『負けんとき―ヴォーリズ満喜子の種まく日々』は日本で数多くの西洋建築を手がけた、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻、満喜子の生涯を追った小説です。
玉岡さんは、あえて評伝ではなく、小説として書き起しました。
満喜子以外の、多くの志を持った女性にもスポットを当て、時代の先駆者たちの苦悩や輝きを表現しています。
タイトルの「負けんとき」は満喜子が進むべき道に迷った時、母と慕う実業家・廣岡浅子から贈られた言葉です。
「勝ち組、負け組に分けるのじゃなく、皆が一歩譲り合って、でも負けずに共存する。・・・」
新潮社のPR誌「波」に玉岡さんとラグビーの大八木さんの対談が載っていて、こんなくだりがありました。
玉岡 タイトルの「負けんとき」という言葉に大八木さんはどういう印象を持ちますか?
大八木 負けてもええで、みたいなことですね。最終結果じゃないっていう感じですか?
玉岡 そうなんですよ。人の足を引っ張って勝たんでもええで、という意味ですね。大阪のおじいちゃんに聞くと、「大阪は勝たへん文化なんや」と言うんですね。勝つと泣く人がいる。だけど勝ち負けつけなければ負けなかったという事実が残る。そういう配慮のあるすごく優しい言葉なんですよね。
大八木 それはラグビーで言う「リ・トライ」、そして「ノーサイド」につながる精神ですね。
玉岡 まさに!
う~ん、なんとなく分かったような・・・。
今の世の中、個人でも、組織でも、国家間でも、勝ち負けをつけないと収まらなくなっていますけどね。
ヴォーリズはキリスト教の伝道者としてアメリカから来日しました。その伝道の手土産として、メンソレータムを普及させました。彼の手がけた建造物は現存しているものがたくさんあります。関西学院大学や神戸女学院大学もそうなんですね。軽井沢にも多く残っているようです。見つける楽しみができました。
また、その時は彼を支え、教育者として力を発揮した満喜子のことも、思い浮かべることになりそうです。