有紀さんが小学生の頃から慕っていた口石小学校の保健のH先生が退職なさることになりました。H先生にはずいぶんと親しくさせていただいたようです。特に友人関係や先生とのことを話していたようです。
思春期からの子どもにとって親以外に、悩み事などを聞いてもらえる尊敬できる大人が一人でもいるというのはどんなにか仕合せなことでしょう。
一度出会ったのですから有紀さんは悲しむことはありません。H先生との出会いは大きな宝物になりました。
写真は北九州将棋フェスティバルでの山崎五段との二枚落ち戦、駒がぶつかったところです。有紀さんは対局が始まると盤上から目線を切ることがありません。
2004年3月25日(木)記
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当時五段、現在の山崎隆之八段だ。
山崎八段は、前期のNHK杯で見事に2回目の優勝を果たした。その表彰式ではにこにこと嬉しそうだった。
飾らない人柄は今も変わらない。実に魅力的な棋士だ。
写真は北九州市のリバーウォーク
バックは小倉城
昨日は小中学校とも終了式でした。
お昼に帰ってきたくるみさん、元気がありません。好きだった保健の先生が退職なさるからです。
2人でお昼ご飯を食べながら離任式の模様を聞きました。くるみさんは、それはそれは泣いて泣いて、大泣きしたそうです。
北九州から帰って来てからというもの、我が家は教職員の移動の話で持ちきりです。
2004年3月25日(木)記
卒業式 峰野くるみ
今日、卒業式がありました。今年は在校生として最後の卒業式です。
6年生が入場してすぐ国家を歌いました。そして卒業生一人一人に卒業証書がわたされました。この時間が一番長く、正直言って少しきつかったです。
『別れの言葉』とA先生が言われたら、卒業生も在校生もいっせいに立ち上がりました。私はよびかけで4年生の人が『先頭に立ち、活動して下さいました』と言って『色別に別れて競い合った運動会』と言います。今日は練習通りに大きな声で言いました。言うまでは手あせをかいたりして、とってもドクドクと心ぞうの音が聞こえていました。でも、言ったら全くきんちょうしませんでした。
そして歌を歌いました。いつもよりやる気が出て、大きな声ではっきりと気持ちよく歌えました。
卒業生を見送る時のこ笛の演奏もバッチリできました。
くるみさんは低学年の頃から大きな勝負の舞台に立ってきています。勝負の直前まで人一倍緊張しているようですが、いざ勝負に入ると冷静で大胆です。それは当初から今も変わりないように見受けられます。
この作文からそのことを思いました。
2004年3月20日(土)
よびかけの練習 峰野くるみ
今日の放課後、卒業式でのよびかけの練習をIさんとMさんとTさんでしました。運動場のタイヤの所から南運動場の近くの階段のところにいる人に聞こえるかどうかしました。聞こえたら○、とても聞こえたら◎、最高三重丸の3段階の評価で聞いてもらいました。私は◎でした。
私がなぜよびかけをやりたいかというと、在校生として最後の卒業式なのでやりたいと思いました。
「よびかけ」というのは卒業式で、在校生から卒業生に贈る言葉のことです。クラスから6人がそれをやるそうですが、希望者によるものだそうです。
明日は、私も式に出席しようと思っています。
2004年3月17日(水)記
今日6時間目、5年2組の教室で最後のクラブ活動がありました。今日は、1年のまとめということで、反省を書いて発表したりしました。
私はバスケットボールクラブで1学期はあまりボールをとりに行ったりしませんでした。でも、2学期になり、少しずつボールになれてきました。そして3学期ではシュートをうったり、カットをしたり、パスをもらったりして、楽しく活動することができました。
今年1年間バスケットボールをしてとても楽しかったので来年もこのクラブに入りたいです。
帰って来てからも1人でシュートの練習をむやっています。有紀さんの部活がない日は2人で仲良くやっています。姉妹は仲良くあってほしいものです。
2004年3月9日(火)記
授業参観 峰野くるみ
今日5時間目パソコン室で社会の調べ学習をしました。
最初にYahooを開いて「水俣病」と入れてさがしました。そして「水俣病百科」をクリックしてみました。でも、私が調べようとしているものとは違う内容だったので別のにしてみました。するとまた違うような内容が出てきたので戻ろうとすると、先生から受信画面が来て、私がその時ちょうど開いていたホームページの所に行ったので、「これであってたんだ!」と思ったけれど先生は、またその先の「リンク」というところに行ったので、「えっ」と思いました。
私は先生がやっていたようにリンクの所をクリックすると「水俣病10の知識」があって、そこをクリックすると、調べようとしているのがそのままのっていたのでワークシートに写しました。
水俣病とは何なのかを自分は知っているつもりでいたけれど、いざ書くとなると、とまどってしまいました。だから、わかったつもりでいないで、いつ質問されてもいいように水俣病についてくわしく調べていきたいと思いました。
2004年3月1日(月)記
あぶねぇっ! 峰野くるみ
日曜日、お父さんとお母さんと私で佐世保に行きました。駅の近くの「ABC」という、くつ屋さんに行きました。アディダスのくつを買いました。
次にアカデミーに行ってCDを買いました。私は浜崎あゆみのCDを買いました。お母さんとお父さんは、下(本が売ってある所)に行っていて、私は自分のお金で買おうと思って、レジの所にCDを出して、さいふを開けて千円が入っている所を見ると、「ないっ」と思わずさけんでしまいそうでした。小銭の所を見ると、500円玉が2こあることを思い出して、ほっとしました。でも、ここからがギリギリでした。「二百円、ニ百円」と思いながらあさっていて、百円玉は1つしかなくて、次は10円玉を5まいさがしました。10円玉は5まいピッタリでした。60円は最初にすぐ見つかってました。
ドキドキの買い物でした。これからは、買い物をする時はきちんとさいふの中をかくにんしたいと思います。
※CDは1260円でした。
「アカデミー」は、1階が書籍売り場で2階がCDとビデオのコーナーになっています。
あの日、最初は3人でCDを物色していたのですが、しばらくして、くるみさんが私たちに階下で待っていてくれるよう言うので、そうしていました。
自分で支払いをしたかったのでしょうか。
2004年2月23日(月)記
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「アカデミー」は、既に閉店して久しい。
「アカデミー」が存在していた十数年前のある日、店舗の入り口のガラス戸に「将棋クラブ始めました。メンバー募集中です。」との貼り紙を見つけた。
それが、有紀さんとくるみさんが将棋を本格的に習う契機となった。