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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

宮本 輝

2017-06-21 20:54:04 | 日記
 朝から久しぶりに豪雨。さらに強風とすさまじい天気でした。ベランダの植木も飛ばされるのではないかとハラハラしました。実をつけている桃の木は室内へ避難させました。まだ、3センチくらいですが、どこまで育つか楽しみなので。ベランダいっぱいに雨が吹き込んできます。幸い、出かける用事がなかったので、パソコン仕事をしていました。でも、動かないのは不安で、お風呂の大掃除でした。

 昨日、蛍の話を書いて、宮本輝の「蛍川」を思い出しました。本で読んでから映画を見たような記憶があります。映画の蛍の乱舞するシーンはすばらしかったです。宮本輝は、好きな作家の一人で最近の作品以外は読んでいます。特に若いころの文章は「澄んだ」感じでした。川三部作、星々の悲しみ、錦繡、ドナウの旅人、優駿、・・・などでしょうか。特に書簡集の形式で書かれた錦繡は好きでした。まだ、夢のあるころでしたので、このような小説を書いてみたいと思いました。

 「生きていることと死んでいることはおなじではないか」、モーツワルトの曲を聞いた主人公からそのような言葉が出てきていました。今読んだらまた違う感じを受けるかもしれません。人生は終わりのほうが深く感慨深いと思うこの頃です。

 
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坂本竜馬

2017-06-20 22:54:17 | 日記
 自宅で仕事をすることが多くなると、仕事に切れ間がなくていけない。ついずるずる日曜日も仕事をしている。気分転換にと月曜日に都内でお友達と会った。彼女が高知県県人会のお友達の関係で高知へ出かけた話を聞いた。四万十川の蛍がすばらしかったという。久しく蛍を見ていないのでうらやましかった。もうずいぶん昔、信州のお友達のところへ今頃時期に遊びに行って、夜、犬の散歩に出かけると、蛍が乱舞していた。それが年々さびしくなっていた。今は、飛んでいるのだろうか?

 高知といえば、坂本竜馬で、ちょうど目黒の雅叙園で坂本竜馬の書を集めた展覧会のチケットがあるというので出かけた。雅叙園には百段階段があり、その階段ごとの部屋で開催されていた。竜馬と言えば、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を思い出す。再読したのが、15年前だろうか。頭に蓋が被さったように思えたころで、それが飛ぶような気分になるのが、竜馬のような人のように思っていた。考え付かないようなスケールの大きさだろうか。本やTVドラマを思い出しながら、説明や書を見て歩いた。NHKで福山雅治が竜馬を演じたが、少し違う気がした。いろいろな役者が演じているが、江口洋介あたりがあまりあくが強くなくいい感じだったように思い出す。展示されていた着物を見ると、そんなに大きな人ではないような気もする。歴史を思い出しながら、楽しい時間を過ごした。

 そして彼女と話したことは、なんであれそれぞれの人物に「志があった」ということだった。日本刀も展示されていたが、「覚悟」と「志」を感じた。今の政治も刀でもさして、「武士に二言はない」とでも言ってほしいものだ。

 

 
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もし、もし 亀よ

2017-06-17 21:06:43 | 日記
 また、暑いくらいの日。どうしても今日中に出さなくてはならない手紙があり、郵便局(本局)へ出かけました。家から8分ぐらいです。本局は五差路のところにあり、信号を2つ渡らないといけません。お昼の暑い日ざしが照りつけるなか、この五差路をのこのこと亀が横断してるのです。全長25センチくらいでしょうか。車が行き交う交差点を平気で横切しています。気がついた人たちが「かめ!かめ!」と声を出していますが、だれも亀を捕まえようとはしません。私も亀はつかめそうにありません。事故になっては とみんなはらはら交差点を見ています。亀は悠々と斜め横断です。車もよけては通るのですが・・・。

 信号が変わると、車が止まり人が降りてきて亀を抱き上げました。(抱き上げるという感じでした)助手席に乗っていた人なので、車に先に行くように指示していました。「どこの亀かしら?」の声。たぶん、近くの神社の池の亀ではないでしょうか。しかし、どこへ亀は行くつもりだったのでしょうか?

 抱き上げた男の人はすぐそばの公園へ。みなさん、ほっとして歩き出しました。昼下がりの五差路の出来事。「小さないのち」が救われました。大変ことも多かった週末。なにかか~るく越えられました。あの亀ですら横断できたのだから。

 
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漱石 再読

2017-06-15 20:44:02 | 日記
 母の通院の翌日。爽やかに晴れているのに、起きるのがつらいです。1年前に転んで圧迫骨折をしたときはどうなることか と思いましたが、いまは短期記憶以外はだいぶしっかりして、食事は作りませんが、日常のことが以前よりできるようになりました。体力もついて、ベビーフェンスで上がれなくした2階へもこっそり昇っています。危ないのでそうしたのですが、本人は「2階に上がらないこと」と張り紙をしても平気で昇っていくようです。通っている小規模多機能サービスでも、体力がついたので禁止するのもどうか?と言い出してしまいました。つけて欲しいと言われましたのに・・・・。結論は、落ちてもいいと 家族が判断してフェンスを外すか?そのままつけておくか? ということでした。

 人生は選択の連続です。その結果が今のわけですから。だとしたら自分の選択は、全部間違っていたのではないか? と思わずにはいられません。どうして、あんな選択をしたのだろうか?信じられないことばかりです。

 「漱石の妻」を再読し、漱石の精神状態や体の状態を想像するとどうやって作品が書けたのだろう と思いました。そこで「門」を再読しました。昨日も読んでいました。後半から二人の道ならぬ行い(略奪婚)の話になると、だんだん落ち込んできます。最後には、1回の間違いであれ、全部間違いであれ、今日という日は生きていかなくてはならないのだ と思いました。それは今春のような日でもまた、冬が来るということなのでしょう。

 フェンスは外してきました。付けておいても昇るのだから、落ちても仕方ないから、行動を規制しないであげようと。略奪婚とは大きく離れていますが、何事もAがあれば、Aでないがあるのですから、覚悟して「今」を生きるしかありません。「覚悟」ですね。

 今年は狭い庭に紫陽花が見事に咲いていました。切花にして明日多機能住宅に持っていってね というと子供のように喜ぶ母。落ちないようにと神に祈るだけでした。

 

 
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雨空に

2017-06-13 18:23:06 | 日記
 昨日とは変わって、寒くて雨が降っています。部屋の中も薄暗く、夜にサッカーの代表戦がなければ気力もなく過ごしていそうです。身体を休めるにはいいのでしょうが、本を読むでもなく、TVをみるでもなく結局仕事をしています。何もしないと罪悪感を感じる症候群でしょうか。

 あれもこれもと、洗濯をしながら掃除機をかけ、さらに煮物などをしていた生活から抜け出るのはなかなか大変ですが、体力もそのころの7割くらいなのだから、することは6割くらいがちょうどいいのだろうと 心がけてのんびりしています。朝起きると、あれをして、これをして・・・と効率第一の生活がよくなかったのだろうな と思うようになりました。効率の悪いものは、非難の対象になりました。世の中もそんな感じで動いていましたね。

 雨の音を聞きながら、ぼーっと窓からベランダを眺めています。昨日より少し伸びたかなぁ と植物の成長を、花の咲くのを待っています。もっと早い時期に気がつけば、人を傷つけずに済んだのに・・・。雨の日はちょこっとつらいですね。

 
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