太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

昭和 ~おまけ

2015-11-01 11:59:29 | 日記
昭和の記事を書いたら、記憶がダダ漏れしてきて止まらなくなった。

(昭和の記事はコチラ


バスが15円で、車掌さんが乗っていたのだって思い出した。

静岡駅は、床が土間だった。

って話をすると、信じない人もいるんだけど、これは本当だ。

50年前から、静岡は新幹線が止まる立派な駅のはずが、駅の構内は古かった。

吹き抜けのような天井の高い場所に、古びた券売機が申し訳なさそうに並んでいた。

土間を知らない人もいるかもしれない。

土を固く固く踏みしめたような、表面は滑らかにみえるけれど、濡れれば泥になる。

静岡駅がきれいになったのは、私が高校生の頃だ。



ファミレスなんかなかった。

私たち子供が連れていってもらえるのは、松坂屋の上の食堂とか、

繁華街の大衆的な中華料理屋。

伊勢丹デパートの近くに、舌がとろけるようなショートケーキが食べられる「扇屋」というお店があって

そこに行けた日は非常にラッキーだった。

いまだに、そこのスポンジケーキを超えるものには出会っていない。

多少、記憶は美化されたにしても。



出かけるのが好きな父は、よく家族をドライブに連れていった。

「お父さんは言っても聞かないから、貯金を下ろしてまで出かけたもんよ・・」

のちに母はそうこぼした。

目的もなく東名高速に乗り、行けるところまで行くといって、琵琶湖まで行ったこともある。


そんなドライブの帰り、高速のインターチェンジを降りたあたりに唯一のファミレスらしきものがあって

そこで夕食を食べてゆくとなったら、天にものぼる心地だった。

店の外には松明が燃えている。

そこの看板メニューはジャンボエビフライで、私はいつもそれを食べた。

母が頼むのは、カニクリームコロッケだった。

母は財政的なことを懸念しつつ、コロッケを食べていたんだろうかなあ。

それにしてはカニクリームコロッケは、エビフライよりも高かったんだけど。




リカちゃん人形が大人気で、私はリカちゃんと話せるという電話をかけたことがある。

リカちゃんが出たらなんて言おう、とドキドキしながら電話をかけると、

「はあい、わたしはリカよ。あなたの名前はなあに?」

えと、えと・・と詰まっているうちに

「きょうはピクニックにでかけて楽しかったわ」

と畳み掛けるように話す、ただの録音テープだった。


なーんだ、本物のリカちゃんじゃないじゃんか。


リカちゃんが人形であることも忘れて、なんとアホな子供だっただろうことよ。



しかし数年後、性懲りもなく私は再び「もしもし電話」をかけた。

それは、大人気の歌手のフィンガー5のタエコちゃんと話すため。

リカちゃんは人形だけれど、タエコちゃんは人間だ。

やはり今度も、ドキドキしながら呼び出しコールを聞いていた。

「はあい、タエコです。お電話ありがとう」

その声が録音テープだとわかるほどには大きくなっていた私はがっかりした。



あんたさー、芸能人と直接話せるわけないじゃん。



姉は冷たくそう言った。


しかし私のアホは治らなかったようで、

草刈正雄が好きになって(その前は西条秀樹だった)、好きなあまりに、

草刈さんの家に行く、と言って家族を困惑させたのは、中学に入ってからである。







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