島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道7.

2024-11-10 | 京都へ、京都から

 1590(天正18)年に架橋された日本で一番古い石柱橋である三条大橋を渡り、一歩江戸に近づいた所の写真です。

三条通の東海道は、電柱も地中化されて、京阪電車も京津線も地下に潜ったので、まっすぐ広々と延びていますし、京阪三条周辺はだだっ広くなりました。

ここや、ブラタモリでも紹介されていた京阪淀駅周辺の開発整備にも、私の珉珉好きの同級生が関わっていたことを知りました。

 三条大橋北東角に建つ「駅伝発祥の地」の碑です。

先日のNHKブラタモリ「東海道57次」のオープニングもこの前から始まってましたが、その時はこの碑の説明はなかったですね。

 遷都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が1917(大正6)年4月27・28・29日の3日間にわたり開催された時の、スタートはここ京都三条大橋だったので、それから100年を記念して建てられた碑です。

 昔は三条京阪駅前広場は待ち合わせ場所で、懐かしい伝言板なんかも有りました。

 京阪電車の1987(昭和62)年の地下化や、出町柳までの延伸に伴い、この高山彦九郎皇居望拝像もやや孤立した感が有ります。

 高山彦九郎(1747~1793)は上洛する度に、ここ三条大橋で京都御所に向かって拝礼したそうですが、勤王の志士達は彦九郎を心の鑑と仰いだそうで、もひとつわけが判りません。

 元々は1928(昭和3)年に像は建てられたのですが、戦時中の金属供出でつぶされ、その跡に左の徳富蘇峰(トクトミソホウ)筆の「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」の石碑が建てられていました。

1961(昭和36)年には、この像が再建されたのですが、中学生になったばかりの私は、この建立にひと悶着があったことは何となく覚えています。

 

 ニュージーランドに日本国内で完敗したジャパン、欧州遠征してフランスにも今朝は完敗、世界ランクは今は15位以下の実力しかないのでしょうね。

  巻き返してほしいですよ!


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2 コメント

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Toitenlaさんへ (島の医者になって)
2024-11-10 10:16:20
三条通りと川端通りは、どちらも市電は走ってないです。京阪本線も地上でしたし、京阪電車の大津へ行く京津線がずっとほぼ三条通りに沿って路面電車のように走っていたので、その記憶が残ってたのかもしれませんよ。
路面電車は便利ですが、道の中央に停留所が有るので、そこに行くのがやや難と、やはり遅いですね。
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Unknown (Toitenlabee)
2024-11-10 10:05:55
昔、市電が走っていたのは、このあたりですか?
函館で市電に乗り、便利だし、バスより運転にストレスがないかもと思いました。市バスも運転手さん不足で大変そうですよね。
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