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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

泥臭くかかわって

2020-07-24 17:47:13 | 日記

4連休の2日目。町は昨日よりも人出が多い。それを横目で見て、首都圏行の切符をキャンセルに駅へ向かう。何の根拠もないが、コロナの感染が拡大する中、上りの電車で出かけるのがいやだった。約束が3つあるのだが、今回は迷わずお断りした。うまく言えないが、そういう感が働くからだ。

サッカー友からメールが入っていた。その人の沖縄の知り合いが自殺寸前ま追い込まれていたという。その人の娘のお腹には子供がいるという。体を壊したところへコロナ禍で仕事もなくし、家賃も払えず親戚の家に身を寄せているという。借金も限界で生活保護もおりなかったらしい。サッカー友は生活保護が出るまでと力を貸す(金銭的な支援)するという。3つのいのちが救われたわけだ。このコロナウイルスの影響で大変なこともあるのだ とつくづく思った。サッカー友は経済的には余裕があり、今回のような話は前にも聞いたことがある。人を生かすお金なら惜しくはないと。

サッカー友は、ただ、自分はお金を出すだけで、あとは本人の生活が戻るのを祈りながら見守るだけという。そういうスタンスはわからなくないし、昔の私に近い。でも、このごろはそういう関わり方はなにか違和感がある。「かかわる」ってもっとどろ臭いのではないかと。「だめだよ」とつかんだ手を離さないような、靴も履かずに相手を追いかけて止めに行くような、そういう必死なものが必要なように思う。(私が欲しいからだろう)あの紅い紅葉のような、琵琶湖に沈む夕日のような、あっついものが真実なように感じるのだ。

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