峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

早春を頬張る

2012年03月14日 | 夫婦
昨夜、塾の仕事を終え、シャワーを浴び、いつものように遅い夕食の食卓につくと、中皿に盛りつけられた淡い緑色の天ぷらが目にとまった。
「何の天ぷら?」と女房どのに訊ねると「タラの芽よ!」との返事。
まさしく早春そのもののタラの芽を口に頬張る。
軽く塩がふってある。その塩加減が絶妙で、古酒泡盛・瑞穂のロックとの調和にダブルに酔いしれた。

「フキノトウもいいね!」と私。
「くーちゃんは京都で食べたんだって。苦味があるんだねぇって、くーちゃんが言ってた」と女房どの。
くーちゃんというのは、くるみさんのことだ。今日、そのくーちゃんこと、くるみさんと昨日に続いてケータイで話した。その際、フキノトウの話題になった。
「めっちゃ、うまかった」とくーちゃん。

「その苦味がいいんだよ。明日、裏庭から採ってこようっと!」


風はまだまだ冷たい。でも、春を予感させる晴天が続いている。
今日、毎年フキノトウが顔を出してくれる果樹園の隅をぞくと、1つだけ愛らしいフキノトウが姿を現していた。

夜、女房どのがそのフキノトウを天ぷらにしてくれた。
うん、やはり、あの苦味がたまらない。今夕、帰って来た有紀さんと春をガブリと味わった。
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だれが町をつくる

2012年03月13日 | 町内会公民館連絡協議会
午後、今年度3回目となる町内会公民館連絡協議会を開いた。
議題は「今後の町内会公民館連絡協議会について」。つまり、この組織をどうするか。いや、どうしたいのかについて話し合っていただいた。

町内会長役を引き受け、この町内会公民館連絡協議会に出席し始めた当初からこの会の存続意義に疑問を抱いていた私は、今年度この協議会の会長に推されのを機に、昨年度の総会の席上、会の解散を唱えた。
いくつかクリアしなければならない点があるが法的な問題はない。要は私たちの意志の問題であり、覚悟の問題なのだ。

教育長始め教育委員会から6名の出席があったが、彼らの意向に添う必要はないのだ。再三、その確認をとりながら、私たちの町の在り方は、私たち自身が決めるという覚悟が必要であり、その上で行政と手を携え、いや行政の一翼を担うくらいの意識で会の改廃を考えることが大切だと訴えた。私の真意はそこにある。

それにしても、これほど開かれた社会にあって、私たちの中には、まだどこかお上の言う通りに従がわなければならない。従おうとする意識が深く根を張っているのを、今回の議論を通して改めて感じた。
戦後は、まだ終わっていない。
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何故、勉強するの

2012年03月12日 | 私塾
もう30年近く前のことになる。長女の絵理子さんが誕生したその未明、私は、それまで12年間吸い続けてきたタバコを止めた。もちろん、赤ちゃんにとってタバコの煙が害になるのを知ってのことだった。生まれてきた赤ん坊のために禁煙を決意したのだ。
当時、私をよくご存知ない方にこの話をすると、たいてい「意志が強いんですね」と言われた。ところが、それまでに自分の都合で何度禁煙を試みたことか。その度、三日坊主で終わっていた。だから、そのとき何の苦痛もなくピタリと禁煙できたのを私自身本当に不思議に思えた。

タバコを止めるといいことがあった。実は、それまで年に数回、1週間ほど続く、嘔吐を伴う激しい頭痛に悩まされていたのだ。いくつかの大きな病院で精密検査を受けたがいずれも原因不明との診断だった。従って治療の方法もない。それが始まると、悶え苦しみながら、ただその痛みが遠のくのをじっと待つ、そんな日々が続いていた。
ところが、禁煙後その頭痛がウソのように消えた。それから30年、あの忌まわしい頭痛が再び私をさいなむことはない。

私は、生きる指針をそこに見つけることができた。人は、自分のために頑張れると思っているが、実は他者のためにこそ頑張れるのだということ。そして、私利を図ることなく他者のために行う純粋な行為こそが、自らに幸福をもたらしてくれるのだということをだ。
私には3人の娘がいる。そして多くの塾生が私の影響を受けようと私の元に通って来てくれている。私は、体験から得たこの貴重な生きる術を繰り返し彼女らに話している。
決して、自分のために勉強するのではない。将来、だれかのために、何かのために、自分以外のなにかのために力を尽くせるよう、今、学ばなくてはならないのだよ。そして、それこそが人が幸福になる道なんだよと。
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佐々町将棋祭り

2012年03月11日 | 将棋
佐々町将棋祭り〔A級復帰・深浦康一九段を招いて〕ご案内

将棋界のピラミッドの頂点に位置するA級、名人位に最も近いそのA級に佐世保出身の深浦康一九段が復帰されました。その深浦九段を佐々町にお招きし、将棋祭りを開催いたします。
会場は、この度リニューアルした佐々町農業体験施設館です。ここは、これまで小中学生の農業体験施設として利用されてきましたが、今年度から町の活性化の拠点として幅広い活用が促進されています。
施設は、佐々町から遥か九十九島が一望できる高台に位置しており、その絶景は一見に値します。
将棋愛好者だけでなく、一般の方々にも楽しんでいただけるよう趣向を凝らし、みなさんのご来場をお待ちしています。この機会を通し、より多くのみなさんに、日本古来の文化である将棋の魅力に触れていただきたいと願っています。
なお、この催しは、企画・運営すべてに渡り日本将棋連盟佐世保支部他、多くのみなさまのご協力を得ています。みなさまのご協力に感謝申し上げます。

〇期日:平成24年4月1日(日)
〇場所:佐々町農業体験施設館(駐車場有)
〇受付:9:30~

10:00 将棋愛好者による3対局リーグ戦
深浦九段による子供たちへの指導対局
12:00 昼食
13:00 リレー将棋と大盤解説(途中、次の1手数問)
15:00 深浦九段のお話
16:00 サイン会・写真撮影

〇3対局リーグ戦参加費(昼食付)
大 人:2000円
高校生:1000円
〇3対局リーグ戦賞品
深浦九段が少年時代、佐世保の大宮将棋道場で使っていた桂5寸将棋盤に揮毫したもの(駒大付1組)、将棋盤に最高のカヤ材マナ板に揮毫したもの(3枚)、詰め将棋用カヤ卓上将棋盤(1寸5マス×5マス)、扇子数本、将棋本多数、参加者数によっては賞品を増やします。
ポイント上位者から賞品を差し上げます。3対局リーグ戦の1勝は1ポイント、次の1手正解は1問につき1ポイントです。同星の場合は抽選とします。

3対局リーグ戦参加希望者は、昼食・賞品の関係上、事前に予約をお願いします。3月20日までにハガキ・メール・電話等でご連絡ください。会場は街中から離れていますので徒歩ではかなりの時間を要します。車の都合のつかない方はお申し出下さい。主催者の方で会場までお連れします。

主 催:佐々町将棋同好会
連絡先:峰野裕二郎
〒857-0361
佐々町小浦免942-14
Tel.0956-63-3662
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遥かなる道程

2012年03月10日 | 私塾
昨夜、去年の夏の甲子園県大会で佐世保西高・佐世保工高の主力として活躍したかつての塾生たちが顔を見せに来てくれた。
佐世保西高出身の宮本君・嶋崎君・池田君、それに佐世保工高出身の豊村君だ。
みんなそれぞれ進路も決まった。
中学時代のこと、高校時代のこと、そしてこれからのこととあれこれ話した。


道程 高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気迫を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

光太郎の詩をはなむけとしよう。
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葛藤

2012年03月09日 | 父親と子
瞬く間に前庭の椿が花を咲かせた。アルバイトがあるからと、わずか2泊しただけで、くるみさんは一昨日、午前11時佐世保発の高速バスで早々に鹿児島へと戻っていった。

その夜、日記をつけようとして、その日のページの上の枠に記してある去年の記述になんとなく目が行った。
“11時、HPで長大合格発表をくるみさんと2人で見る。残念ながら届かず。すぐに鹿児島大に行くとの気持ちを表す。夕方、絵理子さんから、気分転換にくるみさんを福岡まで遊びに寄越すようメールが入る”
ちょうど1年前、くるみさんの大学受験の全てが終わった瞬間だった。

地域医療に携わる医者になる。くるみさんが1度そう決心したのはいつだったのだろう。
試練は、去年の1月15日のセンター試験から始まった。
この日、長崎県地方は午前中、晴れていたものの午後になり小雪が舞い出していた。
初日1時間目、9時半から10時半まで現社、11時15分から12時15分まで地理、昼食をはさみ午後1時半から2時50分まで国語、3時35分から4時55分まで英語、5時35分から6時35分までリスニングと試験は続いた。

積雪を危ぶみ、急きょ予定を変更し、くるみさんたちは長崎市内のホテルに投宿し、センター2日目に備えた。
そして2日目の朝。9時半から10時半まで生物、11時15分から12時15分まで数1・数A、午後に入り、1時半から2時半まで数2・数B、3時15分から4時15分まで化学、5時から6時まで物理と続いた。

センター試験から6日後の1月21日、くるみさんは長崎大学医学部医学科の推薦入試に臨んだ。さらにその3日後の1月24日、自治医科大学を受験する。
センターの結果からして、自治医科大はともかく、長大の合格を私は確信していた。しかし、その間も、くるみさんは高校の寮で仲間と共に淡々と前期試験に向けて学習に取り組んでいるようだった。

長大の推薦入試の合格発表が行われた2月5日、私は町の囲碁・将棋大会の世話役としてその会場にいた。
合格発表は午前11時、HP上でも行われる。この日は土曜日で、家で待機している女房どのからメールが入ることになっていた。胸の高鳴りは、抑えようとしても抑えられるものではなかった。

残念ながら自治医科大・長大とも合格を果たすことができなかった。私たち夫婦の失意は大きかった。そしてそこから推し量れる当事者であるくるみさんの気持ちを思うと辛かった。
長大推薦入試合格発表の夜、くるみさんと電話で話した。声からは、それほど落胆している様子は感じられなかった。それどころか、二次試験対策の勉強が楽しいと力強く話してくれた。
娘が気落ちせず頑張っているのに、こちらが落ち込んでいるわけにはいかない、女房どのと2人でそう話したことが翌日の日記に記してある。

2月15日夜、久しぶりにくるみさんに電話した。卒業式のことなどあれこれ話した後、「前期で決める」くるみさんは明るい声でそう力強く語ってくれた。
2月25日、くるみさんは長崎大学医学部医学科の一般入試に臨み、そうして1年前の昨日を迎えたのだった。
ここまで2回の戦いに敗れ、ついに最後の砦を失ったとき、くるみさんの中にはもう戦う気力は残っていなかった。

くるみさんは、これまでそれほど負けることを知らなかった。小学生の頃、将棋の県大会では強い男の子たちをきりきり舞いにしては全国大会の切符を手に入れていた。
中学生になっての全国大会女子の部でも1年生の時から決勝トーナメントに勝ち上がり、ベスト4に2度進出した。
学業においても中学・高校とトップを譲ることはなかった。そんな人がここで大きくつまずいた。そのダメージはいかほどばかりのものだっただろう。私のような凡人には知る由もない。親として的確な助言を与えられなかったことについて不明を恥じると同時に申し訳なく思う。しかし、仮初めにも医学の道を志すのであれば、多大なものを超えていかなければならないという覚悟ができていなければならないだろう。

そうであっても、あの時点でのくるみさんとしてみれば、精一杯ギリギリのところで戦ってきての結果だ。刀折れ矢尽きる心境であったとしても止むを得ないことではあった。
当初、くるみさんは前期がだめだった場合の後期出願は、他のところを予定していた。しかし、浪人はしたくないし、2次試験も受けたくないからとセンターの得点のみで間違いなく行ける鹿大理学部を選んだ。

くるみさんが大学に入学してからも折に触れ、くるみさん自身が自らの気持ちを確かめられる手伝いができるよう丁寧に話し合ってきた。
それがつい先日、高校時代の恩師により、くるみさんが無意識に蓋をしていた、その心の壷の奥底に深く沈めた、おそらくは、くるみさん自身蘇らせたくないであろう気持ちに光が当てられた。

鹿児島に戻る高速バスの窓際で大好きな石田衣良の文庫本を片手に、こちらに手を振って応えてくれる、くるみさんを見送りながら、高い志を持たざるを得なかった我が子に対する大きな喜びと少しの切なさを感じていた。
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自分らしく

2012年03月07日 | 家族
月曜日、大村まで来ていたくるみさんが帰ってきた。大学が春休み中とあって、有紀さんもくるみさんも、大いに青春を謳歌しているようだ。

有紀さんは、大学のサークル仲間16人と沖縄へ卒業旅行に出かけた。
コンドミニアムに宿泊し、スキューバダイビングを楽しんだという。

一方、くるみさんは、友人3人と宮崎県の五ヶ瀬スキー場へ出かけた。
民宿に宿をとり、スノボーを楽しんだという。

昨日、くるみさんと恋愛・結婚観から人生観までじっくり話し込んだ。
有紀さんとも、先日、同様にじっくり話し込んだ。

長姉の絵理子さんの行き方が一つのいいモデルとしてある。
有紀さんは、その長姉を尊敬しつつ、自分の道を切り開こうとしている。
くるみさんは、2人の姉を尊敬しつつ、やはり自分の道を切り開こうとしている。
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出会いの広がり

2012年03月06日 | 家族
土曜日、九州大学教育学部・大学院人間環境学府・大学院人間環境学研究院 野島一彦教授の退職記念シンポジウム「心理臨床の多様なひろがり」、とそれに続く野島教授の最終講義を聴講するため女房どのと共に福岡へ出かけた。

この日は、ちょうど3月3日の桃の節句の日。事前に、絵理子さんの家族とお祝いをしようという話になった。
ところが、翌日曜日は町内会清掃の日、また、その後に町内会の会計監査を行ってもらうようにもしていた。したがって、ゆっくり食べて飲んで一泊するというわけにもいかない。
結局、シンポジウムと講義が午後1時から5時半までなので、午前中のうちにお祝いしようということになった。

早朝6時過ぎに自宅を出発した。途中、1度高速道のサービスエリアでひと息入れ、古賀インターを降り、赤間で有紀さんを拾い9時ちょうどに絵理子さん一家宅に着いた。
天使が、また一つ成長していた。
天使を囲んで近況を語り合ったり、絵理子さんの手料理を味わったりしながら雛の節句を楽しんだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。11時半過ぎ、絵理子さん家族に見送ってもらい箱崎の九大キャンパスへと向かった。

野島教授の最終講義の話を、有紀さんは、彼女の所属する教室の友清由希子先生からいただいた。
友清先生は、野島教室のご出身で、今回の野島教授退職記念事業運営の中心的な役割を担っておられた。
先生は、この機会を通し、有紀さんに新たな学習の機会を与えると共に、有紀さんが九大で師事する先生との出会いの機会をも考えて下さっていた。

それとは別に、私は私塾を営む立場から、悩める思春期の子供たちとその親、教師との問題に、あるいは民生児童委員として地域の乳幼児や児童とその親との問題に直面しており、また、女房どのは教員として、学校現場における様々な今日的課題の中に身を置いており、それらは私たち夫婦にとって日常的話題である。当然のように、それぞれが臨床心理学に少なからぬ関心を寄せている。
有紀さんが野島教授の最終講義に誘われている話を聞き、いい機会だから私たちも出席していいかと尋ねると、友清先生にも会えるしねと快く承諾してくれた。

開始10分ほど前に会場となっている文系講義棟201教室に着いた。「当日受付」と書かれてあるテーブルの前に立つと氏名欄に続いて「所属」とあった。日ごろ、自分の所属などというようなものを意識したことがないので一瞬戸惑いを覚えたが、とりあえず「双葉進学会」と記した。正確には双葉進学会を自営しているのであって所属しているわけではない。考えてみれば、いろいろな組織に所属はしているものの改まって所属先を尋ねられると返答に窮する。根本、私は「無所属」なのだ。
続く女房どのと有紀さんも「双葉進学会」としたようだった。この日の講義の出席者のおそらくは全てが関係者で、私と女房どのだけが全くの部外者だっただろう。

受付を済ませ教室に入ると、すでにたくさんの参加者で教室内は賑わっていた。その中に、有紀さんが驚くほどすぐに友清先生を見つけた。
有紀さんが先に挨拶に伺い、私たちも後に続いた。想像していた通りの方だった。

間もなく、友清先生の司会から「心理臨床の多様なひろがり」と題するシンポジウムが始まった。
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社会教育委員って

2012年03月02日 | 社会教育委員
一昨日夕方開かれた町の社会教育委員会・公民館運営審議会に出席した。
いつだったかは忘れたが、かつて教育委員会の担当者から電話が入り、社会教育委員を引き受けてほしい旨の話があった。
そして今回、その最初の会合が行われたのだった。

会議室に入り、指定された席に着くと、テーブルの上にこの日の会議の資料と共に委嘱状が置かれてあった。
そこには「佐々町公民館運営審議会委員を委嘱します。兼ねて佐々町社会教育委員を委嘱します」とある。社会教育委員の話は覚えがあるが、公民館運営審議会委員の話は聞いてないな、などと思いつつ、その期間の記されてあるところに目を移し、我が目を疑った。
「自平成23年4月1日至平成25年3月31日」とある。この日は平成24年2月29日だ。なんと委嘱された日からおおかた1年経って委嘱状が渡され、初の会合が開かれたのだ。

社会教育委員会及び公民館運営審議会は、社会教育法の規定に則り設置されている。言ってみれば、法律があるから作っているだけのことなのだ。これを実のあるものにしていくのは大変だ。「めんどくさい」のだ。それが、このような組織の形骸化につながっているように考えられる。

ともかく、委員の委嘱を受け、せっかくの機会だからとのいつもの思いから、いかにしてこの組織を機能させられるかを念頭に置き積極的に発言した。
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決意

2012年03月01日 | 父親と子
有紀さんは4年生になったばかりの頃、学部卒業後は公務員心理職への就職を考えていた。
ところが、公務員試験目前、信頼する先生に諭【さと】していただいたことにより、大学院への進学を決意する。

進学するとすれば、日本で初めての臨床心理分野の専門職学位課程があり、複雑かつ多様化する心の問題に対応できる臨床心理学の高度専門職業人の養成を目的としている九州大学大学院人間環境学府実践臨床心理学専攻へと有紀さんは考えた。
しかし、大学院への道を照らしてくれたのは日頃からお世話になっている大学の先生だ。人一倍相手の立場をおもんばかる有紀さんは、とりあえず秋に行われた在学している福岡教育大学大学院教育学研究科教育臨床心理学コースの入試に臨み合格した。

その後、有紀さんは、先生方にはなかなか九大受験を告げられないまま1人で受験の準備を進めていたようだ。
この頃、本人とは受験に関して子細な話はしていない。ただ、九大HPの入試要項を見、その準備の大変さを考えると、すでに入学手続きを済ませ、先生方にも期待していただいている大学に残る道を選択することになるのではと思っていた。

とにかく出願書類だけでも相当な備えが必要なのだ。
出身大学の成績証明書及び卒業見込証明書、学士の学位授与申請予定証明書、TOEICの成績証明書、研究経過報告書、臨床実践計画書、卒業論文等々だ。

学力試験は専門科目の心理学、臨床心理学、カウンセリング心理学、障害児心理学、生涯発達心理学、人格心理学の分野からそれぞれ出題される。それに、英語はTOEICの得点のみで成績評価が行われることになっている。新たにTOEIC対策が必要であり、早速受験して相応のスコアをあげなければならない。
この筆記試験をクリアした者だけが次の口述試験へと進むことができる。
口述試験は、当日に研究経過及び、臨床実践計画に関する説明資料をA4用紙3枚以内15部を持参することとなっている。

短期間でなかなか容易ではない備えを求められることとなったが、有紀さんは淡々と、しかもたった1人で準備を進めた。
そして、見事に難関を突破した。

先生方には、ある機会に九大を受験する旨話したところ、好意的に受け止めていただいたようだ。
ただ、卒論を高く評価していただいているようで、残ってほしいとの有り難い声も耳にするようだったが、先生方に受験の結果を報告すると早速、ご縁のある研究室を紹介いただいたり、九大を退職される先生の最終講義に誘っていただいたりと何かと配慮いただいているようだ。

土曜日、有紀さんは、研二君・絵理子さんのサポートを得て、新しい部屋を決めた。もちろん天使も一緒だった。
それにしても、ずいぶんと便利な世の中になったものだ。逐一、ケータイから途中経過が報告され、物件をネットで検索すると、部屋の間取りを始め、建物の外観から周囲の状況等々、つぶさに見てとれる。
十分満足のいく部屋を見つけることができたようだ。瀟洒【しょうしゃ】な建物で陽当たりも良さそうだ。

有紀さんは、昨日から友人らと沖縄旅行へ出ている。先週は広島から島根と回ったようだ。その前の週は別府巡りだ。
残り少なくなった大学生活の醍醐味を存分に満喫するがいい。
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