太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

「嫌われる勇気」

2015-11-24 14:33:38 | 本とか
友人に勧められた。

以前から、この本の存在は知っていて、気にはなっていた。

フロイト、ユング、と並ぶ心理学者であるアドフレッド・アドラーの思想を

青年と哲学者の対話形式にまとめた本である。



フロイトやユングは、過去におきた出来事によって、そのあとの生き方が影響される

という原因説であるのに対して、アドラーはまったく逆のことを言う。

今の状態でいたいがために、その理由を自分で作り上げるのだ。


たとえば、引きこもっている青年がいる。

原因説では、そうなるに至った何かの原因があって、彼は不安を感じたりして外に出られない。

しかしアドラー心理学では、「外に出ない」という目的が先にあって、それを達成する手段として

不安や恐怖という感情を作り出している。

それは、親の注目(心配や罵倒であったとしても)を得たいからかもしれないし、

外に出たら自分は特別ではなくなってしまうという恐れからかもしれない。

なににしても、自分がいま置かれている状況は、自分がそれを望んでいるからだ。



厳しいなあ、と思う。

私にとって、目新しい考え方というわけではない。

10年前、私のセラピストが言った。

「不幸な人は、不幸が好きだから不幸なんですよぉ」

そんなばかな、と思った。誰が好んで不幸になんかなるものか。



その後、40過ぎて恋人にふられ、途方にくれた私に

「これでもう老後に突入だと思えば老後。元彼とやり直すと決めればそうなる。

いい男はみんな結婚してると決めればそうだし、自分はもうトシだと思えばそのとおりの自分になるだけ」


「そんなこと言ったって、いい男なんかもう残ってないって普通思うじゃない?」


「あらそうお?でももしそれが真っ赤な嘘だったら?」



けれども、この10年で、私はうっすらとわかり始めている。

無責任な言い草にみえた、さまざまなことが、ほんとうは真実なのかもしれない。

現実に私はあのまま老後にもならず、元彼は捨てて、第一希望の相手を2ヶ月足らずの間にみつけた。

あのとき、トラウマだとか過去だとか、私には一切関係なかった。

どういう自分でありたいか、そのためにどうするか、私にあるのは「今、今、今」だった。


だから、それがどうであれ、今の状況は自分が望んでいるのだと言われたら、

そうかもしれない、と思うのだ。




この本には、承認欲求も出てくる。

認められたい、評価されたい、いい人でありたい。

上記の目的説とあわせて、ここも私には痛くてたまらない場所である。

ただ、最近は、いい人でありたい自分にがっかりすることはなくなった。

これは私の中にあるやさしさだと思うことにしている。



対話形式は、ときに読みづらいことがあるが、これは対話にして成功していると思う。

哲学者と討論する青年の気持ちが、これを読んでいる私の気持ちとそのまま同じ。

すいすいと読めるけれど、

すいすいと読んだあとで、もう一度読み返さずにいられない。






『嫌われる勇気』  岸見 一郎  古賀史健  ダイヤモンド社






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国際映画祭

2015-11-24 13:21:10 | 勝手な映画感想
いやー、あわただしい10日間だった。

家でちゃんとした夕飯が食べられたのは、私が休みで、その日の映画が夜8時から、

という火曜日だけ。



16本観た結果、私が1番楽しめたのは、北野武監督の

「RYOZO と7人の子分たち」(このタイトルは私の想像)

日本ではおととし公開されたようだから、知っている人もたくさんいるだろう。

近藤正臣が、あんなにおじいさんになっていたなんて。

その昔、「柔道一直線」で足でピアノを弾いていた美男子役だったのに(古すぎて誰もついてこれないだろ)

ジョー・ぺシや、リチャード・ドレイファスが年をとったのもショックだったけれど、

少なくとも、それが誰であるかはわかった。

近藤正臣は、最後のロールが出てくるまでわからんかったもんなあ。


客席は何度も笑いに沸いた。


アメリカ映画と日本映画では、その笑う箇所と雰囲気はまったく違う。

以前、私はアメリカ映画の笑わせ箇所が理解できずに、なにがおもしろいのだろうと思っていた。

アメリカに住むようになったからなのか、アメリカ映画をたくさん観るようになったからなのか

今では普通に笑って観ている。


アメリカで人気のホームドラマを、日本を舞台にしてリメイクしても、

とてもじゃないが嘘くさくて興ざめだと思う。

「SHALL WE DANCE?」にしろ、「HACHI」にしろ、

あれは日本のあの町並みと、世間の常識と、人々の考え方とがあって、初めて意味があるものだから

原作とは違うものになってしまうのは仕方がない。

ようやっと東京の郊外にマイホームを建てた日本のサラリーマンの哀愁は、

リチャード・ギアには無理なんだ。



「RING」だって、日本の文化がもつ「湿度」みたいなものは独特で、

それがホラー映画をもっと恐ろしくしているのだと思う。






2番目は、やっぱり韓国の「WONDERFUL NIGHTMARE」。


切なかったのは、「マドンナ」。これも韓国映画。


最後までよくわからなかったのは、日本の「THAT'S IT」。



おもしろい映画はむろん、そうじゃない映画もそれなりに楽しめる。

過去、最後まで見られずに映画館を後にした映画は、中国制作の「三国志」1本だけ。

吉川栄治の「三国志」を読んで感動したあとで、かなり期待していたのだけれど、

出てくる登場人物がみんな同じ顔。

おまけに、日本の将軍家の人の名前が似たような名前ばかりであるように、

名前の区別もわかりにくく、

同じ眉に同じ髭、同じような名前の男たちが、眉間に皺をよせて怒鳴りあうばかりで、

基礎知識があっても尚、混乱し、途中で断念した。



我が家にはテレビがないので(受像機はあるがつながってない)、ほぼ毎日なにかの映画を観ている。

かつ、映画館にも行く。

ということは、1年に少なくとも300本近い映画を観ていることになる。

月々一定金額で契約しているNETの映画も借りているし、同僚とも貸し借りをするけれど、

それでもいつのまにか溜まったDVDも、かなりの本数になった。

日本の映画用に、REGION2のDVDプレイヤーを買ったので、さらに観られる映画が増えた。

日本にいるときには気づかなかった、日本の映画のおもしろさを再発見したのは

私にとっては大きな収穫である。







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