仕事も忙しく、家では戻ってきた娘さんに悩んでいた教会のお友達とひこにゃんでも見に行くことにしました。雨の予報が午後からは晴れてきて暖かくもなりました。私も今日は完全休業と(とまではいかないのですが)出かけました。
出がけに見ていたテレビ朝のモーニングショウで玉川さんが「下流老人」の話をしていました。下流老人とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」のことだそうです。まさに私です。そんなに悲惨に言われることなのかと暗い気持ちでした。(事実だから仕方ないのですが)「上流階級」の「上流」に対する言葉なのでしょうね。「下流老人」を生み出すのは、本人責任だけでなく社会の責任であるとコメンテータの方も話しておられました。でも、世間では本人の責任と思われているようにも思います。下流という言葉で、そうでない人とはお付き合いできない感じもしました。
最近、人を責めなくなったことで、むしろその人のいい部分に気が付くことができました。相手の人の対応も変わりました。「許す」ということはそういうことなのかと思いました。それはひとつの豊かさです。
今日は久しぶりに教会に寄りました。「健康とか成功とか、自分の命にこだわるときりがない。結局、もっと大事なものを見失います」そんな聖書の言葉がありました。
彦根城の石垣と梅の老木を見ながら、もっと大事なものを考えました。