( つつじが 咲き出した !
昨日はイースター ! 復活祭でした。 教会ではイースター礼拝、 受洗式 愛餐会 午後には
召天者合同記念会が行われました。 私の兄のことも始めて皆さんにお話しました。いつか教会の
墓地に分骨させて頂くことになっています。明日の夜から京都へ向かいますが 亡き兄や両親の
お墓参りも合わせてする予定です。京都の桜は散り始めているようです・・。 少しは残っている
でしょうか・・? 間に合うようにと願っています。
『 死に仕度 致せ、致せと 桜かな 』 一茶
老いて 毎年桜を見ると もう今年で最後かなー という心境を歌ったものでしょうか?
人はそう簡単に死ぬことを予感し 『死に仕度』を準備出来ないものです。死にたくないという思いが
先立つ為でしょう。では意味ある人生を生きているという訳でもない。毎日がただ過ぎて行く感じに
慌てたりします。
運命とは命を運ぶこと 命を受け継ぎ 次の世代につなげていくこと だと横川先生は仰っていた。
私も若い人々を見ると この人たちが 私の後の時代を生きるのだなーと 少し切ない思いになる。
今日の高知新聞に 2045年には 県の人口が50万を切ると出ていた。今73万なので22年後
には32%減ることになる。秋田県は40%以上減るそうだ。私のおじいさんが出た奈良県川上村は
人口が1/5になるという。以前ルーツ探しに祖先の墓を探したことがあったが 村がダムに沈み
墓は見つからなかった・・。 ともかく東京も含め全ての都道府県で人口減少するのだから 日本の
次の時代は人口1億から 再出発することになる。 少し話しはそれてしまった・・。
良寛さんも 『 死ぬる時節には 死ぬがよく候。』( 死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい。)と
言っている。 人生最後の時に 静かに人生を振り返り 自分の人生を納得し 満足出来るだろうか?
中国の考え方に 『 林住期 』があるのは 死ぬ手前で 仕事を離れ 森の中で一人になって人生の
深みを求めよ ということではないだろうか? その時期も終わって『 遊行期 』に入り お釈迦様の
ように一人旅に出て 死に場所を求める。インドの人々がガンジス河に 末期高齢者が集まって来る
ようなものです。
キリストは言われた。『 私はよみがえりです。いのちです。私を信じる者は 死んでも生きるのです。』
このひとことにかけていると言ってもいいですね。キリストが十字架上で死に 黄泉に下り この世に
よみがえられた。死に勝利された。私たちは地上で死にますが 神から受けた命(霊)は終わりません。
もう一度神の御国で生きる。そこでは永遠の命を頂き 死ぬことはありません。霊的人間に変わるという
ことでしょう。イイエ洗礼を受けた時 儀式で私は水の中で一度死に 再生したのです。過去の罪が
赦され 心に聖霊を頂き 霊的成長して神の御国への道を歩む。キリストを信じた人々の『 変容 』の
姿です。
勿論この世にいる限り サタンの誘惑を受け 罪を重ねるでしょう。 でも いつも神の前に出て祈り
赦しを願い 神に近づいていく それが信仰生活だと思っています。敬虔なクリスチャンの姿と言える
でしょう。死んでも生きる 死はこの世からあの世へのスタート台だと私は思っています。神の御国は
この世にもある。それは教会にも 私たちの心にもある。イエス様が私たちの心の真ん中におられる時
こそ クリスチャンの理想の生き方でしょう。その時はこの世の思いとか自己中心の思いは 無くなって
いるのだと思います。
さくらを追っかけている間に 私のブログも13年目に入っていました。『 新年度 』もよろしく !!
アヤメも。ジャーマンアイリス !?
カラスのエンドウ。
ムスカリ
今年初めてのネコヤナギ。
これも今年初めての 藤の花。本当に早い !
しじみ花 ? 中国では えくぼの花とか・・?
著莪(シャガ)も満開。
シラサギの演舞。
鷺にとっても春は大切な時。
カップルを求める ? 春の一場面です。