昨夜から耳にショパンのバラード第一番が残っている人が多いのではないだろうか。そして今日は、映画「陰陽師」よりSEIMEIとトゥランドットの曲と二人の美しい舞が甦るのではないだろうか。それは生きることへの勇気であり、挑戦であり、人のもつやさしさのような気がする。
今日はまた、目覚まし時計に起こされて、東京へ「信仰生活を深め生きるために」の講座を受けに行った。今日は疲れていた。いつも心のどこかでNPOのことを考えていかなくてはならない。一つ終われば、また一つと課題をクリアしていかなくてはならない。心が休まらないのだ。
森一弘司教の今日のお話は「ヨーロッパ世界から見た祈り」だった。キリスト教が辿る祈りの変容というのか。講義は約1時間半。非常にわかりやすかった。不思議と疲れが取れていた。心が軽くなった。なにがどうして、どうなったではない。ただ、ストーンと心に落ちた何かがある。さすがに司教のお話は違うと思う。宗教とは本来そういうものなのではないだろうか。
疲れがでて、家に帰るとソファーで寝てしまった。エプロンの紐をきつく締めて、さぁと台所に立つ。幸せなときだ。結婚しているときは、こんな風に台所には立てなかった。忙しいということもあったが、純粋な気持ちではなかったのだろう。もちろん、夫のことを考えて毎日料理をした。でも、私は「いい妻」であるという評価がほしかったのだろう。なにごともそうであったと思う。いまは、そうではない。仮に夫がいたとしても、そうは思わない。ただ、この料理するときを楽しんでいる。だから、とても幸せなのだ。ありがとう!

今日はまた、目覚まし時計に起こされて、東京へ「信仰生活を深め生きるために」の講座を受けに行った。今日は疲れていた。いつも心のどこかでNPOのことを考えていかなくてはならない。一つ終われば、また一つと課題をクリアしていかなくてはならない。心が休まらないのだ。
森一弘司教の今日のお話は「ヨーロッパ世界から見た祈り」だった。キリスト教が辿る祈りの変容というのか。講義は約1時間半。非常にわかりやすかった。不思議と疲れが取れていた。心が軽くなった。なにがどうして、どうなったではない。ただ、ストーンと心に落ちた何かがある。さすがに司教のお話は違うと思う。宗教とは本来そういうものなのではないだろうか。
疲れがでて、家に帰るとソファーで寝てしまった。エプロンの紐をきつく締めて、さぁと台所に立つ。幸せなときだ。結婚しているときは、こんな風に台所には立てなかった。忙しいということもあったが、純粋な気持ちではなかったのだろう。もちろん、夫のことを考えて毎日料理をした。でも、私は「いい妻」であるという評価がほしかったのだろう。なにごともそうであったと思う。いまは、そうではない。仮に夫がいたとしても、そうは思わない。ただ、この料理するときを楽しんでいる。だから、とても幸せなのだ。ありがとう!
