太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

墓場にもってゆくもの

2016-10-01 19:27:31 | 日記
あるとき夫と、今までの人生で懺悔することを言い合おう、ということになった。

懺悔することなど数えきれないほどあるが、

最初に浮かぶのはいつも、小学生のときのことである。


ホームルームの時間に、担任の先生が、家族のうちで誰が一番にお風呂に入るかと聞いた。

うちは祖父が1番風呂と決まっていた。

先生が順番に「おじいさん」「おばあさん」と言ってゆき、

該当するところで手を挙げるのだが、「おじいさん」のところで手を挙げそこねてしまった。

小心者で融通がきかない私は、どこかで手を挙げなくてはと焦り、

「おかあさん」と言ったところで手を挙げた。私ひとりだったと思う。

べつに最後まで手を挙げなくてもよかったのに。

母は大抵終い風呂だったから、大変申し訳ないことをしたと子供心に思った。

担任の先生は、「んまあ、舅や姑をさしおいてお風呂に入るのね」と内心思っただろうし、

父兄会の時は、この人が1番風呂に入る人なのね、と思って母を眺めたかもしれない。



夫の懺悔はまた様子が違った。

高校1年のとき、夜、数人の友達と車に乗って走っていた。

人通りの少ない暗い夜道を、自転車に乗っている男性がいて、

通り過ぎざまに数個の生卵を投げて、いそいで走り去った。

ずいぶんひどいことをすると私は思った。

夫のために言っておくが、夫はけして不良ではなく普通の高校生だった。

お酒も飲んでいなかったし、数人集まって気が大きくなって、悪ふざけしただけだと思う。

その翌日、学校に行くと、斜め後ろの席のクラスメイトが

「昨日さぁ、自転車で走ってたら誰かに生卵ぶつけられてさ、まいったよ、まったく!」

とまわりの生徒たちに言っているのを聞いて、思わず振り向いてまじまじと顔を見た。

「ひ、ひどいことするやつがいるもんだなあ」

夫は周囲にあわせてそう言ったが、あまりの偶然に驚くやら申しわけないやら。





「おかあさんがそれを聞いたら、取り返しがつかないことでもあるし、気を悪くするだろうねえ」

見ず知らずの無実の人に卵を投げておきながら、その言い方はなんだ。

しかし、記憶というのは不思議なもので、どうでもいいようなことをいつまでも覚えていることがある。

小学2年のときにフジタくんが「バナナ食べると吐くんだよね」と言ったこととか、

いわさきくんが膀胱炎になって、授業中に何度もトイレに行ったこととか、覚えていたくないのに覚えている。

だから、私の母が1番風呂に入ることを、何十年たった今でも覚えている人がいないとも限らない。



私は母に懺悔しようと思ったこともあったが、やはりこれは墓場までもってゆくことにする。




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