夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

脳梗塞の予防にも効果 安くて栄養豊富なサバ缶、私は愛食して12年・・。

2023-06-15 11:48:57 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、食事に関しては、私は牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などの肉類が大好きで、
その日の夕食に応じて、愛食している。

魚類に関しては、50代の頃までは、ときおりイワシ、アジなどの青魚を食べたりしてきたが、
定年退職後の年金生活を始めた頃、私は幼年期に農家の児として育った為か、魚特有の生臭さを敬遠し、
せめて外食の時には、焼き魚を食べたりしてきた。

或いは近所のお寿司屋さんより、一カ月に一度ぐらい配達してもらい、
私は家内と共に食べたりしてきた。

こうした中、私は友人と居酒屋で談笑する中、
青魚を食べないと、何かしら身体によくない、と私は教えられたりした。


        
過ぎし12年前の頃、家内が日頃愛用しているある味噌メーカーに味噌を通販で注文し、
やがて予定通り配達された中に、ひとつのサバ缶が添付されていた。
ご賞味頂ければ・・と添え書きが明記されていた。

そして私は、このサバ缶を食べた瞬間、サバ特有の匂いが、味噌煮に消されて、
何かと味噌味が大好きな私は、この味噌メーカーのサバ缶に魅了されて、
これ以来、一缶開けて私の朝食の友のひとりとなっていた。

この後、少し中断した後、6年前の頃より、
最寄りのスーパーで
サバ缶の味噌煮を買い求めて、週に4日前後、愛食している



このように愛食して12年が過ぎている根底には、
この間の
2018年5月30日に配信された【NIKKEI STYLE】に於いて、
『 脳梗塞の予防にも効果 安くて栄養豊富なサバ缶 』のフレーズに誘惑させられて、
記事を読んで、やはりねぇ・・と微笑んだりした・・。          

記事の前半部分を無断ながら転載させて頂く。

《・・サバ缶の人気が高まっています。
安さに加えて、昨年秋ごろからテレビ番組で取り上げられることが増え、
高い栄養価も広く知られるようになったのが、人気の背景。
下処理がいらず、手軽に使えて和風でも洋風でも楽しめます。
(略)

「青魚の王様」といわれるほど、栄養豊富なサバ。



管理栄養士の藤橋ひとみさんは
「サバには、良質な脂質が豊富に含まれており、
話題のオメガ3の一種であるEPA(エイコサペンタエン酸)や
DHA(ドコサヘキサエン酸)を効率よく取ることができます」と説明します。


EPA(エイコサペンタエン酸)は、血中のコレステロールや中性脂肪を減らして
血液をサラサラにしてくれる働きがあり、脳梗塞や心筋梗塞の予防をサポートするといわれています。

また、DHA(ドコサヘキサエン酸)は、
脳や神経の機能を助け、脳を活性化する働きがあることがわかっているそうです。



「サバは劣化が速く、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)は、
酸化しやすい性質があるので、新鮮なうちに調理をすることが大切。

サバ缶は、近年の加工技術の発達により、新鮮なまま調理加工がされているため、
実は生のサバよりも、栄養価が高い傾向にあります。
下処理の手間もかからず、とても便利に使えます」と藤橋ひとみさん。


サバに含まれる栄養は、EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)以外にも、
カルシウムの吸収を助けるビタミンDや、貧血予防・改善に役立つビタミンB12などいろいろあります。

ただしサバに限らず、なんでも食べすぎは逆効果。
サバ缶の場合、食べすぎるとカロリーや塩分の取りすぎになってしまうので、
ひとり1日1缶までを目安に取るとよいそうです。(略)・・》


注)記事の原文をあえて改行を多くした。

             

私は記事を読み終わった後、サバ缶の効力・・三か条を学んだ。

第一条《・・血中のコレステロールや中性脂肪を減らして、血液をサラサラにしてくれる働きがあり、
    脳梗塞や心筋梗塞の予防をサポートする・・》

第二条《・・脳や神経の機能を助け、脳を活性化する働きがある・・》

第三条《・・カルシウムの吸収を助けるビタミンDや、貧血予防・改善に役立つビタミンB12などある・・》

             

私は確か10年前の頃に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。
それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。
          
そして『急性心筋梗塞』の場合は、
《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、
“熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”と口にしていた。
・・手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》

このようなことを学び、何かと気弱な私は、動顛しながら勘弁してほしい、と思ったりしてきた。



ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の74歳が、
いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。
                                 
こうした中、私は殆ど毎日、我が家の3キロ範囲にある遊歩道、公園などを散策し、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、やがて信愛を重ねて過ごしている。

今回、改めてサバ缶の効力を再認識し、愛食している私は微笑んだりした。



そして今後も愛食して、
第一目標として、今年の9月の誕生日に79歳、その後は何とか80歳を迎えたいなぁ・・
と思い深めたりしている。

私の念願として、80歳の誕生日を
心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命で迎えられますように、
と時折祈願する時もある。

こうしたことは、もとより自助努力も欠かせないが、
こればかりは仏様か神様が采配することだよねぇ・・、
と何かとプラス思考の私でも思ったりしている。

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骨折で寝たきりにならない栄養・運動・睡眠のコツ、遅ればせながら学び・・。

2023-06-14 16:25:19 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイヘルスケア 】を見ている中で、
『骨折で寝たきりにならない栄養・運動・睡眠のコツ』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、
「骨を強くするには、骨の材料となる『カルシウム』や『タンパク質』の摂取はもちろん、
カルシウムの吸収を高める『ビタミンD』、
また『亜鉛』や『マグネシウム』などのミネラル分も必要です。

それらの栄養素が十分な状態で、運動や体を動かすことで
骨に負荷をかけて刺激することにより、新しくて強い骨を作ることができるのです」


偏食の人は、サプリメントで栄養素を取ればいいと思いがちだが、それは間違い。
一般的にサプリメントは、食品と一緒に摂取しないと、
ほとんど吸収されないので、できるだけ食品から栄養素を取った方がいいという。


 

ビタミンDは、サケやサンマ、カツオ、イワシ、メザシなどの魚類、
キクラゲやシイタケなどのキノコ類に多く含まれるが、
日光を浴びることでも、体内で作られる。

紫外線が当たると、皮下脂肪にあるコレステロールがビタミンDに変化するのだ。


日光浴は、夏なら木陰で30分ほど、冬は日なたで1時間程度当たるのがいい。
日焼け止めクリームを塗ると、紫外線を吸収しないので、
少なくとも手には、日焼け止めを塗らないようにする。

屋内でガラス越しに日光浴しても、紫外線を十分に吸収できない。
窓を開けるか、屋外に出て日光を浴びるようにしよう。



運動はどのようなメカニズムで骨を強くするのか。

「骨には、重力を感知するセンサーがあり、
感知した骨細胞が新しい骨を作る指令を出し、カルシウムを呼び寄せます。

その指令により破骨細胞が古い骨を壊し、
新しい骨を作る骨芽細胞が、活性化してカルシウム沈着が促進され、
骨密度(骨量)が上昇します。

ですから宇宙飛行士が無重力の宇宙にいると、
地球上にいるときの10倍の速さで、骨密度が減るといわれます」

骨を強くする運動は、「骨に刺激を与える運動」で週3回、
1回30分くらいの頻度でやるといい。

具体的には「ウオーキング」、階段や踏み台を使った「昇降運動」など。
きつければ、休みながらでもいい。
健康な人なら縄跳びなどの「ジャンプ」、「四股踏み」なども効果的だ。



■「いつの間にか骨折」を疑うべき3項目

膝痛があるようなら、爪先立ちになり、そのままストンとかかとを床に着ける「かかと落とし」を
1日50回くらいやるのであれば、膝への負担も少なくてできる。

自転車こぎや水泳などは、体にはいい運動だが、重力が骨にかからないので、
骨を強くする運動とはいえないという。


次に重要なのは「規則正しい生活」だ。
骨を強くするには「睡眠」が大きく関係しているからだ。


「睡眠中に分泌される『成長ホルモン』は、
骨に働きかけて、骨を強く成長させる作用があります。

このホルモンは、入眠後3時間までの深い睡眠時(ノンレム睡眠)に多く分泌されるので、
少なくても4時間以上の睡眠が必要になります。

また、目覚めてから14~16時間後に分泌が始まる、
睡眠ホルモンと呼ばれる『メラトニン』は、
骨芽細胞を活性化して破骨細胞の働きを抑える作用があります。
そのため、決まった時間に睡眠を取ることが大切なのです」・・
それらの栄養素が十分な状態で、運動や体を動かすことで
骨に負荷をかけて刺激することにより、新しくて強い骨を作ることができる

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78歳の私、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、疲れ果てて・・。

2023-06-13 15:52:29 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、私たち夫婦は3週間に一度ぐらい最寄り駅の付近で買物して、

私は家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらいしている。

或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物をしてきた。




こうした中、昨夜、明日デパートに買い物に行きましょう、
と私は家内から誘惑されたりした。

何かしら私の夏のスポーツシャツが古びたので、
たとえ年金生活の我が家でも妻としての私が恥ずかしいわ・・、
と私は言われてしまった。

そして家内は、ここ4年・・夏めいた婦人靴を購入してこなかったので、
外出として買い求めたい・・、
このような家内の趣旨であったりした。

本日、9時半過ぎに我が家を出て、新宿の京王デパートに着いたのは、
10時15分であり、紳士売場で私の夏用のスポーツシャツを選定したりした。

そして家内が推薦したのは、やはりジョセフ・アブードのデザインであり、
まもなく3枚買い求めたりした。

この後、婦人靴の売場に移動して、
家内が長年愛用しているヨシノヤの夏めいた靴を選定したりした。

何かしら私の亡き母も、ヨシノヤの靴は履きよさで、
長年愛用してきたので、たまたま家内も同じであったので、
私たちの結婚当初は私は微苦笑したりした・・。



やがて家内は、お気に入りの靴がないので、
伊勢丹のテパートにあるヨシノヤの売場に行こう、
と私は積極果敢に家内を進めたりした・・。

そして新宿の西口近くの京王デパートから
新宿3丁目にある伊勢丹に向かって、人出の多い中を歩いたりした。

やがて伊勢丹のヨシノヤの売場に行ったりして、
家内なりに選定したが、夏めいた靴は好評で、ただいま売り切れとなった・・、
と私は落胆した家内から聞いたりした。

家内としては、久々に新宿まで買い物に来たのに・・、
とボヤいたりした後、確か高島屋にヨシノヤがあった・・、
と思い浮かべるように私に言ったりした。

やがて私たち夫婦は、高島屋のデパートは南口の近くにあるので、
熱さが増し、人出の多い中、3丁目より10分近く歩いて、
高島屋に着いたりした。

しかしながら高島屋にあるヨシノヤは、移転してしまった、
と家内は高島屋の御方より教えられて、私たち夫婦は苦笑しながら、
本日は婦人靴を買い求めるのは断念したりした・・。



このような事態に、私たち夫婦はお互いに疲れを感じ、
喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ後、我が家に向かった。

やがて最寄り駅の近くのスーパーで、昼食代わりのお弁当を買い求めて、
我が家に帰還したりした。

そしてガラス戸を開けて、着替えた後、
私たち夫婦は遅い昼食を食べ始めたのは、午後2時半過ぎであった。

こうした中、久々の新宿の人出の多い中、疲れたょ・・、
と私は家内に言ったりし、家内も苦笑したりした。

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老ボーイの私、外出の時の秘かなお守りは、変わり果てて苦笑し・・。

2023-06-12 15:33:25 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に、ある民間会社に35年近く奮戦して定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、
私より5歳若い家内と共に、ささやかに過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、我が家の平素の買い物は、自主的に私が担当し、
家内から依頼された品を求めて、
独りで最寄りのスーパー、
或いは最寄駅のスーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイとなにっている。

この後も、独りで自宅の周辺3キロ範囲の住宅街の道、遊歩道、公園を歩き廻ったりしている。


          

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めた当初より、
原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりしている。
              
そして冠婚葬祭、都心に買物、旅行、知人・友人と懇親会などがない限り、
季節のうつろう情景に享受しながら、齢を重ねた私は歩くことは健康の第一歩、
と確信を深めながら歩いたりしてきた。
          


こうした時の私の容姿は、今の季節では、
ストレッチパンズの長ズボン、半袖のスポーツシャツかアロハシャツとなり、

夏の帽子を被り、足元はウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのショルダー式バックを園児のように斜め掛けをしている。

そして時折デジカメを首回りからネクタイのように下げて、颯爽と歩くことが多くなっている。

こうした中で、情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
          
そしてショルダー式バックの中身は、扇子、ハンドタオル、ハンカチ、財布などと、
なっている。


財布には平素としてスーパー、専門店のポイント貯められるカードが4枚、
現金は一万円札は数枚、千円札と百円玉である。

そして皮の定期入れには、JR東日本の交通カードの『Suica』、
最近加入した東京都の『シルバーパス』となっている。



こうした中で、数年前までは、『住基カード』を持ち歩いていた。

『住基カード』と略称されている『住民基本台帳カード』を、
長らく身分証明証として愛用してきた。

もとより住基カードは、氏名、生年月日、住所が記載され、
ほぼ住民票と同じような内容がICカードとなり、
恥ずかしながら写真も明示されている。



                
写真入りの身分証明書としては、自動車の運転免許証があったが、

私は長きの期間のペーパー・ドライバーだった・・。

結婚する30歳の前は生家に住んでいた期間は、生家の自動車を利用して、
若気の勢いで、盛んにドライブし、軽井沢、蓼科、箱根、伊豆半島などの各地に行ったりした・・。

そして結婚して3年目に生家の近くに一軒家を建てた後、住宅ローンの返済で、
とても自動車を購入できる余裕はなかった。

やがて40代を過ぎても会社の業務が多忙で、家内とのんびりドライブすることなどは、
夢のひとつでもあったりした。

こうした思いが根底に秘めていたので、定年後には自動車を買い求めて、
家内と共に国内旅行を自在に、ドライブ旅行をしょうと思ったりしていた。

そして2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
無念ながら齢を重ね、判断力も鈍り、今頃から再び自動車を運転して、
人身事故でも起こした場合、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われた。

その上に何かと小心者の私は、慙愧に苦しみ、心身痛みを生じ、たとえ金銭上の賠償責任を終えても、
交通刑務所に服役の場合も考えられ、私の残された人生が大幅に狂うと妄想を重ねた結果、
やがて免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であった。
                           
                 

しかしながら私は、普通運転免許証の更新を中止した時、何かしらの身分証明証が欲しかった。


私は現役サラリーマン時代には、会社の旅行として台湾、或いはハワイに行ったりし、

もとよりパスポートは所有して遊学していた。

そして私は幾たびか家内に海外旅行を誘っても、
家内は何かと苦手意識があり、国内旅行の方は気楽だわ、と結論に達して、
やがて私のパスポートは期限切れとなったりし、これといった身分証明書がなくなってしまった。


もとより年金生活の私たちは、お互いに『国民健康被保険者証』は所有しているが、
写真入りの証明証でなく、万一、『国民健康被保険者証』を落とした場合は、悪用される確率が高くなる。

私が現役サラリーマン時代の頃は、外資系の会社であったので、定年の10年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。

このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
私は即急に申請して、その後の私は『住基カード』を持ち歩いたりしていた・・。




やがて日本政府は、『マイナンバーカード』を普及させたい為か、
『住基カード』を廃止してしまった・・。

やがて昨年の秋、『マイナンバーカード』に加入すれば、
夫婦でマイナポイント4万円頂ただけると知り、
誘惑に負けて、『マイナンバーカード』に加入したりした。

しかしながら『マイナンバーカード』は、落とした場合は、悪用される確率が高くなるので、
やむなく大切に貸金庫に保存している。



こうした関係で、私の外出の時の秘かなお守りは、『住基カード』であったが、
困り果ててて、やむなく財布の中に、ふたつのカードを入れて、代用している・・。

ひとつのカードは、日本尊厳死協会が発行する私の『会員証』であり、
万一、外出時に救急車で病院に運ばれても、過剰な延命処置を避ける為てあり、
そしてメモ用紙も入れて、親族関連の連絡先が明記している。

しかしながら写真入りの証明書がないので、
代用として都立の『神代植物公園』の年間パスポートを、
財布に入れている。

氏名、性別、年齢、有効期限、そして写真が明示されているので、
外出の時の写真入りの証明書・・と微苦笑したりしている。

このように私の外出の時の秘かなお守りは、変わり果てて、苦笑したりしている。


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改めて私のブログの投稿文は平素の外出着、コメントは心の普段着、と思い深めて・・。

2023-06-11 13:05:41 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。




過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。 
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

何かしらブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。





そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入し、
早や丸18年が過ぎて、19年生となっている。

しかしながら、この後、2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入したりした。

そして、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。

このような軌跡で、ブログの世界を知って、結果としては、
パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。



こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、深情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。





こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは10年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったりして、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは19年生となっている。



                       
このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、
少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。

しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、家内より多くの御方に恥ずかしくないように、
叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。

そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。




コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、
微笑んだり、苦笑したりする時もある。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。

或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。




そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。

こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。



ここ9年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くの御方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない数多くの御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
コメント (4)
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ときには10年前の我が身を振り返れば、独り微苦笑を重ねて・・。

2023-06-10 15:02:35 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
ときおり、ぼんやりと過ぎし年は・・どうしていたのだろうか、
我が身を振り返る時がある・・。

こうした時、私はブログの世界を知って丸18年が過ぎて、
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、
日に少なくとも一通は投稿してきたので、読み返すことがある。
                       
               
こうした私の根底には、生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどが
心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、
ブログの投稿文を綴ったりしている。


                                                 
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

このような信条のある私は、10年前の投稿文を読み返して、
独り微苦笑したりした・・。

たとえば2013年6月13日は、
『 ときには高齢者の私でも、遅寝、早起き、そして昼寝して、元気な児となり・・!?』、
と題して投稿していた。

今回、あえて再掲載をさせて頂く。  

     



《・・私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は自主的に平素の買物担当となり、毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策してしている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしている。

こうした中で、買物、散策の時などで、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、あふれる思いを
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。

                    

こうした年金生活をしているが、朝は6時前後に起床し、夜は11時前後に寝付くことが多い。

しかしながら、過ぎし4月初旬にNHKのBS1に於いて、
世界のドキュメンタリー『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を視聴した・・。

NHKの解説に寄れば、
《アメリカの映画監督オリバー・ストーン氏が、脚本を歴史学者のピーター・カズニック氏と組んで、
制作したドキュメンタリー・シリーズ》
何かしら10回に及び放送される、と私は4月8日の月曜日の午前中のひとときに知り、
この日から体力の衰えた高齢者の私でも、逐次放送されるたびに、
貴重な作品と感じ、同時にブルーディスク・レコーダーにセットして、録画しながら視聴してきた・・。

確かに優れた作品で圧倒的に魅了されているが、放送時間は深夜の12時から50分の放送時間である。
たとえば、前回の時は、
5月6日(月)深夜(火曜0:00~0:50)「第5回 アイゼンハワーと核兵器」
5月7日(火)深夜(水曜0:00~0:50)「第6回 J.F.ケネディ ~全面核戦争の瀬戸際」
5月8日(水)深夜(木曜0:00~0:50)「第7回 ベトナム戦争 ~運命の暗転 」
そして今週に、
6月12日(水)深夜(木曜0:00~0:50)「第8回 レーガンとゴルバチョフ」
6月13日(木)深夜(金曜0:00~0:50)「第9回 “唯一の超大国”アメリカ」
6月14日(金)深夜(土曜0:00~0:50)「第10回 テロの時代 ブッシュからオバマへ」


こうした時の私は、作品を鑑賞した後、感動の余韻もあり深夜の2時過ぎに寝付き、
朝は平常通り朝の6時に起床して、やがて午後2時過ぎに眠くなり、
寝室の布団の中で、本を読みながら、その後は昼寝をしたりした。

この作品の原作のオリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1』
(早川書房)の日本訳を4月初旬に読み、
その後、続編の『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 2』(早川書房)が5月1日刊行と知り、
買い求めて、読み耽(ふけ)ったりした。

              

この後、最終巻の『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 3』(早川書房)が6月1日刊行と知り、

私は6月2日から購読してきた・・。

私は場合は原作の本を読んでから、テレビのドキュメンタリー作品を視聴してきたが、
単細胞の私は、この間にアメリカの近代史に関連する関係の本を3冊ばかり再読してきたので、
ここ4月初旬以来、物狂いのようにアメリカ近代史に熱中してきた。

          

そして逐次テレビで放送される日には、

高齢者の私でも、遅寝、早起き、そして昼寝して、元気な児かしら、と微苦笑している。・・》



このような自身の10年前の投稿文を読み返し、あの頃は元気だったよなぁ、
と我ながら教えられたりした・・。

あの頃は、きままに関心のあることに過ごしながら、
タバコを喫ったり、お酒もほぼ毎夜、ビールか日本酒を愛飲して、
そして疲れを感じたら、人生は気合だ、と自身を叱咤激励していた・・。

もとより
60代だった為か、現役サラリーマン時代の余韻があり、
体力があって当たり前だよなぁ・・と苦笑したりした。

そして誰しも10年過ぎれば、この間に多彩な体験を積み重ねてきたので、
私もささやかながら良き思いでづくりが出来たよなぁ・・と思い深めたりした。



この先も、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまって、
ボケないで過ごせれば良い・・このようなことを念願したりしている。

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住宅の一部をリフォームすれば、予期せぬ補助金を頂き、微笑み・・。

2023-06-09 14:00:12 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、本日の午前中、遅ればせながら5月度の家計簿、
過ぎし昨年の5月、築後44年が過ぎて、老朽化なった浴室、洗面所、トイレを、
リフォームしょうと私たち夫婦は話し合ったりした・・。


もとより私たち夫婦は高齢で、いつの日にかあの世に旅立つ、
その前に介護施設になった場合、いずれ今の家に住めなくなるので、
最小限のリフォームをして、程々快適に過ごしたい、主旨であった。

このような思いで、リフォーム会社をネットで調べて、
やがて3社より見積りの概要を頂き、そして2社に絞り、
我が家に来宅を願い、リフォームの処を総合確認したりした。

結果的には、TOTO社の浴室、洗面所、トイレを中核に、
パロマ社のガス給湯器、そして床、壁、天井など実施する事にした・・。

まもなく私たち夫婦は、リフォーム会社を選定して、
7月下旬より8月上旬まで、多岐な業者に来宅して頂き、
大幅に改善して頂いた。

やがて8月12日に完了したが、
この間、35度前後の猛暑日が多く、多岐な業者の御方には、
御気の毒と思い、ささやかな寸志を家内は手渡したりしていた。

或いは、この間はお風呂が入れない日があり、
私たち夫婦は、近くにあるクアハウスに3回ばかり通ったりした。

こうした中、私の妹の夫が亡くなり、コロナ禍の中、慌ただしく葬儀が施行され、
参列してきた。



新しくなった浴室、洗面所、トイレに、私たち夫婦はそれぞれ利用してきたが、
私は困惑することがあったりした・・。

浴室、洗面所は、私たち夫婦は旅先のリゾートホテル、シティホテルを幾度に体験してきたので、
違和感はなく、やっと我が家も世間並みになった・・と私は思ったりしたが、
トイレだけは戸惑ったりした。



トイレの蓋(ふた)は、トイレの入り口に立つと、
自動的に蓋(ふた)が開いたりした・・。
そして使用後は、蓋(ふた)が閉じる・・。

こうしたことに、過剰サービスだょ・・微苦笑したりした。


もとより指示パネルには、『便ふた開閉』、『便座開閉』、
『eco小』、『流す小』、『流す大』、
それぞれの指示の単機能を使えば、充分だょ、と私は苦笑したりした。




そしてパネルの指示板には、もとより女性用の『ビデ』もあるが、
『おしり洗浄』、『やわらか洗浄』、『温風乾燥』、
そして『位置』、『水勢』の調整が付いていた。

私は家内から、トイレット・ペーパーを使うのは結構ですが、
いつの日にお尻に手が廻らくなることがあるので、
『おしり洗浄』の機能など・・いまから練習するのも大切ょ・・、
と家内より私は教えられて、これ以来実施したりしてきた。



こうした中で、リフォームは8月12日に完了したが、
担当責任者より、もしかしますと
一定の省エネ性能を有する一定の要件を満たすリフォームを行う場合、
申請することによって、所定の補助金額が交付されます、
と私たち夫婦は言われたりした・・。

そして
申請し、認可されるまで時間を要する、と私たち夫婦は聞いたりしていたが、
やがて今年の2月に、88000円が振り込まれた。

リフォームの総額は確か200万円前後であったが、
予期せぬ補助金を頂き、私たち夫婦は微笑えんでしまった・・。

こうした制度は、子育て世代の住居費負担の支援強化や
住宅分野の脱炭素化の強力な推進を目的とする「こどもみらい住宅支援事業」に伴い、
予期せぬ補助金を頂だいたりした・・。
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府中市『郷土の森』の『あじさいまつり』、初めて私は鑑賞して・・。

2023-06-08 15:16:21 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
隣接の府中市にある『郷土の森博物館』は、昨年の3月31日に初めて訪れ、
これ以来、四季折々のたびに訪れてきたが、このアジサイが咲く時節は、なかった。

過ぎし4日前、知人から、『あじさいまつり』、一度は訪ねてみたら・・、
と私は教えられて、本日、午前のひととき訪ねた・・。



こうした大きな掲示板を私は見たりした・・。

やがて大きな通りを歩きだした・・。



この後、それぞれ場所に多彩な『あじさい』が、
百花繚乱のように彩(いろど)っていた・・。















このような多彩な『あじさい』を見たりした後、
私は幼年期に農家の児として育った為か、いつものように水車小屋を訪ねたりした・・。








この後、周辺を散策して、やがて『郷土の森博物館』を辞したりした・・。






尚、『郷土の森』の『あじさいまつり』、初めて私は鑑賞したが、
平日であったが、何かしら好評の為か人出が多く、
シニア世代の御方が大半で、こうした中で、女性グループの方達と、
私は数分、立ち話しであるが歓談をしたりし、悦びのひとときを過ごせた・・。
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夏椿、78歳の私は、この時節に咲く花で好きな花のひとつ・・。

2023-06-07 14:10:02 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、
確か3年前の6月中旬、我が家の近くの住宅街を歩いたら、
夏椿にめぐり逢えて、この御宅の奥様に了解を得て、撮ったりした・・。


          

本日、たまたま我が家の近くに野川が流れているが、
この周辺を散策していたら、
夏椿にめぐり逢えて、私は微笑んで、
見惚(みと)れたりした・・。



私は20代の頃、すっきりした白色の花びらの縁(ふち)には、
こまかいギザギザあり、花の形が椿によく似ていて、夏に開花することから「夏椿」と呼ばれ、
私の生家の近くにある寺院でも、
「沙羅双樹(さらそうじゅ)」と呼ばれてきた。

何かと単細胞の私は、高校時代に習った『平家物語』に於いて、
《・・
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。
・・》、
思いを重ねてきた・・。


もとより夏椿は、朝に咲き、夕方には散り、
私は梅雨の時節に彩ってくれる情景に、こよなく魅了されてきた・・。




そして私は、ぼんやりと雨上がりの夏椿の雨露でぬれた地表を眺めた時、
つたない人生航路を歩んだ私でも、浄土のような世界・・と思い馳せたりした・・。

私は農家の三男坊として、1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
仏教としては、日本で多くの曹洞宗であったりした。

こうした中、春分の日、お盆、秋分の日などで、
僧侶が来宅して、お経の後、歓談したりした。

こうした中で、浄土のことも話をされて、
一切の煩悩や汚れを離れ、仏や菩薩が住まわれる清浄な地・・、

確かこのようなことを心の片隅に残っている。



このような情景を見たりすると、浄土のような世界だ、と私は思い馳せたりした。

つたない人生航路を歩んだ私としては、もとより人生修業も未完成であり、
夢幻のひととき・・と感じた後、空をゆっくりと見上げたりした・・。

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ドコモ光、ありがとうプレゼント、時代遅れの私は、能力のなさが露呈し・・。

2023-06-06 16:49:52 | 喜寿の頃からの思い

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とりとめなく初夏のような陽気の中、都立の公園を散策すれば・・。

2023-06-05 14:00:53 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
昨日の4日は、前日の雨降る一日より変貌して、
初夏のような快晴の朝を迎え、本日の散策コースを
ぼんやりと思案したりした・・。

そして初夏のような陽気の中、やはり季節のうつろいが実感できる、
近くの都立の『植物多様性センター』、そして『神代植物公園』を
散策しょうと思い、まもなく家を出たりした。


いつものように最寄り駅のひとつの京王線の『つつじが丘』の駅前より、
路線バスで調布市の『総合体育館前』で下車した後、

体育館前のゆったりとした広場を通り過ぎたりした。




そして隣接の都立の『植物多様性センター』を散策したりした・・。










やがて都立の『神代植物公園』に向かった後、
園内で野外展示で恒例の『はなしょうぶ展』を挨拶代わりに観たりした・・。






この時節は、
アジサイが主役と思われ、多彩なアジサイが、
百花繚乱のように彩(いろど)っていた・・。








こうした中、いつものように周辺を散策した・・。







 



 



この後、帰路の時に時折、『深大寺』に立ち寄り、参拝したりしているが、
日曜日で人出が多いと思われ、『本堂』は避けて『元三大師堂』に参拝し、
帰還した。



このような散策コースであったが、初夏の香り、匂いを感じたりした・・。


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お酒大好き、タバコも愛煙者だった私は、改めて認知症の近道と学び、動顛して・・。

2023-06-04 16:08:13 | 喜寿の頃からの思い

過ぎし2004年(平成16年)の秋、
民間会社のある会社に35年近く勤めて定年退職した・・。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活を始めた当初は、解放感でお酒大好きな私は、
現役サラリーマン時代と同様に、日本酒、ビールなどを、
こよなく愛飲したりした・・。



やがて2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病の疑いがありますので、内科に受診して下さい』

と明記されてしまった。 

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・
何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医院長に懇願した。
 
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、蒼色吐息のような表情で、
内科の医院長のアドバイスを聴いたりした・・。
 
私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
 
やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、
 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
 
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら、
野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。
 
そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。
 
          
 
こうした中、私は最寄の内科に、
8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

この時、医院長より指針とされたことは、
糖尿病の指標となる血液検査項目の
HbA1cに於いて、
糖尿病の境界値である6.5%を切れば、糖尿病予備群となります、
このようなことを言われたりした。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
 
しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、
と言われる時もある。


このように私は、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、
そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、早や13年目となっている。


過ぎし2019年の新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
私は心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半過ぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、退院の一日前、40代の男性の担当医師より、
『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。



過ぎ去り遠い年、若き大学一年のワンダーフォーゲル部に加入して、
10泊11日間の夏季合宿に於いて、中日(なかび)が休息日であったりした。

こうした中で、先輩がタバコを喫っていて、
私も真似事のようにタバコを喫ったりした。

これ以前に中学3年の時、いたずらでタバコを喫ったりしたが、
担当の先生より、これから志望した高校は、退学になるから・・、
と私は忠告を受けたりしたので、
これ以降は、もとよりタバコは無縁となったりした。

この夏季合宿した後、タバコを喫い始めて、
まもなく映画、文学青年の真似事をしている時、
やがて敗退した後の長きサラリーマン時代の34年間に於いて、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が長年続き、タバコを禁煙したならば、
言葉とか文章が、脳裏より舞い降りて、こなくなるかもしれない、
と危惧したりした。




或いは定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた後、
中学時代の同級生の有志により、私の退職祝いを開催してくれたりした。

この時、同級生の好感している女性のひとりから、
XXくん・・タバコをまだ喫っているの・・、
と言われたりした。

或いは男性の同級生より、
俺は・・孫が出来た時、3年前にやめたょ・・、
と私は言われたりした。

やがて65歳の頃、健康診断の時、女性スタッフより、
XXさん・・タバコをおやめできませんか・・、
と私は言われたりした。

こうした時、タバコは・・一生のお友達ですから・・、
と御苦笑しながら、抗弁したりしてきた。



こうした経過もあり、4年前の入院先で、ベットに腰掛けていた私は、
担当医師より、『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・
貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。


私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます!』
と私は担当医師に向かって言ったりした。

そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。

こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった。

断念しなければ、この先はないと思ったからである。




こうした深情のある私は、順天堂大学医学部名誉教授の新井平伊さんが、
【 日刊ゲンダイヘルスケア 】に於いて、
『認知症治療の第一人者が教える 元気な脳で天寿を全う』と題された連載寄稿文を
私は偶然に読み、動顛させられたりした・・。

2022年11月8日に配信された
『酒を飲む人、少し飲む人、飲まない人…認知症になりにくいのは?』、
於いて、要旨の箇所を無断ながら、転載させて頂く。

《・・たばこは、がん、心臓病や脳卒中などの循環器疾患、高血圧や糖尿病、
脂質異常症などの生活習慣病、COPD(慢性閉塞性肺疾患)をはじめとする
呼吸器疾患のリスクを上げます。

喫煙者は、認知症になりやすいといわれるのは、
たばこに含まれる有害物質が血管を傷つけ、生活習慣病を悪化させるから。
脳に間接的に悪影響を与えるのが、たばこです。

一方、アルコールは、ダイレクトに脳に影響します。
精神活動を活発にする大切な物質として、アセチルコリンがあります。

アルコールは、アセチルコリンの働きを低下させ、
記憶系を障害するという結果が動物実験で出ています。

(略)

アルコールを日常的に摂取する生活は、
食生活の乱れにつながり、肥満、あらゆる生活習慣病のリスクを高めます。

偏った食生活は、ビタミン、ミネラルの不足を招きます。
その結果、副次的に脳へ影響を与えるのです。

■物忘れが気になり始めたらまずは酒量を減らす

アルコールは、睡眠の質も悪化させます。
寝つきこそいいものの、アルコールの入眠作用は数時間で切れ、
そのあとは、アルコールの代謝物質アセトアルデヒドの覚醒作用で深い眠りが減り、
浅い眠りが増えます。

また、アルコールは利尿作用があるので、夜間に尿量の多い状態「夜間多尿」を招きます。
睡眠の質の低下は、認知症を起こしやすくすることは、研究で明らかになっています。

アメリカで行われた大規模研究で、酒を飲む60歳と飲まない60歳の脳の萎縮度合いを調べました。
つまりは、認知症のリスクの程度を比較したのです。

すると、萎縮が少ないのは次の順番でした。

1位…酒を飲まない人
2位…少量だけ飲む人
3位…大量に飲んでいたがやめた人
4位…大量に飲んでいる人

アルコールの害について、これまであまり言われてこなかったのは、
アルコールが体に与える影響が、たばこと肺がんの関係ほどストレートではなく、
医学的なエビデンスが弱かったから。

少量飲酒は、認知症予防に有効だというデータが過去には発表されてもいることから、
「適量ならいいんでしょ」と考えている人もいるかもしれませんね。

しかし私は、少なくとも物忘れが気になっているようなら、
お酒の量をまずは減らすことをおすすめします。
今後の人生を決めるのは、あなたです。・・》

注)記事の原文、あえて改行など多くした。



私は脳が萎縮がどれだけか、不明であるが、

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何かと愚図で、ノロマの私でも、家事を始めた動機は・・。

2023-06-03 14:21:16 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
     
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となり、
出向先で定年退職時を迎えた。

この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

この間、家内は長年に於いて専業主婦として、私を支えてくれたが、
こうした状況の中で、私は働くことを断念して、年金生活を始めた・・。

こうした中で、



























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誤嚥性を防ぐ為、78歳の私は、ひとつの対策をして・・。

2023-06-02 14:26:17 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

 
こうした中、私は朝食、夕食の時、家内と共に頂いているが、
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したりしている。

そして私は、食べながら家内に話したりしていると、1か月に1度ぐらい、
食物が食道へ入るべきものが、気管に入ってしまうらしく、
一分ぐらい、むせたり咳き込んだりすることがある。

こうした時、家内は
『高齢者になると誤嚥(ごえん)になる人が多いから、気を付けてねぇ・・』
と私は言われたりしている。

私は70歳のなる前の頃までは、こうした体験がなく、
やはり高齢者になると、食べ物がのみ込む力の嚥下(えんげ)の力が衰えたのかしら、
と戸惑いながら不安を秘めたりしている。

そして家内も、数か月に一度ぐらいあるから、私も気を付けるわ、
と私に微苦笑しながら言ったりしてきた。



こうした私たち夫婦は、誤嚥(ごえん)について、
少しばかり体験をしてきたので、やはり注意1秒で食べる時、お茶を飲む時は、
ゆっくりと頂くことが肝要だなぁ・・と思い深めてきた・・。

このような嚥下(えんげ)の力衰え、そして誤嚥(ごえん)に関しても、
一歩間違えると死のリスクがあると学んだりしてきた・・。


そして確か1年前の頃、散髪屋(理容店)の待合室に置かれていた健康雑誌で、
《・・Suufuu HARD【吹き戻し型 口元 美容 腹式呼吸 トレーニング器具】・・》、
偶然に学んだりした。

やがて帰宅後、通販のアマゾンのサイトで検索して、
下記に準じた解説を見たりした。

《・・
Suufuu HARD【吹き戻し型 口元 美容 腹式呼吸 トレーニング器具】
  2,200 税込 (¥733 / 個)

  • 口輪筋のトレーニング、腹式呼吸の習慣化、嚥下障害の予防トレーニングなど。
  • 紙筒と吹き口は別パーツで交換可能
  • 吹き口は取り外せて水洗いできます
  • ハードタイプで一般男性・より呼吸力を向上させたい方向け
  • 専用吹き口2本 交換用紙筒3本入り(1本は吹き口にセット済み)・・》



こうした中で、吹く必要の強く、普通、弱い・・3種類がある1セットのを、
さっそく注文して、まもなく我が家に到着後、
強く吹く必要のあるのを私用、弱くても大丈夫なのを家内用として、
これ以来、ときおり誤嚥を防ぐ為、吹いたりして、早や1年が過ぎている・・。
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我が家の買物メール老ボーイの私は、ときには独り微苦笑する時もあり・・。

2023-06-01 13:17:26 | 喜寿の頃からの思い

こうした中、我が家の平素の買い物に関して、年金生活を始めた当初より、
私は自主宣言をして、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に独りで行っている買物メール老ボーイとなっている。

しかしながら3年前の2月に新ウィルスコロナの烈風後は、
感染が怖くて、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、
3日に一度ぐらいに集約して、素早く店内の品を確認し、買い物をしている・・。



私はある民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
多々の理由で
年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

この後は、我が家の3キロ範囲にある遊歩道、公園などを独りで散策して、
季節のうつろいを享受している。

 

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

やがて午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯など専業主婦の延長戦してくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、

日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このような平素の年金生活をしている私は、
スーパー、コンビニ、専門店のドラック・ストアーなどに買い物をして、
ときおり本屋に寄ったりしている。

そして年に数回、家内に引率されて、都心のデパートに行ったり、食事処に寄ったり、
冠婚葬祭、懇親会などホテルなどを活用してきたが、
新ウィルスコロナの烈風後は、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、延期となり、
寂しい日々を感じる時もある。




こうした中、買い物をする時の朝は、
こうした18年間の中、
私も幾たびも失敗してきたりした・・。

2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
家内から依頼された特売セールの洗剤を買い求めに行った。

そして年金生活で貢献できるのは、せめて廉(やす)い価格の品を多めに、と思いながら、
5個ばかり買い求めて、意気揚々として帰宅した。

やがて帰宅後、家内に頼まれた洗剤を手渡すと、
『あら、違うわ・・ライオンのトップでも《部屋干し》をお願いしたはずょ・・』
と家内は言った。

『違った・・!?』
と私は言った。

『違っています・・うちはずっと《部屋干しトップ》なの・・
貴方・・よく仕事ができたわねぇ・・』
と家内は追い討ちをかけてきた。

『じゃ・・取り替えてくるよ・・』
と私は言った。

やがて洗剤はひとつの箱でも1・1Kgあり、5個買い求めていたので、少し重い洗剤を提(さ)げて、
再びスーパーに向かった。

こうした中、仕事は給料を頂いて緊張感の中で、責務を果たしてきたので、
気軽な買物と違うょ、と心の中で呟(つぶや)きながら歩いたりした・・。

           
          

或いはトマトを買い求めた当初は、苦い失敗談があったりした。
確か翌年の2005年(平成17年)の6月初旬の頃だった・・。

たまたまスーパーの店内に於いて、野菜売り場の近くにトマトの販売コーナーがあり、
家内はトマトが好きであり、少し高い値段であったが、
何より新鮮であったので、3つばかり買い求めたりした。

帰宅後、家内に手渡すと、
『わぁ・・立派なトマト・・美味しいそうだわ・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。

やがて家内は、値段を訊(き)かれて、私は応(こ)えた。

『でもねぇ・・高過ぎるわょ・・我が家は年金生活ですから・・程ほどにして下さい・・
貴方は幼年期の頃、農家の児だったでしょう・・トマトの見極めぐらいは解っているでしょう・・
私は長い間、程ほど品をお廉(やす)く買い求めてきたわ・・』
と私は家内から叱咤されたりした。

『XXちゃんさぁ・・専業主婦25年選手でしょう・・
ボクは買物一年生だょ・・気を付けますょ』
と私は抗弁したりした。

これ以来、私は野菜、果実(くだもの)は、新鮮さを見極めながら、
程ほど品を廉(やす)く買い求めたりしてきた。
 



こうしたことに反して、ときには独り微笑む時がある・・。

私はコンビニに関しては、セブン&アイ・ホールディングスの『nanaco』を使用してきて、
4年半前までは、タバコを喫っていたので、タバコを買い求めたりした。

或いは散策の時に、水分補給して、煎茶のボトルを買い求めている。

ときおり買物した帰路に、 コンビニの『セブンイレブン』に立ち寄り、
家内のお土産としてスイーツを買い求めたりしている、

たまたまポイントが溜まっていたので活用したら、
結果的にはスイーツ代が無料となり、 思わずお得したような心情となり、
微笑んだりしたことが幾たびもあったりした・・。

 

我が家の平素の買物で、スーパーの場合は、
最寄駅にある『京王ストア』仙川店、『クイーンズ伊勢丹』仙川店、
或いは我が家の最寄りの『いなげや』狛江東野川店が圧倒的に多く、
ときおり『イトーヨーカドー』国領店を活用するぐらいとなっている。

このような実態となっているが、ポイントが増えてしまい、
ときにはポイントを差し引いて、支払うと、
何かしらお得感のように感じてしまい、微笑んでしまう・・。
             

そしてデパートの『京王』、『小田急』のカードがあるが、
或いはドラックストアーの『サンドラック』、『トモズ』のカードがあり、
ポイントが増えて、割引なると、私は微笑んでしまう癖もある。

このように我が家の買物メール老ボーイの私は、ときには独り微苦笑する時もある・・。

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