太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

あーゆしゅあ

2015-02-08 17:22:43 | 英語とか日本語の話
妹がハワイに来ることになった。

短い期間しか滞在できないので、できるだけ私は休みをとったのだけれど、

フライトの予定が変更して、私がどうしても休めない日に着くことになり、

夫の両親に空港に迎えに行ってもらえるように頼んだ。

それを知った妹は、言葉が心配だと言う。

「お父さんみたいに、徹頭徹尾日本語で喋りまくる神経もないし…」

私の両親が来た時にも、夫の両親に迎えを頼んだ。

家までの車内で私の父は、まるで日本人と話しているかのように日本語で喋りまくっていたらしい。

黙っていたら悪い、という父の気くばりかもしれないが、いかにも父らしい話ではある。

心配する妹に、私だって何とかなったんだから大丈夫だよと言った。

妹とそんなやり取りをしながら思い出したことがある。



外人と結婚している私は、さぞや英語がペラペラなのに違いないと多くの人が思うらしい。

たぶん私も、他の人が外人と結婚していたらそう思うかもしれない。

英語を勉強したのは高校卒業するまで。

あとはほとんど英語に触れる機会はなく、夫に会った時の私の英語力は、

現役から20年以上たち、ほぼ風化していた。

その話をすると、そうは言っても普通以上には話せたんでしょ、と言う人がいる。


とんでもないことだ。


今でも思い出すのは、

電話で結婚式の話をしていた時に、夫が

「Are you sure?」と言った。

私はその意味がわからず、電話を切ってから あーゆーしゅあ と辞書で引いた。

その程度のレベルで、外人と結婚した私はすごい。

勇者かバカか、きっと勇者もバカも紙一重。

しかも外国に住んでいる私は、かなりすごい。

移住してから4年、いまだにナンチャッテ英語で仕事までしている私は、ものすごい。

と、私は感心するのだ。

この図々しさは、小学生の頃の水泳テストという伏線がある。




私が通っていた小学校は、水泳テストがあって、何m泳げるかで

水泳帽の色や白線の数が違ってくる。

私は全く泳ぎが苦手で、プールの日はお腹が痛くならないかなと思っていたし、

プールがないというのも、中学を選んだ大きな理由だったほどだ。

それなのに、なぜか私は6年生の時には白帽に黒線1本だった。

泳げない人は赤帽子、泳げるようになると白になり、黒線が3本が1番泳げるクラスだ。

水泳テストでどうしていたか、さっぱり覚えていない。

妹は小さい時に水泳教室に入れてもらっていたのに、どうして私はそうしてくれなかったかと

母に聞いたことがあった。

「だって泳げないなんて一言も言わなかったから」

私はプールが嫌だとか、テストが憂鬱だとか、家では言わない子供だったのか。



夫に出会った頃に比べたら、多少は英語が上達しているとは思うものの、

最初のレベルがレベルだから、大したことはない。

人が話していることがわからなくても、人に私の英語が伝わらなくても、

もうそれほど落ち込むことはなくなった。

英語しか知らない人に、私がわざわざ第二言語で話してあげているのだと思っているし、

英語なんかよりもずーっと難しい日本語を、私は完璧に使えるのだ、

なんて思っているのだから、平気なんである。





ナンチャッテ泳ぎで小学生時代を乗り切った私は、

ナンチャッテ英語で残りの人生を乗り切るんだろうか。

このままいけたら、それはそれですごいかも。



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