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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ひよっこ

2017-07-14 21:11:43 | 日記
 早起きが出来たので、散歩にでる。朝食前に散歩に出られるなんて、なんと幸せなことか。ゆっくりと朝食の準備も出来る。ぼろマンションでも、ベランダが海側の南にあり、北側の玄関を少し開けておくと、爽やかな朝の風が吹きぬけてくれる。寒いくらいだ。

 見ているとは言えないが、だいたいNHKの朝ドラがかかっている。サザンの歌で始まる朝もいい。よくみると懐かしいものがたくさん映っている。昔は、みね子が住んでいるようなアパートが多かった。大学時代の友達の住んでいた部屋を思い出す。大きなお屋敷の2階に三部屋あった。階段を上がると、電話があって、料金を入れてかけるようになっていた。まだ、都内なら何分話しても10円の時代だった。八畳の和室に三畳くらいの台所があった。団地サイズでないので広かった記憶がある。トイレは共同で、お風呂は神田川の世界だった。その二階から見える庭の景色はまだよく覚えている。その部屋には、青春の思い出がある。

 今日のぴよっこのみね子のデートのシーンはいいなぁ と思った。みね子のように正直に、「わたしでいいんですか?あなたのようなお金持ちの人の恋人が私で。」言えたら、よかったのかもしれない。そんなコンプレックスを持っていた。言えば、島谷のような返事が返ったきたかもしれない。私が彼との結婚を考えなかった(考えてはいたが、戸惑っていた)理由はそんなことだった。今思えばおかしいことだったが、それがいつも付きまとうことでもある。

 「あなたといていいのですか?あなたと私は住む世界が違う気がします」そんなことを口に出しそうになるが、やはりいえない。私の周りには人間的に立派な人ばかり。幸せでもあり、たまにつらいことでもある。

 
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生きる力

2017-07-13 12:57:01 | 日記
 関西から帰って家の片付けが終わらないまま、母の通院日で実家に帰った。暑い日だった。お昼は外へ食事をしにいくのが楽しみな母だが、今日はどうだろうか?と思った。母の足で歩くと20分。それでも日陰を選んで外食に出た。ファミレスは広々としているのでお気に入りらしい。

 食欲もあり、歩くこともだいぶしっかりした。認知症でも楽なほうだと思う。私に気を使うのか、普段はしないような家事をしようとする。ついつい、「しなくてもいいよ!」と声を荒らげてしまう。弟から来た手紙などもフォトスタンドの影に隠したり?している。本人はそのことを忘れているが・・・。通院はタクシーを使わないといけない。大好きな先生にあえて満足な母だが、認知機能のテストは悪くなっている。先生はやさしく、「年をとれば忘れるのは、仕方ないよね」と母を慰める。野菜の名前が言えなくなったり、果物の名前もも3つがやっとだ。

 夕食をともにして片付けをして、帰る。ドアを出たとたん、疲れがドカーンと出る。よろよろしながら電車に乗った。一人にしておくのは限界なのだろうか?自分が引っ越せばいいことなのに・・・・。物理的に、私にできることは今、していることくらいだ。もう少し私に経済力があれば。さまざまな自分を責める言葉が出てくる。最後は母が気の毒でならない。

 「切なさ」が心にないと介護は出来ないが、「優しさ」だけでも無理。介護は「一緒に泥まみれになる世界」だからと。今日の朝日新聞の折々の言葉に医師の小笠原望さんの言葉があった。自己嫌悪に陥りながらも、できることを誠実にやるしかない と思った。

 
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 日々の暮らし

2017-07-11 22:24:50 | 日記
 梅雨は明けていないのに夏のような暑さ。渋谷まで用事で出かけたが、背広を着ている人は実に少ない。珍しくジャケットをきちんと着ていくと「大丈夫ですか?」心配されてしまった。

 がん哲学外来の後遺症か自分がこれから何をしていけばいいのか?と悩む。あと余命1年といわれたら、何をしたいだろうか?困ったことに何も出てこない。のんびりクルージングをしたいとか、動けるうちに大切な人たちに会いたいとか、最後までできる仕事をし続けたいとか、・・・。暑くて体力不足なのか、思いつかない。ただ今の暮らしを続けられるところまで続けられればそれでいい気がする。せめて祈りの時間を増やしたいくらいだろうか。

 これからの生き方として、もっとがんカフェのようなボランティア活動を続けるのがいいのか(べきなのか)、もう十分ボランティアもしてきたののだから、自分の時間を大事にすればいいのか?心の中で、もういいのでは という声がする。毎日の暮らしをもっと丁寧にしていきたいと思う。一つ一つのことに、心を配って暮らして生きたいと思う。それがやりたいことのように思う

 佐藤初女さんが、ほうれん草のゆで方一つにも心を配る といわれた。今日、朝どれの枝豆を手に入れた。枝豆の美味しいゆで方とおりにしてみた。色が緑に美しく仕上がり、塩気もピッタリだった。そんな毎日の暮らしをだれかに分けて差し上げられたら。もうそれで十分だ と思う。

 
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生きるということ

2017-07-10 20:01:09 | 日記
 先週の土曜日から関西へ出かけていました。2日間は神戸で「がん哲学外来市民学会」の養成講座と学会に参加していました。いかめしい名前ですが、がん患者(家族)と医療機関との隙間を埋める という考え方です。市民学会と名がつくのは、ハンセン病市民学会と2つしか日本にはないそうです。「がん」という病に出遭い、「どう生きていくか?」を考えるようになったとき、「たましい」にふれるようなケアが必要なのではないか というかなり深い問題を考える講座でした。ケアマネージャー、看護師さん、医師、ご自身や家族ががんの方、カウンセラー、キリスト者等さまざまな方の集まりでした。

 「がんカフェ」という場で、思いを話して、解決は出来なくても、解消ができるにはどうしたらいいのか?そんなことを話し合いました。たとえ、がんでなくほかのことでも人が安心して生きるには何があればいいのか?そんな話もありました。代表の樋野先生は「30メートル後ろからでも自分を見ていてくれる人がいるということ」と言われていました。「どんなことがあっても最後まで(最期まで)あなたのそばにいますよ」という存在ではないかという話にもなりました。魂と魂が寄り添いあうということ。

 そんな神戸の濃い2日間でした。大阪泊で今日は京都へ。お薦めいただいた「石峰寺」へ。そこへ向う電車の中で友が肝がんで亡くなったというメールが入りました。もう、あと何週間か?と聞いていたので覚悟はしていたのですが・・・・。夏の日差しの石峰寺は誰も参拝の人はなく、一人静かに友の冥福を祈りました。石仏の後ろの竹林から木漏れ日が差し込んできます。美しすぎるその空間で「生きる」ということを考えました。「生きることも死ぬことも同じかもしれない」

 
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七夕に

2017-07-06 21:13:33 | 日記
毎年この時期は七夕の写真を撮りに出かけます。今年は7/7から7/9までが平塚の七夕です。子供のころの七夕のイメージとはまったく違う平塚の街です。

  「星祭り」ともいいますが、織姫と彦星の話から思い浮かべると、ロマンチックな感じがします。1年に1度逢える なんていいなぁ と思うのですが・・・。それと「乞巧奠」という中国の行事では習い事が上達するようにと星にお祈りしたそうですね。「梶」の葉に和歌をしたためて、お祀りしていたそうです。そんなさまざまな七夕のいわれを聞きますと、なんとも食べ物ばかりが並ぶ平塚の街は「風情」がありません。子供のころの、七夕の思い出が、お好み焼きや焼きそばを食べたことになりそうです。

 15年位前に住んでいた横浜の白楽というところで、七夕近くになるとご自宅の竹を切って

玄関先に出して「どうぞ、ご自由にお持ち下さい」を張り紙がありました。日本家屋の玄関先のお庭には竹ともみじが植えてありました。ちょうど、坂を上りきったところのお家でしたので、仕事から帰って坂を登りきると、ほっとしました。竹を頂いたので、お礼を郵便受けに入れておいた関係でお知り合いになることができました。奥さまは童話などをかかれている素敵な方でした。七夕になると懐かしく思い出します。

 子供のころ育った文京区千駄木では、7月1日の富士山の山開きには、近くの「お富士山」と呼んでいた神社でお祭りがあります。そのあとは入谷の朝顔市、そして、浅草のほおずき市と夏祭りが続きました。食べ物の思い出よりも、生き物の思い出が多いように思います。竹籠に鈴虫を買ってもらったり、ほおずきを買ってもらったり・・・。「情緒」という言葉は死語になりつつあるお祭りになってきましたね。子供心に縁日のお菓子はとても魅力的でしたが、今思うと「綿あめ」くらいがよかったのかなぁ と思います。

 
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