くるみさんは中学の3年間、毎年8月の4日・5日に山形県天童市で開催される全国中学生選抜将棋選手権大会に出場してきた。
くるみさんは小学2年生の春に、小学5年生だった姉の有紀さんと共に、現日本将棋連盟佐世保支部長で将棋教室「秀楽」を主宰する松山秀樹先生に将棋の手ほどきを受けた。
それから1年も経たない翌年の2月に開かれた小学生将棋名人戦県大会に出場し、並み居る上級生の男の子たちを押しのけ優勝をかっさらってしまった。
こうして、県代表として出場した小学生将棋名人戦西日本大会で大阪に行ったのを皮切りに、各地で開かれる将棋大会に家族で出かけた。振り返ると楽しい想い出ばかりだ。
ただ終始、くるみさんも有紀さんも、将棋に対して特別な思いを抱くことはなかった。
もちろん、嫌がることはなかったが、かといって特に面白いとか楽しいといった風でもなかった。週1回土曜日の将棋教室に私と一緒に通い、与えられた詰め将棋を淡々と解き、案内のあった大会に参加した。ただ、それだけのことだった。
それでも、無欲の勝利というか、2人とも県代表の座がかかる一戦にはめっぽう強かった。おかげで、女房どの共々、あちらこちらに連れて行ってもらった。
全国大会に行っても、中学生になっても、松山先生に最初に教わった「棒銀」という唯一の戦法で果敢に戦っていたのを懐かしく想い出す。
将棋を通して、いろんな方との出会いがあった。その道を極めんとするプロ棋士のみなさんとも親しく接していただく貴重な機会を数々得た。それらは、私たち家族の大切な宝物となっている。
将棋に出会えたことを本当に幸せに思う。
時が流れ、子供たちが成長し、自我が確立されると、2人は自然と将棋から離れていった。
結局、2人とも将棋にのめりこむことはなかった。
有紀さんが高校1年生の時だった。高文祭の全国大会で好成績を挙げ、そのことで高校竜王戦の女子枠に推薦されたが、それを受けるかどうか決断を迫られたのを機に将棋を卒業した。同時に、中学生になったくるみさんも将棋からまったく離れた。
そこまで、そこそこの結果を残し、周囲の期待もあった。が、それは見事なほど、実にあっさりとしたものだった。
しかし、くるみさんの中学選抜だけは、松山先生にご案内をいただくたび毎、有紀さんもこれだけは出たのだからと説得した。なんてことはない、ひとえに私の楽しみのために付き合ってもらったようなものだった。
くるみさんは中学の3年間、他の大会に参加するどころか、駒に触ることもなかったが、中学選抜の全国大会にだけは出場してくれた。
そんなことで参加した全国大会、私が大いに楽しんだのはもちろんだが、くるみさんもそれなりに楽しんだようだった。
各県代表として全国から集まった選手たちは、選手たち同士で同じ宿に2泊するということもあって、それなりの絆【きずな】ができる。年賀状やメールでその友情は育まれているようだ。
その中の1人に東京の小野ゆかりさんがいる。その小野さんが20日に行われたアマチュア女王戦で優勝し、第14代アマ女王になった。
そのニュースを聞いて、関連のページを開いてみて驚いた。なんと、やはり同級生である大阪の室谷由紀ちゃんが13代のアマ女王に就いていた。そして、2人とも決勝戦で現女流アマ名人の笠井友貴さんを降して優勝しているのだ。さらに驚くことに小野さんは12代のアマ女王でもあった。
くるみさんの友だちには、すごい人たちがいる。
小野ゆかりさん、室谷由紀ちゃんの益々の活躍を楽しみにしていよう。
くるみさんは小学2年生の春に、小学5年生だった姉の有紀さんと共に、現日本将棋連盟佐世保支部長で将棋教室「秀楽」を主宰する松山秀樹先生に将棋の手ほどきを受けた。
それから1年も経たない翌年の2月に開かれた小学生将棋名人戦県大会に出場し、並み居る上級生の男の子たちを押しのけ優勝をかっさらってしまった。
こうして、県代表として出場した小学生将棋名人戦西日本大会で大阪に行ったのを皮切りに、各地で開かれる将棋大会に家族で出かけた。振り返ると楽しい想い出ばかりだ。
ただ終始、くるみさんも有紀さんも、将棋に対して特別な思いを抱くことはなかった。
もちろん、嫌がることはなかったが、かといって特に面白いとか楽しいといった風でもなかった。週1回土曜日の将棋教室に私と一緒に通い、与えられた詰め将棋を淡々と解き、案内のあった大会に参加した。ただ、それだけのことだった。
それでも、無欲の勝利というか、2人とも県代表の座がかかる一戦にはめっぽう強かった。おかげで、女房どの共々、あちらこちらに連れて行ってもらった。
全国大会に行っても、中学生になっても、松山先生に最初に教わった「棒銀」という唯一の戦法で果敢に戦っていたのを懐かしく想い出す。
将棋を通して、いろんな方との出会いがあった。その道を極めんとするプロ棋士のみなさんとも親しく接していただく貴重な機会を数々得た。それらは、私たち家族の大切な宝物となっている。
将棋に出会えたことを本当に幸せに思う。
時が流れ、子供たちが成長し、自我が確立されると、2人は自然と将棋から離れていった。
結局、2人とも将棋にのめりこむことはなかった。
有紀さんが高校1年生の時だった。高文祭の全国大会で好成績を挙げ、そのことで高校竜王戦の女子枠に推薦されたが、それを受けるかどうか決断を迫られたのを機に将棋を卒業した。同時に、中学生になったくるみさんも将棋からまったく離れた。
そこまで、そこそこの結果を残し、周囲の期待もあった。が、それは見事なほど、実にあっさりとしたものだった。
しかし、くるみさんの中学選抜だけは、松山先生にご案内をいただくたび毎、有紀さんもこれだけは出たのだからと説得した。なんてことはない、ひとえに私の楽しみのために付き合ってもらったようなものだった。
くるみさんは中学の3年間、他の大会に参加するどころか、駒に触ることもなかったが、中学選抜の全国大会にだけは出場してくれた。
そんなことで参加した全国大会、私が大いに楽しんだのはもちろんだが、くるみさんもそれなりに楽しんだようだった。
各県代表として全国から集まった選手たちは、選手たち同士で同じ宿に2泊するということもあって、それなりの絆【きずな】ができる。年賀状やメールでその友情は育まれているようだ。
その中の1人に東京の小野ゆかりさんがいる。その小野さんが20日に行われたアマチュア女王戦で優勝し、第14代アマ女王になった。
そのニュースを聞いて、関連のページを開いてみて驚いた。なんと、やはり同級生である大阪の室谷由紀ちゃんが13代のアマ女王に就いていた。そして、2人とも決勝戦で現女流アマ名人の笠井友貴さんを降して優勝しているのだ。さらに驚くことに小野さんは12代のアマ女王でもあった。
くるみさんの友だちには、すごい人たちがいる。
小野ゆかりさん、室谷由紀ちゃんの益々の活躍を楽しみにしていよう。