島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首83

2014-02-19 | 奈留島百人一首
 
 83. 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
            山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

                   皇太后宮大夫俊成(コウタイゴウグウノダイブトシナリ)(1114~1204)
 「この世の中には辛いことから逃れる道は無いのだからと、心の安らぎを求めて分け入った山の奥でも、やはり辛いことがあるのか鹿も悲しげに鳴いているようだ。」
 藤原俊成(トシナリ・シュンゼイ)は、「千載集」をまとめたりして有名なすぐれた歌人です。
91歳まで生きて、妻は8人ぐらい、子は20人近くいたそうです。
この小倉百人一首をまとめた97番作者藤原定家も息子の一人で、48歳の時に出来た子供です。
 この歌は27歳の時の作で、27歳にしてこの素晴らしい歌を作り、その後もつらい世の中を妻も子もたくさん引き連れて、60年以上生き抜いたのは立派のひと言ですね。
 
 83. 本土には 人こそ多けれ 移り住む
              島の中にも しがらみはある

                              こそ・けれ・れ・の・にも・し・る  10字 同じ
 50年以上住んだ京都には、人には言えないようなしがらみもたくさんあって、それからの解放も奈留島に来た理由の一つかもしれませんが、島に来てから9年、それはそれでまた奈留島には奈留島のしがらみが出来てくるんですね。
 夏の午後、奈留病院(奈留医療センター)の屋上から空を眺めながら俊成の歌を唱えると、それなりの感情がわき上がってきて、自然とこんな歌が???口から出てきましたが、俊成の年までもう25年は生き抜いていけないでしょうね。

    返事
大雪男さん:3月中に完成は諦めていますが、90首ちょっとぐらいまではいきたいです。
花水木さん:あっそうか!こういうのは駄洒落というか親父ギャグになるんですね。
    私はもっと高尚なものだと勘違いしていました。  まだまだでした!
コメント (2)
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