峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

あの日を忘れない

2006年04月05日 | 町内会長
月曜日の午前中、町主催の招魂祭【しょうこんさい】に出席しました。先の戦争で亡くなられた方の御霊【みたま】をお慰【なぐさ】めする式典です。
この日、昨日までのお天気とは打って変わり、真っ青な空が一面に広がり、穏やかな陽光のもと桜の花が満開でした。

私の父は教員をしていましたが、その父が教頭になる時、平戸の先の大島村という小さな島に赴任しました。
両親と弟と妹、そして私の一家5人は、大島の緑ヶ丘住宅という教員住宅に住むことになりました。その住宅側の道路から一段上がった所が広場になっていて、そこは「ショウコンジョ」と呼ばれていました。今しにして思えば、「招魂場」だったのでしょう。

私は小学1年生から4年生まで、周囲を海に囲まれたこの小さな島で過ごしましたが、さまざまなことが今も鮮やかによみがえります。それほど胸ときめくような、きらめくような島の生活でした。

あの時、父は38歳でした。今、私は、その年齢をはるかに超えています。

町長が記念碑に向かい鎮魂【ちんこん】の言葉を述べ終わりました。こちらに背を向けたまま、ズボンのポケットからハンカチを取り出し目を押さえていました。涙があふれたようでした。彼は物心付く前に父親を戦争で失っていたのです。
町長は子供の頃、この招魂祭にきては、お前んとこの父ちゃんはああだった・こうだったといろんなおじさんから父親の話を聞いたそうです。

この日、町長の他にも多くの遺族の方々がお集まりでした。
戦後61年、戦後はまだ続いています。

写真は、当日の会場の桜です。
コメント (2)
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