旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

日光道中・奥州道中紀行5 小金井宿~石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿

2017-09-18 | 日光道中・奥州道中紀行

10:30 「小金井一里塚」
  日本橋から22番目の小金井一里塚は東塚西塚の一対が立派に残っている。
故に日光道中では唯一の国指定史跡だ。西塚には榎、東塚には檪(くぬぎ)と榎の巨木。
日光道中はこの一里塚を過ぎると小金井宿に入って行く。

 

慈眼寺(じげんじ)は上野国の豪族 新田義兼が建久7年(1196年)に創建した古刹。
三間四面朱塗りの観音堂、鐘楼は江戸時代のものだ。
境内には将軍が日光参詣時の御座所が在って昼食休憩をとったと云う。

10:45 「小金井宿」
 江戸から14番目になる小金井宿の規模は本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠43軒。
宿駅となったのは延宝9年(1681年)と街道制定よりかなり後のことである。
本陣大越家には四脚門が残っている。

 

宿並みには2棟の見世蔵が残っているのだが老朽化が著しい。

 

小金井宿の日光方の入口は薬師堂がある辺り、街道当時は土塁で固められていたそうだ。

 

Navi52. ミニストップ自治医大駅西店(左折すぐ右折)→<市道>→レストラン倉井 1.7km 21分

退屈な国道を進んだ後、真新しい下野市役所の先に本来の道筋を歩くことができる。
真直ぐに延びる農道からは薄らと日光連山を眺め、左右には名産かんぴょうの畑もある。

Navi53. レストラン倉井(右折すぐ左折)→<国道4号線>→上御田入口バス停 10.0km 120分

11:55 「夕顔橋の石仏群」
 のんびり歩いた農道もやがて林に道を塞がれ、すぐ東側を北上する国道4号線に戻る。
下石橋交差点の手前には夕顔橋の石仏群が在る。
年代が明らかなものとしては享保3年(1718年)の地蔵菩薩立像が祀られている。
石仏群が国道に背を向けていることが、本来の街道がやや西側を通っていたことを教える。

 

本町交差点を過ぎると右手に見える愛宕神社は、天平宝字3年(759年)創建の古社である。
この辺りが日光道中江戸方の入口で、かつては土手が築かれていたと云う。

 

12:20 「石橋宿」
 石橋宿は江戸から15番目の宿場である。現在の国道4号線では93キロのポストが立つ。
その規模は本陣1、脇本陣1、問屋場2、旅籠30軒になる。
遺構は殆ど残っていないが、脇本陣をつとめた伊沢邸が街道時代風の建物になっている。

本陣跡から少し先、石橋山開雲寺は、慶長9年(1604年)に将軍家から寺領を拝領した。
日光東照宮造営後は徳川将軍家の日光参詣時の休泊所となっている。


延々と続く退屈な国道歩きはいつしか宇都宮市に入って行く。
この間、江戸から24番目の下古山一里塚と25番目の雀宮一里塚が在ったはずだ。
安塚街道入口交差点は雀宮宿の入口になる。かつては木戸と土塁があったと云う。

 

13:45 「雀宮宿」
 雀宮宿は江戸から16番目の宿場になる。
本陣1、脇本陣1、問屋場2、旅籠38軒と云うのが江戸時代末期の宿場の規模だ。
本陣小倉家は天正年間には真岡城主になった家、今では跡碑のみが建つ。
明治天皇の奥州巡幸の小休所となった名主の仮本陣芦谷家には門構と板塀が残る。

 

日光方の入口には雀宮神社が在る。秋祭りの準備中だ。
東に筑波山、加波山の眺望が良いと道中記にある。東京から丁度100キロになる。

Navi54. 上御田入口バス停(左折すぐ右折)→<国道4号線脇の路地>→コナカ雀宮店 0.8km 10分

Navi55. コナカ雀宮店(右折すぐ左折)→<国道4号線>→西原交差点 3.7km 45分

14:50 「江曽島一里塚跡」
 日本橋から26番目の江曽島一里塚は東北本線と並行する辺り、痕跡は残っていない。
鉄道の建設時に消滅したと云う。交差点の名前が「一里」なのが名残と云えば名残か。
ちなみに宇都宮では、市内から南へ向かう日光道中(国道4号線)を「東京街道」と呼ぶ。 

Navi56. 西原交差点(直進)→<国道119号線>→不動前交差点 0.7km 9分

Navi57. 不動前交差点(斜め左)→<市道>→裁判所前交差点 2.2km 27分

15:10 「不動堂」
  不動明王は、日光道中と奥州街道(明治以降の)との分去れにあり、宇都宮に入る目印だ。
傍ら昭和3年の道標には、「右奥州・日光街道、左裁判所、正面東京に至る」とある。
「左裁判所」方面が江戸時代の日光道中・奥州道中である。

      

15:40 「宇都宮宿」
 不動前交差点を左折すると300mほどで東武宇都宮線のガードを潜る。
この辺りが日光道中江戸方の入口で、木戸・土塁に加えて番所が置かれていた。
その先新町の推定樹齢800年のケヤキの巨木は宇都宮城下の目印だ。
さらに1.5kmを直進すると街道は裁判所に突き当たる。
標識に示す日光とは反対に日光道中はJR宇都宮駅方面に右折する。
宇都宮宿は日光道中随一の賑わいの地、南北2.2km、東西2.1kmに広がり、
本陣2、脇本陣1、問屋場1、旅籠42軒の規模だったと云う。

Navi58. 裁判所前交差点(右折)→<国道119号>→伝馬町交差点   140m 2分 日光道中へ
Navi58. 裁判所前交差点(右折)→<国道119号>→NOF宇都宮ビル 800m 10分 奥州道中へ

Navi59. 伝馬町交差点(左折)→<清住町通り>→松原3丁目交差点 1.6km 20分

 

本陣青木家跡は伝馬町交差点辺りだが、残念ながら何の痕跡も残っていない。
ここは日光道中と奥州道中の追分、日光道中は左折し北上、奥州道中はさらに直進する。
奥州道中方面へ進むと、毛野国の開祖である豊城入彦命を主祭神とする二荒山神社がある。
宇都宮宿が道中随一の賑わいであったのは、二荒山神社の門前町であったからでもある。

小金井宿から石橋宿、雀宮宿を経て宇都宮宿までは、21.3km、5時間10分。
古い遺構も少なくやや退屈な国道歩きであった。首筋の日焼けが痛い。
さて随分遅くなった今日の街道めしは餃子舗宇都宮みんみん。
本店は長蛇の列につき、駅ビルで焼き餃子と水餃子。鉢石(日光)まではあと35.3kmだ。