太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

老後

2014-12-01 07:39:33 | 日記
その昔、老後は友達同士で一緒に暮らすのもいいね、

と何度も友人達と話したことがある。

自分が夫よりも当然長生きすることを想定しているのも笑える。

そのときは、それは素敵なことに思えた。

一人で寂しく暮らすよりも、気のあった仲間で暮らしたら楽しいに違いない。

しかしそれは、私達が若かったからだろう。

老後がくるのはわかっていても、それはまだ遥か遠いところにあって、絵空事に近いものだった。



その角を曲がれば老後、という年齢に近くなって、

あれは必ずしも素敵な考えではないと思うようになった。



連れ合いに先立たれたり、離婚したりして一人になった女性同士4人が

隣り合った小さな家を買って住んでいるという日本のテレビ番組をみたことがある。

これが女性だけの集団だからなのか、それはわからないけれど、

何人か集まれば必ずボス的存在がいて、

そのボスの家で何曜日には皆さん一緒にお食事をしましょう、という決まりがある。

食材を買うための積み立てをしていて、食事当番も持ち回り。

部屋着よりはすこし良い服を着て、みんなが集まってくる。

テレビカメラを意識しているのであったとしても、その会食はそれほど楽しそうには見えなかった。



こういうのはたまらんなー、と私は一人つぶやく。



そもそも何曜日に何をする、といったような決まりごとが苦手な、私のような人には無理だ。

そうしたい日はいいけれど、そうしたくない日だってある。

そうしたくない日に、そうしなくていい言い訳を考えなければならないような生活はたまらない。



Aさんは最近よく外出するようになっただとか、昨日帰りが遅かっただとか、

誰の息子さんはよく訪ねてくるのに、あの人は来ないだとかいった女性特有のつまらない詮索や嫉妬が

日々の生活に織り込まれて、それがいつしか小さな集団のゴシップになってゆくかもしれない。



私は中学高校と女子校だったから、女子の集団のことはいくらか知っているつもりでいたけれど

最初に結婚して住んだ集合住宅で、大人の女子集団の現状を知って驚いた。

8件ほどの住居があるこじんまりした集合住宅で、年齢層はだいたい30代。

そこでフルタイムで仕事をしていたのは私だけで、あとは専業主婦だった。

子供を幼稚園に送って行って、門の前で立ち話をしているうちに子供が帰る時間になってしまった、という気楽な、

でもそれぞれ普通の人達だ。

仕事から戻るとAさんが駆け寄ってきて、せつなそうに訴えた。

「聞いてくれる?今日、BさんとCさんが一緒にランチを食べたのよ。私はそれを知らなかったの」

私はそのことの何がどうで、Aさんが何を言いたいのかわからなかったので黙っていると、

「ねえ、どう思う?」

と聞く。

たまたまB、Cさんが話の中でランチに行く流れになったのではないか、というようなことを私は言ったけれど、

「だって今までは3人でランチしたりしてたんだよ。どうして急に私に内緒にするのよ」

同情してくれない私にAさんは不満顔にふくれてみせた。

なぜAさんを誘わなかったのかは彼らに聞くしかない。

子供も育てている大人が、こういったことで悩むのだろうか。

私はそのとき、つくづく仕事をしていてよかったと思ったものだ。





だから、どんなに気心が知れた友達でも、

やっぱり一緒には住まないほうがいいような気がする。

一人で寂しいと思うのは、誰かと一緒にいるのに寂しいよりもずーっと健康的で

普通のことなのだと思う。



年をとったら自然に丸くなってゆくというのは大嘘で、

人は努力なしに丸くはならない。

意固地で被害妄想的で不満の塊のような年寄りを、私は職場でいくらでも見ている。


老後は気らくにしていられるのが1番ではないか、と最近思うのである。








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