太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

気玉

2016-11-28 20:16:52 | 不思議なはなし
父の会社で事務をしていた頃、父に言われて地域の女性異業種交流会に所属していたことがある。

二十代の私から見れば、みんなやたらとエネルギッシュな やり手おばさん だったが

知り合ってゆけばそれぞれに、深い人生のストーリーを持つ、興味深い人達だった。

その中の一人に、Sさんがいた。

Sさんは30歳で独身、愛らしい顔をした人だ。

不思議な話が好きな私とSさんはウマがあい、個人的にも時々会った。

当時は、スピリチュアルという言葉さえ浸透してはおらず、それらしいことはすべて

オカルトか宗教に分類されてしまうような時代だったが、

今思えば、私達が興味があったのはスピリチュアルなことだったと思う。



ある時、Sさんが気の玉の作り方を教えてくれた。

合掌をするように手のひらを合わせて、1センチぐらい間隔をあける。

両手のひらに意識を集中していると、その1センチの隙間に見えないボールができる。

手のひら同士ををほんの少しだけ近づけると、まるでそこにボールがあるかのような弾力を感じる。

その感覚は、磁石の同極同士を近づけた時にとてもよく似ている。

弾力を確かめながら、手のひらの間隔を広げていって、そのボールを大きくしてゆく。


やってみると、本当に見えないボールができたので嬉しくなった。



「これは何?」

「さあ、なんだろう」

「自分の体から出てるもの?」

「違うと思う。これは私の考えだけど、そこらへんにあるエネルギーを集めてるだけじゃないかな。

手はそれをとおすパイプっていうかさ」



その時はわからなかったが、Sさんの意見は正しかったのではないだろうか。

たとえばレイキは、まさにそういうことなのだ。



Sさんが、友達の家で友達と気玉を作って遊んでいると、玉がどんどん大きくなって、

腰が痛くて腹ばいになっていた友達の旦那さんの腰に、遊び半分にその玉を投げてみたら

腰の痛みが消えたという。

「信じなくてもいいよ、私も信じられないもん。でも本当なんだよ」



それ以来、私は気玉を活用している。

私はレイキも使えるけれど、私の中ではレイキと気玉は別のものだ。

土曜から、夫が風邪をひいたらしく、日曜はほとんど寝ていた。

日曜の夜は、熱っぽく、節々が痛んで、翌日仕事に行けるかどうかわからなかった。

私は眠れなかったので、何個も特大の気玉を作り、夫の背中に投げた。

まだ眠れなかったので、レイキも流した。

果たして月曜の朝、夫はしゃっきりと目をさまし、元気に仕事に出かけた。

気玉効果か、レイキか、ただ単に治るときだったのかは不明だが。




ここで余談になるが、その異業種交流会で、気功と漢方薬で病気を治す医師の講演会を催したことがある。

まだ若いその医師の話は興味深く、クリニックもはやっていた。

すぐに感化される私は、前夫が具合が悪くなったときに、強くそこを勧めて行かせたりした。

ところが後に、そのクリニックで働く人が殺されるという事件が起きた。

犯人はいきなり入ってきた暴漢で、すぐに逮捕されたけれど、クリニックは廃業した。


「隙をねらわれたんだと思う」

事件のあと、Sさんが真面目な顔でそう言った。

「何に?」

「闇に、だよ」

私達が住む世界は二元性で、光があれば闇がある。

「私達を助けてくれる存在もいれば、そうじゃないのがいたっておかしくないじゃん」

私はとたんに怖くなった。

「ひぇーー!もう気の玉なんか作れないよぅ」

「ぶはは!あたしたちが作る玉なんか、あちらさんもどーだっていいでしょうよー」


闇の云々はあくまでもSさんの意見だけれど、

自分の波動を高く保って、低い周波数に合わないようにすることは大事なことだろう。







それにしても、気玉の正体は本当はなんなのだろう。

手のひらから、何かが出ているという人もいる。

だから、悪いところを治すときに無意識に手をあてて『手当て』というのだ、とも。

まあ、なんだっていいか。

一人で作って楽しんでるだけだし。(夫に投げたけども)





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