「キキョウ」の花は紫でなければならない…
白花の「キキョウ」を見て、これは園芸品種であり、野生種の「白花変異」ではないわなぁなどと考えている。(元々は変異種を選抜した結果かも知れないけれど。)一般的に通常イメージする『色』以外のモノに接すると、『変わりダネ』『変わりモノ』として珍重される場合と、厄介者として指弾される場合がある。多くの場合は、『厄介者』としての扱いを受けないように右を見たり左を見たりして、その場の『空気を読んで』行動することになりますが^^;
ちなみに、その「空気」の組成は、窒素が約80%、約20%が酸素であるのだけれど、人が利用しているのは酸素であり、肺に取り込んだ空気(酸素)の内、100%利用(交換)している訳ではないはずだから、生物が大気中に存在する窒素を利用せずに酸素を使うようになった経過(進化)も考え始めると不思議ではある。(窒素固定、硫黄固定する細菌も存在しますけれどね。)「酸化還元」というエネルギー変換が最も効率的だったのかも知れない…。で、何が言いたいの?つまり、大多数の意見(窒素)より、少数意見(酸素)の方が、実は有益な場合があるんじゃないかなんてね、また『屁理屈』をこね回しているところでありますよ(笑)
そろそろ畑のミョウガも最後…
さて、「ミョウガを刻んだだけでも酒は飲める。」と豪語する友人『ノロ社長』でありますが、『呑兵衛』は、味噌でも塩でも、たとえ何が無くても飲めるものである。場合によっては、『空気』が無くても酒さえあれば生きて行けるのではないかなどという勘違いをしてしまう場合もあるけれど、その域まで達すると、もはや中毒症状であるに違いない^^;
はてさて、大人の社会では『空気を読む』ということが、生き残る上では重要な要素なのかも知れないけれど、生きて行くにはさほど重要とも考えられない窒素(大多数意見)に流され過ぎているようにしか思えない。「空気」1ℓの重さは、摂氏0℃1気圧で1.293g。地表では地表では1㎠あたり約1㎏の圧力がかかっているらしいのだけれど、生活している上では重さを感じることなどないのでありまして、「風」という動きが生じて初めてその存在を意識するようになりますが…右を見て左を見て、『風』を感じてから批判したり、企業倫理を持ち出すのも如何なものか?世情に疎いオヤジ二人の会話にも上る某事務所の問題…会社と被害者の方々の今後の補償(ケア)の問題としてそっとしておいてあげなさいな。しかし、『空気(金)』になる記事ネタとして放っておけないかぁ(笑)