峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

満開のサクラの下で

2006年04月06日 | 私塾
3月いっぱいまで卒業生が塾に来て、それぞれの高校で与えられた課題をやっていました。
多様化の時代と言われますが、今年度の卒業生の進学先もそれぞれでした。地元の清峰高校を始めとして、松浦高校・佐世保工業高校・佐世保商業高校・佐世保中央高校・佐世保西高校・佐世保北高校と、定員が中1から中3まで12名の塾でこんなにバラバラなのです(多少定員オーバーします)。

サクラも満開の頃となり、我が塾も今週から新しい仲間が加わっています。
さぁ~、新年度が始まりました
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの日を忘れない

2006年04月05日 | 町内会長
月曜日の午前中、町主催の招魂祭【しょうこんさい】に出席しました。先の戦争で亡くなられた方の御霊【みたま】をお慰【なぐさ】めする式典です。
この日、昨日までのお天気とは打って変わり、真っ青な空が一面に広がり、穏やかな陽光のもと桜の花が満開でした。

私の父は教員をしていましたが、その父が教頭になる時、平戸の先の大島村という小さな島に赴任しました。
両親と弟と妹、そして私の一家5人は、大島の緑ヶ丘住宅という教員住宅に住むことになりました。その住宅側の道路から一段上がった所が広場になっていて、そこは「ショウコンジョ」と呼ばれていました。今しにして思えば、「招魂場」だったのでしょう。

私は小学1年生から4年生まで、周囲を海に囲まれたこの小さな島で過ごしましたが、さまざまなことが今も鮮やかによみがえります。それほど胸ときめくような、きらめくような島の生活でした。

あの時、父は38歳でした。今、私は、その年齢をはるかに超えています。

町長が記念碑に向かい鎮魂【ちんこん】の言葉を述べ終わりました。こちらに背を向けたまま、ズボンのポケットからハンカチを取り出し目を押さえていました。涙があふれたようでした。彼は物心付く前に父親を戦争で失っていたのです。
町長は子供の頃、この招魂祭にきては、お前んとこの父ちゃんはああだった・こうだったといろんなおじさんから父親の話を聞いたそうです。

この日、町長の他にも多くの遺族の方々がお集まりでした。
戦後61年、戦後はまだ続いています。

写真は、当日の会場の桜です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の神さま

2006年04月04日 | 夫婦
疲労感がなかなか抜けず、家族、中でも女房どのに迷惑をかけています。

絵理子さんのところへ遊びに出かけたり、普段会えない中学時代の友人たちと会ったりと春休みを楽しんでいた有紀さんが2日・日曜日の夕方、寮へ戻りました。

この日も、午前7時からの町内会清掃、引き続いて10時から正午までの班長会、昼食をはさんで、午後1時から4時までの春期講習会と続きました。

新年度、初めての班長会では、各部の引継ぎが主な目的だったのですが、班長さんの各部への割り振りが難航し、結局、月末の定例班長会まで持ち越しとなりました。

日本・アメリカ・中国・韓国の高校生へのあるアンケート調査によると、リーダーシップをとれる生徒になりたいかとの問いに、米・中・韓の高校生は50%以上の子供たちがそう在りたいと答えたのに対し、日本の高校生は、わずか15.7パーセントであったといいます。
日本の子供たちが責められるべきではありません。日本の大人たちがそうなのですから。
とにかく、少しでも責任が生じそうな役割を担うことを私たち・ほとんどの大人が嫌がります。

私たちの社会が、よりよいものに育っていくためには、いろいろと乗り越えなければならないことがあるのを思います。

春期講習会を終えた後、居間でダウンしていました。しかし、有紀さんを送って行かなければなりません。ところが、女房どのが自分が送っていくからゆっくりしていてと言ってくれるではありませんか
女房どのも年度末、新年度を多忙に過ごしています。やはり、体調が十分ではありません。しかし、この日は女房どのの言葉に甘えるほかありませんでした。

女房どのは、私にとって女神さまです

写真は、満開を迎えた我が家のサクラです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館の誕生日

2006年04月02日 | 絵本の読み聞かせ
きょうは新年度の最初の日曜日、毎月1度の町内会清掃の後、集会所で今年度第1回目の班長会を開きます。その準備をしていたら、すっかり遅くなってしまいました。

昨日は佐々町立図書館の7回目の誕生日でした。
いつもの第1土曜日は午前中の11時から30分間だけ「読み聞かせ」を行っていますいますが、この日は特別、午後からも行われました。内容も特別です。

11時5分くらい前に図書館に着くと、絵本を楽しみにしている子供たちとそのお母さん方がすでに集まっています。グループのメンバー4人もそろっています。
4月からグループの代表も変わってもらったのですが、新代表とそのことを話していると、すぐ前に赤ちゃんを抱いて座っておられたお母さんがおもむろに立ち上がり、振り向きざま「絵理子さんのお父さんですよね!」と仰います。とっさにどなたか分からなかったのですが、名乗られて長女の中学1年の時の担任の先生であることが分かりました。
現在、再び佐々中学校にお勤めなのですが、育児休暇中でいらっしゃいます。幼い3人のお母さんになっておられました。数ヶ月前までくるみさんの英語の先生でもありました。

定刻になり「読み聞かせの会」が始まりました。トップバッターは私です。おなじみの絵本「3びきのやぎのがらがらどん」を読みました。

その後、素話【すばなし】、紙芝居、パネルシアターと続き、最後は「ビュンビュンゴマ」を作って、みんなで遊びました。
就学前の小さい子供でも両手を持ってやり、紐【ひも】を引っ張り、戻す感覚を教えると、すぐにできるようになりました。

あっちこっちで「できた、できた!」「すごい、すごい!」の歓声がひとしきり上がり、やがて子供たちがその場を去っていったのが12時前でした。
甲子園では清峰高校のベスト8をかけた戦いがすでに始まっています。それはもう、大急ぎで帰りました。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜花爛漫【らんまん】の春

2006年04月01日 | 私塾
昨日は3月31日、平成17年度の終わりでした。
私のもとに通ってきてくれた15歳の少年・少女との一応の別れの日でした。それぞれがそれぞれの言葉でこれまでの思いを言葉にして、私のもとを飛び立っていきました。彼らの人生に幸多からんことを願わずにはいられません。
わざわざご挨拶にお見えになる保護者の方もいらっしゃいました。お気持ちを形にしてあらわされる方もいらっしゃいます。お心だと、ありがたくいただきました。

そんな中、さとし君のお父さんが金曜日の青少年健全育成会の臨時専門委員会の資料を届けに来てくれました。
玄関で立ったまま、昨夜話し合われた内容をざっと聞きました。関わっているみんなが、何かを模索し始めつつあることが伺えます。心ある人たちの中からなんとかしたいという気運が高まりつつあるのを感じました。面白くなりそうです。

さとし君のお父さん、帰りしなにいったん玄関の扉を開け、酒のつまみにどうぞと表からラップのかかった小鉢(写真)を取り出し、差し出されました。
野蒜【のびる】でした。

午後10時、最後の卒業生を送り出した後、いつものように晩酌【ばんしゃく】です。女房どのの手作りのおかずと共に、その野蒜が食卓に上りました。
野蒜が丁寧に巻かれてあります。その上に、おそらくは手作りの酢味噌が載せてありました。鮮やかな緑の野蒜をほおばり、ゆっくりと噛みしめると、口中に一気に春の味が広がりました。

うららかな春の日です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする