その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

聞いて天国…

2009-10-20 20:38:10 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は38日目となり、『き』
江戸カルタでは、「聞いて天国、見て地獄」のお題となります。話に聞くのと実際に見るのとでは、非常に違っていることの例えでありますが、この夏、自宅周りのアマガエルを追いかけていて、筑波山麓は「四六のがま」を思い出しました。
「さあさあ、御用とお急ぎで無い方は、聞いておいで見ておいで…」という軽快な口上で始まる「がまの油売り」に出てくるガマとは、言わずと知れた「ヒキガエル」のことでありますが、四六、五六は何で見分けるのかと言えば指の数。我が在所では、このガマをほとんど見かけませんので、四六、五六の検証ができません。それでは、アマガエルではと言うと、樹上に休むアマガエルは、後脚をたたみ、前脚は胸の前に抱えるような姿勢を取るため、そのままの状態では、中々確認ができません。
           
壁に張り付いた「アマガエル」の前指は確かに4本。後ろ指は、聞きかじりの知識では5本のはずですが、画像では3本?いやいや、脚に隠れているだけで、別の画像では4本目が確認できましたので4本は確実です。しかし、実際には5本なければ…^^;こりゃ捕まえて、後ろの指を数えなければ気が済まないような気分になってきました。
カエルを四面鏡張りのケージに入れて、己が姿の醜さにタ~ラリ、タラリと流す油を、三七、二十一日煮詰めたものが、口上「ガマの油」でありますが、最近、オヤジたちの加齢臭の話題を耳にするにつれ、自ら四面鏡張りの部屋に閉じ籠れば、「オヤジ油」が噴き出すのではないかなどと自虐的な発想をする夢屋であります。
           
春先、田圃の畦をスコップで叩きながら『畔(くろ)塗り』作業を行いましたが、人力による「畔塗り」では修復不可能と考え、思い切って近所の友人にトラクターによる「畔塗り」をお願いしました。延長500m、未整理地の調整係数120%を乗じて15,000円の作業代金なり。これで、赤字がさらに拡大することになりますが、一瞬、我が家の田圃ではないような錯覚を起こすような仕上がりになりました。収量には、まったく影響を与えませんが、来春の作業効率を考えると、ここは一念発起、やるときゃやらねば…。たった15,000円で一念発起とは、いささか大袈裟ではありますが、年間売上が15万円程度の飯米農家では、こうした委託作業は赤字幅をどんどん拡大してしまいます。とほほ、しょうがないねぇ~。
当面、趣味の世界にお金をかけていると思わなければ、いかんともしがたい現実があります。優雅なスローライフ生活も…聞いて天国、見て地獄の世界であります。ちなみに、黄色い食用菊を、昔、そのまま天ぷらで食しておりました。この場合、「菊は天ぷら、身はメタボ」というオチで、今日のところは収めましょう^^;
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三遍回って

2009-10-19 20:13:40 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は37日目…『さ』でありまして、江戸カルタでは「三遍回って、煙草にしょ」ということになります。
夜回りで三度見回ってから休憩しよう…休みを急がず念を入れて、手落ちのないように気を付けようということらしいのですが、使わないなぁ…^^;
私の場合は、古老の肉体的な衰えを補うために始めた農作業であるため、農業全般に関する知識は持っているものの、個々の技術力は相当怪しいものがあり、試行錯誤の一年であったような気がします。そして、ひとつひとつの技術も、祖母や古老が行っていた技術を見よう見まねで模倣していたに過ぎないため、何か新たに導入したものは…と問われると、手抜きから発生した雪中野菜の収穫とキャベツの側芽による2回取り位なものでしょうか。ホウレンソウやチンゲンサイのような施設内での軟弱物野菜栽培と違って、基本的に一年に一度の収穫を待つ作物に対しては、どうしても作業上の失敗を恐れてしまうことから、作業自体が保守的に成らざるを得ない部分があると感じた一年でもありました。念には念を入れて、三遍回って煙草しょとなる訳ですが、古老の存在という「頭のつっかえ(重石)」が取れた私は、生来の怠けぐせから、次第に手抜きを覚えて行くのであろうと内心思っているところであります。画像は、我が家の「晩生もってのほか」でありますが、早生品種と違って、シャキシャキとした食感が美味しいと古老が評しておりました。
           
昨日Upした花菊の画像も今日の画像も、古老が愛した菊の画像でありますが、今年は春先の長雨に祟られて植え替えができませんでした。花菊は、一部挿し木をして来年のための株を確保しましたが、これとて挿し木の実施時期が遅くなり、背丈が出ないまま花を咲かせております。農作業上の手抜きとはこうした形で結果に表れてきます。植え替えをしない菊は下葉から枯れ上がり、「もってのほか」の場合は花付きが悪く、花菊の場合は切り花には少々難がある。それぞれが販売を目的とした栽培ではありませんので、それはそれで捨てておけば良いのですが、昨日のように産業まつりなどに出かけ、花卉栽培農家の手塩にかけた作品(この場合、作品というに相応しい)を目にすると、ムクッ、ムクッと闘争心が沸き起こってしまいます。
「男っちゃ、こうした闘争心が必要よ!」などとうそぶきながら、来年の技術の習得を誓うのであります。山で見つけた『オツネン(越年)トンボ』は、越冬するこの辺りでは数少ないトンボでありますが、私の心の炎が年を越しても燃え続けているか…少々心配ではあります。
来週からは、ポツポツと冬支度を始める予定ではありますが、私が古老の年齢まで生き長らえることが出来るのならば、あと30回は、こうした野心を燃やし続けることが出来るだろう。そうした野心を燃やし続けるには、元気が一番。お~っと、肝心の生活費を稼ぐ仕事は…と言いますと、最近そちらが、かなり手抜き状態?「三遍回って、ワン」位の仕事量かのう…^^;
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頭隠して…

2009-10-18 22:48:50 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」は36日目…『あ』
江戸カルタでは「頭隠して尻隠さず」と相成るのですが…。
藪の中に頭を入れて、尾っぽが外に出ているキジの様から、小手先で悪事を隠しても結果的にバレてしまう愚かさを嘲る例え話であります。山形県は多雪地帯、友人にも大型除雪機械のオペレーターが居ります。そんな彼から聞いた話ではありますが、2月頃、雪原が堅雪に変わりうっすらと新雪が積もるような朝に除雪作業をしていると、重機の音に驚いたキジが飛び立ち、諺のように頭から新雪の中に頭から飛び込むのだそうです。しかし、新雪の下は堅い雪…キジは頭をぶつけて脳震盪を起こしてしまうとか。後は尾っぽをつかんで生捕よ…。あるんですねぇ、本当にこんな話が!
               
今日は、珍しくおかあちゃんにデートに誘われました。行き先が米沢市の産業まつりでは、あまりロマンチックとは言えませんが、そこは実用的なお出掛けということで我慢しましょう。山大生の作品でしょうか、ブームを反映して段ボール製の『兼続ガンダム』が走行しておりました。首や腕が動けば驚愕の「ガンダム」でありますが、そこは抑えて抑えて…^^;
養護施設の子どもたちが作った陶器製のキャンドルスタンドを購入して、殿は満足じゃ。帰り道、量販店でタマネギの苗を購入し、遅れ気味の秋作業をしながら、自慢のかまどでサツマイモを焼き、焼きりんごを作って、おかあちゃんにプレゼント。久々にまったりとした秋の午後を過ごしました。
           
行く秋を惜しむかのように、カエルたちは秋日和の暖かさに誘われ、活動を再開。今日だけは、頭もお尻も隠さずに日向ぼっこを楽しんでおりました。
           



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亭主の好み

2009-10-17 20:42:10 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」も35日目となりまして…『て』
江戸カルタでは、「亭主の好きな赤烏帽子」あまり聞かない例えです。というよりも、通常では黒いはずの烏帽子をご亭主のひと声で赤い烏帽子に変える。つまり、主人の好みに家族が合わせなければならないということなのですが、この美しい国日本には、もはや存在しない光景ではないでしょうか…?
「お~い。お茶!お~い。風呂!お~い。酒・飯!寝る!」などと言っていたら、サザエさんちのフネさんでさえ「私の名前は、お~いではありません。」などと険悪な関係に陥ってしまうことでしょう^^;
さて、動物の世界での夫婦関係は一体どういったものでしょうか。私は、小学生の頃、ハトをつがいで飼っていたのですが、一旦ペアが形成されると夫婦関係は長く継続されるようです。鳩舎内でスワッピングが起こったとか、違う♀を求めて♂同士が争ったなどということを聞いたことがありませんので、概ね確からしい話です。また、今年春先、我が家の田圃を訪れたキジの夫妻は、夏場に5羽ほどの子どもを連れて畑の中を歩き回り、秋の稲刈り前の田圃に3羽ほどの子どもを連れて株間に逃げ込んで行きましたので、つがいのまま、子育てを行うようです。ある冬に庭の梅の木の下で、越冬したつがいがおりましたので、キジもまた夫婦関係は長く継続されるのかもしれません。かもしれません…などという不確定な表現をするのは、顔の見分けがつきませんので、今日連れている奥さんが、昨日の奥さんなのか、お隣の奥さんなのか、私には区別がつかない。きっと、昨日の奥さんも今日の奥さんも一緒の方だろうと思い込んでいるための発言であります。
           
画像は、古老が植えた「花虎の尾(フィソステギア)」を吸蜜に訪れた『ホシホウジャク』というスズメ蛾の仲間です。私の偶然性の撮影の腕前では、これが限界です。ハチドリの様に花を訪れてはホバリング(空中停止飛行)状態で、長い口吻を伸ばして蜜を吸って行きます。
「女もお金も同じ様なものでなぁ…。追いかければ追いかけるほど逃げて行くものなのよ。一流の男には、女もお金も向こうからやって来るわさ…。」などと、職場の部下にうそぶいている夢屋でありますが、もう、おネエさんのお尻よりも、昆虫やカエルのお尻を追いかける日々…。人様から気持ち悪がられるような生き物に目を奪われている中年男は、婦女子にモテルわけもありませんが、必死に生きている姿は感動こそすれ、蔑むようなところは何もありません。
そう、婦女子にはモテませんが、近所のばあさんたちの受けは良いんだよなぁ、俺。
古老の死を通して、私たち夫婦もお互いに労わり合える関係に成りつつあります。「亭主の好きな赤烏帽子」または、「夫唱婦随」などという関係というよりも、我が家の場合は、年取った悪戯っ子を抱えた母親の心境なのかもしれませんけどね。

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得手に帆を揚げる

2009-10-16 17:16:00 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は、34日目となり…『え』
江戸カルタでは「得手に帆を揚げる」、実に順風満帆、得意な技を遺憾なく発揮できる好機に恵まれている様を表す言葉であります。
「麻雀は、人生そのものだよ。」とうそぶいたのは、大学の教官でした。
「逆風の時は、どんなに流れに抗っても裏目に出るだけ…。自分に風が吹いている時は、少々無理をしても通ってしまうものさ。麻雀も人生も続けている内に、皆に平等に風は吹く。重要なのは、自分に追い風が吹いていることに気付けるか、気付かないかだと思うよ。吹く風を感じることが重要なんだよ。」と
彼自身、大した研究成果を上げたとも思われませんが、最後は教授まで登り詰めたようであります。
           
山椒の枝で一夜を過ごした「アキアカネ」は、全身に露の衣をまとって、晴れ上がる時をジッと待っています。しかしながら、凡人には「待つ」という行為が中々出来ないものです。非凡な方は、おそらく待つ間に思索を巡らし、知力体力を蓄え、次なる機会を待つということになるのでしょうが、私の場合「待つ」とは、どうしても「落ちて来るはずもないボタ餅」を期待している場合が多く、落ちて来ないことに不平を洩らす凡太郎であります。
           
大体、『努力』という言葉が大嫌いな人間ですから…。「女の又に力を込めて、また、力を込める。」などという行為は、ご免被りたい。仕事にさえ遊び心を取り入れてしまう。楽しまなければ、生まれてきた甲斐がない。
冷たい風にさらされる「アキアカネ」や「アマガエル」たちは、何も無計画に生きて来た訳ではなく、季節(トキ)が巡ってきただけの話なのです。今日があるから明日もある…などと考えるのは、長い人生を与えられた人間だけの勝手な思考であると私は思います。
不幸にして3歳にも至らずに死を迎える幼児の人生は、残された家族に多くの思い出を深く刻み、100歳の天寿を全うした老人も知人がいなければ、その思い出話さえ語って貰えないではないか…などと、今日は、クドクドと死生観を語る夢屋でありました。
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子は三界の首枷(くびかせ)

2009-10-15 23:28:00 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」は33日目…『こ』であります。
江戸カルタでは「子は三界の首枷」であり、親は子を思う心にひかされて、終生自由を束縛されるという諺であります。ちなみに、このブログをご覧の皆様、あなたの右手でも左手でも結構です。どうぞ手のひらを眺めて見てください。あなたの親指も私の親指も必ず小指(子指)の方向を向いております。生物学的に言えば、これは類人猿の特質であり、親指と他の指が対向していることによって、物を捕まえることが容易になるという性質を持っております。
私のお袋の受け売りではありますが「夢!小指(子)は、常に外(将来)を見ているが、親指(親)は常に子を見つめているものだよ…。」などと、大学進学で上京する私に諭したことがありました。(ちょっと、良い話でしょう。)
血気盛んな青年からすれば、親の要らぬ心配など迷惑千万な話ではありますが、私も子を持ち、当時のお袋と同じ様な年齢に成りますと、要らぬ心配をするバカな親父になってしまっております。
秋の澄み渡るような青空は、心地よい限りですが、放射冷却現象で、このところの朝は肌寒く、濃い霧が立ち込めます。何か良い画像がないものか…などと家の周囲を徘徊しても、寒さの影響で生き物の姿を目にすることが少なくなりました。こんな時は、今年訪れた南海の海のサンゴでもお届けしましょうか…?エヘヘ。巻頭画像の種明かしをすれば、庭石に生した『コケ』の拡大画像であります。
           
手荷物をまとめて旅立った『アマ執政』の昨夜のお宿は、畑の青菜の間でありました。これが本当の『アマ宿り』なんてね…下らないオヤジギャグです。夏場の眼が見開かれた頃を思いますと、閉じられた眼は浅い眠りを感じさせます。この時期、刈り取られた稲わらの下や葉の間に潜んでは、朝の寒さを凌いでいるようです。
野に暮らす生き物たちに「今朝は寒くはないかい。」などと、声をかける所作も無駄な心配ではありますが、認知症の進んだお袋も、先日他界した親父も、ひとりで一丁前(一人前)になったつもりでいる私、夢屋をいつも心配していたのだろうなどと、感傷的になる秋の朝でありました。

 

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武士は食わねど…

2009-10-14 12:12:12 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は32日目を迎え…『ふ』
江戸カルタでは「文はやりたし、書く手は持たぬ。」、上方カルタでは「武士は食わねど高楊枝」と相成ります。
「秋の日はつるべ落とし」などとも言われますが、カメラ片手にブログ画像を撮り貯めるのにも苦労する日々が続こうとしております。秋作業をしているのか、まったりと流れる時に身を任せているのか、半農半サラ生活は、お気楽なものでありますが、作業台兼休憩台兼執務机のキャンプ用折り畳みテーブルに載せられたラジオやラフランスに当たる陽も、長い影を引く季節となりました。
           
秋の収穫作業は順調に進み、我が在所でも田圃に残る稲穂の波は、一気に稲株だけの特設グランドに変化しております。子どもの頃は、この時期、稲杭の穴目がけてゴルフをしたり、特別ルールの野球をしていたものですが、最近は、田圃で遊ぶ子どもたちの姿を見ることが無くなってしまいました。
一年を通して、大規模農家でも2週間程度しか外に出さない?貴重なコンバインの画像を皆様にお届けします。
このタイプは4条刈り(稲の株を4列ずつ刈り取るタイプ)ですから、通常価格で600万円は下らないだろうというお宝映像です。キャビン付きでエアコンやテレビなど、オプション次第では、700万円台の機械ではないかと想像しております。
           
高級車並みの機械にさらに近づきますと…何やら怪しげな文言が、ボディーに書き並べられています。県単独補助であれば30%程度、国県の大規模な補助事業であれば最大45%程度の補助が受けられるありがたい事業でありますが、夢屋はポツリと農機具メーカーや民主党新政権に物申したい。
「トラクターと違って、秋作業は晴れた日しか出来ないんだよなぁ~!コンバインに何でキャビンが必要なのかなぁ~?」対象機械の範囲が決められているとすれば…これも大きな無駄のひとつじゃなかろうか…持てない者のヒガミではありますけれどね。
農村社会の「結い」という伝統が少しずつ崩壊し始めています。我が家のような小規模農家は、乾燥作業をお願いしようにも、大規模農家の乾燥機が大き過ぎて最低容量を満たさない事態になっています。小規模農家は、最も経営効率が悪いと言われる中規模農家に作業を頼らざるを得ませんが、効率の悪さから、中規模農家はどんどん現場から撤退していきます。世界の農産物価格に対抗していくには、大規模化こそが至上命令であり、取るに足らない小農地にしがみ付いている百姓は駆逐されるべき存在でしかないのかもしれません。がはは…。経営的に成立しない小農は、既に農業とは言えません。
そこで、私は敢えて百姓の道を模索している訳で、趣味であろうと何だろうとやり方次第で何とかなるさぁ…どこまでも能天気に。
お題の「文はやりたし、書く手は持たぬ」のテーマに沿えましたならば、拍手を願います^^;
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芸は身を助ける

2009-10-13 21:47:50 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は、遂に31日目…『け』
江戸カルタでは、お題の「芸は身を助ける」であります。
今となっては、自分でも驚異を感じる13連休でありましたが、終わってしまえば、一体何だったんだろう…位の感覚。日頃の私の仕事ぶりが、まぁこんな程度という部分と上司・部下に恵まれている結果であります。
13連休の締めくくりは、やはりお百姓さんです。
自分の農作業計画では、既に10日以上作業が遅れているのですが、今のところ販売用の農業ではないので、まぁ、収穫物が満足のいくものにならなかったとしても、生活に影響はでませんので、ここはじっと辛抱しましょう。
           
自作のレンガ造のかまどでは、燃えカスが風に舞ってしまうので、市販の「芋煮会」用のかまどを中に入れてみました。この夏の収穫残渣を乾燥させて少しずつ焼いています。都会では信じられない行為ではありますが、廃棄物処理法上でも農産残渣の一部焼却やかまどの燃料としての焼却は許容範囲の中にあるはずです。
ただ、燃やすだけでは面白みに欠けますので、鍋をかけ、コーヒーをたてながら、里芋を湯がいてみました。なかなか優雅な時間がそこに繰り広げられます。この里芋がね…美味いんだなぁ!余計な味付けは必要ないのです。
エヘヘ…悔しいだろう…この時間。
お金が無くてもね、こうした時間は、掛け替えのないものなんだよなぁ。
           
お~っと。今日のお題は『芸は身を助ける』でした。この夏、百姓仕事についての記事も書きましたけれど、「百姓」という言葉は、決して差別用語ではないと今でも断言できます。「百の技を使う匠」そう考えれば何のこともありません。三蔵法師を話題に、河童と三蔵法師のコスプレまで完成させましたが、猪八戒役の豚が中々、メーキャップに応じてくれません。この画像に豚鼻を付けようと思っておりましたが、私を軽蔑するかのようにしかめた目つきは、猪八戒というよりは、妖怪『猫娘』に思えてきました。
アマガエル1世よ…嫌なコスプレではあるが、一芸に秀でれば困った時に、何かの役に立つものなのだよ…^^;
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負けるが勝ち

2009-10-12 20:43:00 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」も30日目…『ま』
お題は、『負けるが勝ち』であります。
私の場合、この格言を耳にしますと年齢のせいか、故 美空ひばりさんの『柔』の歌詞を思い出してしまいます。「勝つと思うな♪思えば負けよ♪負けて元々この胸の♪奥に生きてる…」幼な心に歌詞の意味合いを思ったものです。なぜ、勝負事で勝とうと思ってはならないのか?「負けて元々」もう初めから開き直りの境地なのか?などと考えたものです。
現代社会においても「負け組・勝ち組」などと色分けする傾向がありますが、年齢を重ね、ふと今思いますに、人生って勝ち負けではない、その先にあるものが大事なのではないだろうか、勝負の先にあるものに気付かない人々の方が多いのではないだろうか…などと感じるようになりました。私のような、よそ様からすれば、取るに足らない人生であったとしても、満足して生き抜くことが出来たかどうか、最期に胸を張って語ることができるかどうかが重要なのではないかなどと、すでに老境を迎えたようなことを語ってしまいます。
           
ここ2週間のドタバタ劇で『夢屋一座』の劇団員は、一人二人と劇団を去っていきました。「トノサマガエル」に比べ「アマガエル」は耐寒性に優れ、春一番に田圃の冠水とともに出現しますが、ここ数日間の寒さで、サッシ枠の隙間や日当りの良い場所に移動し、そろそろ冬眠という旅立ちの時期を迎えたようであります。今年6月から『夢屋王国』の執政として、時に国王に苦言を呈し、王国の切り盛りを担当していた『アマ執政』も手荷物をまとめ、NHK大河ドラマ『天地人』の最終回を待たず、一旦職務から離れることとなりました。「ヨッ、カエル妻夫木~!」残念ながら『夢屋一座』は季節巡業のため、少々充電期間をいただいて、来年の春の公演まで劇団員各自の一層の芸の研きに期待するしかないようです。
さてさて、やっと面白テーマを見つけた思いでありましたが、また、新たなテーマを探してご紹介して参りますのでよろしくお願いいたします。
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安物買いの銭失い

2009-10-11 23:13:21 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」、29日目は、『や』
江戸カルタでは、「安物買いの銭失い」となり、文字通りどなたにも経験のある例えではないかと思います。驚異の13連休も今日を含め、あと二日。ようやく普段通りの生活が送れるような状態に成りました。普通、忌引き休暇は7日間、この間に各公共機関の届け出行為や簡単な後片付けを行うものなのでしょうが、4日仏(我が在所では、3日目に友引が入った場合、3日目の葬儀と4日目の葬儀は行わない風習があるのです。)となってしまった結果、葬儀は、5日目となり、初七日と簡単な後片付けを行っても、平日に済ませなければならない用向きが行えず、また、告別式後の弔問に訪れてくれる方々は、古老の大事な関係者(老齢のため、告別式などの公の場を遠慮する方々なので)であるため、長男の私でなければ、その関係や今後の契約事など伝えきることが出来ないと判断し、長期間の休暇申請となったものです。案の定、高齢のため足が不自由になり、人前に出たくなかったなどという理由から、初七日を終えた後に、数名の弔問客がありました。
           
私も含め、両親が大変お世話になった老夫婦は、同居する若夫婦に気兼ねし、弔問に来れなかったとか…。人様の家庭内のことまで、とやかく申し上げるものではありませんが、同居率の高い山形県にあって、世間様の状況が垣間見えたことでした。いつ来るか判らない人を待つということは、中々退屈なもの、そんな中、友人の『貧乏父さん』を電話で呼び出し、ブログ談義となった次第ですが、「昆虫画像が素晴らしい。」とか、「あのコスプレ画像は、実写なのか?」とか、製作者心をくすぐるような褒め言葉を頂き、私、夢屋は有頂天。
しかし、この2週間、カメラどころではなかったため、撮り貯めたはずの画像もあとわずか…。こうしては居られないと思いながら、畑に出ても、アマガエルたちの姿はめっきり少なくなってしまいました。
お題の「安物買いの銭失い」でありますが、さすがに、我が家の古老は、夢屋中興の祖として祀らなければ気が済まない。ちょっと、冷やかし半分、仏具屋さんを覗いたのですが…。「ん~。仏壇もそんなに高い物じゃないですなぁ…。」などと、お金持ちの振りをしながら眺めて参りました。「過ぎたるは、猶及ばざるが如し」の格言を思い出しながら、懐勘定をしている私がそこにありました。トホホ。
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