢もあるが、
健康保険の適用外となる。

強いうつ症状が続き、高照度光療法などの効果がない場合は、
SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などの抗うつ剤が処方され、
春になったら処方の中止や減薬を行う。



「規則正しい生活と栄養バランスの取れた食事。
これが何よりの冬季うつ対策」と話す勝院長。

食事では、セロトニンの合成に必要な必須アミノ酸「トリプトファン」が、
多く含まれている乳製品や大豆製品などを多く摂取することを勧める。

セロトニン合成には、魚に多く含まれるビタミンDも重要で、
こちらは日光を浴びることで、体内で合成できる。


寒い冬に「朝の散歩」を行おうと思っても、
なかなか実行に移せない人は多い。

健康行動全般に関わる心理・行動科学的研究に取り組む早稲田大学人間科学学術院の竹中晃二教授は、
「散歩ならば、履きやすい新しい靴を買って、
まず玄関から出てみることから始める。

また、家族や友人に応援してもらい、
一緒に散歩すると続けやすくなる」とアドバイスする。


また、冬季うつ対策として
「冬ならではのライフスタイルを楽しもうとする
『ポジティブ・メンタルヘルス』の強化」を勧める。

ただ対策しろと言われても、人はすぐに行動できない。
イベントや温泉旅行、ウインタースポーツなど、
冬ならではの楽しみを持つことで、寒い冬のネガティブなイメージを払拭できる。

勝院長もこうした認知行動療法的なアプローチを
冬季うつの患者に対して行っているという。

春になればほとんどが回復する「冬季うつ」だが、
ポジティブな気持ちで冬を迎えるようになれば、
症状の軽減や予防が期待できる。

もちろん、うつ症状で仕事や生活に支障が出る場合は、
躊躇(ちゅうちょ)なく専門医に相談しよう。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、私は初めて、《・・冬季うつ・・病状と対処・・》、
人形町メンタルクリニック(東京・中央)の勝久寿院長より、
懇切丁寧にを学び、
78歳の私は生まれて初めて学び、多々教示させられながら、
微苦笑してしまった・・。

過ぎし2020年2月より、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
マスクの苦手な私は、外出する時は、やむなく生まれて初めてマスクをしてきた・・。


そして新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民の責務と思いながら、独りぼっちで出来る限り人影の少ない道を
選定して歩いたりしてきた。




こうしたマスクの生活で、何かと閉塞感があり、
困惑した生活を余儀なくされてきた・・。

こうしたことが根底にあり、家内も体調が万全ではないので、
旅行にも行けない状態が続いているので、
何かと鈍感な私でも、冬季うつ・・ような覇気のない生活になってしまった、
と思われる。



もとより打破する方法は、過ぎし5年前に実行してきた沖縄のリゾートホテルに於いて、
一週間前後滞在して、周辺をのんびりと遊学するのが望ましい・・。

しかしながら、新コロナが終息してマスクなしでフロント、食事処、街中など、
気ままに解放感を実感したいので、
10月頃に吹き始める北風が、夏の暑さも和らぎ始めて、
涼しく過ごしやすい沖縄の秋が始まるミーニシの時節・・

夢想したりしている。
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老後健康のために始めてはいけないこと5つ、78歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2023-02-01 14:32:37 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】を見ている中、
『  老後健康のために始めてはいけないこと5つ
        昼寝、長時間のテレビほか【医師監修】』、
題された見出しを見たりした。


こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸18年を過ごしてきた。

そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


こうした中で、70歳の頃から体力の衰えを実感し、
ときおり物忘れもあり、独り微苦笑をしたりしている。

このような私でも、あと1年半少しで・・80歳の誕生日を迎える時に、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願している。



こうした深情のある私は、
今回の《・・老後健康のために・・始めてはいけないこと5つ・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、『女性セブン』2020年8月12日号に掲載された記事で、
関連の【 介護ポストセブン 】の『健康』の『予防法』に於いて、

2021年8月10日に配信されていた。

古い記事であるが、老後の健康は、時空を超える課題であるので、
無断であるが、記事を転載させて頂く。




《・・ 快適に老後を過ごすため、
よかれと思って、あれこれ工夫しているかもしれないが、
実は、その試行錯誤が老後の平穏を大きく狂わせる恐れがある。

老後を健康に生きるため、毎日の服薬が欠かせないという人もいるだろう。
ところが、これも考え直すべかもしれない。

専門医に取材し、老後に始めてはいけない「医療・健康」にまつわること、
上位5つをまとめた。



☆薬やサプリメントに頼りきりにならない

新潟大学名誉教授で医師の岡田正彦さんは、
「主治医の指示に従ってほしい」と前置きした上で、こう指摘する。

「海外で膨大な追跡調査が行われた結果、
重大な持病がなく、単に検査値が悪いだけの高齢者であれば、
血圧やコレステロール値を下げる薬は、のまなくていいと判明しています。

むしろ、血圧を下げすぎると、
失神して骨折などのけがをするリスクを高めます」

血圧が上がるのは、加齢とともに血管がしなやかさを失ってしまった分、
隅々まで血液を送ろうとして、体がわざと血圧を上げているからだ。

それを薬で下げていると、体の末端まで血が巡らない恐れが生じる。

「脳に血液が送られなくなると、認知症や脳梗塞のリスクが高くなる。
老後に血圧やコレステロール値が上がることは、自然な現象だと考え、
気にしすぎない方がいい」(岡田さん・以下同)



テレビCMのうたい文句につられて、
サプリメントに興味を持っている人も多いだろう。
だが、こちらも気軽に摂るのは禁物だ。

「特にカルシウム含有をうたうサプリは、要注意。
骨を丈夫にしたくてのむ人が多いと思いますが、
カルシウムのサプリを摂っても、骨折予防にならないという研究結果も出ている。

それどころか、カルシウムが腎臓や心臓、関節にたまり、
かえって健康を害します」

また「アンチエイジングに効果が期待できる」と、
ビタミンBやEを含むサプリも多く売られている。
ところが、カルシウム以上にリスクがある。

「ビタミンB、Eは、
抗酸化作用が非常に強いことが知られている抗酸化物質です。

老化の原因とされる活性酸素などを消去する力があるのですが、
海外の調査では過剰に摂取すると、
がんを発症することが明らかになっています」


サプリは、あくまで「食品」である。
適度な摂取なら問題ないが、代謝の落ちる年齢になってから
大量に摂ることは体の負担となりかねない。

「若いときは、脳をリフレッシュさせるために有効だった『昼寝』も、
老後の生活では、不眠のリスクにつながる。

のんびりできる時間が増えたからこそ、
アクティブに過ごすことが健康への近道です」
薬に頼るより、まず運動だ。

老後の「医療・健康」にまつわる注意点、
上位5つを岡田さん監修のもとランキングにまとめた。




【1】血圧・コレステロールの薬

加齢により血圧やコレステロールの値が上がるのは、自然現象。
服薬で血圧が下がりすぎると、脳へ血液が充分に送れず、
認知症や脳梗塞のリスクが高くなる。

世界的には、ほかに重大な病気がなく、
この2つの数値のどちらかが悪いだけの場合、服薬の必要はないとされる。


【2】サプリメント

特定の成分だけが、異常な高濃度で体に入ってくるため、
体に負担となる危険がある。

たとえばカルシウムのサプリは、骨には使われず、
腎臓や心臓、関節にたまり病気につながる恐れがある。

ビタミンB12やEの過剰摂取も、
がんの原因になると海外の調査でわかっている。



【3】痛み止めの服用

高齢になると、痛み止めを服用しても、
若いときのように短時間で痛みが緩和しないため、長期連用しやすい。

痛み止めの成分であるロキソプロフェンは胃潰瘍、アセトアミノフェンは
腎臓と肝臓を悪くし、病気のリスクを高める恐れがあるので、
のみすぎに注意したい。


【4】テレビを長時間見る

海外の生活習慣追跡調査で、
「テレビを見ている時間が長い人ほど、寿命が短くなる」
という報告がある。

体を動かす時間が短いため、
老化の原因となる活性酸素がたまることが原因と考えられる。



【5】昼寝

昼寝をすること、で寿命が延びるという根拠はない。

また、高齢になってからの昼寝は、
若いときのように数分で起きられないことが多く、
深い眠りに落ちやすい。

それにより夜中になっても、寝つくことができず、
睡眠剤を服用する高齢者は多い。



その他、「がんの手術・検診」「ダイエット」など。
高齢になってから見つかったがんは、
手術する方が体の負担となる可能性が高い。

また、骨や血管がもろくなっている高齢者が、
ダイエットによってたんぱく質不足を起こすと、
脳梗塞や骨折が起こりやすくなってしまう。


☆教えてくれた人
新潟大学名誉教授・医師・岡田正彦さん ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、新潟大学名誉教授・医師・岡田正彦さんより、
《・・老後健康のために・・始めてはいけないこと5つ・・》を学び、
78歳の私は遅ればせながら学び、多々教示させられながら、
微笑んでしまった。

体力の衰えた私に、余りにも最適なアドバイスであり、
何かと小心者の私は、既に実行している要素であるので、
そうですよねぇ・・と微笑み返しをしてしまった。

あえて少し差異があるとすれば、
《・・【5】昼寝・・》、に関してある。

私は午後のひととき、読書をする為、
電気毛布で暖めたベットにもぐり、本を読んだりする時がある。

こうした中で、一時間前後、寝てしまうことがあり、
この世で一番贅沢な時を過ごした・・と目覚めた時は、
微苦笑したりしている・・。



私は、

コメント (2)
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