太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

若作りにとりつかれる

2024-02-14 10:00:28 | 日記
夫の友人はフォトグラファーで、グループ展をやるというのでレセプションの日に出かけた。
レセプションとは会場に作家たちが一同に集まり、飲み物や簡単な食べものを楽しみながら作家と交流できる機会のこと。

会場に着くと、友人が真っ先にみつけて駆け寄って来た。

「来てくれてありがとう。ママもいるのよ」

友人の母親のセブラもアーティストで、抽象画や前衛的なオブジェを作っており、カハラの邸宅には、奇抜なオブジェがそこかしこに飾られている。
夫とその友人とは中学以来の付き合いで、セブラもよく知る間柄。挨拶をしようとキョロキョロしていると、

「あらー!久しぶりね」

と、背中からセブラの声がした。振り返ってみて、顎が落ちそうになった。

妖精の羽根のような光沢のある生地でできた奇抜なドレスからは片方の肩がむきだし、しかも膝上20センチ以上の短さで、シルバーのロングブーツは10センチヒール。
真ん中で分けた黒髪は肩までまっすぐ伸びている。

夫の同級生の母親である。
若い頃はエキゾチックな顔立ちだったと思われるが、セブラは76歳。
太ってもいないし、姿勢もいいし、表情も豊かで、はっきりとした目鼻立ちは年齢よりは若く見える。
でも、顔面に広がる深いシワ、シミ、肌のたるみ、くすんだ色、ちりめんのような細かいシワが浮く腕や足は年齢どおり。
孫世代と同じファッションをまとうことで若さを見せたつもりが、よけいに老いを強調してしまい、切ないことこの上ない。
母親がこの格好をすることに、娘は何も言わなかったんだろうか。

女性がある程度の年齢になったら、誰だって若くいたいと思う。
「若作り」という言葉の裏には、若く見られたい女たちへの小さな意地悪が込められている。
それを承知で、若く見られることに執念を燃やさずにいられない女性たちの、なんとけなげで可愛らしいことか。
そんな意地悪に負けずに、どんどん若作りして、明るく楽しく生きればいいのだ、と私は思っている。

しかし、ふと、若作りには越えてはならぬ線があるのでは、と気づいた。

何年も前になるが、職場の同僚が、マイクロミニの白いスカートをはいてきて驚いたことがある。
当時、同僚は60歳を過ぎていたと思う。お腹まわりはでっぷりと肉がついているが、脚は細い。細い脚は彼女の自慢なのだろう。
細いことは細いが、若い人とは違って皮膚には張りがないし、上を見れば顔はシワシワ。ミーティングで座ると、見たくもないものが見えてしまい、目のやり場に困った。
そのすぐあと、ユニフォームのボトムは膝より下、という規則があわてて作られた。


女性たちが若くて元気なのは、社会が明るくなるし、いいことだけれど、さかのぼっても良い境界線を越えてしまうと、まったく裏目に出てしまい、老いばかりが強調されるという恐ろしいことになる。

世の中には、とてもその年齢に見えないほど若い、という人たちがいる。
40歳の人が、まったく違和感なく25歳に見えたらスゴイ。
スゴイが、50になっても60になっても25歳を目指していたら、それはもう若作りにとりつかれている。
これにとりつかれると、自分では気づけない。
鏡を見る時、人は現実より何割増しか良く見ているのだという。
若作りにとりつかれると、200%ぐらい良く見ているのではないか。

かつて友人たちと、
「私がイタイ恰好してたら、言ってね」
と互いに言い合っていたものだが、実際は言えるものではないし、言われたら気分が悪いから、見逃してほしいと思う。
けれど、セブラを見たら、そうも言っていられなくなった。
とはいえ、友人たちに言いにくいことを言わせるのは気の毒であり、こうなったら夫しか頼れる人はいない。

「私が妙に若い恰好してたら、言ってよね」

と夫に言うと

「オッケー」

なんとも頼りない返事である。