友人に勧められた。
以前から、この本の存在は知っていて、気にはなっていた。
フロイト、ユング、と並ぶ心理学者であるアドフレッド・アドラーの思想を
青年と哲学者の対話形式にまとめた本である。
フロイトやユングは、過去におきた出来事によって、そのあとの生き方が影響される
という原因説であるのに対して、アドラーはまったく逆のことを言う。
今の状態でいたいがために、その理由を自分で作り上げるのだ。
たとえば、引きこもっている青年がいる。
原因説では、そうなるに至った何かの原因があって、彼は不安を感じたりして外に出られない。
しかしアドラー心理学では、「外に出ない」という目的が先にあって、それを達成する手段として
不安や恐怖という感情を作り出している。
それは、親の注目(心配や罵倒であったとしても)を得たいからかもしれないし、
外に出たら自分は特別ではなくなってしまうという恐れからかもしれない。
なににしても、自分がいま置かれている状況は、自分がそれを望んでいるからだ。
厳しいなあ、と思う。
私にとって、目新しい考え方というわけではない。
10年前、私のセラピストが言った。
「不幸な人は、不幸が好きだから不幸なんですよぉ」
そんなばかな、と思った。誰が好んで不幸になんかなるものか。
その後、40過ぎて恋人にふられ、途方にくれた私に
「これでもう老後に突入だと思えば老後。元彼とやり直すと決めればそうなる。
いい男はみんな結婚してると決めればそうだし、自分はもうトシだと思えばそのとおりの自分になるだけ」
「そんなこと言ったって、いい男なんかもう残ってないって普通思うじゃない?」
「あらそうお?でももしそれが真っ赤な嘘だったら?」
けれども、この10年で、私はうっすらとわかり始めている。
無責任な言い草にみえた、さまざまなことが、ほんとうは真実なのかもしれない。
現実に私はあのまま老後にもならず、元彼は捨てて、第一希望の相手を2ヶ月足らずの間にみつけた。
あのとき、トラウマだとか過去だとか、私には一切関係なかった。
どういう自分でありたいか、そのためにどうするか、私にあるのは「今、今、今」だった。
だから、それがどうであれ、今の状況は自分が望んでいるのだと言われたら、
そうかもしれない、と思うのだ。
この本には、承認欲求も出てくる。
認められたい、評価されたい、いい人でありたい。
上記の目的説とあわせて、ここも私には痛くてたまらない場所である。
ただ、最近は、いい人でありたい自分にがっかりすることはなくなった。
これは私の中にあるやさしさだと思うことにしている。
対話形式は、ときに読みづらいことがあるが、これは対話にして成功していると思う。
哲学者と討論する青年の気持ちが、これを読んでいる私の気持ちとそのまま同じ。
すいすいと読めるけれど、
すいすいと読んだあとで、もう一度読み返さずにいられない。
『嫌われる勇気』 岸見 一郎 古賀史健 ダイヤモンド社
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以前から、この本の存在は知っていて、気にはなっていた。
フロイト、ユング、と並ぶ心理学者であるアドフレッド・アドラーの思想を
青年と哲学者の対話形式にまとめた本である。
フロイトやユングは、過去におきた出来事によって、そのあとの生き方が影響される
という原因説であるのに対して、アドラーはまったく逆のことを言う。
今の状態でいたいがために、その理由を自分で作り上げるのだ。
たとえば、引きこもっている青年がいる。
原因説では、そうなるに至った何かの原因があって、彼は不安を感じたりして外に出られない。
しかしアドラー心理学では、「外に出ない」という目的が先にあって、それを達成する手段として
不安や恐怖という感情を作り出している。
それは、親の注目(心配や罵倒であったとしても)を得たいからかもしれないし、
外に出たら自分は特別ではなくなってしまうという恐れからかもしれない。
なににしても、自分がいま置かれている状況は、自分がそれを望んでいるからだ。
厳しいなあ、と思う。
私にとって、目新しい考え方というわけではない。
10年前、私のセラピストが言った。
「不幸な人は、不幸が好きだから不幸なんですよぉ」
そんなばかな、と思った。誰が好んで不幸になんかなるものか。
その後、40過ぎて恋人にふられ、途方にくれた私に
「これでもう老後に突入だと思えば老後。元彼とやり直すと決めればそうなる。
いい男はみんな結婚してると決めればそうだし、自分はもうトシだと思えばそのとおりの自分になるだけ」
「そんなこと言ったって、いい男なんかもう残ってないって普通思うじゃない?」
「あらそうお?でももしそれが真っ赤な嘘だったら?」
けれども、この10年で、私はうっすらとわかり始めている。
無責任な言い草にみえた、さまざまなことが、ほんとうは真実なのかもしれない。
現実に私はあのまま老後にもならず、元彼は捨てて、第一希望の相手を2ヶ月足らずの間にみつけた。
あのとき、トラウマだとか過去だとか、私には一切関係なかった。
どういう自分でありたいか、そのためにどうするか、私にあるのは「今、今、今」だった。
だから、それがどうであれ、今の状況は自分が望んでいるのだと言われたら、
そうかもしれない、と思うのだ。
この本には、承認欲求も出てくる。
認められたい、評価されたい、いい人でありたい。
上記の目的説とあわせて、ここも私には痛くてたまらない場所である。
ただ、最近は、いい人でありたい自分にがっかりすることはなくなった。
これは私の中にあるやさしさだと思うことにしている。
対話形式は、ときに読みづらいことがあるが、これは対話にして成功していると思う。
哲学者と討論する青年の気持ちが、これを読んでいる私の気持ちとそのまま同じ。
すいすいと読めるけれど、
すいすいと読んだあとで、もう一度読み返さずにいられない。
『嫌われる勇気』 岸見 一郎 古賀史健 ダイヤモンド社
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