峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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新聞社よ お前もかい

2006年06月29日 | 学校教育
長崎新聞の社会面に「記者の目」という欄【らん】があります。
一昨日、27日は佐世保支社の山口栄治さんという方の「手を上げた先生の胸の痛み」という文章でした。以下のような内容です。

山口さんは高校生の頃、何かにつけよく殴られたそうです。でも「先生の言う通りだな」と思ったそうです。
山口さんは「先生の体罰をマスコミが取り上げることがある。だが、なぜ手を上げるに至ったのか、その原因は詳しく報じられていない。私の場合、自分に落ち度があると感じていた。だから、恨んだり、親に泣きついたりすることはなかった」そうです。
また「保身を考え、見て見ぬふりをしている教師は社会的には問題のない先生。本人やクラス、チームのことを真剣に考えた結果、手を上げてしまった先生は“問題教師”のレッテルを張られる。だから、絶対に我慢するよう指導するしかない」と、県内の公立学校のある校長の話を紹介しておられます。
そして「行き過ぎた体罰は当然許されない。だが、真剣に子どもと向き合う日々で、手を上げてでも伝えなくてはならないこともあるのではないか。その時、一番胸を痛めているのは先生かもしれない」と結んでおられます。

27日の朝、私はこの記事を読んで愕然【がくぜん】としました。問題解決には暴力が一番だと考えておられる方々の、世間でしばしば耳にする、もっともらしい話です。しかし、それを新聞記者の署名記事に見つけるとは思いもしませんでした。
山口さんは、体罰をした先生がなぜ手を上げるに至ったのか、その原因が詳しく報じられていないとお嘆【なげ】きのようです。つまり、生徒の方に落ち度があったならば、殴られても仕方がないと考えておられるようです。
さらに、真剣に子どもと向き合う日々で、手を上げてでも伝えなくてはならないこともあるのではないかとも記しておられます。
山口さんは学校教育法体罰そのものがいけないとされていることをご存じないのでしょうか。

社会の公器と言われる新聞、読者からの投稿を選別し掲載する権力を持つ新聞、その新聞が道理に適【かな】わない記事を堂々と載【の】せています。

ちなみに、当日の朝、長崎新聞社・佐世保支社に電話を入れました。山口さんは不在でしたが、折り返しすぐ電話をいただきました。
電話では、上に述べたことの他に、体罰により体が傷つき、心が傷つく子供たちがいることを知っていただきたい。また、傷つく子供たちがいるのであれば、学校教育に体罰が相応しくないことをご理解いただきたいとお話しました。さらに、不幸の悲劇のキーワードが暴力であることも。だから、どんな暴力もみとめてはいけないことも。
山口さんは「貴重なご意見を有難うございました」と言われました。
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