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「世界がもし100人の村だったら」のように、Doblog内にひそかに広まっている(?)アインシュタインの言葉です。
「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度も幾度も闘争が繰り返され
る。しかし最後はその闘争に戦い疲れ果てるときがくる。そのとき人類
は真の平和を求めて、世界の盟主を掲げなければならない。その世界の
盟主とは、武器や金の力ではなくて、あらゆる国の歴史を抜きに越えた
最も古くて最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はつまるとこ
ろアジアにはじまってアジアに帰る。それはアジアの最高峰、日本に立
ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに神が日本と
いう尊い国をつくっておいてくれたことに」
(大正11年、アインシュタインが日本滞在中に残した言葉)
当時はこの言葉がアインシュタインから発せられ、また日本人が受け入れることのできる風土や気概があったのでしょう。
しかし、日本はおろかにも戦争に突入し、南アジア、東アジアに恨みのタネを残しました。
また「大量破壊兵器」を2発も落とされるという悲惨な経験もしてしまいました。
そんな経験をしたにもかかわらず、日本はアメリカとアメリカ人が大好きでスポーツも芸術も食文化もブーイング一つせず、いいものはいいものとして受け入れてきました。
そういった意味で、日本人は実に気高い気質の持ち主だと言えるでしょう。アインシュタインのお眼鏡どおりです。
さて、先のアインシュタインの言葉は平成の今、通用するでしょうか?
私は今も通用させたいし、理解もしたいし、リーダーシップもとれると思います。
ただ、それは座していてはできないことです。
それでは小泉さんをリーダーにしてできることでしょうか?残念ながら彼ほどふさわしくない人はいないんじゃないでしょうか?見つめている方向が違いますし、現状認識がなってないからです。戦死者を悼むことは大切なことです。だからといっていまや意地を張るかのように靖国神社に参拝することが国益にかなったことでしょうか。私人であれば文句はいいません。信教の自由ですから。
民間の方々の南アジア、東アジアでの地道な活動でどれだけ為政者の不備をカバーしていることでしょう。
ちょっと道が逸れました。
ここにきて、日本も兵器をつくって輸出すべきだというような意見が平然と語られるようになってきました。もちろん今までも技術や原材料が兵器産業に流れていたとは思います。けれど、兵器という形になって出て行くのは絶対に許すことはできません。
「正しい戦争」があるはずないからです。
そんなことになったら、アインシュタインさんがくれた、あの誉れ高き言葉は返上しなければなりません。
でも、その時はもうどこにもこの言葉にふさわしい国はないでしょう。
Doblog内のたくさんの示唆に富んだblogにコメントしよう、トラックバックしようと思っても、さび付いた脳みそと人差し指タイピングの腕ではなかなか文章として形にできませんでした。でも、私のblogは……考えて……です。
看板どおり考えてみました。
(写真は西日のきつい我が家のバルコニーでけなげに咲く日々草です)
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「世界がもし100人の村だったら」のように、Doblog内にひそかに広まっている(?)アインシュタインの言葉です。
「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度も幾度も闘争が繰り返され
る。しかし最後はその闘争に戦い疲れ果てるときがくる。そのとき人類
は真の平和を求めて、世界の盟主を掲げなければならない。その世界の
盟主とは、武器や金の力ではなくて、あらゆる国の歴史を抜きに越えた
最も古くて最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はつまるとこ
ろアジアにはじまってアジアに帰る。それはアジアの最高峰、日本に立
ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに神が日本と
いう尊い国をつくっておいてくれたことに」
(大正11年、アインシュタインが日本滞在中に残した言葉)
当時はこの言葉がアインシュタインから発せられ、また日本人が受け入れることのできる風土や気概があったのでしょう。
しかし、日本はおろかにも戦争に突入し、南アジア、東アジアに恨みのタネを残しました。
また「大量破壊兵器」を2発も落とされるという悲惨な経験もしてしまいました。
そんな経験をしたにもかかわらず、日本はアメリカとアメリカ人が大好きでスポーツも芸術も食文化もブーイング一つせず、いいものはいいものとして受け入れてきました。
そういった意味で、日本人は実に気高い気質の持ち主だと言えるでしょう。アインシュタインのお眼鏡どおりです。
さて、先のアインシュタインの言葉は平成の今、通用するでしょうか?
私は今も通用させたいし、理解もしたいし、リーダーシップもとれると思います。
ただ、それは座していてはできないことです。
それでは小泉さんをリーダーにしてできることでしょうか?残念ながら彼ほどふさわしくない人はいないんじゃないでしょうか?見つめている方向が違いますし、現状認識がなってないからです。戦死者を悼むことは大切なことです。だからといっていまや意地を張るかのように靖国神社に参拝することが国益にかなったことでしょうか。私人であれば文句はいいません。信教の自由ですから。
民間の方々の南アジア、東アジアでの地道な活動でどれだけ為政者の不備をカバーしていることでしょう。
ちょっと道が逸れました。
ここにきて、日本も兵器をつくって輸出すべきだというような意見が平然と語られるようになってきました。もちろん今までも技術や原材料が兵器産業に流れていたとは思います。けれど、兵器という形になって出て行くのは絶対に許すことはできません。
「正しい戦争」があるはずないからです。
そんなことになったら、アインシュタインさんがくれた、あの誉れ高き言葉は返上しなければなりません。
でも、その時はもうどこにもこの言葉にふさわしい国はないでしょう。
Doblog内のたくさんの示唆に富んだblogにコメントしよう、トラックバックしようと思っても、さび付いた脳みそと人差し指タイピングの腕ではなかなか文章として形にできませんでした。でも、私のblogは……考えて……です。
看板どおり考えてみました。
(写真は西日のきつい我が家のバルコニーでけなげに咲く日々草です)
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