太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

栗おこわ

2024-03-27 13:42:05 | 食べ物とか
買い物担当である夫が、日本食スーパーで「栗おこわ」の素を買ってきた。

「日本語が読めないのに、なんでわかったのさ」

「だって写真ついてるし、栗が入ったご飯かなーって。栗、好きでしょう」

日頃、私が栗、栗とうるさいのを知っているのだ。
早速、休みの今日、炊いてみた。
パッケージを見ると、『料理自慢をしたいときに』なんて書いてあるが、自慢する相手もいないので、猫たちに見せる。

栗おこわ

大盛一膳を食べて、あとは小分けにして冷凍し、お弁当にもっていこう。
このもち米の独特の風味と、栗の素朴な甘みがなんともいえず美味しい。
この美味しさは、やはり日本人でなければわかりあえない。おかずは、炒めたケール入りの卵焼き。
味噌汁は今朝食べたので、抜き。

「隣に豆の写真がついたのもあったよ」

「こんな字、書いてなかった?」

赤飯と書いてみせたが、無理だろうなあ。

「んー、わかんない」

そうだよね。
お赤飯だったら、それも食べたい。
15分足らずで炊けてしまう、内釜ペコペコの炊飯器(というより電気釜)で炊いてもちゃんと美味しいのだから、お赤飯も期待できる。
妹の嫁ぎ先は和菓子屋で、よくお赤飯をお土産に持ってきてくれた。両親ともおこわが好きで、年中、お赤飯やらおこわを食べていた。

なんだか、ハマチだ栗おこわだと食べ物の話ばかり。
残るは食い気か。

このひと月あまり、義両親とは夕食を共にしなくなったのは、互いに食べるものが違いすぎてきたからだと思っている。
夫は、夫独自の食習慣をかたくなに守っており、私は私で、ほうれん草のキャセロールとか、エンチラーダとか、ポークチョップといったものはあまり食べたいとは思わなくなった。
それよりも豆腐や日本カレーや天ぷらのほうがいい。
互いに食べたいものを作って持ち寄るようになっていったが、自分たちの料理しか手をつけないし、その日の義両親の予定や食べる時間のすりあわせが軽く面倒になってくる。

家で食べる料理は、昔から食べていたものがいい。
それは年齢とともに、なのか、それとも私が外国に住んでいるからなのか、その両方なのか。
年齢もあるとすれば、夫とて50を過ぎて、シュートメが作るガイジン的な料理で育ったはずが、今はそれよりも味噌汁や納豆や豆腐のほうが好きというのは稀なことではないだろうか。










覚えていないに限る

2024-03-27 13:01:53 | 日記
朝、起きたら夫が

「ゆうべ、変な夢みた?」

と聞く。

「夢なんかみなかったよ。なんで?」

「おかぁさぁーーーーーん、って言ってたよ」

ほんとに何も覚えていないのだ。
いったい、どういう状況での「おかぁさぁーーーーーん」だったのか。
どう考えても、ハッピーな感じはしない。
現実では叶わなかった母の死に目に、夢の中で会いでもしたのだろうか。
母の生前、私はそんなふうに母を呼んだことはないような気がする。

落ち着きがなく、よく迷子になっていた幼少の頃ですら、親にはぐれて叫んだことはないと思う。
真っ青になっているのは親たちの方で、駿府公園で迷子になったときは、私は施設(昔は児童会館という施設があった)の人にソフトクリームなど買ってもらい、ボロボロになって親が迎えに来た時には、ちゃっかり施設のオジサンに抱っこされてソフトクリームを舐めていた(らしい)。
子供が誘拐されて殺される事件があった頃だったから、親の心配いかばかりだったろうか。

とにかく、そう叫ばずにはいられない夢だったならば、覚えていなくて幸いである。