島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

上五島への日帰り2

2015-03-06 | 五島列島
 
 2月11日(祝)に4人の家族旅行?の様相で観光した上五島。
最初の頭ヶ島天主堂で、長崎新聞に写真が載るようなハプニングに出会いましたが、「上五島ふるさとガイドの会」の会長の、天主堂の詳しい説明を聞くことも出来て良かったですし、頭ヶ島近くの隠れた名所のこともいろいろ聞けたので、寄ってみました。
 頭ヶ島からの帰り道、すぐ近くにある最近できた坂本龍馬の銅像、今や懐かしくなってしまった研修医二人とです。
 
 この銅像自体は、ガイドの会長さんも、どうでも良いようなそぶりでしたが、坂本龍馬はここまで来ていたようです。
 銅像のそばに新しく建っていた「潮谷そど(騒動)」の碑ー2013年11月23日除幕(昨年訪れた時は見逃していました)ー:
坂本龍馬率いる「亀山社中」の持ち船ワイル・ウエフ号が、1866年(慶応2年)5月2日にここ江の浜沖で遭難し、乗組員12名が命を落としたそうです。
龍馬はすぐにこの地へ来て、自ら碑文を書き、同志の霊を弔うため、資金を添えて墓碑を依頼したと言われていましたが、それを証明するものはなかったようです。
 昭和43年有川地区に赴任された学校の先生が、その墓碑を探されましたが見つからず、諦めていた時に、村の古老がこの「潮谷そど」という俗謡を歌ってくれて、これが事実あったことが判明し、墓碑も見つかったそうです。
 
 以前にも紹介したワイル・ウエフ号の梶棒。
これも村の家の梁に使われていたのを発見したそうですが、近くの民家(民宿)の庭に飾られています。
 
 そして今回、見過ごしてしまいそうでしたが、江の浜地区の共同墓地にある墓碑も、説明を聞いていたおかげでたどり着けました。
この白いコンクリートのあずまやで守られていましたが、風情には欠けます。
 
 これがあずまやの中にあった龍馬が依頼した墓碑、共同墓地の他の墓は陸地を向いているのに、この墓碑だけは海を向いていると、頭ヶ島でガイド会長さんに聞いていましたが、墓の前には家が建っていて、海は近いのに見えず、名所として宣伝するには迫力に欠けました。
又、私には碑文も遭難者名も読み取ることはできませんでした。

       返事
花水木さん:確かに都会で普通の車に混じって走るのは、
    浮「気もしますね。
福山市さん:昔の太古もきれいでしたが、よりきれいになりましたね。
    九商フェリーより、太古は豪華船旅をしてる気がしますね。
     日島の古い墓地辺りは、確かに人いませんね。
    五島列島の西側海岸は、西の果て感濃厚ですね。
     福山市さんはいろいろ楽しんでおられるので、羨ましいです。
大雪男さん:月光仮面とミゼット、どちらが知名度高いですかね?
和さん:本人は「男の子」をもう感じていませんよ。
和みさん:渡米って、すごいですね!
    向こうでもぜひ「島の医者・・・」読んで下さいね。
    外国でも最低3人の人がこれを読んでくれていると思いますので。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花水木)
2015-03-06 22:19:02
龍馬の顔は隠さなくても良いのでは??
研修医の方も美人さんとイケメンですから
そのまま見たかったです。

苔むした墓碑を囲む白いコンクリートやお供え物の
ペットボトルが何とも言えませんね。
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Unknown (大雪男)
2015-03-06 23:30:46
あの像の龍馬はイケメン過ぎますね。
遭難者の墓は風情などありませんが、五島らしいです。
観光客は滅多に行かないと思います。
顔や車のナンバーが写りこんだのはブログに載せ辛いですね。
返信する
Unknown (福山市)
2015-03-07 11:28:38
坂本龍馬の銅像へは、私も行きましたが、男前でした。
研修医の2人に龍馬と同じメ[ズをして撮影するなんていいですね。
墓碑は墓地の中にあったのですね。白い建物だけは分かりましたが・・・
今度上五島に行く時は、先生のブログでアップされた
マルゲリータのランチやパンを是非食べてみたいです。
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