先週、母の四十九日だった。
妹とLINEで話をしていて、私が「お父さんの時みたいにお知らせがあるかな」と言ったら、妹が「なにそれ?」と言う。
昨年の、父の四十九日の日。
姉が、祭壇のお膳を下げに行ったら、つけてもいない2本のロウソクに明々と灯が灯っていたという。
きっと父が「じゃ、行くよー」と知らせてくれたんだね、と言い合った。
姉は妹にはその話をしなかったのだろうと思ったが、妹が改めて姉に聞くと、
そんな話は知らない、と言ったというのだ。
そんなはずはない。私は姉から聞いたのだし、ブログにも書いた。
(その証拠の記事はコチラ)
これって、タイムラインてやつ?
大昔のことじゃなく、昨年のことを姉が忘れたとは思えない。
考えられるとしたら、そのとき私は別のタイムラインにいたということ。
私も詳しくはないのだけれど、我々が現実だと思っているものはひとつではなく、
たくさんの現実世界が平行して存在している。
そのいくつもの世界を、私たちは知らないうちに行ったり来たりしているというもの。
これを友人に話したら、彼女の友達が、彼女にとってはおふくろの味の、ある料理が食べたくなったので母親に言ったら、
そんな料理は知らない、と母親が言う。
何度も作ってくれたものなので、忘れるはずがなく、作って母親に食べさせても、知らない、と言う。
母親の認知症の検査をしても異常なし。
それももしかしたらタイムラインなのかも。
有名なところでは、ネルソン・マンデラ氏が獄中で亡くなった、と記憶している人たちがいる。
オーストラリア大陸が、もっと下の方にあったと記憶している人たちがいる。
それらはその人たちの勘違いなどではなく、マンデラ氏が獄中で亡くなったという世界にいたのだ。
タイムライン、パラレルワールド、それらをなんと呼ぶのかはわからない。
話を聞いていたときには、「そんなことってあるのかなあ」と思っていたけれど、
今は、「ひー!そうなのかも!」と思い始めている。
以前私は夢の中で、あるパーティ会場から庭に出たら(パーティにはニコラス・ケイジがいた)そこは日本で、当時皇太子さまと雅子さまのご成婚パレードの最中だったことがある。
その時夢の中で、これは過去に戻ったのではなく、ご成婚パレードが行われている世界のドアを開けただけなのだ、と思った記憶がある。
夢の中では深く腑に落ちたものの、目が覚めてみたら混乱した。
過去と思っていることも、過ぎてしまったのではなく、どこかに存在している。
つまり、線状に過去現在未来が連なっているというよりは、すべてのことが同時にフワフワ浮かんでいる感じ。
私は、独身だった頃の父に会った夢も見た。
夢の中で私は父の娘だとわかっているのだが、若い父にとって私は友達。
友達である父に、結婚することになったという電話をすると父は
「えー!そうかそうか!よかったなァ!!」
いかにも父なら言いそうなことを、底抜けに明るく父は言うのだった。
その夢も、皮のつなぎを着てオートバイに乗る若い父がいる世界が今もあって、そこに行ってみたということじゃないのだろうか。
まだ小さかった私が、画用紙にクレヨンで絵を描いている。
母は庭で洗濯物を干している。
「おかあさん、何色が好き?」と私が聞く。
「うーん・・赤い」と母が言う。
妙に鮮明に覚えているそんな場面も、今もどこかに存在しており、
白地に小さな赤い水玉模様のブラウスがよく似合った母がいる世界が、今もどこかで続いているのなら、どんなにいいだろう。
私は母に会いに行き、どんな話をするだろう。
母を見たら、泣くだろう。