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つみぶかいわたしのために

2019-10-07 19:29:31 | 日記

朝は室内が22度くらいになった。羽織るものがいる。2階のカーテンを開けると、やさしい陽射しが差し込んでくる。でも、パソコンを開けると、「ああ、どうしよう!」になった。企画していたNPOの仕事が決まった。それに付随する連絡やらが出てくる。障がい者スポーツのことなので、開催できるのはうれしいが・・・。どうやって10月.11月のほかの予定を減らすかを考える。こんなときは、一番心が落ち着くことを考えよう。

写仏を初めて1年以上が過ぎた。本当は毎日でも仕事に入る前にしたかったのだが・・。それでも1年前のものよりもうまく描けるようになった。線に表情がでたというのか、お顔もうまく書ける。前にも書いたと思うが、中学のときに美術の教科書(歴史も)でみた弥勒菩薩のうつくしさから、ほとけさまに興味を持つようになった。菩薩はいずれ如来になるべく悟りを求めながら、人々に現世利益の福徳を授けてくれる仏さまだという。菩薩は、装飾品をたくさん身につけている。だから、描くのがたいへんだ。持物(じもつ)はそれぞれ人々を救うための意味があるという。そう思うと丁寧に描ける。

ひとは「間違いを起こすものである」と仏教でもキリスト教でも思う。悟ったつもりでも、こっそりと迷いの心は芽生えてくる。ミサでは、思い、行い、言葉、怠りにおいて度々罪を犯しました と罪の告白をするが「思い」の部分はどうしても犯してしまう。「思った」けど「行わなかった」だけということは多い。ただ、立ち返るところがあるので、反省して進める。「思い」まで清らかになるのはいつの日のことであろうか。

仏様の目は伏し目がちに描くのが難しい。この伏し目がちが慈悲の心だと言う。キリスト教でもそうだが、もっとも小さきものとして が大事なのであろう。いつも謙虚で人のために仕事ができたらと思う。今日も忙しくてもおだやかな日でありますように。あなたの1日も。

 


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