「枕投げ」はやった記憶がある^^;
小学校の修学旅行は宮城県「松島」に一泊二日。中学校では東京・箱根・日光と関東近郊二泊三日の行程だった記憶である。高校時代は、修学旅行代金は、受験(上京)の費用に充てよとの配慮?から、修学旅行自体が無かった。(旅先で問題を起こされることを心配したとの見方も出来るのであるけれど^^;)
そうそう、長男『ポン太郎君』の場合は、「野口英雄先生」を奉る記念館を経由して、日光街道を抜け「日光猿軍団」と一緒に芸をしてきたはずである。自家用車が普及して、近県には家族連れで出掛けるようになり、「松島」辺りでは満足できなくなったのか、引率の先生たちも飽きてしまったのか、我が親父の時代から定番だった「松島」がコースから外れて久しいのでありますよ。そんな経緯もあって、アルバイトの帰り道に松島の「五大堂」を訪れたのでありますが、相棒の『ポン太郎君』は一切興味が無いのでありまして、当の『おやじぃ』も「はて?五大堂とは何を祀ったものなのか?」とあやふやなまま、確かに修学旅行では巡ったはずである程度の知識しかないのであります。由緒書きを見て「なるほど、五大明王を祀ったお堂なのね。」と改めて知ることとなり、明王の「憤怒の表情」は、仏法に従わない者を脅し教え諭すだけでなく、「一人息子の将来に心を砕く老いた父親の内心の如き悲しみを表す。」なんて知ると、急に近しくなったような気分になるのでありますよ^^;
こちらの「明太子」が美味しい^^;
中学校の修学旅行で訪れた「日光東照宮」もまたしかりである。山門の眠り猫と三猿を観ただけで満足している自分が居る。片道3時間もあれば車で行けるはずなのであるけれど、未だその機会に恵まれていない。時間は持て余すほどあるはずなのでありますが、踏み出す一歩(理由)を考えているのでありますよ。
まぁまぁ、修学旅行は、同級生でワイワイガヤガヤやった記憶が楽しいのでありまして、神社仏閣に興味があって出掛けた訳でもない。はてさて、コロナ禍で修学旅行も近場で済まそうと言うことなのでありましょうけれど、行く子どもたちは、そんなに影響もないのでは…。
山形県内を見渡しても、山寺立石寺、羽黒山など、少々気合を入れないと立ち入らないであろう場所(登るのに苦労する^^;)が数多くあるのでありまして、「枕投げ」をやらかす旅館も多数ある。「還暦同級会」の延期を余儀なくされてから、はてさて今年は出来るものやら出来ないものやらなどと考えておりますけれど、何とかならないかなぁ…どうせ、温泉に浸かって、酒飲んでひと晩過ごすだけでありますけれどね(笑)