太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ですわ、ますわの大安売り

2019-11-27 19:50:26 | 本とか
山崎豊子氏の「女の勲章」を読んでいる。


いよいよ読む本の在庫がなくなってきて、古本屋に行ったはいいが
食指の動く本が見つからない。
日本の古本屋とは違って、本の絶対数が少ないのだから仕方がない。
それでもいろんな作家の本を開拓して、選択肢はだいぶ広がってきてはいるのだ。
山崎豊子氏は、「不毛地帯」や「大地の子」など、
女性作家とは思えない、骨太の社会小説を書いている。
だからこの「女の勲章」もそういう小説なのだろうと思い、手に取ったのだった。


しかし、社会小説というよりは、平日の昼すぎにやっているメロドラマのような内容で、メロドラマが苦手な私は困惑している。
しかも、これが書かれたのは昭和36年(1961年)
さすがの私も、まだ生まれてはいない。
話の筋は、大阪の裕福な商家に育った女性が、デザイナーとなって
洋裁学校を経営するという、細腕繁盛記的な話だ。
メロドラマなストーリーもともかく、
小説に出てくる女性たちの話し方が、いちいち不自然で、気になって仕方がない。

たとえば、こうだ。
「いいえ、別にそんなものはございませんわ。自分の選んだ色と柄を素材にして
最も美しい布地の彫刻を造りたいという、それだけがデザイナーの大きな要素ですわ
「大阪の古い衣服の伝統の中に育ち、それを身につけた人にしか創りだせないものですわ
つまり江戸流の粋でなく、上方につうじる味ですわ、あれは大庭さんの環境と人間を物語っていますわ
「あら、それならあなたのほうが私よりずっと、私についてお詳しくご存じでいらっしゃいますわ


ですわ、とか、ますわ、とか、昭和36年では一般的だったんだろうか?
当時、すでに姉を生んでいた母は二十代だったけれど、母がそんな話し方をしていたのを聞いたことがない。
キャリアウーマンの(職業婦人といったらしい)、お高くとまったような人に限ってなのだろうか。
果たしてそういう人たちは、実際にですわ、ますわと話していたんだろうか。
それとも、小説や映画の世界だけの話し方なんだろうか。


ただ、興味深いこともある。

女は30歳まではそれぞれ年相応にしか見えないが、30を超えると個人の持ち分だけが年齢になって現れる

というくだりがある。
小説が書かれた60年前には、そうだったのだろう。
今は、15歳ぐらい年齢が上がっているような気がする。
45歳ぐらいまでは年相応でいられても、45を過ぎると、大きく個人差が出てくる。



おきまりのメロドラマではあるが、(プレイボーイの事務長が、院長含め以下職員と関係を持ちまくる)厚さ2センチあまり、650ページに及ぶ長編で、
文字の大きさは最近の文庫の文字の半分しかない。
あまり早く読み終えると、また本を探さねばならなくなるので、
話はできるだけ長く、本は厚いほうがいい私は、ですわ、ますわのメロドラマを
困惑しつつも根気強く読み続けている。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿