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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ブランケットキャット

2017-07-21 23:30:06 | 日記
 本当に暑い日が続く。暑さのせいかぼーっとしていて両替のためSUICAのチャージをしてお釣りをとり忘れたらしい。急いでいたにしてもボケが始まったのか。気がついたのは、接骨院の会計のとき。恥ずかしいやら情けないやら。でも、30分で立ち直った。

 NHKドラマブランケットキャットを見ていた。原作が重松清だけに心を揺さぶるいいドラマだと思う。今日は見終わって心が重い。重いというのか苦しいというのか。上手くいえない。こういう夜もある。

 人には理屈では処理できない「縁(えにし)」のようなものがある気がする。猫にもあるのだろうか。昔、夫が猫に八つ当たりして、知人の車まで離れたところへ捨ててきた。1ヵ月半後、猫が帰ってきた。ただ涙がでた。やせて悲しそうな目をしていた。でも、戻ってきた。

 人生にもそうなことがある。ぼろぼろで戻ったのに、全部理解したように受け止めてくれた。

 今日はふとそんなことを思い出した。猫にえさをやりながら、もうどこへもいくんじゃないよ と首輪を新しくした。どこへも行かないために、古い首輪を完全に捨てた。猫は日に日に太っていった。「お前、どうやってここへもどれたのかい?」のんびり寝転ぶ猫に聞いてみた。

 

 
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夏の花

2017-07-21 04:32:14 | 日記
 昨日は胃カメラの検査結果を聞きに病院へ出かけた。夏の昼下がりに病院へ行くのは、精神的にもきつい。なにかとお世話になっている主治医。「どうしたの、今日は若々しい格好で。どこかへ行ったきたの?」検査結果を見ながらひやかされた。そうか、昨日は珍しい淡い夏の花のワンピース、今日は華やかな夏の花のワンピース。私らしくない、どうしたの?といわれる格好かもしれない。「秘密ですね、ルンルン」と無事今年の検査をクリアした。

 夏は花が少ない。夾竹桃、百日紅、ハチスが木の花だろうか。私の夏の原風景の中にあるのはカンナ。それも真っ赤なカンナ。以前住んでいた大磯の小学校の門の前にも咲いていた。それはどこかで見た景色だった。

 子供のころ、夏休みは母の実家へ一人出かけた。小学3.4年くらいだろうか。おば達がまだ高校生だった。高校から帰ってくると、氷を食べに連れて行ってくれた。それが近くの小学校の前で、小学校に赤いカンナがみごとに咲いていた。いちごのカキ氷を食べて、口を真っ赤にしながら、小学校で遊んでもらった。母が長女だったので、おばたちとは7つぐらいしか年が違わなかった。そんな関係は大人になっても続いた。

 母の実家の庭にも祖父が植えた朝顔、ケイトウ、オシロイバナが咲いていた。あまり好きではなかった花だがケイトウの赤もみごとだった。朝顔も見事な大輪で毎朝咲いた花の数を祖母と数えた。

 夏休みと夏の花。オシロイバナ、鳳仙花、目いっぱい遊んだ夏の思い出がたくさんあった。
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特別な日

2017-07-20 00:15:52 | 日記
 蒸し暑いせいか朝早く目が覚めてしまう。5時というのは微妙な時間だ。もう少し眠りたい・・。でも、・・・。今日は5時半に思い切って起きた。まだ外の空気はいくらか涼しいので散歩に出た。30分ほど歩くと軽く汗ばんでくる。気持ちよく歩けることがとてもうれしい。今日は特別な日なんだよね。

 最初の予定は早く決まっていた。そこへ意地悪するかのように4つも予定が入ってきた。「いや、19日はちょっと大事な用があって、すみません」と断った。大安のような日だ。それでもどうしても1つ用が入った。朝からメールの整理をして、出かける手配をして・・・。メールを打ち終わって席を立とうとすると椅子の車に小指がはいってしまった。えっ!小指が取れない!気が動転したのか椅子ごと出かけられない、どうやって椅子と分離すればいいの?

と思う。そんな特別な日。落ち着いて椅子から降りて、ゆっくり小指を外した。でも、靴は履けるのか?

 その時がきて、時間が流れて、その日が終わろうとしている。いつもと同じ普通の日。日常と区切られることのない普通の日。いつもそういう位置にいたのだろう。そう思えるのは、私が普通の暮らしを大事にするようになったからか。その人はいつもそばにいたのかもしれない。小指の腫れも引いていた。いろいろなことがす~っと流れていった。なにも残らない安らかな1日だった。

 
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となりのおじいちゃん(2)

2017-07-17 22:15:45 | 日記
 まだ、室温が28.8度。湿度は68%・窓を開けると幾分冷たい空気が入ってきます。海からの心地よい風は吹いてきません。夕食後も、のどが渇きます。あまり冷房は入れないのですが、今年は無理なようです。

 この暑い中、隣のおじいちゃんが引っ越して行きました。91歳とか。私が越してきたときは、まだお元気で、背広を着て買い物に行かれるのが印象的でした。やや体重が重かったのか階段が大変そうでした。そのうち、美女と野獣(失礼)という感じの品のよいおばさまと仲良く買い物をされている姿をよく拝見しました。ヘルパーさんじゃないし、ご兄妹でもないし・・・・??品のよいおばあさまとは廊下でお会いすると挨拶をするようになりました。お昼過ぎに来られて、夕方帰られているようでした。そんなお二人が買い物に出る機会も少なくなったようで、おじいちゃんの姿もマンションで見ることは少なくなりましたが、TVの音がとても大きいので在宅されているのはわかりました。夜もTVはつけたままなのか、目が覚めるとかなり大きい音なのでびっくりすることがよくありました。1週間前くらいからおばあさまが廊下にダンボールやらを出して、なにやらお片づけをしている感じでした。ふる~い炊飯器やトースター?あら引越しなのかしら?と思いました。暑い日に大変そうでした。

 一昨日の夕方2台のトラックでおじいちゃんは引っ越していきました。荷物はそのまま持っていかれたので、施設に入る感じではありませんでした。おばあさまとどなたかがお手伝いされていました。夜、TVの音が聞こえません。静かです。

 そして、今日もTVの音も、おばあさまが訪ねてきて鳴らすチャイムの音も聞こえません。昨夜も静かでした。それが妙にさびしいのです。人が隣に住んでいるということが、気がつかなかったけれど、安心だったのかな と思うのです。まして・・・・。一緒に住んでいた人がいなくなったら・・・。いや、ペットでもそうですね。そんなことに耐えてきたのに・・・。今日さらにさびしいです。

 
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錦 繍

2017-07-16 12:10:40 | 日記
 暑い日の続く三連休。正直言って、三連休という感じない。休みを感じるのは朝夕、マンションの前を通る人が少ないくらいだ。湿度が高いので夜になるとだるくなる。夜にやろうと思っていたことは、ほとんど出来ない。

 本のある部屋を整理していたら「錦繡」が出てきた。かなり前に買った本なので処分したと思っていた。今読んだら何か違う想いがあるのでは?と読み出した。ストリー通りに小説にしていたら、意外に俗っぽい小説だったかもしれない。それが男女の書簡と言う形をとっているので、何ともいえない情感を出しているように思う。さすがに文章は心の深い部分を情景を交えながら描きだしているように思う。宮本輝の力があふれている。

 この小説は「ハッピーエンド」でもなく「希望の無い悲劇」ではない。人が生きていくということは、このようなことなのだろう。どんなご馳走でも昨日の「糧」は食べることは出来ず、どんなに粗末でも今日の「糧」を食べなくては生きていけない。二人の主人公は今決して幸せとはいえない。でも、二人はその運命を受け止め、それぞれの人生を生きていく。どんな過去を背負っていても。

 教会で日曜日のミサでは罪の許しを請う。「私たちの罪をお許し下さい」と。思い、行い、・・・。「罪」とは。「錦繡」は止めることの出来ないおろかな人間の性を感じた小説だった。登場人物の誰も責めることはできない。ただ、玲子の祖母の「戦死した3人の息子には、どこかでめぐり合うことはできるが、自死した1人の息子は人間に戻ることが出来ないので、再び会えることは無い」ということは、心に残る。

 生きるのは「責任で生きる」のではなく、玲子のように「期待で生きる」が逞しく、希望があるのではないかと思った。

 
 
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