のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

陽気なギャングが地球を回す/伊坂幸太郎

2006年05月20日 12時25分24秒 | 読書歴
■ストーリ
 市役所で働く成瀬は確実に他人の嘘を見抜く。
 シングルマザーの雪子は正確な体内時計の持ち主。
 喫茶店主の響野は演説の達人、20歳の青年久遠は天才スリ師。
 ちょっとした特技を持つ4人は、成瀬をリーダーとした
 「ロマン」を求めつつも確実に成功銀行強盗ギャング団。
 しかしある日、横浜の銀行を襲撃した彼らは4千万円をせしめたものの
 逃走中に他の車と接触事故を起こしてしまう。なんとその車には、
 同じ日に現金輸送車を襲撃した別の強盗団が乗っていた。

■感想 ☆☆☆*
 張り巡らせられた伏線が最後の最後に一気に目の前に
 出てくる。それを見渡す爽快感を味わえる作品だった。
 
 二転三転するストーリーにはらはらさせられっぱなしだった。
 それでも全く動じることのない成瀬と響野が頼もしく
 ひたすらかっこいい。
 「銀行強盗」は悪いことだと分かっている。
 ロマンを探すためにするようなことではない。

 それでも「ロマンはどこだ?」と言いながら、
 楽しそうに銀行強盗を実施する彼らを見ていると、
 銀行強盗が犯罪ではなく、大人も楽しむことができる
 ゲームのような気がしてくる。

 それは、彼らの価値判断が決してお金ではないからだろう。
 お金のためだけに銀行強盗をするわけではない。
 勿論、手に入るお金はきちんといただく。
 それは彼らが自分たちの能力と知恵とで
 「自分たちのもの」にしたものだから。
 そんなやんちゃ坊主のような、プロの職人のような四人が
 徹頭徹尾魅力的な作品だ。

 「お話を読む幸せ」をじっくりと味わえる小説だった。

塩狩峠/三浦綾子

2006年05月20日 12時24分26秒 | 読書歴
■ストーリ
 結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が
 塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。
 声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくように
 ハンドブレーキに手をかけた。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、
 自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の
 愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。

■感想 ☆☆☆☆☆
 初めて手にとった三浦作品に図書館で再会し、懐かしく読み返した。
 何度読み返しても一気に読ませられる。
 ただひたすらにまっすぐ生きる信夫の歩みがまぶしい。
 いやみとも取られかねないまっすぐな生き方
 正しい生き方に憧れる。

 信じるものがある人の強さ、芯の通った生き方に
 そういった強い思いを持ったことがない私は憧れる。
 どうすればその強さを身に付けられるのだろう。
 何があれば、そこまで強く神を信じられるのだろう。
 信じたいと思いながらも、一歩を踏み出せずにいる私には
 信夫の生き方が羨ましくて仕方がないのだ。
 
 作者はこの作品で「犠牲」を描きたかったという。
 「今は耐えてしまった「犠牲」や「礼節」というものについて
  改めて考えて欲しかったのだ。」という。
 そう考えて作者がこの作品を書き上げたのは昭和40年代。
 私が生まれる少し前だ。

 そこからまた時が経った。「犠牲」という言葉が
 日常で使われることはない。私たちは権利を主張し
 豊かで便利な生活を手に入れた。そして何かを失った。

 今の私たちを三浦さんが見たら、何をテーマに作品を
 書きたいと思うだろう。
 あとがきを読み終えた後、そんなことに想いを馳せた。

寝ずの番

2006年05月20日 12時13分21秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 上方落語界の稀代の噺家・笑満亭橋鶴(長門裕之)は、今まさに
 臨終のときを迎えようとしていた。見守る弟子たち。
 なんとか師匠のいまわの願いを叶えようと、耳を近づけ
 聞き取ったのは「そ○が見たい」との言葉。
 一同驚きつつも、おとうと弟子・橋太(中井貴一)の嫁
 茂子(木村佳乃)を説得。茂子は師匠をまたぎ、
 そそをお見せしたが・・・。
 通夜には師匠ゆかりの人々がわんさわんさと集まり、
 「寝ずの番」をしながら、尽きること無い想い出話をする。
 俳優・津川雅彦初監督作品。

■感想 ☆☆☆☆
 味わい深い上質なユーモアたっぷりの作品。
 「品がよい」「粋な」といった形容詞がよく似合う。
 しかし、その笑いのテーマは徹頭徹尾下ネタである。
 「寝ずの番」をする生前、縁があった人たちは死者の
 性にまつわるエピソードの数々をあっけらかんと
 楽しそうに話し、思い出にふける。
 話が盛り上がると「寝ずの番」の最中に歌いだし、踊りだす。

 そこに見えるのは残された人たちの死者への愛情。
 充実した一生を送った死者にたくさんの愛情をもらった人たちが
 愛情を込めて死者を送り出す姿である。彼らは楽しく生きた死者を
 すぐそばで見てきて、そんな死者を愛していたから、
 彼らの「死」を悲しまない。

 勿論、喪失を寂しがってはいる。
 もう会えないことを、もう声が聞けないことを辛くは思っている。

 しかし、彼らの死は不本意なものではなく、思う存分
 生を全うした後に訪れたものだと納得もしている。
 だからこそ、笑顔で送り出せる。

 怒涛のように繰り広げられる猥談をここまで上品に
 表現できる日本語の美しさ、話芸の素晴らしさに感動した。
 そして、それらに対する監督や出演者たちの愛情が伝わってきた。
 改めて「落語」や「長唄」や「芸者遊び」の作法を見直したい。
 そういった古くから伝わるものを知って、
 粋に、上品に、そして欲望に正直に、年を重ねていきたい。
 そんなことを思った。

陽気なギャングが地球を回す

2006年05月20日 12時12分19秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 市役所で働く成瀬(大沢たかお)は確実に他人の嘘を見抜く。
 シングルマザーの雪子(鈴木京香)は正確な体内時計の持ち主。
 喫茶店主の響野(佐藤浩一)は演説の達人、
 20歳の青年久遠(松田雄太)は天才スリ師。
 ちょっとした特技を持つ4人は、成瀬をリーダーとした
 「ロマン」を求めつつも確実に成功銀行強盗ギャング団。
 しかしある日、横浜の銀行を襲撃した彼らは4千万円をせしめたものの
 逃走中に接触してきた車に現金を全て奪われてしまう。

■感想 ☆☆☆*
 原作ほどの爽快感は味わえない。
 けれども原作で感じた「仲間とロマンを追い求める楽しさ」は
 映画でも十分に味わえた。
 なんだかよく分からないけれど、楽しげなかんじ。
 
 但し、原作のあとがきに「90分の映画が好きだ。そんな作品が
 作りたい。」と書いてあったことを考えると、残念な部分が
 たくさんある。
 映像化を前提とした作品にしてあるにも関わらず
 原作から大幅にストーリーを変えていること。
 中途半端にCG処理をしていて、かえってちゃちな印象を
 もたらしてしまったこと。
 原作では常に冷静沈着に行動する成瀬が焦ったり走ったりすること。
 「銀行強盗の際には、スーツが一番目立たないんだ」と
 理性的な判断を示す成瀬がものすごくド派手な衣装を着ていること。

 納得のいかないちょっとしたことが多すぎる。
 原作を読まずにこの作品を見ていたら
 もっともっと楽しめただろうな、と思わずにいられない。

 とはいえ、私は思う存分、楽しんだ。
 もとからキャストを知った上で原作を読んでいたことが
 大きく影響しているかもしれない。私の脳内イメージでは
 既にこの4人が騒動を繰り広げていたし、この4人の姿に
 特に異存はなかったのだ。
 何より、私の暴走気味の妄想は原作にそんな記述が
 微塵もないにも関わらず、成瀬と雪子ってお似合い・・・と、
 少女漫画チックな展開を夢見ていたため、映画の展開にも
 まったく戸惑わなかった。

 ・・・・訂正。暴走気味の妄想はしていたものの
 この軽快な作品にロマンチックな展開は妙に浮いていて
 いつも以上に気恥ずかしく、ふたりのラブシーンを正面から
 見ることはできなかった。

 などなど、細かいところを気にしだすと止まらないが
 クライマックスの音楽と映像が与えてくれた爽快感は
 まさに原作どおりだったと思う。
 「ロマンはどこだ?」とつぶやく響野を演じる佐藤さんも
 終始、楽しそうだった。彼のいたずらっ子のような表情も
 原作どおりだったと思う。

 見終わった後、彼ら4人とまた会いたいな、と素直に思った。

かもめ食堂

2006年05月20日 12時11分34秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 ハラゴシラエして歩くのだ。
 ぷっくり太ったカモメたちがユルリと青空を飛ぶ、
 北欧の港町ヘルシンキ。
 その片隅にひっそりとたたずむ小さな食堂が「かもめ食堂」。
 店主の日本人女性サチエ(小林聡美)は、純朴なヘルシンキの人々に
 純朴な日本の「おにぎり」を食べてもらいたいと、
 今日もアツアツのご飯を握るけれど、客足はからっきし。
 それでもめげないサチエのかもめ食堂に訳ありげ気な
 日本人女性ふたり(もたいまさこ、片桐はいり)が転がり込んできた。

■感想 ☆☆☆☆☆
 見終わった後、かもめ食堂のおにぎりにかぶりつきたい、と思った。
 見ている途中からお腹がすいてきた。お味噌汁やお漬物、
 定食といったメニューをゆっくりと味わいたくなった。

 「おにぎりは日本人のソウルフードだから」
 
 どれだけ味わっても飽きることないもの。
 弱っているときほど食べたくなるもの。
 それはまさしく私にとっての「ふるさと」。
 おそらく国外に出ている人にとっての日本。

 そんなおにぎりを提供しているサチエがなぜフィンランドに来たのか、
 なぜここで食堂を経営しているのか、作品内ではまったく説明されない。
 カメラが追うのはお客が来ないにも関わらず、凛としたたたずまいで
 お店を維持する彼女の姿である。

 彼女の凛としたたたずまいが雰囲気がお店に人を引き寄せる。
 少し弱ってる人、参っている人、迷っている人が彼女と
 彼女のお店に集い、おいしいご飯にほっと一息をつく。
 暖かい珈琲でゆっくりとくつろぐ。
 そこから伝わってくるのはシンプルなメッセージ。
 
 どんなに参っていても、迷っていても美味しい食事は笑顔を
 つれてくる。食事は人生の基本。
 そして、ゆっくりとたっぷりと栄養を補給したら
 どんなに迷っていても一歩、前に踏み出さなくてはいけない。

 「人は変わっていくものだから」

 もたいさんの存在感は圧倒的。
 セリフもしゃべらずに表情だけでここまで観客を笑わせられる
 この独特のたたずまい、間は一体なんだろう。

 小林さんのどこまでも自然体の存在感も印象的。
 映画の中、という自然ではなく作られた場所でここまで
 演技をしていない素の自分を作れるってすごいと思う。
 そして、その作られた「自然体」がまた魅力的なのだ。

 そして、小林さんと対極に位置する片桐さん。
 彼女が発するとごくごく普通のセリフも「ユーモア漂う一言」になる。
 体が笑わなければ、と反応する。自然体なのにパワーが溢れている。

 エンディングテーマが流れる間、彼女たち三人の写真が流れる。
 決して美人女優とは言えない三人。
 けれども清々しいほどに美しい三人。
 顔に、表情に、立ち姿に、その人が送ってきた人生が表れる。
 それを実感できる写真の数々。この写真だけでも充分に楽しめる
 贅沢な作品だとエンディングで改めて感じた。

φは壊れたね/森博嗣

2006年05月19日 00時51分14秒 | 読書歴
■ストーリ
 おもちゃ箱のように過剰に装飾されたマンションの一室に
 芸大生の宙吊り死体が・・・。現場は密室状態。
 死体発見の一部始終は、室内に仕掛けられたビデオで
 録画されていた。タイトルは『φは壊れたね』。
 D2大学院生、西之園萌絵が学生たちと事件の謎を追究する。

■感想 ☆☆
 今回の作品は完全に流し読みしてしまいました。
 正確にはミステリ部分を流し読み。ミステリ作品なのに。。。

 SMシリーズ、Vシリーズまでは発行されるたびに
 楽しみに読んでいた森作品ですが、四季シリーズごろから
 少し食傷気味です。しばらく遠ざかってました。

 が、西之園萌絵さんは私にとって特別な存在のです。
 萌絵さん登場シーンのみを探し出して読んでしまうほど
 森作品の中で大好きなキャラクターです。
 信じられないようなお金持ちで世間知らず、だからなのか
 ほんの少し世間とも一般人の思考からもずれていて天然。
 かと思いきや計算能力にすぐれ、論理的な思考を有する彼女。
 しゃべり方は優雅なのにスピード狂でボーイッシュ。
 何もかもが魅力的です。

 というわけで、あらすじを見て萌絵さん出演と知り
 即効借りました。
 彼女のかっこよさ、かわいらしさは今回も健在です。
 オレンジのメッシュです。ピンクのスーツです。かっこいい。

 ただ、大好きだからこそ。
 彼女が登場しているのに中途半端な活躍(とも言えない登場)
 のみ、という状況がちょっぴり不満です。
 彼女の頭のよさであればもっと真相に肉薄していいはずなのに。

 解決するのは当たり前のことながら今シリーズの主人公。
 しかもシリーズが始まったばかりだからでしょうか?
 今ひとつこの主人公の魅力が伝わってこない。

 このシリーズの次回作で魅力を図りたいと思います。
 萌絵さんは次回からもこういう中途半端な出演なのかしら?

だめ天使ところころ魔女/ア-シュラ・モレイ・ウィリアムズ

2006年05月19日 00時26分55秒 | 読書歴
■ストーリ 
 ベラベリンダおばさんは魔女。
 その力を生かして、みどりのおばさんをしています。
 或る日、おばさんは、まだ小さく未熟なために子供を守る
 守護天使の役目を果たせずにいる天使を見つけました。
 おばさんは天使を家に連れ帰り、仕事を手伝ってもらうことにしました。
 みどりのおばさんは大変な上、フォッグルバッチ家の3人兄弟と来たら
 天使のようにかわいいのに、悪魔のようにいたずら好きだからです。

■感想 ☆☆☆
 本選びは表紙とタイトルを見て直感で「これ」と思ったものを
 手に取り、中身をぱらぱらとめくって文章を読んで決定します。
 なんて大雑把で偶然に頼った本選び。
 まあ、こういう偶然の出会いが「縁」ですから。
 調子が良いと10冊しか借りれないのに17冊ぐらい
 手にとってしまい、そこから選定作業に入ることになります。

 それなのに、今回手に取ったのは、見つけたら必ず読む作家さんの
 作品1冊のみ。 脳が疲れているのか、図書館を一周しても
 目に留まる背表紙と出会えませんでした。

 こういうときこそ、赤川次郎さんと児童書。
 というわけで児童書のコーナーをぐるぐる回りました。

 この作品はタイトルに惹かれて手に取ったものです。
 大好きな童話「ぐうたら王とちょこまか王女」のタイトルと
 似ているなぁと思って手に取ったところ、両作品とも
 「新しい世界の童話シリーズ」のラインナップでした。
 他には「りんごの木の上のおばあさん」や「スプーンおばさん」
 など何回も借りて読み直した懐かしい作品ばかりです。

 やんちゃなちびっこフォッグルバッチ家の3人兄弟と
 まだまだ半人前の天使のどたばた騒ぎですが
 彼らを大きな目で見守るベラベリンダおばさんがとても魅力的。
 「子供は嫌いだよ。」と言ってはばからないし、悪いことを
 したときのおしおきはかなりきついものです。
 けれども、その厳しい言動の底辺にはちゃんと愛情があることが
 ちびっこたちにはちゃんと伝わっていて、つっけんどんなおばさんの
 まわりにはちょこまかとじゃれ付いてくるちびっこばかり。
 そんなちびっこたちとおばさんの関係がとてもほほえましい作品でした。

いま、会いにゆきます/市川拓司

2006年05月19日 00時25分45秒 | 読書歴
■ストーリ
 父子家庭に起こる愛の奇跡。
 雨の季節になったら戻ってくる、という言葉を残してなくなった澪。
 ある雨の日、本当に澪が父親たくみと息子ゆうじの前に現れる。
 しかし、澪はすべての記憶を無くしていた。

■感想 ☆☆
 映像化された作品がある場合、映像から見るべきか
 原作から読むべきかはかなり悩ましい問題である。
 ただ、人の想像力はかなり奔放で個性的なために、文字から得た
 イメージがものの見事に他人のイメージと一致することは少ない。
 というよりも絶対にありえない。

 だからこそ、私はどちらも未見の場合は映像作品から
 見ることにしている。映像化してから読むと、自分の想像が
 固定されているため、覆されることがない。
 だから、どちらかというとこの順番のほうが
 がっかりする確率も低いような気がするのだ。

 しかし、この作品は違った。見事に映像作品が勝ってしまった。
 映画化もドラマ化もされた作品だが、私には映画の印象が強すぎて
 映画のヒロインが文章の世界を文字を越えてしまった。
 読んでも読んでも映画の中でのシーンが映像として流れてくる。
 あまつさえ、映画オリジナルの場面を「あの場面の描写がない。」と
 恨めしく思ってしまう。
 それぐらい映画の中の澪と匠はこの作品のイメージとよく合っていた。
 そして映画オリジナルの小さなエピソードがこの作品の
 延長線上にあるものとして探してしまうくらい、この作品の雰囲気を
 よくつかんだものだったのだろう。

 市川さんの作品の不思議な雰囲気、透明感溢れる文章は
 この作品でも健在だ。なのに映画のほうを懐かしく思い返してしまう。
 映画を先に見るか、原作を先に読むか。難しい問題だ。

社員昇格

2006年05月17日 06時22分43秒 | 日常生活
ゴールデンウィーク明けからとうとう制服になりました。

普段、仕事で悩むことなんてまったくと言っていいほどないのに
この「制服を着るか」では、かなり悩み続けました。
もうね、そんなに深く考えることじゃないんじゃないの?
って最後は自分で自分を持て余してましたもの。

そんなこんなで制服です。
しばらくは皆様の反応を楽しませていただきました。

「アイフルレディみたい・・・」
「なんか・・・・。ヤクルトレディ?」
「若返ったねぇ。」

えっと。もっと褒め言葉とかお世辞とか
そんな言葉はないんでしょうか?

と、半分すねていたところ
ようやく褒めていただけました。

「なんか仕事してるっぽい。
 うちの社員みたい。」

・・・・・ようやくうちの社員として認められました。

一抹の不安

2006年05月15日 19時00分29秒 | 日常生活
ふと気がつけば、こんなにレビューがたまってます。
自分が忘れないようにメモです。

【映画】
 かもめ食堂
 陽気なギャングが地球を回す
 寝ずの番
 プロデューサーズ

【本】
 いま、会いにゆきます/市井拓司
 φは壊れたね/森博嗣
 塩狩峠/三浦綾子
 ジェンダー城の虜/松尾由美
 陽気なギャングは地球を動かす/伊坂幸太郎
 だめ天使ところころ魔女/ア-シュラ・モレイ・ウィリアムズ
 犬はどこだ/米澤穂信

・・・ワタクシ、本当に仕事してるんでしょうか。
不安になってきました。