有紀さんは、担任との個人面談の中で生徒会への立候補を薦められたそうです。しかし、それを固辞したとのこと。
1,2週間前も立候補をすすめられたようですが、その際も断ったと言っていました。
理由を訊ねると生徒会よりも専門部をやってみたいと言います。
私が「有紀さんは、生徒会っていう感じではないよね。」と言うと、
「そうやろっ!」とわが意を得たりという感じでした。
本来、他者のことをとやかく言うことのない有紀さんが、このところ担任のことをよく言いません。
「どこが嫌いと?」と訊くと「何となく」と言います。
昨日の個人面談の様子を聞く限り、担任に反抗したり無視したりしているのではありません。
生徒会への立候補を薦められたり、中学生になる担任のご子息についての愚痴みたいなものを聞いたりと、担任とは一応のコミュニケーションを図ってはいるのですが、「何とはなく」嫌いなのです。
生徒に対して無神経な言葉を浴びせかけたり、体罰をふるう様など日頃の担任の言動を目の当たりにして、敬愛の念が湧き起こってこないとしても、それは無理ないことでしょう。
つまり、そのような大人に対する嫌悪感なのでしょう。
それは、有紀さんに限ったことではありません。
塾生の口からも、親や教師に対する尊敬の念のこもった言葉がなかなか聞かれません。
大人を尊敬することのできない子供が悪いのでしょうか?
それとも、子供に尊敬されない親や教師・大人が悪いのでしょうか?
2003年11月26日(水)記
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教師と生徒だけの閉ざされた空間で、どんなことが起きているのか。私たちは、正しく知る必要がある。
大阪の府立高校の女子生徒が髪の毛を黒く染めるよう強要されたことを契機に「ブラック校則」問題が語られるようになったが、学校は何のために、そして、誰のために存在するのか、さらに議論の輪が広まることを期待したい。