1月に「春の七草」を探せるのは今日しかない!
外は雨、木曜日からはまた荒れ模様の天気予報であるから、同級生『S子』の畑の法面を探せるのは今日しかないと思い立ったら、即実行であります。軽トラックは堤防下の空き地に止め、移植ベラを片手に延々500mほど雪の農道をこざきましてね。(踏み分けましてね。)ようやくたどり着いたら『S子』の畑は残念!雪に埋もれていた^^;(法面は一部出ていまして、丹念に探したのだけれど見つかりません。)半ば諦めかけて、帰路に着こうと思ったのだけれど、折角だからダメ元でと露出している排水路を延々下ってみましたよ。ギシギシ、ドクゼリ、ウシハコベetc.と出てはいますけれど目的の『白っぽい草』…「ゴギョウ=ハハコグサ」はやはり見当たらなくてねぇ。水路のザリガニや夏では姿を見ない「ノウサギ」の足跡を見つけて、それで良しとするかと思った刹那…3株ほど「ゴギョウ」を『おもちゃ屋さん』の田んぼの畦で見つけましたよ。ラッキー!ひと株だけコレクションとして頂いてきました。
夏は藪の中に隠れているんでしょうけれど…
さて、冬は何を食べているのでしょう?田んぼには、昨年巣立ちした「キジ♀」が5羽ほど群れておりますが、この雪では穀類を見つけることは困難なはずであります。この冬を越せるのかどうなのか?野菜の残渣を積み上げた場所の雪が掘り返してあったから、ノウサギもキジたちも、エサを探し回っているに違いない。排水路の末端には人家もあって、雪に覆われていない場所もあるのですが、『おやじぃ』が近くを歩くとキジの親鳥♂♀が飛び去っていきました。人間と違って、条件の良い場所を子孫に残すのではなく、力の強い者が良い場所を得る…これが自然界の掟なのでありましょうかねぇ…。
動いたような気がしたのですが?
あらまぁ…穴の中で冬眠するんじゃないの?この水路末端の深みには、「ウシガエル」がいるはずでありますが今の季節はねぇ…夏にはゴロゴロいた「タニシ」は、あるものは畔で貝殻となり、どこでどうしているものやら?少ないとは言え、水の中をこざいたので、身体が冷えましてね、ハウスに帰って「ゴギョウ」をポットに移植して、ストーブを点け、いつもの『イレギュラーコーヒー』を飲んで暖を取ろうと思ったら「あ”っ!家のストーブ点けっ放しだった!」とんだイレギュラーである。(いや、日常これがレギュラー化している。これでは、ヤカンをガスコンロにかけて忘れてしまうオッカーの悪口を言っていられない^^;)やだねぇ…すっかり呆けている。
我が在所は「納豆汁」である^^;
はてさて、人が迷い道を尋ねれば、多くは他人が親切に教えてくれるのが常である。しかし、一度だけ「ここは、お前のような立場の人間が来る場所ではない。」と門前払いを喰らった経験がある。(確かに、事前にアポも取らなかった私も悪いのだが、この時ほど名刺に「肩書」というものを付けないと相手にしてもらえない世界もあるのかと思いましたけれど…。)これは稀な例ではあると思うのだけれど、『S子』の畑で探索を諦めて、来た道をトボトボと帰ったらそれで今日一日は終わっていたはずである。「叩けよ(行動せよ)」「さらば開かれん(何かを見つけられる)」…キリストさまも粋なことをおっしゃる。(全世界でお誕生日を祝っていただけることだけはある^^;)別に珍しくもない「ゴギョウ」の株にも、春を待たなければ出逢うことは出来ないのでありますよ。「ゴギョウ」には、和名の「ハハコグサ」や地方の「餅草」などの別名があり、葉の柔らかい毛が「蓬ける(ほうける)」…「ほほける」…「ハハコグサ」に転化したとの説もある。「餅草」は文字通り「草餅」にも用いられたようである。『若者たちよ!叩けよ、さらば世の中も変わらん…』行動しなければ未来はないのだよ。かくいう『おやじぃ』は「蓬ける」=草や髪の毛がほつれる。のではなく、「呆ける」=知覚の鈍った状態になる。ことが常になりましたのでねぇ…若い衆に期待するしかないのだけれど(笑)
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