「スネている」だけだと思いますが…
突然ですが「ボイコット」…『おやじぃ』の記憶の中では、1980年の「モスクワ五輪ボイコット」かな?当時は20歳の学生さんだった『おやじぃ』たちは、寮の一室で議論した記憶があるけれど、果たして賛成だったか反対だったか記憶が定かでありません。アフガン侵攻という時事問題で、抗議の姿勢からボイコットすべきという意識だったような気もするのだけれど、続く1984年の「ロス五輪ボイコット」では、ピークを過ぎた出場選手の不振を目の当たりにして、政治的な思惑で、その一番の煽りを喰らったのは選手たちだったかも知れないという思いが、『おやじぃ』の心を変節させたのかも知れないなぁ…これが記憶が曖昧な原因^^;
「不買運動」もまた「ボイコット」の一形態なのだけれど、「中国の禁輸措置」に対抗して「お魚食べて中国に勝ちましょう。」なんてコメントも如何なものか?一方では「汚染魚を食べて健康状態を…」などと皮肉を述べる方も…『選手(お魚)』に罪はありませんなんてね。『こちらの正義』と『そちらの正義』の対立、どうやらこの溝はそう簡単には埋めることは出来ないらしい。政治的な思惑の「ボイコット」には、政治的な解決手腕を発揮しなければいけないのだろうけれど、結局のところ右往左往するのは『選手(漁業関係者)』だったりしてねぇ…。
『応援』しようと思っている訳でもない…
さて、『権力を持った爺さんの性的趣向に興味はない。』と言い放った『おやじぃ』ではあるけれど、会見後のスポンサー企業の対応が気にかかる。「当社の人権尊重方針に反する。」という理由付けも分からなくはないけれど、最も罪を問われるべきは故人であり、既に罪に問えないからそれを容認してきた事務所となり、その事務所を儲けさせる訳にいかないから所属タレントは使わないという論法…何か海に泳ぐ魚に罪をなすりつけているような気がしないでもない。
はてさて、「ボイコット」とはイギリス軍人チャールズ・ボイコット大尉の名前が由来となる排斥運動とのことである。(へぇ~^^;)理不尽な行為に対する庶民の排斥運動は理解もするけれど、時の権力者に見ないフリ、聞こえないフリを通して来た報道機関が、自ら反省することもなく、新たな『踏み絵』を作って、今度はスポンサー企業に踏ませている気もするんですがねぇ。『おやじぃ』は、お魚を食べ続けますよ…『応援』しようなんて気持ちはサラサラございません。生きるために必要だから、その命をありがたく頂く。お魚に罪はない…罪つくりなのは、やっぱり人間だわねぇ(笑)