向田邦子の小説かエッセイに「哀れ」と「けな気」な女について書かれていた。確か夫を亡くした妻の葬儀の時の様子だったと思う。誰かが支えていないとならないほど悲しんで泣いているのが「哀れ」な女で、気丈夫に涙を見せず凛としているのが「けな気」な女とか。親友とよく「けな気な」女でなんと損をしていることか と話したことがある。「こいつはおれがいなくなっても大丈夫だろう」と「哀れな」女の元へ行かれてしまった話がある。今思うと、「けな気」な女を生きて、なんと損をしたことかと 思う。泣いて喚いて騒ぐことをしなかった。「ものわかりのいい女」を演じてきたのかもしれない。歳を取るのはいいことかもしれない。意地もなくなり「哀れな女」になった。この哀れはやめられない。特に交通事故に遭ってからは、気丈夫に生きようなんてできなくなった。妙にそんな自分に満足している。
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