太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

重い腰があがる

2024-02-09 07:43:53 | 日記
ようやく、重い腰があがった。
新作を仕上げてからどのぐらいたつのか、調べればわかるけれど調べない。
そろそろ次に取り掛からねばと思い、ひと月ぐらいは軽く過ぎてしまう。
次の休みこそやるぞ、と思う。
やるはずの休みを、結局なにも手をつけずに時間ばかりが過ぎてしまうとき、胸の奥がチクリと痛む。
夫の叔母の家にふらりと立ち寄ったとき、そのことを漏らすと、

「そういう時は自分に優しくしないとね」

と言った。
「優しく」と「甘く」はどう違うのか。私はどうも自分に甘いだけなのではと、またまた心が塞ぐ。
そんなとき、藤沢周平氏のエッセイを引っ張り出して読む。


たとえば50枚の小説を書くとする。私は初日の予定に5枚と書く。
二日目は15枚と書き、三日半から四日で書き上がるような配分にする。
だが1日目には私は今日はたったの5枚だと思う。
あわてることはないと思っていると、いつのまにかお昼になる
(中略)
このあたりで私は、たった5枚なら明日のノルマにくっつけてもどうということはないな、と思い始めている。


天下の藤沢先生も同じ!(いや、けして同じではない)


朝起きて、仕事がつまっていなければ散歩に出かけて、コーヒーを飲んだり本屋を見たりし、
仕事がつまっているときは、散歩をやめて机に向かうが、何もしないうちに昼になる
どうせ書かないなら、机に向かうこともないようなものだが、外をぶらつくのは申し訳ないような気がする。
誰に対して申し訳ないかといえば


・仕事をくれる出版社
・締め切りが迫っているのに小説はまだ3分の1もすすんでいないとは夢にも思わないだろう編集者
・二階にいるからには仕事をしていると信じて疑わない妻
・仕事の遅れを気にしている自分自身


そうそう、そうなのだ。
なぜか、いつのまにか昼になるのも一緒。
私の場合、作品を売ってくれるギャラリーであり、着々と新作を制作していると思い込んでいるギャラリー担当者であり、制作に取り掛かれないことを気にしている自分自身、ということになる。

藤沢先生と比べるなどおこがましいにもほどがある。
同志を探して安心している暇があったら、さっさとやればいいのだが、それができたら苦労はしない。

そうして昨日、午後の2時近くになってようやく、重い腰があがった。
キャンバスを取り出し、背景を作ってしまう。
以前、作ったブレッドフルーツを、キャンバスの大きさを縦長の細めのものにしてやってみようと思う。
好きな題材は、形をかえて繰り返し作ってみたくなる。好きなものは、また、売れるものでもあって、手堅いテーマでもある。

作成し始めればこっちのもの。
しかしなにしろエンジンがかかったのが2時で、そろそろ夕食の支度を始めるために席を立たねばならない3時過ぎには、席を立ちたくなくなっている。
これが朝だったら、今日一日でずいぶん捗ったのに、と思うが仕方がない。
取り掛かれただけよかったと思おう。