のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

天使のくれた時間/2000年アメリカ

2010年05月21日 10時59分50秒 | 映画鑑賞
18.天使のくれた時間/2000年アメリカ

■監督:ブレット・ラトナー
■脚本:デヴィッド・ダイアモンド、デヴィッド・ウェイスマン
■出演
 ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ、ドン・チードル

■ストーリ
 優雅な独身生活を謳歌していたビジネスマンが昔の恋人との
 「もうひとつの人生」を体験することで本当の幸せに目覚める。
 成功を夢見て恋人ケイトと別れてロンドンへ旅立ったジャック。
 13年後の今、ジャックは大手金融会社の社長として、優雅な
 独身生活を満喫していた。クリスマス・イブに昔の恋人、
 ケイトから電話があったが、かけ直さなかったジャック。
 その翌日、目覚めたジャックはケイトと我が子2人に囲まれていた。

■感想 ☆☆☆*
 アクションものの多いニコラス・ケイジですが、本来、彼は
 こういったヒューマン系、コメディ系がよく似合う役者さんだと
 思うのです。かっこよく動き回ってドンパチしているニコラスより
 垂れ下がった眉を更に下げて困った顔をしているニコラスのほうが
 私は断然、大好きです。

 というわけで、この映画のニコラスは大好き。
 愛らしく困り、あたふたとバタバタと走り回り、理不尽な現実に
 怒り続けている彼がキュートにチャーミングに描かれています。
 「家庭なんて」と思っている彼が次第に家族の暖かさや
 昔の恋人だった彼女に対して愛しさを感じ始めるところは
 丁寧に作りこまれていて、安心して楽しめます。

 ティア・レオーニ演じる「妻」もとてもキュートで
 生活感はあるものの「つかれきった主婦」ではなく、
 結婚して子どもを産んでも信念を持って働き続けている様子が
 かっこよく、ジャックが改めて彼女に魅力を感じ始めるのも納得。
 何より、ちびっこちゃん!
 唯一、パパがいつものパパと違うことを見抜くキーパーソン。
 聡明さと愛らしさをあわせもってキュートに長女を演じています。
 徐々に家族に対して愛情を抱き始めるジャックのことも
 しっかりと見ていて、「おかえり。パパ。」と彼を迎え入れます。
 その「おかえり。パパ。」という台詞の愛らしさと、
 ジャックを見つめる表情のかわいらしさに胸をぎゅっと掴まれました。

 ただ、「愛する人の傍にいて、見守ること」の幸せと
 「好きな仕事をバリバリして、認められる、もちろんお金も
 入ってくる」幸せ、このふたつの幸せが「よいこと」と「悪いこと」に
 振り分けられていて、そこにはなんとなく違和感を抱いてしまいました。

 もちろん、愛する人のために過ごすことはとても幸せなことだけれど
 それが「正解」というわけではない。
 「愛する人」も「キャリア」も両方、求めていいんじゃないかな
 と思うのです。

 だから、私は、ジャックが「誰かを愛すること」「大切な人と
 一緒に過ごすこと」の幸せに気付いた上で、今の仕事やキャリアを
 大切にしたまま、新しく愛する人を見つけて欲しかったな。

 と、思う私は心の貧しい人なのかな。うーん。

バッファロー’66/1988年アメリカ

2010年05月21日 10時16分16秒 | 映画鑑賞
17.バッファロー’66/1988年アメリカ

■監督・音楽:ヴィンセント・ギャロ
■脚本:ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグノール、クリス・ハンレイ
■出演
 ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ

■ストーリ
 5年の刑期を終え、刑務所から釈放されたビリーは、ニューヨーク州
 バッファローの実家に戻ろうするが、両親には刑務所にいたことは
 話しておらず、電話で「政府の仕事で遠くまで行っていた」と偽り、
 さらに勢いで「女房を連れて帰る」と嘘を並べてしまう。
 女房どころかガールフレンドもいないビリーは、トイレを借りた
 建物の中のダンス教室でレッスン中だった少女レイラを拉致し、
 自分の妻のふりをするよう強要する。最初は反抗していたレイラも、
 共に過ごすうちにビリーの孤独を理解し、次第に愛情を抱きはじめる。
 しかしビリーは実家に戻るだけでなく、バッファローにある目的があった。

■感想
 ずっとずっと見たかった映画。
 深夜にテレビで放映されていたものを録画し、ようやく見れました。
 評判どおりの素敵な映画で大満足。オープニングの映像から
 スタイリッシュで、「あ!この映画、絶対に好き!」と確信しました。

 脚本、音楽、カメラワークと統一された世界観で構築されている
 この映画。その世界観に確固とした信念が感じられる。
 そのブレのない潔い姿勢がこの映画を一種、独特のものにしたのだと思う。
 その世界観に特に貢献しているのがキャスティング。
 主役のビリーを演じるヴィンセント・ギャロと、ビリーに拉致される
 レイラを演じるクリスティーナ・リッチ。このふたりなしでは
 この映画は、この映画たりえなかったと思う。

 冒頭、刑務所を出たばかりのビリーはトイレを探し、もぞもぞと
 しながら町を走り回る。そのかっこ悪さがこれまでの彼を髣髴と
 させる。必死に悪ぶって見せるけれど、決して悪ではなく、
 悪にいいように扱われる、利用されるほうの人間。
 自分が思い描いている自分と、現実の自分がうまくリンクしない人間。
 その焦燥感と苛立ちを抱き続けるビリーをヴィンセント・ギャロが
 表情で見事に演じていた。特にホテルの風呂場の場面は印象的。
 風呂場で細い体を小さくたたみ、体操座りで浴槽に入り
 「何をやってもうまくいかないんだ」と涙を流す彼は、
 彼の持つ孤独を見事に表現していて、どこか守ってあげなきゃ
 という気持ちにさせられた。エキセントリックなだけではない
 彼の魅力が十分に伝わってくる。 

 けれど、なんといってもすばらしいのはレイラ演じるクリスティーナ・リッチ。
 彼女のまだまだあどけない表情と官能的で豊満な肉体。
 なのに感じさせるのは性的な魅力ではなく、純粋な母性。
 ビリーに拉致されたにも関わらず彼の孤独を理解し、彼を心配し、
 見守り続ける。ホテルの風呂場で泣いた後のビリーを
 そっと抱きしめる彼女のその繊細な抱きしめ方が彼女の本質を
 端的にあらわしていたと思う。

 どこか不器用で人を信じられないビリーは、自分が拉致したにも関わらず
 誰かと一緒に過ごすこと、女性に身をゆだねることができない。
 女性にどう接していいのかすら分からず、苛立つ彼を
 レイラはあたたかい表情で見守り続ける。

 映画は中盤以降もどこか物悲しさと破滅的な世界観をにおわせる。
 しかし、ラストは全体の世界観を覆すハッピーエンド。
 好きな人がいること、好きな人に愛されていること、
 それらを実感し、幸せそうにうかれるヴィンセント・ギャロが愛しい。