私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
何かしらブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入し、
早や丸18年が過ぎて、19年生となっている。
しかしながら、この後、2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入したりした。
そして、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って、結果としては、
パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、深情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
別冊インターネット・マガジンであった。
何かしらブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。
この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入し、
早や丸18年が過ぎて、19年生となっている。
しかしながら、この後、2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入したりした。
そして、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って、結果としては、
パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、深情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは10年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったりして、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは19年生となっている。
このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。
こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、
少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。
しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、家内より多くの御方に恥ずかしくないように、
叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。
そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。
コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、
微笑んだり、苦笑したりする時もある。
まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、
返信を認(したた)めたりしている。
こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。
こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。
このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。
ここ9年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くの御方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない数多くの御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。
こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、
少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。
しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、家内より多くの御方に恥ずかしくないように、
叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。
そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。
コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、
微笑んだり、苦笑したりする時もある。
まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、
返信を認(したた)めたりしている。
こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。
こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。
このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。
ここ9年近く、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くの御方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない数多くの御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。