少し間が空くと、どこまで行ったか分からなくなる「京都へ、京都から」ですが、やや想い出話のような3回が終わった荒神口 志賀山越、いよいよ本格的に地図青矢印に沿う志賀越道(シガゴエミチ)を進みます。
荒神橋を渡ってすぐ、稲盛財団記念館の北西の角に、青●印の牧畜場記念碑が判りにくくありました(右の黒いほうです)。
1872(明治5)年、地方公共団体が作った牧場としては第1号の官立京都牧畜場が、北海道や岩手県ではなく、こんな場所にあったのですね。
と言うことは、鴨川を越えたこの辺り一帯は、明治の初め頃までは何もないだだっ広い田舎と言うか原野だったのですかね。
地図青矢印の如く、ここからちょっと北上してすぐに、京都では異質な感じの斜めの道に入ります。
これが昔からの道 志賀越道、もう完全に洛外と言うことで、田んぼ(原野)の中をまっすぐ斜めに通っていた道だったんでしょうね。
この志賀越道が東大路と交差する少し手前の東一条通角にあるのが 私の母校のYMCA橘井寮(キッセイリョウ)の古い建物です。
同級生の寮生の部屋で、二級酒を飲みながら朝まで、人生・政治・宗教・宇宙や女の子のことも話して、大人になった気分に浸っていました。
前回紹介した映画「ヒポクラテスたち」でも、ここでロケしたシーンが沢山あったので、懐かしかったです。
もう青春は戻ってきませんね。
越道→ゴエミチと読むのですか、なるほど。
青春って、歌の文句じゃないけど、後から気付くもので、その真っ只中は、そんなに良い時代とも思わず、無駄な時間を過ごした様な気がしています。
青春、人より長く過ごした大学時代は、無駄で何もせず過ごし過ぎましたね、ほんのもう少し勉強して、ちょっとは女の子と遊んで、もっといろんな所に行ったりしてたら、今とは違う人生だったかもしれませんが、まあそれが自分の限界だったのでしょうね。
ま、誰にでも一応あったということで、、、。笑
幸せの 青い~春
少年時代と青春時代に比べても、老年時代はまた別の喜びと苦しみが有りますね。
私は今日まで 生きてみました ♪
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして 生きて行くだろうと 🎶