1590(天正18)年に架橋された日本で一番古い石柱橋である三条大橋を渡り、一歩江戸に近づいた所の写真です。
三条通の東海道は、電柱も地中化されて、京阪電車も京津線も地下に潜ったので、まっすぐ広々と延びていますし、京阪三条周辺はだだっ広くなりました。
ここや、ブラタモリでも紹介されていた京阪淀駅周辺の開発整備にも、私の珉珉好きの同級生が関わっていたことを知りました。
三条大橋北東角に建つ「駅伝発祥の地」の碑です。
先日のNHKブラタモリ「東海道57次」のオープニングもこの前から始まってましたが、その時はこの碑の説明はなかったですね。
遷都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が1917(大正6)年4月27・28・29日の3日間にわたり開催された時の、スタートはここ京都三条大橋だったので、それから100年を記念して建てられた碑です。
昔は三条京阪駅前広場は待ち合わせ場所で、懐かしい伝言板なんかも有りました。
京阪電車の1987(昭和62)年の地下化や、出町柳までの延伸に伴い、この高山彦九郎皇居望拝像もやや孤立した感が有ります。
高山彦九郎(1747~1793)は上洛する度に、ここ三条大橋で京都御所に向かって拝礼したそうですが、勤王の志士達は彦九郎を心の鑑と仰いだそうで、もひとつわけが判りません。
元々は1928(昭和3)年に像は建てられたのですが、戦時中の金属供出でつぶされ、その跡に左の徳富蘇峰(トクトミソホウ)筆の「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」の石碑が建てられていました。
1961(昭和36)年には、この像が再建されたのですが、中学生になったばかりの私は、この建立にひと悶着があったことは何となく覚えています。
ニュージーランドに日本国内で完敗したジャパン、欧州遠征してフランスにも今朝は完敗、世界ランクは今は15位以下の実力しかないのでしょうね。
巻き返してほしいですよ!
路面電車は便利ですが、道の中央に停留所が有るので、そこに行くのがやや難と、やはり遅いですね。
函館で市電に乗り、便利だし、バスより運転にストレスがないかもと思いました。市バスも運転手さん不足で大変そうですよね。