峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

途方に暮れる

2008年02月16日 | 学校教育
不登校状態が続いた場合、学校や地域はどのような対応を心がければよいか、昨日、学校心理士の齊藤さんのお話を紹介したが、佐々中学校がどのような対応を取っているのか記すのが落ちていた。

教頭によると「担任が家庭訪問しても居留守を使われる」「緊急先のケータイに連絡を入れても通じない」ということだった。残念ながら、それ以上の話は聞けなかった。
齊藤さんの話と比べ天と地ほどの開きがあるが、民生委員・児童委員になって以来、いわゆる「教育関係者」のみなさん方と接してきて、この開きをなくすのは無理だと最近思うようになった。

不登校の生徒を「怠学」「義務教育違反」と切り捨てる人たちには齊藤さんの声は決して届かない。

きょうの新聞に「授業時間数30年ぶり増加」の見出しが躍っている。文部科学省は「ゆとり教育」路線を転換した。
学校が子供たちが理念なき教育行政に翻弄【ほんろう】され続けている。
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学校はどこへ

2008年02月15日 | 学校教育
水曜日に行われた佐々町の学校関係者と民生委員・児童委員との懇談会、先ず冒頭に各学校長からそれぞれの学校の最近の様子が述べられた。
中学校の教頭の話では、現在、佐々中学校には相当数の不登校の生徒がいるという。教頭は、その原因を「半分が怠学【たいがく】」つまり、なまけている子供たちで「半分は義務教育違反」つまり、親が学校に行かせないのだと、不登校の生徒についての中学校の認識を明示された。教育委員会の次長も同席されていたが、それについて異論をはさまれることもなかったから同様の認識なのだろう。

一方、きょうの地元紙の「うず潮」という欄に佐世保市青少年教育センター相談員で学校心理士の齊藤征志さんという方が「不登校児童生徒への理解」という文章を寄せておられる。
齊籐さんによると、全国で12万人を超える不登校児童生徒の中で中学生がその8割を占めるという。その要因はさまざまだが、中学校での授業形態や対人関係などに起因するものが大きいそうだ。
不登校になったきっかけについての文部科学省の調査では、小学校は分離不安(親から離れる不安)や緊張、無気力など「本人の問題に起因」することが最も多いのに対し、中学校では「学校生活に起因」することが最も多く、次に「本人の問題」「家庭生活」の順だという。
学校生活に起因するものの中には、いじめなどの友人関係をめぐる問題や教師との関係、学業不振、部活動や入学・転学の不適応などがあるとしている。

齊籐さんは不登校状態が続いた場合には、次のような考えを持ち、状況に適した対応を心がけてほしいと訴えている。
1, 単に学校に登校するという結果のみではなく、将来の社会的自立に向けた支援の視点を持つ。
2, 本人の自立する力を信じて待つだけでなく、学校や家庭・地域においても自立しやすい環境づくりに取り組む。
3, 不登校は決して「心の問題」ではなく「心と教育の問題」である場合が多いといわれている。教職員は本人のみならず、保護者の心情も受容しながら、組織体としての支援活動を行う。
4, 学校復帰を果たす最善のカウンセラーは保護者と教職員でもある。他の児童生徒の温かい関わりと合わせた支援が必要だ。
そして最後に、人はだれでも「承認欲求」「所属欲求」「安心欲求」等を持っています。不登校児童生徒の損なわれた感情や欲求を癒【いや】すことから始めましょうと結んでいる。

先にあげた佐々中学校の不登校児に対する認識は、文科省の調査や齊籐さんの認識、思いとはずいぶん異なる。
ただ、中学校や教育委員会の認識が世間の認識からずれているのかというとそうではない。ほとんどの民生委員・児童委員までもが学校側と同じなのだ。それが、しんどい。

佐々町民生委員・児童委員協議会では昨年から、町内の小中学校にお願いして、授業参観の日に授業を見学させていただき、その後、学校長との情報交換会のようなものを行っている。その席では不登校の生徒の話が中心だが、常に「親が、悪い・どうしようもない・困ったもんだ」に終始する。これを突き崩すのが容易でないことを、これまで嫌というほど思い知らされてきた。

東京世田谷の和田中学校で、なんと学習塾の授業が始まったという。校長が保護者らと結託し、学習塾にお願いした。私立に負けないためにと校長は熱く語っていた。
彼は民間の会社の出身だ。普通の校長が保身を考えるのとは逆に、自身のキャリアアップを考えるのは当然だろう。ひたすら企業論理の運営に走り、それを保護者も支援する。

学校が本来の機能を果たせずにいる中、学校が学習塾に乗っ取られる時代が始まっている。
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愛があるからいい

2008年02月14日 | 夫婦
中学理科で「オームの法則」が出てくる。回路を流れる電流の強さは電圧に比例する。また、同じ電圧でも抵抗が大きいと電流は流れににくくなるというものだ。このオームの法則を表す式の覚え方に「愛(I)がある(R)からいい(E)」というのがある。中学生に最もうける公式の覚え方だ。

さて、女房どのは毎朝、午前5時半ころ床を離れ、洗面・化粧を済ませ、神壇と神棚の榊【さかき】の水と御水を替えニ礼二拍手一礼し、その日のわが家の無事を祈る。その後、朝食の準備をし、出来上がったものを食卓に並べ、くるみさんが起きてくるのを待つ。
私はといえば、女房どのが起きてくるころを見計らい、居間のエアコンとカーペットとコタツとテレビのスイッチを入れ、朝のあいさつだけ交わし横になったままウトウトとしている。

こう、冬場の朝の様子を記しただけで、わが家がだれで保っているかが分かる。
今朝もそんな感じで、女房どのとくるみさんが出かけた後、やおら起き出してみると食卓には朝食と共に赤い紙袋が置いてあった。中には包装紙からそれと分かる物が入っている。
昼前、女房どのから「テーブルの上の紙袋の赤い包みはバレンタインチョコだよ。食べてね」とメールがあった。

こんなどうしようもない私でも見捨てることなく、生きてゆく希望と勇気を与えてくれる人がいる。人は愛されることで強く生きる力を得られるのかもしれない。

女房どの、サンキュ^^
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こんな夜は きみのそばでなければ

2008年02月13日 | 民生児童委員
午後から町の民生児童委員協議会の定例会に出席した。
この日は、町内の小中学校長、及び教育長との懇談会が予定されていた。しかし、出席者は教育長ではなく次長、中学校長ではなく教頭、佐々小学校長ではなく教頭、かろうじて口石小学校だけ校長の出席があった。みなさん、出張だそうだ。急に決まった集まりではない。年に2回、毎年予定に組みこんである会合だ。この日都合が悪ければ、都合のつく日に改めればいい。そうするほどまでのことはないと考えるのであれば、止めてしまった方がよい。形だけ整えるのが最も悪い。
席上で発言しようと思ったが、どうせわかってもらえないだろうからとやめた。あ~ぁ、長いものに巻かれている私がいる。

少年の引き起こす重大な事件が私たちの社会に警鐘【けいしょう】を鳴らし始めて久しい。少年少女の自殺も深刻な問題だ。また、親が子を、子が親を殺害するという痛ましい事件も後を絶たない。それどころか、不登校・万引き・いじめ・低学力・給食費未納・教員による体罰・セクハラ・ネグレクト(養育放棄)などといった子供を取り巻く日常的な問題の解決の糸口さえも見つけられないままだ。しかし、私たちの危機感は恐ろしく鈍い。当事者なのに何故か他人事だ。

「学校と地域の連携が必要だ」という学者や評論家、そしてマスコミに関わる人々が、いったいどれほど地域との関わりの中で生きているのだろう。そんな彼らの無責任な声に、ただ何となく乗っかっただけの懇談会とか協議会とか連絡会などといったものから何が生まれてくるというのだろう。
このような会合に出席するたび、絶望感に打ちひしがれそうになる。
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果報【かほう】は寝て待つ

2008年02月11日 | 家族
昨年末、日本将棋連盟の佐世保支部長である秀楽先生から電話をいただいた。今年度から小中高で顕著な活躍があった子供たちに対し、日本将棋連盟からそれぞれ初段、二段、三段の免状が与えられることになり、県内では、くるみさんが中学生としてその対象となったというのである。
吉報【きっぽう】はいつも突然にやってくる。へぇ~という感じで承っていたが、土曜日の佐々町囲碁将棋大会の際、その立派な免状をお持ちいただいた。
桐箱の中から取り出したその免状を恭【うやうや】しく押し広げてみると、そこにはたいそうな和紙に日本将棋連盟会長・米長邦雄、名人・森内俊之、竜王・渡辺明の名が墨痕【ぼっこん】鮮やかに認【したた】められてあった。

彼ら天才に我が子が認められたのである。これが興奮せずにおられるものか。
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佐々町囲碁将棋大会

2008年02月10日 | 将棋
今年で2回目になる佐々町社会福祉協議会主催で、町の各方面から協力をいただいている「高齢者・小中高校生 囲碁・将棋大会」が昨日行われ、私も将棋の方の世話役として参加した。

公民館活動の一つとして始まった高齢者による子供たちへの囲碁指導が町内で空前の囲碁ブームを呼んだ。その結果、今では佐々の子供たちが県を代表して団体戦・個人戦の全国大会出場を果たすようになっている。背景に、佐々町では囲碁をたしなむ高齢者が多いということがある。今大会の世話役にも8人の方が名を連ねておられる。
それに引きかえ、将棋をたしなむ方は少ない。世話役は今年も、将棋を指さない私一人であった。そこで去年同様、日本将棋連盟佐世保支部長であり将棋教室「秀楽」を営まれる松山秀樹さんこと秀楽先生と、将棋をこよなく愛する増本さんに応援をお願いしたところ快【こころよ】くお引き受けいただいた。お二人には、有紀さん・くるみさんが将棋の手ほどきをしていただいたのをご縁に、いろいろとお世話になっている。

午前8時半、大会会場となっている佐々町福祉センターに着くと、すでに選手や保護者、来賓、世話役、社会福祉協議会職員等、たくさんの方々がお集まりだった。
秀楽先生とざっと打ち合わせる。去年の成績を参考に、お集まりいただいた後、みなさんのお話をうかがいながら、クラス分けをすることにした。大会の趣旨は高齢者と子供たちとの交流、町内のいろんな人の交流だ。勝ち負けは2の次である。
午前9時の開会式の後、囲碁会場と将棋会場にわかれ試合開始だ。みなさんのご理解があり、和気藹々【わきあいあい】のうちに大会を進めることが出来た。

表彰は各クラス3位までトロフィー・盾と表彰状が用意してあったが、今回は秀楽先生のご好意で深浦八段の王位就位記念の扇子を3本用意いただいた。もちろん、将棋大会参加者限定である。
すべての対局が済み、結果が出たところで入賞者を除いたみなさんに各クラスごと1人ずつ当たる抽選をしたが、これが一番盛り上がった。

囲碁将棋参加者総勢100名を超えたようだったが、そのうち将棋の部の参加者は20名、囲碁より一足早く終了し、社会福祉協議会職員のみなさんに用意いただいたおにぎりとたくあんの昼食をいただき、その後、表彰式、解散と相成った。

松山先生、増本さん、おつかれさまでした。有難うございました。
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受験を楽しむ

2008年02月08日 | 家族
昨日、今日と穏やかな日が続く。ふと気付くと梅の花が開いていた。春はもうそこまで来ている。

有紀さんが昨日。私立大学の受験に臨んだ。
一昨日、大村を発った有紀さんは、福岡の研二くん・絵理子さん宅に向かった。受験先は私立も国立も福岡である。受験よりも研二くん・絵理子さんに会うのが目的ではと思えるほどだ。それほど3人は仲が良い。実際、最終的にどこを受験するのかの決め手は研二くん・絵理子さんの暮らす「福岡」だった。
くるみさんもそうだが、偏差値至上主義の受験に与【くみ】しない子供たちの歩みを頼もしく思う。

私大の受験は昨日1日だけ、きょうは絵理子さんが午後から休みをとるという。今ごろ2人で買い物にでも出かけていことだろう。2次試験を間近に控えているが、有紀さんは大好きなお姉ちゃんの家で過ごす3泊4日の旅行を楽しんでいる。

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節分に新趣向

2008年02月06日 | 家族
今年、わが家の節分はいつもと趣が異なったものとなった。
前日から台所でシイタケの良い香が漂っていたと思っていたが、その日は朝から女房どのが台所で太巻【ふとま】きを作っていた。また、有紀さんの所へ差入れに行くのかななどとぼんやり思っていたのだが、そうではないことが夜になって分かった。

夕方、風呂から上がると、大皿に載った女房どの特製の立派な太巻き5・6本を前にして女房どのとくるみさんが笑いながらああでもないこうでもないとやっている。聞けば、今年最も良いとされる南南東の方角を向き、願い事をしながら、一言も発せず太巻1本を丸ごと食べるとその願い事がかなうという習わしがあり、それにくるみさんが挑戦するというのだ。
どこで聞きかじったのか知らないが面白そうだ。さっそくビデオに収めることにした。

デジカメ撮影後「よ~いスタート」の私のかけ声でいよいよ、くるみさんの挑戦が始まった。ふだんのくるみさんは、どちらかといえば小食の方だ。それが太巻き1本丸ごとである。基本的に寿司はギュッと圧縮されている。女房どのいわく、かなりのご飯の量だ。それでも、くるみさんは私の実況放送に笑いをこらえながら黙々と口の中に太巻きを押し込んでいき、ついには食べきったのだった。

こんなことを面白がってやるのはくるみさんと私ぐらいだが、果たして来年以降、我が家に定着するのだろうか。
女房どのと私はというと、後に一口大に切ったものを美味しくいただいた。
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自立するために

2008年02月05日 | 私塾
帰郷している健太くんが勤務の終えた治彦くん、愛ちゃんと共に夕方6時ころ顔を見せてくれた。治彦くん、愛ちゃんは佐々に住んでいるから時々顔を合わせるのだが健太くんとは久しぶりだ。現在、茨城に住んでいるという。
玄関から教室に向かう廊下を歩きながら3人とも「うわ~、この臭いだっ。全然変わっとらんね」などと懐かしがっている。彼らは26歳になるというから10年ぶりの来訪となる。その間、健太くんは1度来訪してくれていたが、彼のことはずっと気になっていた。

健太くんは中学入学と同時に私のもとへ通ってくるようになった。やるべきことをきちんとやれるしっかりした子供で、学業の方も入学時から緩やかな右肩上がりを示し、3年生になるころには学年200人くらいいる中で5番前後の立派な成績を収めるようになっていた。3年生になるころ1度、その気になればトップをねらえるがどうだと水を向けたことがあった。しかし彼は、今の学習のペースがいいとその話に乗ってこなかった。ただ、彼のお母さんは、常にもっと上を目指すよう求めた。私にもそう指導して欲しいと訴えられた。

やがて、彼は高専に進学した。彼らしい選択だと思った。コンピュータゲームが好きだった彼は将来、プログラマーになりたいと言っていた。
ところが高専卒業後、彼は就職しなかった。高専卒業後、1・2年して訪ねてきてくれた彼は、やりたいことがあるんだと自分で描きためているデザイン集を見せてくれた。
私は、何となく彼の気持ちが分かったような気がした。

あれから3・4年経っただろうか。健太くんに今何をしているのと尋ねると「アルバイトですね。やりたいことが1つあるので、親にもう少し待ってくれと言っています」と答えてくれた。
さらに、やりたいことって何だよと聞くと、彼は笑いながらウ~ンと返事をためらった。私は、そうか、今は胸に秘めておきたいということだなとそれ以上尋ねるのを止めた。

今も、彼はあのころの夢を追いかけているのだろうか。それとも、何か新しい夢でもできたのだろうか。彼のとても明るい笑顔に、存分にたくましく生きている様子がうかがい知れた。
彼は親元を離れ、自らを育て直しているのだろう。

彼らの帰りしな、中1の男の子とそのお母さんが入塾の挨拶に来られたのと玄関で鉢合わせになった。
君たちも10年前はこんな感じだったんだよと言うと、みなは「可愛かね!」と口をそろえた。さらに健太くんが「今じゃ、いいおっさんですよ」と自嘲気味【じちょうぎみ】に笑いを誘った。そして、少年に頑張れよと声をかけてくれた。
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自律は自立で自由へ

2008年02月01日 | 学校教育
有紀さんの通う高校ではね、授業開始と終了を知らせるチャイムが鳴らないんだよ。だから、時間がきたら生徒は自ら席に着く。今、ケータイで聞いてみたんだけど、先生が来る前にちゃんと席に着いているんだそうだ。チャイムが鳴らなくても始業時間がくれば自ら席に着く。なんだかかっこいいよね。自律的であるってこと。
授業を受けることって権利なんだから本来、主体的であるはずなんだ。有紀さんもくるみさんも橘香館のそんな自由を保証してくれる校風が気に入ったんだね。言いかえれば、生徒を信頼している学校とも言える。

自由って、責任を持って何かをすることに束縛や強制などがないことだよね。大人に言われなくても、何かにせかされなくても自分がやりたいこと、また、やるべきことは責任を持ってやる。それは、とりもなおさず自分たちの自由を譲り渡さないってことなんだ。だから「自由」と「自律」って不可分の関係にある。
まぁ、そうはいっても多くの中高校生にその実感はない。それは、この国の教育がゆがんでいるせいさ。一方的に教師の価値感をおしつけるだけの、また、一方的に知識を詰め込むだけの、そして、より高い偏差値の大学に合格させるためだけに四苦八苦する授業に、子供たちが価値を見いだせるはずもない。

橘香館ではケータイも自由に使えるんだ。さすがに授業中には応じてくれないけど、休み時間には返信が来るし、話すこともできるよ。いつでも連絡がつくというのは何かの時に有り難い。さっきも今回の真子ちゃんとのやり取りを話したところだよ。私のブログを読んで、あそこまで描くのとか、笑っちゃったとか、2人で笑いあったとこさ。掲示板も見てくれるよう言っといたよ。

ケータイを悪魔の道具呼ばわりし、生徒には決して持たせないようにと親を洗脳する学校もあるように聞くけどケータイが気の毒だ。確かにケータイで悪事をたくらむ大人もいるようだけど、それはケータイを使用する大人の問題だ。決してケータイそのものが悪いんじゃない。ケータイが悪魔の道具だなんて言う教師は、おそらく自分がやばいことやってるに違いない。実際、そういう教員多いから笑い話にもならないけどね。

ケータイは今や必需品だ。今後、さらに私たちの生活にとってその重要度はますます高まっていくだろう。少年期から子供たちが自律心を育くむように接するのは大人の責任だ。それが、今日の私たちの社会ではすべて逆のことがなされてる。学校教育などその最たるものだ。ケータイに関していえば、子供たちからケータイを取り上げたり、遠ざけるようなことをして、それがいったいどれだけの教育的効果を生むと考えているんだろう。それは、むしろ権威をふりかざす者に対しては隠れてやればいいんだ。見つからなければ何をやったっていいんだというようなことを教えているに等しい。これでは、自律心を育む方向とは全く逆の向きだね。食品偽装も、構造計算書偽造も、収賄も、着服も、横領も、み~んなこの延長線上にある。そのことを親も教師も正しく認識すべきだ。
使い方に問題があるのならば、教師はそれをきちんと教えてやるべきだ。学校に持って来ちゃいけないなんて言ってるのは教師が生徒を信頼していない証拠さ。つまり、生徒にケータイなんか持たせた日にはロクなことない、なんて思っているんだ。

家庭においても、もはや中高校生になった子供を説得できるような親なんてほとんどいないし、それが子供にとって良いか悪いか考える余裕もない親もいる。いや、ほとんどの親がそうかもしれないし、判断の基準を持ち得ていない親も多いだろう。歴代政府の無策がお父さんやお母さんから心の余裕を奪ってしまったし、何より学校教育が機能してこなかった。自律は自立に通じるが、真に自立した大人はどれほどいるんだろう。大人は自分自身のことで精一杯。それこそ自律がきかず、自身がケータイを悪用している親や教師もいる。教師がケータイを悪魔の道具呼ばわりするには訳があるんだね。

それから、目標を達成するために今はがまんしろなんていう大人がいるけど、どうかと思うな。より偏差値の高い大学に合格するため全てを犠牲にするなんてバカげてる。私たちは、今を生きてるんだから今を目的に生きるべきだと思う。だって、明日のことなんかだれも分かりやしない。今やっていることを楽しまなきゃね。自立した人はそれができる。勉強だってそうさ。子供たちに勉強を楽しくないものと思いこませた大人の罪は大きい。たとえ、受験勉強であっても、その中に学問の持つ面白さは存在する。つまらない周囲に振り回されてない人は子供であってもそれを知っている。
真子ちゃん、これからも主体的に生きていこうぜ☆
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